駐日女性大使インタビューシリーズ カテジーナ・フィアルコーバ チェコ共和国駐日大使に聞く
第2回 駐日女性大使インタビューシリーズ 第2回は駐日チェコ共和国大使です。
━━━大使にとって日本はどのような国ですか。駐日大使発令の印象は?
大使:第一に私にとって駐日大使は大変光栄なことですが、初めての大使職、アジア勤務です。大統領、首相、外務大臣がチェコにとり重要な国そしてパートナーである日本の大使職を私に任せてくださったことを光栄に感じ、同時に大きな責任を感じています。光栄、大きな責任そしていろいろな面で享受できる特権を併せたものを感じます。
さて駐日大使発令の第一印象ですが、チェコでは大使任命のプロセスには時間をかけます。私の場合は在英大使館での次席勤務(2003-2007)から帰国後わずか6カ月の頃、当時の上司に私の将来について聞かれ駐日大使を希望したのを覚えています。その時私はアメリカ局長として、また間近に迫ったEU議長国の準備もあり頭は仕事のことで一杯でした。結局正式な発令まで3年かかりましたが、その間十分な準備ができました。長い準備期間は本人だけでなく家族にとっても重要で少なくとも1年は必要だと思います。
━━━駐日大使の使命、その優先分野について差し支えない範囲で教えてください。
大使:外交の仕事は展開というタイプのものであり、革命ではありません。前任の大使の足跡をできる限り継続しながら自分の関心分野や過去の実績を踏まえてアクセントをつけていくことではないかと思います。チェコと日本の関係は伝統的に大変良好で、それは経済(ビジネス、貿易、投資)と文化(特にクラシック音楽)の二本の柱に支えられています。これらをさらに発展させることは勿論ですが、政治・安全保障分野での協力にもう少し力を入れたいと思っています。実際に私は10年~12年にわたり安全保障政策やNATOに携わってきましたので、日本の安全保障政策に関心がありますので、定例の事務レベル協議でも議題に国防事項を導入しました。来日したチェコ外務省幹部を外務省だけでなく防衛省にも案内し、シンクタンク関係者との昼食会などの場を設けました。最近では米国、カナダ、欧州諸国と日本が参加して宇宙における安全保障に関する会合が開催されましたが、同様の会合は2年前プラハで開催されました。つい先週東京でも会合があり、来年か再来年には米国で同様な会合が予定されています。
プラハにはチェコ宇宙産業連合Czech Space Alliance (CSA) 本部があり、European Space Agency (ESA)の積極的メンバーでもあります。そして日本との宇宙協力の推進に努めています。これは長距離レースですぐに成果の見えるものではありませんが確実に進展に向かっています。原発分野での協力もあります。わが国は全エネルギーの30%が原子力エネルギーの原発支持国です。福島原発事故の後でも国民の70%が原発を支持。現在新規の原子炉2基の競争入札を実施中で、ロシアと日米の2企業がショート・リストに残っています。福島原発事故後この原発建設計画では新たな局面が検討されることになり興味深い実り多い協力が見られました。
━━━東北大震災の時大使館は避難されたのですか。
大使:福島原発事故発生直後、チェコ原子力安全局のお陰でパニックに陥らず東京に留まっていました。原子力安全局のトップはDana Drabovaという卓越した女性で、直接私に電話をかけてきて心配しないようにと言ってくれました。実際原子力安全局から送られてくる独自の報告と分析のお陰で私たちは現実にどう対応すべきかを判断することができました。同女史は原子物理学者でチェルノブイリ事故を知り欧州原子力安全規制グループの副会長としても高い評価を得ていますので日本への有効な助言者となりえる人物でした。実は私としては、同女史をa)その豊富な経験、b)日本とチェコとの協力促進に貢献できる人材、c)重責を担いかつ知名度の高い女性のロールモデル、として密かに日本に招待したかったのですが、同女史の家族の不幸もあり実現しませんでした。両国の協力関係はそのほかにも開発援助の面でチェコ・日本プロジェクト、グルジアにおける開発協力があります。バルカン地域を巡る地域協力においても更なる協力の可能性があると思います。
━━━ところで大使は日本の地域協力をどのように見ておられますか。
