モザンビークのプロサバンナ農業開発計画―戦略的経済協力

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                         前駐モザンビーク大使 瀬川 進

―はじめにー
筆者は、2008年9月から約3年間、モザンビークに在勤した。主な仕事は経済協力であったが、ブラジル勤務の経験があり、ブラジルのセラード農業開発とアフリカ熱帯農業開発プログラム(ProSAVANA-JBM:プロサバンナ計画)には特別の思いがある。

 プロサバンナ計画は大成功したセラード開発を手本とする事業であり、対アフリカ経済協力を象徴する長期の戦略的プロジェクトであるが、プロサバンナ計画の詳細については、政府、JICA等から既に多くの報告書が出されているので、本稿ではその骨子を紹介し、断片的ではあるが、現地から見た同計画、その形成と日本とブラジルの協力関係、プロサバンナ計画の課題につき述べてみたい。

(注)本寄稿文にある日本の政府機関名、ソ連・東独等の国名は当時の呼称を使い、特に政府名を記載しない大臣等はモザンビーク政府の役職である。また、地名(州、都市、回廊等)もモザンビーク国内の地域である。

1.モザンビークとの出会い、セラード開発からプロサバンナ計画へ
1971年から2年余り、ポルトガルのコインブラ大学に語学研修のため留学した。その時の下宿先でモザンビーク人留学生と友人になった(当時のモザンビークはポルトガル領、1975年に独立)。彼から自然に恵まれたモザンビークにつき何度か聞く機会があったが、当時は、40年後に同国の農業開発に携わるとは思わなかった。

ポルトガルでの勤務を終え、1976年に外務省へ戻りアメリカ局中南米第一課に配属になり、経済協力局(技術協力課)から引き継がれたセラード開発研究協力補足取極(1977年9月署名)を担当した。この取極は、第1段階のプロサバンナ計画と同様に技術協力(土壌、気象観測、品種改良等)と研究機材の供与、専門家派遣、人材育成に関する協定であった。この取極については条約課、大蔵省から何度か説明を求められたので、今でもその条文の幾つかを覚えている。

セラード開発が本格化した1979年にブラジル大使館の勤務になったが、その後30年間に3回に亘りブラジルの5つの総領事館(サンパウロ、リオ、ベレン、ポルトアレグレ、マナウス)に勤務した。この間、セラード開発に何度も関係することがあり、外交における農業開発協力の重要性を学び、また、農業開発に従事するブラジル人、日系人に多くの友人を得ることができた。
その後2008年にモザンビークの勤務になったが、プロサバンナ計画を通じて彼らとの旧交を再び温めることもできた。

2009年9月にモザンビークに来訪した大島賢三JICA副理事長(当時)が、首都マプトでニャッカ農業大臣(同)、ファラーニABC(ブラジル協力庁)長官とプロサバンナ計画の合意書に署名した。この署名式に同席し、セラード開発が懐かしく思い出されたが、自分もこの二つのプロジェクトに縁で結ばれていた気がする。

2.アフリカ熱帯農業開発プログラム(プロサバンナ計画)
―アフリカ開発会議(TICAD Ⅳ)―
日本は、2008年5月の第4回アフリカ開発会議(TICAD Ⅳ)でアフリカにおける食料問題解決のため、協力を強化すると表明した。このため、日本、ブラジル、モザンビークが一体となり取組むのが「プロサバンナ計画」である。
同計画はモザンビークとブラジルの自然環境(熱帯サバンナ気候、未開発の広大な土地、土壌、水資源)の類似する点に着目して形成された。両国が1970年代後半から20年以上に亘りセラード地域(不毛の熱帯乾燥地、約2億ヘクタール(ha))の農業開発を行い、大きな成功を収めている。その結果、セラードで穀物生産、畜産、養鶏等が可能になり、ブラジルは1960年代の穀物輸入国から大輸出国に変貌した。

―プロサバンナ計画の目的-
プロサバンナ計画は、セラード開発で培われた熱帯農業の技術と経験を活かして熱帯サバンナ地域を穀倉地帯にする事業であり、世界の食料安全保障への貢献も含まれている。
この計画は、モザンビークの農業生産力の増強、零細農民の所得と雇用の増加、生産基盤の確立、農業の技術移転、環境保全等に貢献する。また、将来は、その成果をサブサハラ・アフリカに拡大することも想定されている。
(注)モザンビークは、ポルトガルを旧宗国として言語、文化(国民性)、人種(アフリカ系)等ブラジルと共通する社会構成を有する。

―アフリカの現状、絶対的な貧困、食糧不足、農業の低い生産性-
世界に10億人を超える絶対的な貧困層が存在する。アフリカがその大半を占め、サブサハラ・アフリカには3億人がいる。その中のモザンビークは22百万人を抱えている。
「今日のアフリカ問題は何か」、それは世界の食料価格が高騰する中で、アフリカは依然として食糧輸入国であり、食糧輸入の依存と貧困が低開発の負の連鎖になっている。更に貧困問題が深刻化した背景には人口増加と農業の低い生産性がある。
(注)モザンビークの人口増加率は2.26%、GNP112億ドル(2011年世銀統計)、1人の国民所得570ドルで186カ国中172位(2012年IMF統計)

