ミャンマー政治とスーチー女史

―四半世紀を母国に捧げてきた道徳的政治家 ― 

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     元在ミャンマー大使館参事官  熊田 徹

「選挙ボイコット」発言 
テインセイン大統領の指導下、国際社会の後押しをも受けて政治経済改革が急展開中のミャンマーで、昨年末少々気がかりな兆しが現れた。2年後に実施予定の総選挙を控えて、スーチー女史がそのボイコットを口にした。また、同大統領が昨年末までには成立させると公言していた反政府少数民族武装組織との和平協定交渉が物別れに終わり、独立運動期以来の民族間対立の根深さが改めてクローズアップされた。

 スーチー女史は、以前から現行憲法には「私が大統領になれないようにしている部分がある」と語っていたが、「ボイコット」発言は今回が初めてである。憲法第59条f項が大統領の身分上の資格として、その配偶者や子供が外国籍者でないことを条件としていることが問題の「部分」の由だが、同条項は同女史の亡父アウンサンが1947年の独立準備中に憲法とともに設けた選挙法における、外国からの影響力防止のための規定がずっと引き継がれてきたものである。だが、民主化運動を経た今日では同女史の亡夫が英国人であったことと2人の子息が現在英国籍者であることから、内外世論の多くが同女史排除のための条項とみなしている。一方、同条d項は大統領の資格要件として、「連邦の行政、政治、経済、軍などに関する諸事項に十分通じていること」もあげている。

 同女史は「選挙ボイコット」の理由について、「(対立候補の)一方にのみ有利な地位を与える不公平な制度」の下では「道徳的矜持を有する政治家は投票に参加すべきではない」と説明している。「不公平な制度」とはd項を含めてのことだろうが、それは不公平というよりは、同憲法が独立運動期以来内戦状態が続いている同国の歴史的経緯を反映した、「危機管理憲法」だからである。同国では、植民地制以来の民族間対立が外部介入により、武力抗争を伴う「国家国民間の分裂状況」を構造化してしまった。そして、四半世紀にわたる民主化運動と国連安保理をもまきこんだ国際社会からの制裁介入の圧力とが、同国首脳部にいっそう厳しい危機意識を植え付けた。現行憲法前文は、その成立経緯について要旨次のごとく記している。

忽卒のうちに起草された1947年憲法下での民主制は効果的には機能せず、国民投票を経て一党制に基づく社会民主主義を定めた1974年憲法は1988年の事件で停止された。恒久的憲法の必要にかんがみ1993年に国民会議が設置され協議が始まったが、幾多の困難と障害に遭遇した。国民会議は2003年のロードマップに従い2004年に再開し、2007年9月23日に草案を採択した云々。それは同年8月中旬に発生した「サフラン革命」のさなかであった。

モラリズムと法秩序 
どのような背景があるにせよ、国際社会の一般常識からすれば、第59条の規定はたしかに異例かつ不公平である。そして、スーチー女史の「道徳的矜持」云々との主張は1988年にミャンマーの政治舞台に登場して以来一貫して非暴力主義を唱えてき、ノーベル平和賞を受賞したモラリストたる同女史の面目躍如たるものがある。だが、政治的正統性や法秩序の観点から見た場合、この主張は重要な問題点を含んでいる。また、昨年12月末に同女史欠席のまま開かれたNLD中央執行委委員会がこの問題に関する憲法条文改正を選挙参加の条件としない旨を決議したことは、同党での同女史の指導力のかげりを露呈している。

いずれにせよ、同女史にとっても民主主義の原理からしても、現行憲法に修正すべき点が多いのはたしかで、昨年7月に憲法改正準備のため議会に設置された「109人委員会」には、昨年末までに30万件の修正意見が寄せられており、与党も野党も少数民族側(議会内のFDA=連邦民主主義連合)も、大規模な改正案をまとめている。憲法改正についてテインセイン大統領は、今年初頭の国民向け放送で「国益や国家主権は守られるべきであり、政治危機は避けねばならぬ」とする一方、「憲法は必要に応じて随時修正を加えるのが健全な行き方で、大統領には市民の誰でもがなれるようにすべき」と説明した。改正の範囲を大統領候補の資格問題を含め、幅広く認める反面、過去に経験した外部介入や少数民族武装反乱組織への対応に必要な諸規定の撤廃は時期尚早ということであろう。

