日本のガラパゴス化について考える
元外務事務次官 薮中 三十二
一時期、日本でガラパゴス化が様々に指摘された。その際たる例は携帯電話だと言われた。日本は他国よりはるかに進んだ技術を持っていたにもかかわらず、日本でしか通用しない凝りに凝った携帯電話を作り上げ、結局、世界市場で負けてしまった。これではいかん、とばかりにグローバル化が改めて叫ばれ、そのためには、何としても英語が大事だ、というのが合言葉となった。その結果、何が起きているかと見てみると、またまた、新たなガラパゴス化が進行中のようだ。
世はあげてTOEICの点数アップに血眼になっている。企業は600点とか700点を要求し始め、大学でも授業とは別にTOEIC対策に力をいれている。この結果、テスト会場では学生に交じって年配のサラリーマンが必死の様相で受験している。本屋にいくと、TOEIC対策本がぎっしり本棚を占めている。そのなかのベストセラー本の帯をみると、「英語が下手な私が800点取る勉強法」とある。どうやら、受験テクニックがものをいうようである。笑ってしまったのは、知り合いの子がアメリカに一年留学していて、同じ日本の大学から来た学生が集められアメリカでTOEICの試験を受けさせられたとのこと。そして結果は一番英語をしゃべるのが下手な子がトップの成績だったとのこと。
調べてみると、TOEICは日本で開発された英語のテストのようで、日本以外では韓国でも企業が広く採用しているようだ。もちろん実施者のうたい文句のように、日本初のシステムが世界スタンダードになれば素晴らしいことだが、なかなかそういう実態とはほど遠く、日本と韓国以外ではほとんど知られてないようだ。このテストのための勉強に高い授業料を払い、テスト代を払っている。その結果、世界で通用する英語力が磨かれれば問題はないが、得点アップのテクニックばかりが上達し、肝心の英語会話力がさっぱりではグローバル化とほど遠い。グローバル化のため英語の必要性が叫ばれながら、新たなガラパゴス化の危険が孕んでいるのではないかと危惧する。
グローバル化時代に必要な人材とは、はっきりとした考えを持ち、その考えやアイデアを自分の言葉で表現できる人材だ。その際、英語力は当然必要とされるが、多少の文法の誤りは全く問題ではなく、いかに堂々とロジックをもって発言するか、その勇気を持つことだ。国際会議に行ってもさまざまな英語が飛び交っている。誰も英文法に気遣って発言などしていない。また、できるだけ平易な単語を使い発言することも理解してもらう上では有効だ。いま、大学ではそうしたグローバルに通用する人材養成を目指して、学部一年生に英語での授業を行っている。日本人は初めのうちはおとなしく、なかなか発言しようとしない。欧米の学生だけではなく中国人の学生も活発に発言する中で、日本人の学生は沈黙を守りがちだ。これを叱咤激励し、回数を数えるうちに彼らも発言機会を増していく。慣れること、勇気を持つことが大事だ。なかなか日本社会では人前で発言をする機会が少なく、むしろ口数が多いと軽蔑されかねない。ましてや「ロジックを持って発言をするように」と学生には指導するが、そんなことを日本社会ですれば「あいつは理屈っぽいやつだ」となるのが落ちである。こうしたことを打ち破るのがグローバル化への道だと学生に説いていて、彼らの成長を見るのがとても楽しみである。
いま一つ気がかりなのが、最近の中国との向き合い方である。グローバル化時代にあって、世界の状況を正確に把握することが重要なことは言うまでもない。日本が独りよがりになり、世界の動きに関係なく、あるいは世界の動きに逆行して進んでしまっては、ガラパゴス化以上に危険である。いま、東アジアでは世界史的に見ても大きな出来事が進行中である。そのど真ん中にいるのが中国であり、中国の台頭、大国化が進行し、世界の注目を一手に受けている。好き嫌いは別にして、世界中のどの国も、この中国と向き合わざるを得ない状況に置かれている。理由はいたって単純、どの国にとっても中国との貿易が大きくなり、しかも変化、つまり増え方が尋常ではない。日本の試練はこの中国が隣国にあり、しかも戦前の経緯から格別に敏感な関係にあることである。日本はこの百年以上、中国との関係で優位に立ってきた。