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J.ハインズ「宗教と開発」(麗澤大学出版会、2010年)を読んで(宗教抜きには、開発を語れない時代)

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杏林大学客員教授 元駐バチカン大使 上野 景文

 ジェフリー・ヘインズの「宗教と開発」は、「近代化、開発とは脱宗教化を意味する」として来たこれ迄の「常識」を根っこから覆してくれる大著である。キャッチフレーズ的に言えば、「宗教抜きには、開発を語れない時代が来た」ということだ。

そう、つい20-30年前までは、近代化が進めば進むほど、社会における宗教の地位が低下することは自明のことだとされていた。早い話、どこの国でも、外交政策立案者は、宗教の要素に注意を払うことなく、仕事をしていた。それで失敗したのが米国だ。宗教的要素を軽視したことが、イラン革命の動向見誤りに繋ながったと言われている。今日では、多くの国の外交当局が、この米国の教訓から学び、また、宗教の復権が世界的規模で進んでいる最近の流れを踏まえ、宗教事情を注視するようになって来ている(注)。

J.へインズの著作を読むと、「外交と宗教」について今述べたことが、「開発と宗教」にも略々当てはまることがよく分かる。開発、援助関係者も、かつては、宗教と言う要素を軽視していたと言う点で。そこで、先ずはこの大著で示されたへインズの分析を、7点に絞って紹介しよう。ヘインズは、こう説いてみせる。

① 21世紀になる迄、途上国の開発戦略を打ち立てるに際し、宗教という要素を顧みることは滅多になかった――途上国のテクノクラートも、世銀等の国際開発機関も、先進国の援助機関も、皆そうだった。誰しもが、開発(=近代化)が進めば宗教のウェイトは下がるとの前提を受け入れていたから。

② ところが、近年、世界的規模で宗教の復権が進む中、宗教者は、所得アップに的を絞る市場主義過多の開発戦略への批判を強めている(宗教、宗派の違いを超えて、かれらの見解は一致)。

③ 宗教者は、近年、「狭義の宗教」の枠を超え、貧困者の解放、貧困との闘い(の緊急性)を訴えるようになって来ている。宗教者は、所得のように数字化されたものでなく、目に見えないもの――「生活の質」、「人の幸せ」―――に開発の主眼を置き、「人間の開発」を重視するべきだと主張し始め、影響力を強めている。この結果、近年、開発戦略策定の段階で、宗教指導者が見解披露を求められることが多くなっている。

④ 加えて、政府のガバナンス力が著しく低い国では、教育、医療、福祉、環境面のガバナンスを確保するために、宗教団体の力を借りることが必要との認識が強まって来ている。

⑤ かくして、かつては主流をなした新自由主義色の濃い国際開発戦略(見るべき成果を挙げなかったが)は脇に引っ込められ、ガバナンス重視の戦略が重みを増している。それにつれ、宗教者・宗教機関の開発プロセスへの関与は深まっている――或る時はアドバイザーとして、或る時はサービス提供者として。

⑥ なお、宗教者の役割が増えたと言っても、政府や開発機関の役割を代替するということではない。あくまで、これを補完するものに過ぎない。

⑦ 併せて、宗教者の役割が常に建設的と言うことではない。すなわち、宗教は、或る時は人々を団結させ、協働させるが、また別の状況では、人々を反目させ、社会を分断させる。後者の場合、開発プロセスが阻害され、これに打撃を与えるということだ。

この7点以外にも、紛争の解決に果たす宗教者の役割、宗教原理主義やテロの問題などに関し、重要な指摘が山ほどあるが、本稿では立ち入らない。加えて、へインズは、本書全体を通じて、イスラム、キリスト教諸派、ヒンズー、仏教などに関わる豊富な事例を紹介しているので、ケーススタディーに興味のある人には、うってつけだ。

ところで、本書(原著)の出版は2007年であった。本書では、2000年代初めまでの出来事をベースに分析がなされているのだが、へインズによる指摘の多くは、十余年を経た今日でも、輝きを失っていない。その後の国際情勢の展開を予期していたのではと思わせるような指摘すらある。特に、以下の二つの指摘は、今日その重要性を増している。

  一つは、宗教者が貧しい人々の「(貧困からの)解放」を強く訴えるようになって来ているとの指摘(上記③)。この指摘は、本年3月にローマ法王に就任後、「貧困者に寄り添うべし」との強いメッセージを出し続けている新法王フランシスコの登場を先取りした感がある。実に良いところを突いている。もし本書が新法王登場後に書かれていたら、この項の記述は更に豊かなものになったであろう。

  もう一つは、宗教・宗派間の対立が、開発プロセスを阻害する場合が少なくないとの指摘(上記⑦)。これは、まさに「アラブの春」の挫折、特に、シリアの惨状やエジプトの混迷に繋ながる内容だ。敢えて問う。もし本書が、「アラブの春」の挫折を見届けてから書かれたとしたら、その内容はどうなっていたか。宗教の有する「負の側面」、「影の部分」につき詳述しない訳には行かなかったであろう。そういうことになれば、本書の該当部分は、より悲観的で暗いトーンになったことと想われる。

  著者の姿勢はあくまで意欲的だ。世界全体を広く見渡そうとの姿勢には好感が持てる。ただ、アフリカやラテンアメリカへの支援の面で重きをなすカトリック教会についての言及がいささか控えめなことが気になった。それは、著者がロンドン(すなわち、アングリカン教会)の視点から世界を眺めていることによる限界かと思われる。改訂版を出すことがあれば、該当部分を補足することが期待される(断っておくが、私はカトリック教徒ではない)。 

 本書は多くの知的刺激を与えてくれるが、20年前、OECD日本政府代表部にあって、DAC(開発援助委員会)の会合に出席し、途上国の開発問題につき議論していた当時の私には、「宗教と開発」を絡めた議論をすることなど思いもよらなかった。私だけでない、どこの国の代表も、ヘインズ流の「進んだ見方」を提示することはなかった。OECD・DACの会合で「宗教と開発」が結びつけて論じられる時代が来たと思うと、今昔の感にたえない。

なお、ヘインズのこの労作は、「開発と宗教」だけでなく、「政治と宗教」、「紛争と宗教」の観点からも、啓発的だ。従って、開発学の研究生だけでなく、国際政治学、国際関係論の研究生にも、この意欲作を手にすることを奨めたい。最後に、この大作の翻訳を手掛けられ、かてて加えて、多くの丁寧な解説・注を用意された阿曾村邦昭、智子ご夫妻のご労苦に対し、心より敬意を表したい(2013.09.29記)。

(注)この点は、拙論「『宗教復権』潮流直視を」(讀賣新聞「論点」、2011.1.25)で詳述。