タイを学びなおす
前駐タイ大使 小島誠二
1.はじめに
この原稿を書いている時点で、タイから帰国して4ヶ月が過ぎた。当然のことながら、タイに行って初めて分かったことは多い。タイにいるときは分からなかったが、日本に帰って勉強しなおして改めて納得したこともある。しかし、依然としてよく分からないことも多い。タイに限らないが、制度や規範が実際にどう運用され、適用されているかは外国人の目には見えにくい。タイの場合は、その傾向が一段と強いようにも感じる。英語による情報入手が限られているせいであろうか。タイが自らの手で近代的な制度を取り入れたせいであろうか。タイへの理解をさらに深めることはこれからの課題として、本稿では、2年間のタイ在勤を回顧し、政治・経済・外交における最近の動きを眺めて、これからの方向を決めるものを抽出し、最後にこれまで築かれてきた日タイ関係を維持し、さらに発展させる方策を論じてみた。
2.回顧
筆者は、2010年10月から2012年10月までの丸2年間タイに在勤した。ほぼ中間点で、アピシット民主党連立内閣からインラック・タイ貢献党連立内閣に政権が移行し、また、2011年には日タイ両国が未曾有の自然災害を経験し、相互に支援し合うこととなった。
筆者が着任したのは、日本人カメラマン村本博之氏を含む90名以上の死者を出したバンコク騒乱から数ヶ月が経過した後であり、アピシット政権がこの事件の刑事捜査と真相究明・和解の努力を続け、多くの犠牲者を出した反独裁民主主義統一戦線(UDD)の側がしばしば追悼集会を開く状況が続いていた。アピシット政権の努力は、インラック政権によっても継続されているが、同政権下では、アピシット前首相とステープ前副首相に対して刑事責任を問うことができるかどうかが争点となっている。
筆者は、着任直後、当時のカシット外相自身が各国大使のために企画したタイ・マレーシア国境県の視察旅行に参加し、同地域における平穏を取り戻すための政府による様々な取り組みを視察する機会があった。両政権とも、優先課題として、分離独立主義過激派とみられるグループによるテロ活動の沈静化に努めているが、状況は必ずしも改善していない。
インラック政権は、成立早々1942年以来最大の大洪水の被害拡大阻止と被災者救済にまず取り組まなければならなかった。その後、短期の洪水対策を実施し、中長期の洪水対策の策定に取り組んでいる。また、選挙公約である最低賃金引き上げ、コメの担保融資制度等を実施していったが、憲法改正案及び恩赦法案については、2006年のクーデタ後成立した暫定政権のとった措置を無効化しようとするものとか、タクシン元首相の早期帰国を狙ったものとして、国内に反対論が強いことに配慮し、議会審議を棚上げすることにした。このこともあって、この時期は政治的には比較的に安定した時期であり、経済面でも、大洪水の結果2011年のGDPはほとんど成長しなかったものの、タイ中銀によれば2012年には5.9%まで回復する見通しである。
外交面では、一時期領土問題を巡ってカンボジアとの関係が悪化したが、総じて近隣国との関係は良好であり、インラック首相は、就任後短期間でアジア諸国、中東諸国及び欧州諸国を歴訪している。インラック政権の外交も、タイの経済利益の伸長を主眼とするもののようである。
日本との関係に触れれば、2012年6月タイを訪問された皇太子殿下が国王・王妃両陛下より特別な接遇を受けられたことに現れているように、皇室と王室との御関係はますます緊密であり、また、インラック首相の2度にわたる日本への公式訪問は、政府レベルの関係の深さを示すものであった。さらに、両国が見舞われた自然災害に当たって、お互いが支援することによって、両国の絆は一層深まり、幅広い国民層に広がっていった。2013年1月になって、安倍総理がタイを公式訪問され、11年ぶりに日本の総理大臣による二国間訪問が実現した。
3.紆余曲折を経ながら辿ってきた民主化への道
タイでは、選挙によらない手段(クーデタ及び憲法裁判所の判決)によって、しばしば政権の交代が行われた。また、国民各層、学生等による街頭行動もタイ政治において大きな役割を果たしてきた。