日清戦争で勝利をおさめ、1930年台には中国に侵攻し、第二次大戦の敗戦はあったものの、中国も世界的に大きな力ではなく、日本が戦後、あっという間に世界第二位の経済大国に発展し、中国を下に見てきた。ところが2000年台に入って中国の力が大きく増大、ついには日本を追い抜いてしまった。この変化を日本が冷静に受け止め、中国を世界の大国として受け入れる心の準備が出来ていなかった。そして中国の発展の裏には成熟していない中国があり、ルール違反が目にあまり、日本人の多くはそうした中国を嫌悪することになった。それが今日の日本と中国、そして世界の状況である。
そして、尖閣をめぐって事態は一気に深刻さを増し、一触即発の状態となった。そこに安倍政権が誕生し、中国と厳しく向き合い始めた。新聞紙上では、価値観を共有する国々との連帯と中国包囲網の構築、このため、とりわけ米国との同盟関係の強化が叫ばれている。
ところが、この状況をグローバルな視点で見ると全く違った景色が見えてくる。前にも指摘したように、世界のどの国も中国との関係緊密化が進行し、米国も例外ではない。しかも肝心の米国が若干自信を喪失し、自国の経済立て直しを最優先にし、世界のさまざまの厄介な問題には関わりたくない、そんな雰囲気が米国を覆っている。そこにきてオバマ大統領と言う人の性格もあり、実力以上に米国の世界でのリーダーシップが落ちてしまっている。この米国を頼りとし、中国と対峙するという日本の戦略、中国包囲網を築こうとする試みは残念ながら成り立ちがたい状況にある。それが今日の世界の姿である。
今日、日本の立ち位置は決して悪くない。世界はアベノミックスの衝撃で日本を再発見した。そして世界がこぞって注目する中国と向き合う日本、いやおうなしにそうした日本への注目が高まっている。20年以上にわたって忘れ去られた感のあった日本が世界の注目を集め、日本がこれからどこへ行こうとするのかに関心が払われている。世上、安倍総理はナショナリストと言われ、このことも日本への注目を大きくしている。日本は本当に中国と対決するのではないか、過去の謝罪外交とも決別しようとしている、こんな懸念が国際的に出始めている。これは何も韓国の新聞だけでなくアメリカの新聞でも指摘されている。
こうした時に安倍総理が世界も納得する正しい政策を打ちだせば、とても高い評価を得ることのできる土台が出来上がっている。これを上手く活用しない手はない。最小限のコストで最大限の利益を得る、まさに国益を増進することが出来るのだから上手い話しである。何をすべきか、答えは簡単である。日本がリーダーシップを発揮する形で中国との建設的な関係を構築する姿勢をアピールすればよい。世界の大半の国は中国との関係緊密化を図らざるを得ないが、同時に中国への警戒心、あるいは抵抗感は多かれ少なかれ持っている。そこで日本の出方一つでは日本への信頼感と評価が大いに上がることになる。アベノミックスが世界で市民権を得、経済面で日本への関心が高まっている今日、外交面でも大きなチャンスが巡ってきている。
具体的な方策は①尖閣を巡り中国との間で危機管理システムを構築するイニシアテイブ、②米国やASEAN、豪州との連携で海洋問題についてのルールつくりを提議し、中国に働きかけ、中国の横暴を防ぐ、③その関連で2008年の日中東シナ海のガス田合意を世界に宣伝し、中国にその実施を迫る(注:この合意は東シナ海を事実上、中間線で線引きするという日本の年来の主張を反映したものである。中国は従来から大陸棚の延伸を主張し、沖縄トラフまでの水域を自らの経済水域と主張してきたため、この合意は中国国内で評判が悪く、条約化がなされていないが、両国の首脳会談では合意は有効なことが毎回確認されてきている)、④この間、静かに、かつ、しっかりと尖閣の守りを固める、といった政策を実行し、⑤その一方で河野談話や村山談話の見直しには触らず、いたずらに近隣国との摩擦を作らない、という対応である。そうすればアメリカ国内でも日本への期待感は高まり、オバマ政権も安倍政権に一目を置き、自然と同盟強化の道も開けていくことになる。
これがグローバルな視点に立った日本の進路ではないかと思う。 (2013年5月17日寄稿)