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デリーとベルリンの日本人学校・補習校に子供を通わせて

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南部アジア部審議官  柳 秀直

平成16年8月末から2年間インド大使館、その後平成21年7月まで3年弱、ベルリンの日本大使館に勤務した際、息子が小学校5年から中学卒業まで、それぞれの地で日本人学校に通い、いろいろな点で対照的な2つの日本人学校を経験することができました。また、娘はデリーではアメリカンの幼稚園、ベルリンではインターナショナルの小学校と、補習校に通ったことにより、親として日本人学校とインターを比較するとともに、補習校も経験することができました。 2つの日本人学校を見ただけで日本人学校一般について論じることは適当ではないとも思いますが、こうした経験を通じ、日本人学校の重要性を改めて認識したので、それについて記してみたいと思います。もちろん、日本全体で内向き志向が強まる中で、せっかく在外に家族と赴任する機会には、その地に日本人学校があったとしても、インターや現地校に通わせるべきと考える方も多いと思いますし、特に、外交官の場合、次の任地に日本人学校がある保証もないので、英語の学校に行かせた方が良いというご意見の方も多いと思いますが、一人の親の印象として何かの参考になれば幸いです(ただし、最近は在外手当や授業料の関係で、以前に比べれば日本人学校を選ぶ方も増えてきたのかもしれません)。

 私自身もデリーに赴任するまで、外務省プロパーの職員におかれては、任地に日本人学校があってもインターナショナル・スクールに通わせる方を何人も見てきたので、その方が英語の習得等、メリットが多いのではないかと漠然と考えていました。しかし、日本に5年勤務した後の在外赴任に際し、当時小学校5年生の長男は、前回のドイツ勤務時の幼稚園時代は3年間地元のドイツの幼稚園に通っていたのですが、今回は日本人学校のあるところにしか一緒に行かないと主張していました。幸いデリーには日本人学校があったので、日本人学校に通うこととなりましたが、6歳下の幼稚園の娘は、スクールバスのサービスを利用できなかったので、住居から比較的近いアメリカンの幼稚園に通わせることとなりました。

1.デリー日本人学校
 デリーの日本人学校は、既に約40年の伝統があり、教室、体育館、グラウンド、プールを含めきちんとした自前の施設を有する立派な学校です。2004年当時、デリーの邦人数は1,000人くらいで、小中9学年で80人くらいの生徒数でしたが、その後、インド・ブームもあり、最近では当時の3倍以上の生徒数になったとも聞いています。その中で息子のいた年の小学校5年生は、校内で一番人数が少ない学年で、転校当時の7人から一時は3人にまで減り、先生の目が実によく行き届く環境でした。北は北海道から南は九州まで日本各地から文科省経由で派遣された先生方は、皆非常に意識が高く、デリーの厳しい生活環境の中でもよく頑張っておられました。もっとも当時のデリーでは学校以外に余暇の機会もあまり無かったので、先生方にとっても生徒にとっても、文字通り学校が生活の殆ど全てであり、生活環境では苦労が多いものの、教師として学校での教育活動には集中しやすい環境だったのではないかと思います。

 デリーの日本人学校の特徴は、デリーの日本人会、商工会にとっても一つの中心となる場を提供していたことで、9月末には日本人学校のグラウンドを使って、日本人会、商工会と共催の夏祭りが行われ、学校側だけでなく、一部の企業が出店を出すなどの楽しい行事でした。また、11月の運動会も日本人会との共催で、長距離走等、大人も参加できるプログラムもあり、その他にも学校のグラウンドを商工会のソフトボール大会で使ったこともあったと思います。

 また、日本人学校も現地理解体験学習という名で、毎年12月の土曜日に、校庭に象や猿使い、蛇使い、オートリキシャなどを招いた行事を行うなど、生徒のみならず父兄にとっても楽しい行事がありました。デリーでは4月から9月前半くらいが非常に暑いので、9月後半から3月頃までに種々の行事が続くことが特徴です。また、毎週土曜日の午後には、男子生徒は学校のグラウンドで炎天下の夏でも午後3時半から2時間、冬は2時間半、キッカーズというサッカー教室が行われており、他にすることもないせいか、多くの生徒が参加していました(女子は小学校低学年は男子と一緒にサッカー、高学年以上はバスケットを行っていました)。

2.ベルリン日本人学校
 一方、2006年の9月から息子が通い始めたベルリン日本人学校は、ドイツ統一後に作られ、当時はまだ
15年に満たない歴史しかない学校で、学校規模は全生徒数が20~30名と小さく、校舎といっても大きな民家のような建物を借りたもので、それ以外の施設もなく、隣接しているコンラッド小学校の校庭(といっても小さなものです)を使わせてもらい、また、同小学校の3階にあるホールを入学式・卒業式や学芸会等のために時々貸してもらっていました。