スーチー女史とBCP 
さて、和平交渉では、11の少数民族勢力で組織する統一民族連邦評議会(UNFC)が、その兵力の自律性を保持したままで国軍と一体化した「連邦軍」の創設を主張した。だが政権側はこれを認めず、今後の和平交渉を現行法の枠内で国会において進めることを主張した。注意すべきは、「連邦」の意味が双方で大きく異なることである。政権側にとりそれは、1947年の独立準備期以来目標としてきた強固な統一国家(Union)であり、少数民族側にとっては緩やかな結合体(Federation)である。もう一つの要注意点は、スーチー女史のモラリスト的対応が、連邦問題の根源にある前述の「国家・国民間の分裂状況」において果たしてきた役割如何である。

女史の亡夫マイケル・アリスによれば、彼女は、母国ではまだ耳慣れない人権について政治家や学生達に縷々説明することによって、ミャンマー政治への門をくぐり、1988年8月26日の演説で人権と民主主義のための闘争のリーダーシップをとるにいたった由である。一方、母国の実際政治に疎い同女史は、女史宅の一室に指南役として住み込んでいた亡父アウンサンの同志で当時70歳台の旧BCP(ビルマ共産党)長老をはじめとする、BCP系のインナーサークルから助言を受けていた。そして、ミャンマー独立直後から政権と武力対決していたBCPが、彼女の善意をその政治戦術に利用したことが、しばしば彼女の意図に反して「国家・国民間の分裂」傾向を助長する一因となった。

この辺の事情については、1989年9月13日の米国議会公聴会で、国務省政務局次長が、前年のクーデーは「騒乱(upheavals)の取締り(crackdown)であって弾圧(repression)ではなかった」と証言し、「国軍は、政党や外国人による国軍分裂化扇動により、1988年同様の騒乱が再発することを回避するため必死である」と述べている。 同証言はまた、「(ミャンマーでは独立期以来の内戦ゆえに)人権侵害が行われてきたが、米国は過去においても今後も、介入を行う意思を一切有していない。同国に対しては麻薬撲滅対策協力という重大関心事があり、友好関係の復活を期待している」とも述べていた。

この「政党」が麻薬生産者でもあるBCPを、「外国人」がスーチー女史を指すことはいうまでもない。だが、女史自身はBCPとの関係を、1988年9月12日付英国紙インデペンデントへの寄稿文で、次のように述べている。「私を貶めようとしている人々は私が共産主義者に囲まれている、と非難しています。私がさまざまな経歴の多くのヴェテラン政治家から助言を得ているのは事実です。けれどもそれは、これらの人々が将来の政治的利益への期待や個人的利得とはまったく無関係に、民主主義の大義のために働いているとの前提にもとづいてのことです。私自身は、国民の福祉よりも個々人の政治的信条やイデオロギーを優先することには強く反対しています」。

義務として反抗せよ 
BCP戦術の具体例として、女史は1988年2月10日から10日間、山岳部で遊説旅行を行った際の集会で、「NLD声明第9号が連邦に関するNLDの考え方だ」と述べた。だが、同声明は「諸民族全てを含めた全国民と手を携えて、民主的な体制を確立するための革命に勝利するまで闘う」とうたい、新憲法の協議・制定を革命達成の後に順序付けていた。女史はまた、同年6月の平野部での演説では、「不当な権力や悪法には従わず、義務として反抗せよ」と呼びかけて、軍事政権が選挙準備のために告示した各政党の具体的政策内容の発表頒布令に非協力の方針を示し、来るべき選挙での政策論争という難しいハードルを回避した。

そもそも、NLD声明第9号の政策綱領で選挙戦を展開することは、大多数が反マルクス主義の仏教徒で少数民族反乱組織を警戒している平野部では事実上不可能であった。同女史はさらに、「ネウィンは国軍をほしいままにして国民を圧迫してきたが国軍は誰のものか、それを作ったアウンサンのものだ」とも述べて、国軍分裂作戦に出、これらが因となって自宅軟禁処分となった。軍事政権は連邦制や憲法問題を改めて協議するため1993年に国民会議を開いたが、NLDはこれをボイコットした。 3年後、NLDは総会を開き、自宅軟禁を解かれていたスーチー総書記出席のもと、遅ればせながら少数民族問題に関する政策を検討し、「少数民族問題に関するNLDの政策」をなんとか採択した。だがその中の一項目は、「党はかつて選挙の前と後において国民に示した誓約を決して棄てない」と記している。つまり、NLD声明第9号の「憲法は革命後」との政策綱領は依然維持されたのである。