2001年以降の政治過程を見ると、1997年憲法(注)に基づいて行われた2001年の総選挙で、この憲法が志向した「強い首相」としてタクシン首相が誕生した。その後、2006年9月のクーデタの結果、タクシン政権が瓦解した。憲法裁判所の動きをみると、クーデタに先立つ2006年5月タイ愛国党が大勝した総選挙を無効とし、2007年5月に選挙違反を理由に同党の解散を命じ、2008年にはサマック首相の失職、タイ愛国党の後継党である国民の力党等与党3党の解散及びソムチャイ首相を含む国民の力党幹部の政治活動禁止を命じる判決を次々に出した。2008年12月国民の力党の一部勢力が民主党に参加し、アピシット民主党連立政権が誕生するに至った。
(注)それまでの中選挙区制に代え小選挙区・中選挙区比例代表並立制を採用した。選挙制度は、その後中選挙区比例代表並立制に戻され、再度現在の小選挙区・比例代表並立制が採用された。
街頭行動を見てみると、2008年9月のサマック首相の失職判決に先立つ同年5月、民主化市民連合(PAD)がサマック政権退陣等の主張を掲げて街頭活動を再開し、また、2010年3月から5月には、アピシット政権に対して早期解散総選挙を求めるUDDの大規模デモが発生し、最終的には軍・治安部隊による鎮圧行動により終焉を迎えた。なお、2010年のGDP成長率は、7.8%となっている。 2009年の成長率がマイナス2.9%であり、2010年の高い成長率はその反動という要因もあるが、騒乱がマクロ経済に大きな影響を与えたようには見られない。
2011年7月の総選挙後で、タイ貢献党は、下院議席の過半数を獲得し、連立参加政党の議席を含めると6割の下院議席を背景として、元官僚、元軍人、元警察官僚、民間、経済人等を主要閣僚におく実務型内閣を発足させた。インラック政権は、インラック首相の高い人気に支えられ、王室に敬意を示し、軍に十分配慮し、国内対立を巻き起こすような問題には早急な結論を求めないという慎重な姿勢をとってきている。インラック政権の安定性を決定する要因は、タクシン元首相の帰国時期・手段、2007年憲法の改正への取組み、選挙公約として掲げた経済政策の効果、汚職問題の回避、憲法裁判所の動き等であると考えられる。
このようにタイでは2001年以降、タクシン元首相を支持する国民とこれに反対する国民の間に大きな亀裂が生じている。一般的には、タクシン元首相に反対する勢力には、都市富裕層及び中間層に属する者が多く、タクシン元首相支持者には都市部及び農村部の貧困層に属する者が多いと言われている。実際、タイ貢献党は2011年の選挙で、東北タイ及び北部タイで多数の議席を獲得している。このような亀裂を解消するため、大きな所得格差、資産格差、地域格差等を緩和し、解消する努力が求められている。
4.農業経済から高付加価値産業への道
タイのGDPは、日本の約6%(約10.5兆バーツ(約3,456億ドル))であり、したがって一人当たりのGDPは日本の約12%となる。60年代以降、産業構造は大きな変化を遂げており、60年には付加価値ベース(名目)で、約3分の1を占めていた農林水産業は、2010年には11%弱を占めるにすぎなくなっており、製造業と逆転した位置づけとなっている。
このような産業構造の変化にも関わらず、タイでは農林水産業の就業者数の割合は依然約40%から50%程度を占めている。しかしながら、筆者がたまたま目にした資料でも、すでに90年代中頃には、全国及び東北タイの農業世帯の非農業所得は、全所得のそれぞれ約60%及び約80%となっており、そのうち賃金・送金は全所得のそれぞれ約40%及び約60%を占めるに至っている。
タイ経済は、87年から95年まで8%を上回る経済成長を続けたが、その後は5%前後にとどまっている。プラサーン中銀総裁の報告によれば、2000年から2009年までのタイの労働生産性の伸びは、中国の8.8%に対し、1.9%にとどまっている。
2012年4月バンコク都を含む周辺の7県において、最低賃金が一日当たり300バーツとされた。これは、それまでの水準に対して約40%の上昇に当たる。残る70県でも、本年の
1月1日より300バーツに引き上げられた。後者の引き上げが特に中小企業の競争力に与える影響に注目が集まっている。
少子高齢化も、急速に進展しており、合計特殊出生率は、2005/06年の時点で全国及びバンコクでそれぞれ1.47及び0.88となっている。65歳以上の人口の割合は、2001年の7%から2023年には14%に達すると予想されている。