―モザンビークの可能性、広い国土に低い人口密度―
アフリカ熱帯サバンナには農業が可能な4億haの土地があるが、農耕地は全体の10%程度に過ぎない。また、モザンビークでは、熱帯サバンナが国土(日本の約2.1倍、80万平方キロ)の68%は占め、その農耕地の利用は僅か4%弱に留まっている。
また、全国に3,600万haの耕作の可能な土地があるが、その利用率は10%以下である。内330万haが灌漑の可能な農地であるが、灌漑施設のある農地は12万haに留まり、更に実際の利用は5万haにすぎない。一方、南北に約2500kmの海岸線を有し、気候は沿岸低地の多湿な熱帯と北部内陸の乾燥性亜熱帯気候に分かれ、雨量があり農業に適する土地もあるが、住民、集落が分散、人口密度の低さが開発の障害になっている。他方、就業人口の約8割が零細農業に従事しており、農業開発は貧困削減を可能にする手段である。(注)農業部門はGNPの約27%、総輸出額の約10%

―プロサバンナ計画の形成、日本とブラジルの協力―
セラード開発の成功は、両国政府の強いイニシアティブに基づき日本(資本と技術)とブラジル(資源、労働力)の補完関係に支えられた。また、同国の農業発展に貢献した日系人(約150万人)も重要な役割を果たしている。日本は、ブラジルの農業の分野以外でインフラの整備(港湾等)、製鉄、紙パルプ、アルミ等大型ナショナル・プロジェクトに協力して同国の基幹産業の構築に貢献した。プロサバンナ計画が形成された背景には、この両国の歴史的な協力、信頼関係がある。
以前に、筆者が大型プロジェクトのブラジル側調整責任者であったシゲアキ・ウエキ元鉱山エネルギー大臣(任期1974-79年)に何れの大型プロジェクトが最も成功したか尋ねた際に「セラード開発!」と即答した破顔が今でも忘れられない。                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                       

―日本の支援、食糧増産と貧困の撲滅―
モザンビーク政府は、経済成長を図り、貧困率を54.7%から2014年に42%まで削減する目標を掲げ、農水産業の生産拡大に努めている。
日本は、地方開発・経済振興、人的資源開発、ガバナンス、気候変動等の分野に協力を行っており、中でも食料安全保障と貧困削減に力を入れている。
トウモロコシ、キャッサバの自給は可能になっているが、主食米の8割、小麦は殆ど輸入に依存しており、慢性的な食糧不足の問題がある。このため、2009年9月に食料価格の高騰により首都マプト市で暴動が発生している。 日本は数年間に毎年10億円程度のコメを中心に食糧援助を行い、1977年より2011年までの累積援助額は約155百万米ドルに達している。(なお、マプト暴動の収拾を指揮したパシェコ内務大臣(党中央委員)は、現在、農業大臣に転じてプロサバンナ計画の陣頭指揮にあたっている。)

3.プロサバンナ計画の概要と問題点
―セラード開発のモデルと異なる経済社会構造―
プロサバンナ計画の拠点地域では労働人口の85%が農業に従事しており、農業が数少ない就業機会である。セラード開発地域より低い就学率と高い非識字率が占め、農業組合等農民組織が未発達である。政府の農業支援制度(農業融資、普及機関、研究機関)が限られ、社会主義の残滓が見られる社会構造がある。マクロ経済からの問題は、国家予算の半分を欧米からの一般財政支援に依存している。

―低い農業生産―
農業用トラクター、牛馬の利用は僅かで、原始的な生産技術と人力に依存している。
また、農業生産資材は高価格で零細農民には購入が困難であり、灌漑栽培の習慣も企業や集約的な畜産業も殆どなく、収穫物の貯蔵施設がないため、そのロスも多く、販売量の減少になっている。

―協力の形態等― 
プロサバンナ計画は、日本・ブラジルのパートナーシッププログラム(JBPP)に基づき、第一段階では、研究の能力向上の支援、地域総合農業開発計画の作成、村落開発モデルの構築等の協力を行う。JICA、EMBRAPA(ブラジル農牧畜開発公社)は、2010-11年に基礎調査行い、モザンビーク及びセラードの農業情報、研究の能力向上の支援、土壌改良、作物選定、適品種選抜、村レベルでの実証調査、環境配慮ゾーニング、農産物増産の支援、組合活動の促進、バリューチェーンの構築(2013年度実施予定)、マスタープラン作成、対象地域のナカラ回廊沿線地域の絞り込み等の開発計画を策定した。
また、第2段階の2013年以降は、プロサバンナ計画モデルの構築後に円借款、民間資金を導入する農業開発事業を予定している。

