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第18弾 最近の新興国情勢とブラジル

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前駐ブラジル大使  島内 憲

最近の新興国の状況(「新興国リスク」について考える)
 いよいよ、来年6月12日より7月13日にかけて、ブラジルの12都市を舞台にFIFAサッカーワールドカップが行われる。その2年後の2016年8月にはリオデジャネイロ市で夏季オリンピック大会が開催される。昨年あたりまで描かれていたシナリオでは、今頃ブラジル経済は二大イベントに向けて力強く加速しているはずであった。しかし、最近のブラジル経済は今一つ元気がなく、薄日が差してきたかと思うと小雨が降りだす、という状況が続いている。

 2013年6月には、これに追い打ちをかけるように、100万人規模の抗議デモが全国で繰り広げられるという予想外の事態が発生した。ブラジルではこの種の大規模抗議行動は非常に珍しく、内外に衝撃を与えた。その後、国内情勢は落ち着きを取り戻したものの、W杯・五輪景気からは程遠い状況にある。成長軌道に戻るのにはしばらく時間がかかるというのが大方の見方である。

 新興国で、経済が失速気味になっているのはブラジルだけではない。最近、BRICsを含め多くの新興国が経済面で問題を抱えている。成長率の低下のみならず、インフレの悪化、為替の下落、国際収支の悪化等が多くの国に蔓延している。最近の新興国経済変調の背景には、単なる景気循環的な要因だけではなく、それぞれの国固有の構造的問題や制度的問題もあるので、本格回復には時間がかかりそうである。

 ただ、最近よく使われる「新興国リスク」という言葉は誤解を招く恐れがあり、筆者は使わないことにしている。全体として見れば、新興国の台頭という大きな流れは変わらないことを見逃してはならない。豊富な資源、広大な領土等の自然条件に加え、人口動態の面でも好条件が揃っている国が多く、中長期的に見れば、まだ伸び代が大きい。これら諸国が世界経済におけるウエートを引き続き高め、新興国へのパワーシフトが引き続き進むという国際社会の方向性が変わることはないであろう。

 一口に新興国といっても、本来、一括りにすべきでない多様な国々である。政治体制・経済制度から宗教・民族構成に至るまで各国間に大きな相違があり、先進国のように民主主義、人権、市場経済、法の支配といった基本的価値が共有されているわけではない。各国は様々な課題を抱えており、将来的見通しも一様ではない。今後、新興国間の格差が拡大し、勝ち組と負け組に二極化していくことも考えられる。

 因みに、ブラジル周辺の中南米地域においては、このような二極化現象が特に顕著である。民主体制の下で、堅実に自由主義的経済政策を進めている国々は、着実に安定成長の道を歩んでいるのに対し、大衆迎合的経済政策を続けている国々は、悪性インフレや物資不足などの困難に直面している。今後、このような流れは一層鮮明になるであろう。

ブラジルが他の新興国と違うところ(新興国の安定勢力)
 それでは、ブラジルの状況はどのように位置づけられるべきか。結論から言えば、ブラジルが新興国の落伍組になることはない。引き続き、新興国の最有望株の一つであり続けるであろう。なぜならば、ブラジルは、以下で見るように、発展のための好条件が揃っている一方、社会経済の長期的発展を妨げる政治的、社会的ボトルネックが存在しないからである。最近の低成長を見て、「やっぱりブラジルをダメな国だ」と決めつける向きが一部にあるが、このような見方をすること自体リスクを孕んでいる。特に、我が国の場合は、ブラジルとの間で長年の実績に裏打ちされた友好協力関係が存在し、他国に比べて有利な立場にあるので、不作為や出遅れが非常に高くつく可能性があることをしっかりと認識する必要がある。

 今日のブラジルを論じる際、押さえておくべき基本的な事柄がいくつかある。
 第一点目は、現在のブラジルは、80年代の経済危機の時代とは全く違う国に様変わりしていることである。かつてブラジルは「永遠の未来の大国」と揶揄された。そのような時代にブラジルに関わった日本の関係者の間では、今もなお悪いイメージが根強く残っている。しかし、今日のブラジルの経済政策は、頑なまでに堅実であり、ハイパーインフレ陥ったり巨額の対外債務抱えたりすることは、まず、考えられない。今や、約3800億ドルの外貨準備を保有する純債権国であり、2018年頃には主要産油国入りが見込まれる。余り認識されていないことだが、経済規模は単独でASEANの10か国の合計を上回り、GDP世界ランキングで英国と第6位を争っている。国内市場の大きさも世界有数であり、自動車の販売台数は、中国、米国、日本に次いで第4位である。