タイは、高・中所得国のカテゴリーに属するが、上述の通り、すでに経済成長と労働生産性の伸びの鈍化がみられる。今後少子高齢化に伴う負担も急速に増大すると予想される。これらの問題に対処するため、歴代政権はすでに様々な政策をとってきたが、経済政策にとどまらない総合的な対策が求められる。その中には、産業の高付加価値化、中小企業の競争力強化、国営企業のあり方の見直し、公務員制度改革、インフラの整備(高速鉄道、都市鉄道の整備等)、R&D投資の拡大、高等教育を含む人材育成等が含まれよう。
産業高付加価値化政策の一環として、タイ投資委員会(BOI)は、外国投資優遇策を抜本的に見直すことを考えているようである。報道によれば、その内容は、地域別に与えられていた優遇策を産業別に切り替え、自動車、電機、社会インフラ、医療、環境、代替エネルギー等を含む10グループを対象に優遇措置が取られ、地域別優遇策の地域振興策の側面は産業クラスター形成促進策として残すというものである。2015年、タイ経済は、2.1兆ドルのGDPを生産し、6億人の人口要するASEAN経済共同体として、統合されるわけであるから、産業配置を変化させていくことは必要である。その際、日本からすでにタイに進出している企業への影響にも目を向けて欲しい。
人材育成もきわめて重要である。タイの失業率は1%以下で、完全雇用に近いと言われるが、上述のとおり、依然農村部に居住する人口の割合が40%以上を占めている。おそらく、これらの多くの者がバンコク等に出稼ぎに来ているものと思われる。タイ人は家族を大切にし、出生地に戻りたいという意識が強いようであるが、これらの農村居住者とされる者を熟練労働者として育てることができれば、産業の高度化が実現するのではなかろうか。
5.経済利益追求を重視した外交
タイの外交は、実利(プラグマティズム)の原則に基づいた現実外交と言われてきた。風にしなう竹になぞらえ、「バンブー外交」と呼ばれることもある。(もっとも、1988年12月チャートチャイ首相は、風にしなう外交の時代は終わったと述べている。)最近のタイ外交については、「マイ・カオ・カング・クライ」(誰にも近づかない)とか、ユーン・トロング・クラーング(真ん中に立つ)とかが原則であると言われる。説明の違いは、タイ外交の色々な側面に着目した結果であるような気がする。
タイ外交は、大まかに言えば、安全保障関係を中心とする米国との関係、貿易・投資を中心とする日本・中国との関係及び近隣諸国との関係(ASEAN等の地域協力を含む。)という3つの要素で構成されているように見られる。もちろん、力点の置き方や意義付けは、政権の性格、国内政治・経済、タイを取り巻く国際環境により変化してきた。
例えば、米国との関係は1962年のタナット・ラスク共同声明以来安全保障面での協力が重要であったが、最近ではテロとの戦いのような非伝統的安全保障や災害救助の分野がより重要になっているように思われる。2011年11月には、スカムポン国防大臣とパネッタ国防長官の間で、21世紀安全保障パートナーシップに関する米タイ共同声明が採択されている。米国は、タイにとって中・日に続く第3番目の輸出相手国であり、経済面での結び付きも強い。
中国との関係では、チャートチャイ首相の時代以降、それまでの対ベトナム配慮からの緩やかな軍事的な結びつきから、経済機会を求めることに重点が置かれている。タイには、約1000万人の華人系の国民がいる。かつては中国語の学習は禁じられていたが、最近で中国語学習者は多く、華人系国民の中国への関心は高い。日本との関係では、かつて協力関係の中心であった経済・技術協力から貿易・投資がより重要な地位を占めるようになっている。
タイが90年代初めAFTAやARFの設立に当たりイニシアティヴを発揮したことはよく知られているが、昨年のASEAN関連会議でASEAN+3の連結性パートナーシップ首脳声明の採択についてイニシアティヴをとったことは、今後のタイの対ASEAN政策を考えるに当たり興味深い。
タイにとって、近隣諸国との関係はきわめて重要である。このことは、インラック首相が就任後最初に外遊を行ったのがこれら諸国であったことに現れている。2015年末のAEC設立を控え、ASEAN諸国、特に近隣諸国との連結性を高めることがタイの利益になることは言うまでもない。タイとしては、日本を含む域外国の参加も得て、ソフト及びハードのインフラ整備の努力を行う考えである。