大使:欧州は歴史を上手に管理している点が違います。それは痛みを伴う長いプロセスですが欧州は第二次世界大戦の結果に対処し、欧州連合の基礎を築きました。多くの人々は不満や非難ばかり言っていますが、欧州連合が紛争の平和的解決にとって、そして地域紛争の予防協力としていかに重要であるかを忘れています。率直に言ってそのような解決策が日本を含む地域に必要だと思います。無知かもしれませんが私にはこの地域に真の地域協力が育っているとは思えません。先ず真摯に歴史に向き合い過去の傷をきれいにしない限り本当の地域協力へと進めないでしょう。
欧州ではそれはトップダウンで始まりました。将来へのビジョンを抱いた指導者や政治家が欧州共同体というプロジェクトを始めたのです。それが石炭鉄鋼共同市場の建設でその後ゆっくりと欧州連合に発展していったわけです。始まりは1950年代で未だ多くの人々が苦しんでいましたが、次の世代の先を見通す政治家がいました。1970年代、80年代のレーガン大統領、ゴルバチョフ大統領やサッチャー首相のような政治家です。アジアでもそのようなビジョンを持った政治家が必要なのかもしれません。あるいは市民の力が政治家や政府を動かすのかもしれません。
━━━日本では強いリーダーシップが育ちにくいと言われますが。
大使:日本はコンセンサス社会であるといわれていますが、コンセンサス重視、リーダーシップ欠如は無責任な状況を生むことも忘れてはなりません。私は福島原発事故がその例だと思います。ですから強いリーダーシップと責任感が必要です。今日、日本にリーダーシップの動きがあるのはよいことだと思います。安倍首相はこれまでのところリーダーシップと党内対策、そして国民からの期待を大変バランスよく調整しています。これとは別に、私がいつも不思議に感じることですが、どこへ行っても、代表して出てくるのは中年男性ばかり。私はこの人たちが社会全体を代表しているリーダーだとは思いません。この国の伝統や、年齢や経験が重要であるということを否定するものではありませんが、今こそ優秀な人材を年齢や性別に関係なく良いポストに就けるべきです。例えば大使への起用も私のように45歳の人にもなされるべきです。
━━━社会の変革はどこから?
大使:常々思うに社会変革は家庭が出発点です。私は二人姉妹でしたが両親から行儀作法は教えられましたが常に何にでも挑戦するよう勇気づけられ期待されました。最近は日本でもチェコでも女性が主張を持ち行動的になってきたことは素晴らしいと思いますがある時点で抑え込まれています。結婚や妊娠は病気ではありません。女性から何かする資格を奪うものではありません。保育施設への送り迎えは両親が分担できるものです。母親は息子に、もっと女性に場所を譲るよう教育すべきです。チェコでは第二次大戦中男性は戦場に出て女性が国を守るために工場や事務所で働いていました。戦後男性が戻り職場に復帰しても女性はそのまま仕事を続け、第二の収入を家計にもたらしています。いまや若い男性の多くは料理もでき男女平等が定着しています。チェコでは有給産児休暇は4年です。女性の働く権利は法的に守られていて職場復帰後も同じ仕事ないしは同等の責任ある仕事に戻ることができます。
━━━海外に飛び出す有能な日本女性について
大使:私はアメリカの大学で日本人の親友に出会いました。一緒に学び彼女は今テキサスの大学で日本語教授となっています。多くの有能な日本人女性が最終的には海外に留まってしまうことを聞いています。それは日本にとって大きな損失です。日本の女性たちももっと権利を主張して立ち上がるべきです。私自身、自立を学び取りました。幸運にも私が20歳代の時革命がおこりました。自立することを学び、私は優秀である、私は何かを試み、責任をとり失敗しても立ちあがって前進する意志があると言えることが大事です。人生に危険はつきもので、すべてを完全に予測すること不可能です。危険を恐れず立ち上がることです。
━━━日本で最も印象に残ること
大使:日本ではものごとが大変秩序よく組織されていてこれが自分の性格にもあっていて好感が持てます。徹底した時間厳守も好きです。また日本は安全です。初めて日本に来た時カフェでお茶を飲んでいると一人の婦人がハンドバックと買い物袋を椅子に置いてそのままトイレに行き、そのあと注文に行ってしまいましたが何も起こらなかったのを見て驚きました。私がバスのカードを落とした時も誰かが拾って届けてくれました。尊敬に値します。
━━━男性優位社会といわれる日本で女性大使として感じたことは何ですか。