 加えて、デリーと異なり、ベルリンには日本人会もなく、商工会の規模もデリーとは比べものにならないくらい小さいので(ドイツの場合、日本企業はデュッセルドルフ、フランクフルト、ハンブルク、ミュンヘンといったところに進出しており、ベルリンの在留邦人数は二千人くらいいるのですが、進出企業は両手で数えられるほどです)、日本人学校が現地の日本人の活動の中心になることもなく、年末に日本人学校が商工会に手伝ってもらって行うクリスマス会が、年によってあったりなかったりといった程度でした。
 それでも先生方は皆熱心に指導にあたってくれて、私の息子が中3の時はたまたま中3の生徒が五人もいましたが、進路指導もしっかりやって頂きました。実は、90年代後半、ボンの日本大使館に在勤していた頃にベルリン日本人学校について耳に入ってきたのは、小さすぎる等、必ずしも芳しい話ばかりではなかったので、ベルリン着任前にはやや心配していましたが、それは杞憂でした。勿論、ベルリンの場合、デリーと異なり先生方にとっても、観光や文化的な催し物など、余暇を過ごす際に多彩な可能性がありましたが、それはそれとして、どの先生方も大変一生懸命取り組んで頂いたと思います。

3.インターナショナル・スクールとの比較
 ベルリンでは娘も日本人学校に送る選択肢もありましたが、たまたま当時、ベルリン日本人学校の娘の学年(小学一年生)には、その時点で生徒がいなかったということもあり、デリーに続いてインターナショナルに行かせることとしました(ちなみに、ベルリン日本人学校は生徒数が少ないので、小学校では一二年を低学年、三四年を中学年、五六年を高学年と呼んで二学年を一緒にして授業を行っていました)。その結果として、日本人学校とインターの異なる点も多く学ぶことができました。例えば、運動会ですが、これは極めて日本的行事であり、他の東アジアの国は知りませんが、あそこまできちんと練習を重ねて集団行動を教え込む、秩序だった運動会というのは欧米ではなかなか見られず、やはり日本の学校独特のものではないかと思います。また、国語、社会や音楽といった授業は、日本人学校では当然日本のことを学ぶ機会となることが多いわけですが、インターではそうした機会はないため、インターに通った児童は、単にインター在学中に日本語の習得に苦しむだけでなく、日本人として通常知っていることを学ぶ機会がかなり制約されるのではないかと感じました。

4.補習校
 デリーには補習校がなかったのですが、ベルリンでは補習校があり、娘は補習校にも行っていたので、補習校にも簡単に触れておきたいと思います。補習校も極めて重要で、インターに行っていた私の娘が日本に戻って大きな苦労がなく日本の小学校4年生に溶け込めたのは、やはり週一回とはいえ補習校で国語と算数の授業を受けていたことが大きいと思います。ベルリンの場合、ドイツ人男性と結婚した日本人女性が相当な数おられ、そうしたカップルは子供を現地校に通わせつつ、日本語習得のために補習校にも通わせることが多いようです。よって、日本人学校の生徒数は、多い年でも30人前後なのに対し、約百名の生徒を有する補習校が二校あるという状況でした。他の国では補習校は土曜日に開かれるところが多いと思いますが、ベルリンでは場所の確保が難しいせいか、または、片親がドイツ人の家庭が土曜日を大事にしたいと思うからかわかりませんが、平日の夕方に行われています。私の娘がベルリンにいたのは小学校1年~3年までの間ですが、やはり日本人の友達と日本語で遊べるということは、子供にとってとても楽しいことのようでした。親から見ると週一回とはいえ、平日に3時半までインターの学校に行き、その後すぐに補習校に行って六時過ぎまで学ぶというのは、小学校低学年の子供には大変ではないかと心配しましたが、本人は毎週補習校に行くことをとても楽しみにしていたようです。

5.その他
 在外日本人学校の特徴は小中九学年制であるというところにもあり、上海やデュッセルドルフのような大規模校は別なのかもしれませんが、ベルリンのみならずインドでも、学年を越えて一緒に授業や行事を行うことも多かったです。日本の場合、学年の壁がかなり厳密に存在しているように見えますが、海外の日本人学校で、学年を越えて遊んだり、中学生が小学生を、また、小学校高学年が低学年を指導したりするのは、子供達にとっても非常に貴重な経験になったのではないかと思いました。
 なお、ベルリン日本人学校は五年に一度、東京でOB会のようなものを開催しており、2010年の8月、東京で親を含めて二百名近くが集まりました。私の予想に反し、父親もある程度参加しており、また、家族を連れて参加された先生もおられて、やはり在外では学校を通じての親同士、家族ぐるみの付き合いがあったのだなということを改めて実感しました(デリー日本人学校についても、三年に一度東京でOB会のようなものを開催しており、2011年の8月に開催されたのですが、我が家の連絡先が幹事に伝わっていなかったせいか、連絡がなく、後で開催されたことを知り、家族共々大変残念に思いました)。

 以上、個人的な経験を書き連ねただけですが、在外勤務の際の学校の選択というのは(選択肢があればの話ですが)、その子供にとっても家族にとっても非常に重要な話ですので、これから子供と一緒に赴任される方にとり何かの参考になれば幸いです。また、現在、日本人学校や補習校のある在外公館に勤務されている大使館員、特に幹部や領事班の方におかれては、これまで以上に日本人学校、補習校への支援に力を入れて頂ければ幸いです。

(筆者は現在領事局審議官を兼任していますが、本稿は、領事局の立場から書いたものではなく、あくまで個人的な寄稿ですので、念のため。なお、外務省は各公館を通じ、日本人学校・補習校に対して、校舎借料の一部、現地採用教員・講師の給与の一部を援助しており、また、日本人学校に対しては、安全対策費についても援助を行っています。)(2011年11月22日寄稿) 2013年5月13日会報より転載