2015年の選挙に向けての憲法改正がどのような結果となるにせよ、スーチー女史が今度またボイコット戦術を用いるならば、たいへん不幸なことといわねばなるまい。それは、すくなくとも女史個人の問題として、逡巡の末とはいえ2012年に議会で公式に誓約した憲法の手続を無視し、自らが主張する「法の支配」を破るに等しいこととなろう。 (2014年3月18日記) 2014年5月10日寄稿

『法王フランシスコ、歴史に挑む』 2014.1.31

『法王フランシスコ、歴史に挑む』

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     杏林大学客員教授 元駐バチカン大使  上野 景文

1. はじめに

  昨年3月に就任した新ローマ法王フランシスコは、初めてのラテンアメリカ出身の法王として、また、初めてのイエズス会出身者として―――「王朝風のバチカン文化」とは対極にある清貧、無私を旨とする(カトリックの)「前線文化」を体現した人物として、就任直後から、バチカン、カトリック世界全体に、多大なインパクトを与え、世界の耳目を引いて来ている。その言動は多数の心を捉え、世界の善男善女による「バチカン詣で」は3倍に急増、昨年末には米国のタイム誌により「今年の人」に選定され、オバマ大統領からも共感を示されるなど、高い存在感を示した。そのような状況は、今日なお続いている。

この「フランシスコ効果」(注1)には目を見張るものがあるが、新法王登場の真の意義は、実はもっともっと深いところにある、と私は見る。スキャンダル続きのバチカンを立て直すと言う喫緊の課題も重要ではあるが、私は、法王がより遠大なテーマに挑もうとしている点に注目したい。すなわち、新法王は、世界各地の実情や現代人の意識を十分汲み入れていない(そのため、中南米ですら、カトリック離れが進行している)バチカン、カトリック世界の体質、文化、意識を変容させ、カトリック世界全体の現代化をはかることを目しており、まさに、文明的、歴史的挑戦を仕掛けつつある、と見る。

2.3つの挑戦

  では、バチカン&カトリック世界に文化革命、意識改革を引き起こすことにこだわる新法王が、仕掛けようとしている挑戦とは何か。主眼は3点だ。

  第1は、教会の使命の再定義。清貧、無私を旨とする修道会的「前線文化」の申し子である新法王は、従来の「聖職者中心主義」を戒め、こう説く、
(イ)教会は、聖職者ではなく、信徒のためにある。信徒に尽くすことが聖職者の本
分だ。
(ロ)その本分は、現場に出向き、貧困者や弱者に献身的に寄り添うことで初めて達
成(教会にこもって、祈るだけでは駄目)される。
(ハ)すなわち、教会自体、貧しくなければならないし、貧しい人達のためのものであるべきだ、と。
 これらの中でも、(ハ)の「貧しい人々へ寄り添え」との主張は、フランシスコ改革の中核を占める(下記4.参照)。

  第2は、集権構造から分権型構造への転換。法王は説く、法王庁中心主義(過剰な集権構造)を改め、各現場の実情を踏まえた分権構造確立が急務だ、と。「現場のことは現場で」という「現場中心主義」への転換は、「中央は現場のことがわかっていない」という現場の声を汲んでのことと想われる。
法王が分権化を具体的にどこまで進めようと考えているかはまだ明らかではないが、法王は、「東方正教会の在り方」が一つの示唆を与えてくれるとしていることから見て、ローマ法王の権限縮小、並びに、(法王の権限の)世界司教会議(Synod)への移譲を含むものと思われる。

  第3は、「排除の文化」から「包摂の文化」への転換。法王は説く――教会は、従来、「教義の番人」であることにこだわる余り、同性愛者や離婚者などを「排除」して来たが、神の愛は万人に遍く向けられる以上、かれらや無神論者をも、胸襟を開いて迎え入れるべし、と。