近隣諸国との間に懸案はあるが、総じて良好な関係にあると言える。ただし、カンボジアとの間のプレア・ビヒア(タイ国内では「カオ・プラビハーン」と呼称される。)寺院を取り巻く地域の帰属をめぐる問題は、1962年の国際司法裁判所(ICJ)判決の解釈問題として改めてICJに提訴されており、今年後半にも見込まれる解釈判決がどのようなものになるかを注目する必要がある。
6.タイの持つ潜在能力を引き出す日タイ協力
筆者の在勤中、ミャンマーの民主化が急進展し、投資先としての同国への関心が高まった。同様に、インド、インドネシア、ベトナム等が投資先として、また、輸出市場として引き続き注目された。その結果、日本の投資先としてタイの有する圧倒的な地位と将来の潜在能力が等閑視されがちであり、この意味では、タイは「新興国」とはみなされていないようである。
日タイ関係を考えるに当たって、タイには約7000社の日系企業があり、これらの企業による巨大な産業集積が存在すること、日本がタイにとって最大の貿易国であり、最大の投資国であること(2012年の直接投資申請額の58%を占める。)、本在留邦人も約5万人(そのうちバンコクに約3.6万人)に至っていること等に目を向ける必要がある。日本が今後このような地位を維持し、高めていくためには、日本側官民の相当の努力が必要である。
タイについては、近年、政治的な安定性について、懸念を持たれることがあったが、インラック政権は長期政権を予感させるものであり、また、ASEANにおけるタイの位置づけから言っても、二国間問題は当然として、国際問題、地域の問題、地球規模の課題等について首脳・外相レベル及び事務レベルで頻繁に政治対話を行うに値する国である。
タイの国内問題、具体的にはタイにおける民主化の定着、ガバナンスの向上、マレーシア国境深南部問題の解決等について、日本ができることには限度があるが、引き続き、日本の憲法学者の派遣、腐敗防止政策についての対話、日本における研修等を通じた貢献はできるであろう。
インラック政権は、今後ASEANを含む地域協力においてより重要な役割を果たそうとしているように思われる。昨年3月のインラック首相訪日時に発出された日本との間の共同声明においても、日タイ両国は両国の戦略的パートナーシップを地域の平和と繁栄にも貢献するレベルに高めるとされている。具体的には、ASEANの枠組み内での日タイの協力を一層発展させることは重要である。タイは、ASEANの連結性、特にメコン地域の東西経済回廊及び南部経済回廊の建設計画を熱心に推進している。日本は、日メコン協力を進めるに当たり、周辺国がタイに対して有している複雑な感情に配慮しつつ、タイのドナーとしての役割に期待することができる。ミャンマーのダウェイ開発プロジェクトは、日本にとっても、関心を有すべきプロジェクトである。
タイ国民の間には、環境、人権、開発、不拡散等の地球規模の課題への取組みの重要性に対する意識が高まっており、タイは、国際社会において日本がイニシアティヴをとるに当たりアジアにおける有力なパートナーとなり得る。日タイには、開発や環境の面で協力の歴史があり、人権についても日本と類似のアプローチをとってきており、このような共通の経験・アプローチをミャンマー等において生かしていくことができる。
タイは、産業の高度化・高付加価値化と社会保障制度の拡充という二つの課題に同時に取り組む「モデル国」であり、タイ産業が一層高度化するためには、そのための政策や制度の導入、インフラの拡充、科学技術投資の拡大、人材育成等が必要である。日系企業の側にも、タイ産業の高度化に協力していくことが求められている。また、医療、年金、介護等の政策・制度の導入・拡充が急務となっている。
インフラの拡充については、大洪水後、タイ政府はインフラ整備に2.27兆バーツを充てていくと発表している。特に、高速鉄道、都市鉄道、洪水対策、地球観測衛星といったインフラ、医療機器等が日本にとって有望である。また、日タイ防災協力は、日本によるインフラ整備への貢献にもつながる可能性がある。インフラ整備に要する資金についてタイ政府は、借入れを含む自己資金で賄うとしているが、日本のODAには、技術移転を含む様々な効果が期待できることを説明していくことも大切である。また、日本としては、インラック首相が提案したWGにおける情報交換、関係省・機関への直接的な働きかけ(日本技術の優位性への理解、競争制限の回避等)といった努力をする必要がある。日本企業の側でも、情報収集、当地の仕様に合わせた提案、適切な当地企業との連携等の努力を期待したい。
