ミクロネシアの今昔

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駐ミクロネシア大使  鈴木 栄一

ミクロネシアは、正式にはミクロネシア連邦というが、この国はかつて他の島とともに南洋群島と呼ばれていた。当時の日本政府の南進政策もあり、積極的な移民政策がとられ、1940年には、南洋群島は、現地人5万人に対して、日本人は、それを上回る8万人が住んでいたという。日本大使館のあるポンペイ島コロニア・タウンの当時の写真を見ると、洋服店、クリーニング店、タクシー、歯科医院、土木建築請負業、料亭等日本名で書かれた看板が建てられ、さながら日本人町の様相を呈している。しかし、太平洋戦争の終戦とともに、日本人が激減し、現在のミクロネシア連邦における在留邦人の数は、約110名である。日常生活では、米国の影響力が強く、英語が公用語となっているが、それでも、デンワ、モシモシ、ヤキュウ、ウンドーカイ、ガンバレ、サルマタ(男性の下着)等の日本語の語彙(ごい)がミクロネシアの人々の日常生活で使われていることに驚かされる。

昨年6月、成田発チャーター直行便がポンペイ国際空港に到着した。一見当たり前のように思える光景だが、これは日本とミクロネシアにとっては、初めてのチャーター直行便であり、歴史的な出来事であった。通常、日本からポンペイに来るには、成田空港から約3時間半かけてグアムまで来て、グアムで乗り換えた後、チューク州の空港に立ち寄り、ようやくポンペイ空港に到着するのである。待ち時間も入れ、2日がかりとなる。それが、直行便で約5時間半で到着するのである。このUA便には、森元総理やミクロネシアから親善大使に任命された滝沢秀明氏(ジャニーズ事務所所属)、人間国宝の中川氏をはじめ、大正時代に91トンの帆船でミクロネシアにやってきた土佐出身の森小弁、初代大統領となったトシオ・ナカヤマ、戦後の日本のプロ野球草創期で投手として活躍し、その後トラック島(現在のチューク州)で伝統的大酋長となったススム・アイザワ等の親族も含め、ミクロネシアにゆかりのある方々約120名が搭乗していた

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チャーター直行便UA1864便のポンペイ空港到着 撮影:杉浦章造



この日本からの訪問団は、レインボーネシア計画と名づけられた企画で訪問したものであるが、ミクロネシア側、とりわけ在京ミクロネシア連邦のフリッツ大使のイニシアティブにより、日本およびミクロネシア両国の多くの関係者の支援と協力により実現したものであり、日本の無償資金協力によるポンペイ国際空港改善計画(同空港の到着ターミナル建設および出発ターミナルの改修さらに滑走路の延長工事)の完工式に合わせて実施された。

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空港での歓迎式と完工式
撮影:浦隆文


訪問団の一行は、ポンペイ州とチューク州(訪問団の一部)を訪問したが、ミクロネシア側は、モリ大統領をはじめ文字通り国を挙げて歓迎した。到着した夜のモリ大統領主催歓迎レセプションでは、森元総理が挨拶の中で、成田空港で出発便を知らせるアナウンスを聞き、そして「ポンペイ行きUA1864」と表示された掲示板を見て感無量であったこと、さらに、自分(森元総理)の父親が戦時中、チューク州の水曜島で守備隊長をしていた時、同島の島民が兵士の窮乏を見て食事を用意してくれたことなど大変お世話になったことを少年時代からずっと父親から聞かされてきて、いつか父親が受けたご恩に報いなければならないとの思いを語り、出席した人たちの胸を打った。

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歓迎の踊り
撮影:杉浦章造

一行は、緑におおわれた木々、山々、青々とした空、美しい海に囲まれた太平洋に浮かぶ島の自然の美しさを楽しみ、現地の人々との交流会に参加し、友好親善の役割を十分果たし、喜々として帰国した。また、チューク州を訪れた一行の森元総理、モリ・ファミリー、ナカヤマ・ファミリー、アイザワ・ファミリー等の人たちは、チューク州に住むそれぞれのファミリーの末裔の人たちと初めて対面したり、再会を喜び合う等の光景があちらこちらで見られた。

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ナン・マドール遺跡 撮影:杉浦章造

ミクロネシアは親日国であるとともに、日本にとって大切な国である。日系人の政界、経済界での活躍も目立つ。現在の第7代ミクロネシア連邦大統領のエマニュエル・モリ大統領は、森小弁を先祖とするファミリーの出身である。日本にとっての重要性は、ミクロネシアが、国連などの国際場裏では、わが国の立場を常に支持する信頼できる基盤となっているのみならず、カツオおよびマグロについて日本の漁獲の80%は中西部太平洋地域からのものであり、ミクロネシアはその中でも有数の大きな排他的経済水域(EEZ)と豊富な資源量を有していることから、わが国の国民の食にとり重要な漁業資源国となっている。

今年は、日本とミクロネシアの外交関係が樹立して25周年の節目となる年である。これを記念して、2月16日、ポンペイ島で、日本大使館主催のジャパン・フェスティバルが開催された。若い人たちを中心に、会場に入りきれないほどの多くのミクロネシア人が来場し、日本文化のさまざまな催し物を肌で感じ、体験することができ、大盛会であった。モリ大統領もお孫さんとともに来られていた。同大統領は、常日頃より、日本はこのミクロネシアにおいてプレゼンスを示し続けて欲しいと述べており、日本は、ODAの世界でこの国の社会経済開発に貢献してきているが、今後、さまざまな分野、レベルでの交流が盛んになることが望まれる。   ※本稿の内容は、筆者の個人的な見解である。
(2013年2月22日寄稿)

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ジャパン・フェスティバル会場 撮影:TOM矢橋
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お茶と琴のデモンストレーション 撮影:TOM矢橋
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海苔巻き寿司のデモンストレーション 撮影:TOM矢橋
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沖縄のエーサ踊り 撮影:TOM矢橋 

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