3.イエズス会士ならではの視点

(1)「前線文化」の持ち込み
  以上のような視点、すなわち、「信徒に仕えることに、聖職者の本分はある」、「『聖職者(clergy)』意識を捨て、『羊飼い(pastor)』に戻れ」、「聖職者中心主義から脱皮せよ」、「バチカン中心主義を改め、現場の声に耳を傾けよ」と言った一連の発言からは、カトリックの聖職者に意識改革を求めた法王の強い思いが看取される。ズバリ言えば、法王は、バチカンを頂点とするカトリック世界全体に、「前線文化」、露骨に言えば、「イエズス会風の文化」を持ち込み、浸透させようとしていると、私は見る。

  すなわち、ブエノスアイレスの時代から一貫して、教会は貧困者をはじめとする世間の弱者に寄り添うべきとの点を再三にわたり説いて来た新法王は、バチカンに乗り込んでからも、教会は、教義や教理をいじくると言った「小さな枠組み」に閉じこもっていたのでは駄目だと明言の上、「教会の外に出て、貧しい人、疎外された人、差別された人達に寄り添い、彼らと共に祈ることが重要だ」と説き続けている。

(2)「包摂の文化」へのシフト
  昨年夏以降になると、更にトーンを高め、「これまで教会は、離婚、同性婚、避妊、中絶などの諸問題に神経質になっていたが、神の愛はそれらの人々にも等しく注がれるものであり、これらの問題を抱えた人たちを『排して』来たこれまでの頑なな姿勢は改めなくてはいけない(注2)」、「教会は、こうした人たちに加え、疎外された人達、貧困に苦しむ人達に(出かけて行って、直接)手を差し伸べなければならない」、「(すなわち、)教会は、(貧しい人、弱者などのための)『野戦病院』となるべきだ」と言った発言を繰り返している。別の機会には、「神の愛は、無神論者にも、あまねく注がれる」との発言すらあった。「排除(exclusion)の論理」から「包摂(inclusion)の論理」にシフトせよ、と言うことだ。

ここで、下線を付した部分に注目して頂きたい。この発言は、教理、教義の変更を迫るものではないにせよ、従来の教会の保守的な姿勢に疑問を呈したもの――明言こそ避けているが、ヨハネパウロ2世、ベネディクト16世を含む従来の姿勢に対する批判となっていることは明らか――であるだけに、既に保守派の一部からは反発の声が聞かれる。しかしながら、生命倫理・家族倫理に関わる教会の保守的かつ頑なな姿勢が、西欧や中南米で「カトリック離れ」をもたらしている一因であることに照らせば、カトリックに嫌気がさした多くの信徒、すなわち、カトリック離れ予備軍とも言える人々は、法王の発言をむしろ好感している(=教会再認識に繋がるかもしれない)ものと推測される。カトリックの信徒だけではない。広く一般の現代人から見ても、法王の言動は(従来カトリック教会が説いて来たところに比し)ずっと理解しやすいものであり、だからこそ、「世間」における法王の好感度、注目度は高いレベルにある訳だ。近年スキャンダル続きでイメージを損ねたカトリック教会であるが、「フランシスコ効果」、「フランシス・コマジック」が続けば、何れ失地の何がしかは回復出来るかもしれない。

4.中南米出身者ならではの視点――貧困問題への強いこだわり

次に、法王の「貧困」問題に関する強いこだわりにつき、補足する。法王は、累次にわたり、貧富の格差拡大と、その背後にある抑制のきかない利益優先思想を批判し、世界の指導者が倫理的観点から国際金融制度改革を手掛けるよう求めたが、その際、「(資本主義は)貨幣信仰に堕してしまった」、「(メディアは)株価が2%下落しただけでも大きく報じるのに、ホームレスの老人が野垂れ死にしても歯牙にもかけない。これは一体どういうことなのか?」など、舌鋒鋭い指摘を繰り返して、それら発言は大々的に報道された。

  法王の一連の発言に対しては、「市場主義信仰」の強い米国で反発が少なくなく、「法王の口からマルクスの思想が発せられた」と毒づいた人すらいた。他方、同じ米国で真逆の反応もあった。特に、下線を付した法王の発言が、或る政治家の心(ハート)を――他ならぬオバマ大統領の心を――しっかりと捉えたことを見過ごす訳にはゆかない。大統領は、フランシスコ法王の社会哲学にいたく共感しており、昨年11月末に法王が、それまで発表したメッセージを集大成した「使徒的勧告」を発表した際には、大統領はしっかり自分で文書に目を通した模様だ。更に、12月に行った経済問題に関する演説の準備段階で、スタッフが草案を提示すると、一読後「ローマ法王に言及せよ」との指示を下したと言う(LAタイムス)。どうやら、貧困問題、社会問題、移民問題に関しては、二人の思想はかなり近いと言えそうだ。因みに、大統領は、3月下旬に法王に謁見する。