産業構造の高度化については、日本としては、関係各省、JICA、JETRO、JST、民間企業等を通じて、日本の経験の紹介、幅広い政策助言(マクロ政策、金融財政政策、知財保護政策、腐敗防止政策等を含む。)、技術協力等を行うことができる。日タイ官民の間で、タイと周辺諸国との間の産業配置のマスター・プランを描いてみることもできよう。賃金の急速な上昇もあり、日系企業の側でも、工場の近代化、アジア全体における工場立地等について検討していく必要がある。
医療、年金、介護等の社会保障制度の導入・拡充に当たり、日本は政策的な助言を行うとともに、モデル・プロジェクトの実施を通じて経験を共有することができる。コミュニティにおける高齢者向け保健医療・福祉サービスの統合型モデル形成プロジェクト(CTOPプロジェクト)に続き、本年1月からは、要援護高齢者等のための介護サービス開発プロジェクトが開始されたところである。このようなプロジェクトで得られた成果は、他のASEAN諸国や他の途上国でも生かすことができよう。
タイにおいては、所得格差及び資産格差が大きく、社会の流動性も大きいとは言えない。このことが政治的な対立の一因にもなっており、経済発展の制約にもなっている。日本は、ODA及び直接投資を通じて、タイの経済格差の是正に貢献してきたが、今後とも、政策対話、セミナー開催、社会保障関連プロジェクト、草の根・人間の安全保障無償資金協力等を通じて貢献していくべきである。
バンコクの一人当たりのGDPは、名目為替レート及び購買力平価でそれぞれ約1.5万ドル及び2.6万ドルとなっており(2010年)、これらの高所得層は、日本への観光客として、日本の高級製品の顧客として、また、日本のアニメ、漫画、日本食等日本文化の深い理解者として、重視すべき存在となっている。実際、昨年のタイからの訪問者は25万人を上回り、これは韓国、中国、台湾、米国、香港に次ぐ数字となっている。
タイでは7.8万人が日本語を学習し、日本で約2400人の学生が学んでいる。日本のポップカルチャーは、若者を中心に幅広く浸透し、上述のとおり日本への旅行者数も拡大してきている。日系企業への就職機会は、日本語学習・日本留学へのインセンティヴとなりうる。タイおいては、元日本留学生を含む親日層の老齢化が進んでおり、このような若者層を親日家に育成していくことが急務である。多様な日本関係プレーヤーが活発に活動するタイ(バンコク)の特性を活かした広報・文化活動の強化・拡大が期待される。
今年の日・ASEAN友好協力40周年に当たっては、日タイ両国が協力しつつ、幅広いテーマについてイヴェントを開催し、日・ASEAN関係の一層の発展に協力するとともに、そのことを通じて、日タイの相互理解が増進されることが期待される。
7.おわりに
タイ在勤中、以上に記述した多くのドラマの当事者にお会いし、食事を共にする機会があった。ご自宅に伺うこともあった。その中には、元首相や元軍人も含まれており、1932年の立憲革命以降、タイ政治を動かしてきた人物の評価を伺うこともあったが、ドラマの当事者として自らについて多くを語ることはなかった。この時代の歴史の評価は固まっていないとの印象を受けた。2001年以降の歴史もいまだ進行中であり、本稿では事実を中心にできるだけ評価を加えないで既述したため、平板なものとなったことは否めない。
タイでは、憲法がしばしば改正され、短期間で、選挙制度、執政と議会との関係、司法制度等に変更が加えられてきた。本稿では、これらの改革が政治過程に及ぼす影響を十分分析するには至らなかった。さらに、タイでは、まず都市中間層の台頭があり、その後都市及び農村の貧困層が政治過程に参画するようになっている。本稿は、政治過程における伝統的なプレーヤーと新しいプレーヤーの役割、影響力、相互の関係等を生き生きと描いているとは言えない。いずれも、将来の課題としたい。
本原稿を取りまとめるに当たり、内外の研究者の文献を参照するとともに、在タイ大使館館員、外務省タイ専門家から貴重な示唆をいただいた。感謝申し上げたい。なお、以上に展開した見解は筆者個人のものである。 (了) (2013年2月15日寄稿)