 第二点目は、ブラジルは新興国の中で経済的のみならず、意識の上でも最も先進国に近い国の一つであるということである。一人あたりのGDPは、中国の2.5倍、インドの7倍であり、出発点が異なる。既に、民主主義体制の下で、他の新興国ではまだ手を付けていない改革や社会政策を実行に移しており、今は成長の過程で生じたひずみの是正に取り組む段階にまで進んでいる。なお、ブラジルはOECDの加盟資格を持っていると言われながら加盟しない道を選んでいる。先進国グループの末席に座るより、途上国グループのリーダーであり続けた方が国際的影響力を保持する上で得策と判断しているからではないかと思われる。

 第三点目は、ブラジルが安定的な国際環境に恵まれていることである。世界の紛争地域から地理的に遠く離れており、地政学的リスクが極めて少ない。周辺地域に国際紛争その他きな臭い問題は存在しないし、その火種も見当たらない。なお、経済分野では、近年、中国に対する資源輸出への依存度が高まっており、これがブラジル経済のリスク要因の一つになっている面がある。しかし、ブラジルの対外経済関係は、アジア、米州、欧州の地域バランスがとれており、他の新興国と比較してリスク分散が進んでいることにも併せ留意すべきである。

ブラジルの課題(2013年6月の全国抗議デモはなぜ起きたか)
 6月に全国規模の抗議デモが突如として起きたことをどのように見るべきか。まず、同抗議デモは、民衆が独裁政権に対して民主主義を求めて立ち上がった「アラブの春」とは全く性格を異にするものであることを理解しなければならない。ブラジルでは、民主主義がしっかりと根を下ろしている。近年、政府の中間層育成政策が目覚ましい成果を上げ、国民の生活水準は確実に向上している。失業率は低い水準で推移しており、賃金の大幅引き上げが続いている。一方、後述するように、交通、医療保健、教育等の整備が遅れており、これに対する国民の不満が募っている。6月の大規模抗議行動は、豊かさを知り、権利意識が高まった新中間層を中心とする国民が劣悪な公共サービスの改善や政治家等の腐敗の根絶を求めて、街頭で意思表示を行ったものである。民族的、宗教敵対立を背景とするものではなく、政治色もない市民運動である。

 次に、経済情勢に目を転じると、2010年に7.5%成長を記録した後は、低成長が続いている。2012年は0.9%、2013年も期待外れの2.5%程度に終わるとの見方が多い。今後、2014年のワールドカップ及び2016年のリオ五輪に向けたインフラ投資等の本格化により、回復に弾みがつくことが期待されるが、今のところ2014年も2%台の成長に止まるとの見方が支配的である。

 低成長からなかなか脱出できない背景には、欧州経済の停滞や中国経済の減速などの外的要因があることは確かであるが、ブラジル経済自体に内在する問題に注目すべきである。一言で言えば、これまでの個人消費に依存した内需主導型成長モデルの限界が露呈し、投資不足や改革の遅れに起因する問題が至る所で顕在化しているということである。為替レートが大幅に下落しても、期待されたほど工業生産が回復しないのは、このためである。

 ブラジル経済がその巨大な潜在力を発揮するためには、後回しにされてきた道路、鉄道、空港、港湾、電力等のインフラ整備をもっと本腰を入れて進めなければならない。更に、経済の効率化と国際競争力強化のために必要な改革、特に、企業に大きな負担を強いる税制と労働制度を改善し、財政を圧迫する公務員年金制度などにメスを入れる必要がある。教育の質的向上を図り、経済の高度化を担う人材の育成することも喫緊の課題である。これらの課題(いわゆるブラジルコストの削減)への取り組みは、予てより外国企業のみならず、ブラジル企業から強く要望されているところである。筆者も、ブラジル在勤中、ブラジル側関係者との意見交換の場で度々本問題に言及した。これに対する先方の回答は「そのような政治的コストが高くつく改革を急いでやる必要はない。現に外国から投資がどんどん入ってきているではないか」というものが多かった。

 経済が順調に拡大していた当時(2006年~2010年)は、それでよかったのかもしれないが、今は状況が違う。6月の抗議デモは、これ以上問題の先延ばしが許されないという現実を浮き彫りにした。

ブラジルの長期的見通しは明るい(先行き不透明感が少ない)
 以上ブラジルが抱える問題を概観したが、中長期的に見れば、好材料が多いことには変わりない。ブラジルは、途轍もなく恵まれた国である。農業に適した広大な国土、温暖な気候、豊富な鉱物・エネルギー資源など人間が経済社会活動を営む上で必要なものはすべて揃っている。加えて2020年までに石油生産が現在の2倍の日産400万バーレルに達し、主要産油国入りすると見込まれる。もう一つ特筆に値するのは、ブラジルが地球上の利用可能な淡水の20%を保有することである。これは、人口がブラジルの6倍ある中国の3倍を超える量である。言うまでもなく、淡水は、日常生活のみならず、農業、工業などあらゆる産業活動に不可欠であり、今後、水資源大国ブラジルの国際的立場は益々強くなるであろう。

