新ローマ法王フランシスコの船出

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杏林大学外国語学部客員教授・前駐バチカン大使 上野 景文

 史上初の中南米出身者として、3月に第266代ローマ法王に就任したフランシスコは、既にして、従来の常識を打ち破る形で、バチカンに新風を吹き込みつつあり、カトリック世界の潮流が大きく変わると予感させるところがある。世界の総人口の1/5にあたる12億人の信徒を擁するカトリック教会の頂点に立つ新法王が、スキャンダル続きのバチカンの体力と信用の回復に成功するか否かは、少なからざる国際的インパクトを有するため、今後の新法王の動きから目を離す訳にはゆかない。以下本稿では、新法王の治世を5つの視点から展望する。

先ず指摘したいことは、カトリック世界は3月のコンクラーベで「最も非バチカン的な人物」に将来を託した、と言うことだ。ローマで勤務していた頃、さる消息筋が私にこう述懐した。「カトリックには、ヒエラルキーと華美を体現したバチカン的文化と、清貧、謙虚、無私の精神で献身的奉仕活動に従事する修道士、修道女の文化との二つがある。カトリック教会が全体として今日まで尊敬を繋なぎとめているのは、ひとえに後者のおかげだ」と。イエズス会出身、ブエノスアイレス出身の新法王フランシスコはまさに後者の文化、「前線の文化」を体現し、「バチカン文化」の対極にいる人物だ。

ブエノスアイレスの時代から、貧しい人達の側につき、かれらに寄り添うべく、質素に生活することを重視、実践して来たベルゴリオ枢機卿は、法王としてバチカンに移ってからもこれまでの質素、謙虚の姿勢を貫き、就任ミサ、法衣、指輪、住居、秘書、公用車などを大幅に質素化、簡素化することで、バチカンに「前線の文化」を持ち込んだ。すなわち、「質素な教会(a poor church for the poor)」を実現するためであれば、先例や華美を廃することも厭わずとの気構えだ。この新風、前法王が苦手とした大衆への直接的語りかけを好むオープンな人柄(注1)とも相俟って、多くのカトリック教徒の共感を呼んでいる。ローマからの来訪者の話によれば、これまでのところバチカン官僚の間で大っぴらな不満の声は聞かれない模様だ(戸惑いはあるようだが)。ただ、法王の新風が吹き続けた場合、やがてバチカン官僚の既得権を侵害することになり、かれらの抵抗が顕在化する可能性がある点、要注意だ。

(注1)ブエノスアイレスで学生時代ベルゴリオ司教(当時)から直接薫陶を得たことの
 あるさる日本在住の神父の話によれば、新法王は、孤高の人であった前法王とは
 対照的に、常に「人と交わり」、「人と語らう」ことを好み、バスで隣り合わせた老婆と
 でも簡単に打ち解ける人柄の由。加えて、同神父は、学生時代に司教から、「書斎に
 こもって、勉強しているだけでは駄目だ。週2日はスラムに分け入って、人々と交われ。
 奉仕・実践を重視せよ。」と説かれたとも述べている。   

第2に、バチカンを揺るがしている性的虐待問題はじめ、山積する「組織の疾患」に関しても、新法王は改革に前向きに取り組むものと見る。それらの疾患の多くは、巨大組織特有の隠ぺい体質、自浄能力の欠如などに起因するが、管理能力を欠いた前政権(バチカンのインサイダー)の対応が後手に廻ったことが、カトリックの信用をいたずらに失墜させた。この反省に立ち、今回カトリック世界は、「バチカンのアウトサイダー」に舵取りを任せるほかないと判断し、バチカンでの経験を持たないベルゴリオ枢機卿を選んだ訳だ。

果たせるかな、新法王は早速に改革のための準備に向け手を打ち始めた。すなわち、新法王は就任から1か月目に当たる4月13日、「バチカン改革のための諮問委員会」の8名の委員(枢機卿)を発表した。内訳を見ると、バチカン官僚の指名は1名にとどめたこと、欧州からの指名は1名にすぎないのに対し、南北米州からは3名も指名したこと、バチカン改革に前向きと言われている英語圏、独語圏から3名指名したこと(注2)、全体の調整役は中米からの枢機卿を当てることにしたことなどに、新法王の意欲とバチカン官僚、欧州出身者の関与を薄めようとの姿勢が看取される。なお、改革の成否は、No.2に当たる「首相」の人選にかかっていることから、今後の人事には特に注目したい。

(注2) 大雑把に言えば、英語圏、独語圏のカトリック教会の方が、ラテン系の国の教会より
 危機意識が強く、改革を求める声が強い趣だ。


第3に、従来欧州中心主義が強固だったバチカンの「脱欧州化」が今後本格化するか否か、就中、これまでバチカン、カトリック世界で実権を握って来たイタリアを中心とする欧州勢に代わって、中南米を含む非欧州勢の発言力が高まることになるか、注視したい。換言すれば、カトリック世界の「重心」が、欧州から「南」、ひいては、「世界」にシフトすることになるか、と言う問題だ。