  実は、市場主義への批判は、フランシスコ法王の専売特許ではない。前任のベネディクト16世も、前々任のヨハネパウロ2世も、「荒削りの資本主義」では駄目だと、舌鋒鋭く繰り返していた。二人とも、格差の問題についても警鐘を鳴らしていた。そこまでは、フランシスコと同じだ。だが、従来の法王は、「教会の使命は、家族倫理などへのこだわりにではなく、貧困に寄り添うことだ」とまでは言わなかったし、そうは考えなかった。それは、彼ら(二人とも欧州人)が「本物の貧困」、「本場の貧困」を直接「肌で知らない」ことによるものだ(と、私は見る)。

  そう、私の経験から言っても、中南米の貧困は、欧州の貧困とは比べ物にならない、つまり、一桁違う貧困、「凄み」に溢れた貧困だ。中南米出身で、本場の貧困を熟知したフランシスコ法王にとっては、この貧困の問題を放置したまま、教義、教理の問題を、「安全が確保され、貧困から隔絶された室内」で論じることは、偽善以外の何ものでもない、と映っている訳だ。新法王は、政治運動としての「解放の神学」にこそ組さなかったが、その精神だけはしっかりと継承した人物なのだ。ここに、新法王と先任諸法王を分ける鍵がある。要するに、フランシスコは、既にして、「欧州出身者は持ち併せない新たな観点」、「中南米的な持ち味」をバチカンに持ち込みつつある。

5.改革への布石――人事面で法王色

  言うまでもないことであるが、諸改革を本格化させるためには、要所要所に、法王のめざすものに共鳴する人材を配置することが先決だ。最重要人事は、首相(注:原語を直訳すると国務長官となるが、私は、実態を反映させるべく、敢えて首相と訳している)の人選だ。法王は、昨年10月に、このポストに、諸先輩を飛び越して、若手のホープ、駐ベネズエラ大使パロリン大司教を呼び戻して、各方面をあっと言わせた。多くの人が、この人事から法王の「本気度」を感得した。

  その後も、法王は独自色の強い人事を継続している。特に重要と言えるのは、司教省長官の人事(昨年12月16日)及び16人の新枢機卿の発表(1月12日)だ。

  まず前者について。同長官は、キリスト教圏の司教のお目付け役(注:非キリスト教圏の司教は、福音宣教省が担当)であり、各国の教会のあり様に強い影響を有している。法王は12月に、イデオロギー的に保守的と目されているバーク枢機卿(米国出身)を外し、より穏健色と言われているウァール(Wuerl)枢機卿(ワシントンの大司教)を据えて、注目された。やがて、ウアール長官を通じて、法王の考えに共鳴している司教が、世界各地で登場することになるだろう。即効性はないかもしれないが、じわーっと効いてくると言うことだ。

  次に、16人の新枢機卿の人選について。(コンクラーベで次期法王選出に参画できる80歳未満の)枢機卿は、法王に次ぐ枢要な聖職者である。で、投票権を有する枢機卿(120名弱)に占める欧州出身者の割合は、これまでは、50-55%と、世界の信徒数に占める欧州信徒数の割合24%を大幅に上廻って来たのに対し、「南」(中南米、アジア、アフリカ)出身枢機卿は全体の35%前後と、信者数割合68%を大幅に下廻って来た。右を念頭に入れて、今回昇格する16人について見ると、「南」は9人で56%と、現行レベル(35%前後)を大幅に上廻った反面、欧州は6人で38%と、現行レベル(50-55%)を大幅に下廻ったことが、特筆される(注3)。

  つまり、「教会は、清貧を旨とし、貧しい人たちのためのものであれ」と説く新法王は、枢機卿人事の面で、「北」から「南」、富裕国から貧困国へのシフトを始めたものと解せられる。当然、欧州優遇策が放棄されることになろう。このような形で人事が繰り返されれば、5-10年後には、全枢機卿に占める「南」の割合は目に見えて増加し、逆に、「北」の割合は低下し、もって、南北格差は是正されることになろう。カトリック世界に、欧州中心主義から多角多元主義への転換が根付くか、注目を要する。