大使:日本が男性優位社会であるということは事実だと思います。ただ女性大使として良いこともあり悪いこともあります。例えば大使が女性でしかも若い女性であるとは通常予想されにくいので、皆さん私を見て驚き大使だと信じません。時には複数の大使が参加するイベントでは同僚のブルガリア大使と一緒に歩いて行くとまず間違いなく私のことを伴侶とみなします。でも私が大使であると分かった瞬間から礼を以て丁重にその階層の人間にふさわしいもてなしを受けます。確かに男性優位社会では常に自分のことを明らかにしなければなりませんが、逆に常に目立ち、名前で覚えてもらえます。いつも若い女性に派手な色のジャケットを着なさいと言っています。英国女王やメルケル首相、クリントン国務長官は公式な服装でもいつもカラフルなものを着ています。それは文句なく関心を引き付ける方法のひとつだからです。国際政治の場でも有利になるものです。
もう一つの利点は男性大使には行けないところにも行けるということです。私は時々その利点を意識的に活用します。大使と大使夫人の二役で行事に参加することができます。日本各地の友好協会での講演では通常多くの女性が参加します。彼女らにとって私はより近寄りやすく実際に私のところに沢山の女性が来て親しく言葉を交わしていきます。そのようにして私は男性の政治家との話で得る以上のものを得て日本のことを学んでいます。先日チェコ使節団と上田市を訪問し、市長、大学関係者や商工会のメンバーと会合を持ちました。たまたま会合では女性は私一人でしたが市長からも誰からも全く男性と同等の扱いを受けただけでなく、その時皆さんと一緒にとった写真は現地紙に掲載され大いに宣伝に役立ちました。
驚いたことに会合の後密かに私のために地元交響楽団の女性コンサートマスターと彼女の息子さんによる小コンサートが開かれました。彼女は極度に緊張していましたので私は握手して自己紹介しました。素晴らしい演奏でしたが、もし私の前任者のように眼鏡をかけた背の高い男性であったならその女性は話すらできなかったと思います。また私は行事の成功のため実際に苦労した人々に出来るだけ会うようにしていますがそれが素晴らしい雰囲気を作り出すのです。これこそ女性であればこそ思いつく点です。大学で学生に話をする際、聴衆の中の女子学生に話しかけることも極めて重要です。今度の駐日アメリカ大使が女性であることを喜んでいます。彼女は私よりずっと力強く、より大きな注目を得ることができ、人々に勇気を与えることができるからです。その経歴に照らせば今の日本が必要としている大使ではないかと思います。
━━━日本人へのメッセージ
大使:おこがましいことですが一言で言うとすればそれは心を開くということでしょう。日本は美しい国です。チェコは中欧で国という海に囲まれているのに対し日本は海に囲まれています。それは日本及び日本人の決定的特徴の一つで、容易に自国に閉じこもることができます。世界は必ずしもいつも最高でもおとぎの国でもありませんが、交流や友好のチャネルを開いておく価値はあります。活発で一生懸命な日本は日本にとってのみならず世界にとっても必要なのです。
実は私にとって日本はパラドックスです。言葉の問題でなく、先ず外観から判断して私を普通に受け入れてくれません。勿論私には日本人の親友がいますが彼女とはテキサスからの友人です。他方で日本人の中に意外なことに関心を持ちそれを探求し熟知する人がいます。例えばウルグアイ大使がタンゴの宵を企画した時、日本人ダンスグループがウルグアイ・タンゴを披露しているのです。私が九州に行った時も普通の人々が私の国について大変多くのことを知っていることに驚きました。日本人は内向きと開放的な両極端を併せ持っているのです。
━━━チェコ人の日本観
大使:チェコでは日本は好意的に受け止められ友好国と認識されています。日本はハイテクの国であり、テクノロジー、日本車、そして電化製品という概念と共に知られています。日本の伝統や歴史的な面、例えば和服、茶道や日本武道についても知られています。より洗練された人々にとっては作家村上の小説が評判です。勿論和食のすしは大変人気があります。日本に対する好意的評価の理由としては、両国の間に歴史的遺恨がないこと、両国民とも働き好きである点が挙げられます。また多くのチェコ人が何らかの形で日本にかかわる機会が増えています。日本からの投資が増えていることが一つ、日本人観光客も増え日本人が大変感じがよく丁寧で礼儀正しいことを知る機会も増えました。これらすべてがチェコ人の日本人への好印象の素になっているのです。(完)
(2014年2月4日寄稿)