3月のコンクラーベは、1300年ぶりに欧州人を外し、非欧州人を選んだ。将来アジア、アフリカから法王が選出される素地が創られたと言うことである。とは言え、米州、アジア、アフリカは、世界のカトリック教徒の3/4を占めながら、これまで法王を輩出出来なかった。それは、世界カトリック人口の2割4分を占めるに過ぎない欧州が(法王を選出する)コンクラーベ参加枢機卿の5割強を出し、過大な投票権を与えられているためだ。この欧州偏重の構造を改め、各大陸の実勢、実情を正確に反映したより多元的なバチカンを構築することにより、カトリック教会を真に「グローバルな存在」に脱皮させることは新法王に課せられた使命と言える。ただ、非欧州出身の枢機卿の比率を高め、欧州偏重の現状を是正せんとすれば、欧州勢の抵抗に会うことは必至であり、予断を許さぬものがある。

更に先を見通すなら、こう言えよう。アジア、アフリカなどの発言力が高まるにつれ、バチカンに集中していた権限を各大陸に分散させ、もって、各大陸の独自性容認を強めるべしとの声が、次第に有力になるだろう、と(「集権から分権へ」)。

なお、欧州中心主義を体現していると目された前法王ベネディクト16世は8年の治世の間アジア訪問を果たさず、また、日本ではこの3年間枢機卿不在の状態が放置されて来ている。青年時代に日本に赴任することを志願したことがある新法王(健康上の理由から実現しなかったが)には、日本を含むアジアを重視した取り組みを期待したい。同時に、日本のカトリック教会には、新法王訪日を期しての働きかけを期待したい。

第4に、宗教プロパーの領域につき一言。避妊、中絶の問題から、司祭の独身制、司祭への女性登用の問題に至るまで、これまでカトリック教会が守って来た原理原則の中には、一般社会の常識から大きく乖離しているものが少なくない。避妊、中絶などの問題について言えば、既に「教会離れ」の進んだ西欧諸国ではカトリック教会とは相反する思想が定着している。また、司祭の独身制や女性登用について言えば、米国を中心にカトリック教会の一部で、改革を求める声が出て来ている。

まだある。ラテンアメリカ、アジア、アフリカの教会の発言力が高まるにつれ、カトリック教会が、その教えの中に各大陸固有の文化を取り込むと言う「多元化の問題」が、何れは浮上すると見通される(先に述べた「集権から分権へ」のひとつの事例)。この「ローカル文化の取り込み」ないし「インカルチュレーション」の問題については、バチカンは前法王の時代まではこれを厳しく制限して来た。が、各大陸は力を蓄えており、バチカンは、やがては、各大陸の文化に一目置き、夫々の大陸、地域ごとに固有の文化で「味付け」した教えを容認せざるを得なくなるものと想われる。つまり、大陸、地域ごとの「多元化」が進むことは、長い目で見れば不可避と見る。なお、「ローカル文化の取り込み」と言う観点からは、新法王の出身母体であるイエズス会の中には、かねてより積極派が少なくない点(そのためにバチカンから制裁を受けた会士がいた程だ)、付け加えておく。

このように、新法王を待ち受ける問題は多様だ。法王はこれら諸問題については概して保守的な立場と言われているが、他方、法王は、カトリック教会の「近代化」、「自由化」を推進した第2バチカン公会議を召集したヨハネ23世を尊敬しているものの如くであり、新法王はその胸中では第3バチカン公会議召集を思案しているとの観測すらある。この点を占う材料はまだ乏しいが、公会議を招集するか否かに関わらず、新法王の時代に、何らかの大きな決断、新しい方向付けがなされることは、ありそうだ。

第5に、新法王は、2つの観点から世界全体へのアプローチを強めるものと予感される。
ひとつは、諸宗教との関係。新法王は、ブエノスアイレスの時代からユダヤ教、イスラム教等との対話、交流を実践、重視しており、また法王就任後には、外交団を前に、特にイスラムとの対話を重視する旨言明したことから、今後、宗教間対話を強化するものと見る。
ふたつ目は、実社会の諸問題に関するメッセージ発出。歴代法王は、貧困、環境、人権などのグローバルイシューや国際情勢についての見解表明を重視して来ている。新法王は、師と仰ぐアッシジの聖フランチェスコに倣い、貧困、環境、平和、軍縮などのテーマを特に重視し、活発な意見表明をするものと目される。
つまり、新法王の治世には、外部世界へのアプローチは総じて従前より活発化、可視化するものと目され、それにつれ、国際社会におけるローマ法王、カトリック教会の存在感は高まるものと見る。

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以上整理しよう。新法王は、既にして前法王とは異なる持ち味を醸し出し、バチカンに新風を吹かせ、カトリック世界内外で好感されている。その新法王が、バチカン改革を本格化させる過程で、バチカンとカトリックの前線、バチカンと各大陸との距離を縮め、もって、カトリック教会の歴史的転換を進めることになるかどうか、興味は尽きない。したたかな欧州勢やバチカン官僚による抵抗は手ごわいであろうが、権威と絶対的権力が備わった「専制君主」として、ローマ法王は歴史を動かし得る地位にある。(2013.4.29記)

【参考】上野景文著「バチカンの聖と俗(日本大使の一四〇〇日」(かまくら春秋社)