 インフラ整備の必要性についてはコンセンサスがあり、政府も最重点施策として推進しているので、着実に進むであろうが、構造改革の進展については、既得権に抵触する部分が多いことから、短期的な見通しについては懐疑的な見方が少なくない。コンセンサス重視のブラジル政治にあまり短期的な成果を期待することはできないかも知れない。しかし、仮に100点満点の改革を実現できなくとも、ブラジルの基礎体力の高さからして、最小限の安定成長を達成することは可能である。ブラジルは最悪の場合でも、3~4%程度の成長を維持する力を持っており、下方リスクが少ないことを大きな強みとする。
なお、「ワールドカップの準備が遅れているようだが、本当に大丈夫か」という質問をよく受ける。これに対する筆者の答えは以下の通りである。
「確かに日本人の目から見れば、大会の準備はかなり遅れているかも知れないが、自分はあまり心配していない。ブラジル人は、我々のように準備の段階で完璧を期すことはしないが、彼ら特有の現場力を発揮して本番を成功させることに長けている。大会中、小さな手違いやミスは起きるかも知れないが、サッカー王国の名に恥じない素晴らしいワールドカップになると確信している。」

二国間関係の留意点(両国関係強化の好機)
最後に、我が国とブラジルの関係について3点ほど指摘しておきたい。

1.グローバルな位置づけを踏まえて付き合わなければならない国である
 ブラジルは、そう遠くない将来、経済規模で世界のトップ5入りをし、何れ我が国をも凌駕する可能性が高い。多国間外交の場でも発言権を増している。ブラジルは歴としたグローバルプレヤーであり、単なる「南米の大国」ではない。加えて、核兵器の保有を憲法で禁止し、民主主義、人権尊重等を標榜する新興国の良識派である。ブラジルとの関係はこういった事実を十分踏まえて考えなければならない。「遠すぎる」などといった悠長なことは言っていられない。ブラジルで出遅れれば、我が国がグローバル競争で一人負けする恐れがあることを銘記すべきである。

2.ブラジルは超親日的な国である
 日本人がブラジルの街を歩いていると、ポルトガル語で道を聞かれることがある。語学力を試されているわけではない。ブラジルには150万人の日系人がおり、ブラジル人から見れば、日本人の顔をしている人間は皆同じブラジル人なのだから、ポルトガル語で話しかけるのは当たり前のことである。ブラジル人は、日系人の勤勉さ、まじめさ、誠実さに対して尊敬の念を持っているが、日系人と日本人を区別しない(できない)こともあり、日本と日本人に対しても高い評価と好意を持っている。また、長年にわたる日系企業や政府開発援助(ODA)関係者によるブラジルの国造りへ貢献によって育まれた絶大なる対日信頼感がある。因みに、本年2月に在ブラジル大使館が民間の世論調査機関に委託して行った調査によれば、「ブラジルの将来にとって重要な国はどこか?」という問い(複数回答可)に対し、50%が「日本」と答え、59%の米国に次いで第二位であった。「科学技術の手本となる国はどこか?」という問いに対しては、日本が39.7%で断トツのトップを占めた(第二位の米国は19.2%)。ブラジル人の対日期待の大きさを如実に示す結果である。

3.今は我が国にとって願ってもないチャンス
 2億の人口を擁するブラジルとしては、過度の資源依存から脱却して質の高い雇用を創出することが至上命題である。そのためには、経済の高付加価値化が不可欠と考え、先端技術の導入を通じて製造業を強化育成することを国策として進めている。また、インフラ整備が喫緊の課題となっていることは既に述べたとおりであるが、その実現のためには巨額の資金を手当てしなければならない。我が国の先端科学技術分野の協力と資金協力に対する期待が以前にもまして高いのはこのためである。ブラジルから見れば、①欧州諸国とは長年の協力の歴史があるが、当面は欧州に多くを期待することはできない、②中国は重要な経済パートナーであるが、巨大な資金力をバックにした資源獲得の動きには警戒せざるを得ない、③韓国は経済規模がブラジルの半分程度しかなく、ブラジルが求める最先端技術も持っていない。結局、ブラジルにとって最重要国は日本及び米国ということになるが、米国に関しては国内世論との関係で機微なところもあり(最近例では、2013年10月に予定されていた大統領の訪米はNSA盗聴問題で無期延期された)、結局、ブラジルにとって主要国の中でパートナーとして最も居心地が良いのは日本ということになる。

 近年、欧米諸国に、中国や韓国などのニュープレヤーが加わり、ブラジルの資源と市場を巡り熾烈な争奪戦が繰り広げられている。こうした中で、日本企業は、ブラジルの短期的経済動向に左右されずに直接投資を継続する等積極的にブラジル・ビジネスに取り組んでいる。心強い限りである。
2016年のリオ五輪に次いで2020年の夏季五輪が日本で開催されることが決まったことで、日本とブラジルの間で人的往来が劇的に増え、新たな協力の機会が次々と生まれることが期待される。双方がこの千載一遇の機会を生かし、両国関係の更なる飛躍につなげることを願ってやまない。

(平成25年12月10日寄稿)