枢機卿人事との関係で付言すれば、日本では4年余にわたり枢機卿がいない状態が続いている。そのようなことは、この半世紀間なかったことであるだけに、新法王により、この状況にストップがかけられることが期待される。

6.結び

  旧来の「中央」中心の文化へのかくなる挑戦は、「中央」を体現した人からは出て来難い。イエズス会士、中南米人と、二重に「周辺」を体現した人物ならではのものだ。特に、貧困問題へのこだわりは、中南米の凄まじい貧困の実態を知るが故のことであり、バチカンのメッセージの幅は、中南米的視点を汲み入れ、確実に広がった。

  欧州中心主義が強かったバチカンだが、中南米、更には、アフリカ、アジアの多様な文化や実状にも十分配慮した多角主義(注4)をベースとしたカトリック教会の確立に向け、「一皮むける」ことになるか、注視したい。とは言え、新法王によるこの歴史&文明への挑戦、まだ具体像はおぼろげなところが多い。今後具体策が示される段階に移るに従い、保守層の反発は必至だと目されるが、法王の決意は固い。

(注1)法王の人気度につき、データを交え、紹介する。一般信徒と同じ目線に立って、交わることを身上とする法王フランシスコは、その行動と発言を通じ、実に多くの信徒を惹きつけている。その結果、就任(昨年3月13日)以降の10か月間にバチカンに詣でた信徒数は実に660万人と、前年(前任のベネディクト16世の治世)の水準(230万人)に比し、3倍近くに著増した。増えたのは、「バチカン詣で」だけではない。世界各地において、カトリック教会のミサに参加する信徒の数も軒並み増加した模様だ。特に、法王の出身国であるアルゼンチンでは、「信者だ」と自認する人の数が(前法王の時代に比し)1割強増えたと伝えられている。これらの「フランシスコ効果」、「フランシスコ・マジック」は、カトリック信者だけでなく、他の宗派・他の宗教の信徒、更には、無宗教の人達にも及んだようだ。すなわち、これらの人達の中には、「自分は法王フランシスコのために祈るのだ」と言って憚らない人が出て来ているとか。

  以上のような次第をも踏まえ、昨年12月に米国のタイム誌は、恒例の「今年の人」として法王フランシスコを選定した。その理由として、同誌は、「法王フランスコは、教会への希望を失った多数の人々の心を、あっという間に掴んだこと」、「旧来の教義重視の姿勢から、(教会の)癒しの役割を重視する姿勢にギアをシフトしたこと」などを挙げている。因みに、これまでに、この「今年の人」に選ばれたローマ法王としては、他に、ヨハネ23世(1962年)、ヨヘネパウロ2世(1994年)の2人――何れも、格別人気が高い法王――がいたが、何れも就任後多年を経てからのことであり、就任直後にいきなり選ばれた今回の事例は「異例」だったと言える。つまり、フランシスコは、歴代法王の中でも、カトリック世界での人気が特に高いことに加えて、世界の注目度もひときわ高いことが、タイム誌を突き動かした訳だ。

(注2)バチカンは、避妊、中絶、同性婚など家族倫理、生命倫理の問題についての一般信徒の受け止め方を調査するべく、現在世界大の規模で、アンケート調査を実施中だ。その結果を踏まえ、本年10月には、バチカンで世界司教会議(Synod)が開催される。このアンケートの実施は、「理念(イデオロギー)より現実を重視する」と明言する法王のリアリストとしての姿勢(昨年11月の「使徒的勧告」)が如実に示されたものと言えよう。

(注3)新法王の姿勢は、毎回枢機卿の人選をするたびに、半数以上を欧州出身者から選んだ前法王ベネディクト16世の欧州中心主義と、好対照をなす。

(注4)法王フランシスコは、(前任のベネディクト16世が、8年間の治世に一度もアジアに足を踏み入れなかったことに照らし)自分は、アジア訪問を優先するとしている。多角主義化の観点から評価したい。本年については韓国、来年はスリランカとフィリピンが対象となる公算が高いとされている。法王が既に公私両面で、日本への関心を示していることもあり、日本のカトリック教会には、訪日の早期実現をめざして、働きかけを強めて頂きたいものだ。

【参考】上野景文著「バチカンの聖と俗(日本大使の一四〇〇日」(かまくら春秋社)
(2014年1月30日寄稿)