なお、モザンビーク政府は、国土の開発には政府資金だけではなく、農業分野への民間投資を積極的に誘致したいと表明しているが、土地国有制の中で、如何に民間投資を呼び込むかがプロサバンナ計画の事業化にとり重要な課題である。(土地国有制の問題は後述する)

―3か国の協力分担―
(1)プロサバンナ計画では、東地域(リシンガ)と北西地域農業試験場(ナンプラ)
  の研究体制の強化、対象地域の自然資源と社会経済状況の評価、土壌改善
  技術と作物の適正栽培技術の開発、パイロット農家で新農業技術の実証を行う。
  (注)東地域はブラジル側の要請で追加され、既に同地試験場にはEMBRAPA
  技術者が常駐している。また、東地域を調査した愛媛大学農学部もリシンガの
  高い農業生産性に着目している。

(2)日本は、チーフアドバイザー、土壌分析、施肥技術、土壌保全、栽培、土地
   利用計画、土壌微生物、水資源等の短期専門家派遣と機材供与を行う。

(3)ブラジルは、研究・普及技術、インフラ技術(ラボラトリー、パイロット活動、
  種子調整など)、種子増産システム技術、家畜生産技術、自然環境分析、
  技術普及等の専門家派遣と機材供与を行う。

(4)モザンビークは、専門家のカウンターパート配置、農業試験場の執務スペース
  の提供、展示圃場設置場所の確保、追加人員の配置、人件費等ローカルコスト
  を負担する。

4.プロサバンナ計画と戦略的経済協力―
(1)三角協力の象徴
JBPPは、三角協力(プロサバンナ計画)を日本政府の開発援助方針及びブラジル
政府の外交方針に合致する事業を規定しており、同計画はこれを実践する大型の
パイロットプロジェクトである。このため、同計画は対アフリカ協力を戦略的に進める
試金石であり、その成功は、国際的に日本のODA、官民連携の先例になる。

(2)CPLP(ポルトガル語諸国共同体)へのアクセス
アフリカのCPLP加盟国にはモザンビーク(石炭・石油ガス)、アンゴラ(石油等地下
資源)、カーボ・ヴェルデ(漁業資源)等5か国があり、同計画の成功は、CPLP諸国
との協力関係を強化し、アフリカ外交の幅を広げることができる。これは、アフリカ諸
国では英仏等旧宗主国の影響力が大きく、日本、新興援助国ブラジルがこれらの
諸国に進出することは容易ではないが、ポルトガルの経済的影響力が相対的に
小さいCPLP諸国との協力を通して資源の確保等にチャンスがある。

(3)ブラジルとの連携の重要性
日本は、欧米の援助国、新興援助国(中国、ブラジル、インド、ベトナム等)の間に
あり、独自の協力(特にJICA等のきめ細かな協力等)をアフリカで実施している。
ブラジル、ベトナムは、自国の発展に貢献した日本の協力(特に農業等)を高く評
価しており、現在、ベトナムとも三角協力(米増産、灌漑)を行っている。 中国、
インドの南南協力は、先進国や日本とは異なる彼らの独自の価値観で行っている
ので、日本と連携可能なブラジル、ベトナムとの協力は重要である。

因みに、日本デジタル・テレビ方式をアフリカに導入する分野では、ブラジルとの提携による効果が実証されてきている。

(4)JBPP技術協力の活用
現在、日本は、セラード開発の時の様に長期専門家の派遣が困難になっているの
で、JBPPの活用が重要である。日系人(ブラジル国籍)専門家が既にモザンビーク
に派遣されている。また、ブラジルでの第三国研修(野菜生産、キャッサバ等熱帯
産品の加工・利用コース等)に参加したモザンビーク人をプロサバンナ計画に活用
できる。

5.ナカラ回廊開発
政府が国家的事業とするナカラ回廊開発の周辺がプロサバンナ計画の対象地域に含まれており、同地域は総合開発事業になっている。同回廊の開発は、産業開発、民間投資を促進し、地域全体の成長と貧困削減を目的とし、道路改修は、農作物を都市の市場へ、海外への輸送を可能にする。現在、日本は、インフラ整備(道路改修、橋梁建設、港湾)を無償・有償により協力している。

TICAD V(本年6月に横浜開催)を準備する官民連携協議会は、アフリカの農業復興、生産性向上、市場整備、ビジネス環境整備、官民の連携を提言している。また、最近、第2サハリン並みの海底石油ガス田(三井物産)が相次いで発見されているが、昨年は2回に亘り両国の投資保証協定の交渉が行われており、同協定の締結は地下資源開発のみならず、農業投資の促進にも貢献しよう。

6.日本とモザンビークの出会い
(プロサバンナ計画への理解を深めるために両国の歴史的な出会を紹介したい。)

―天正遣欧少年使節―
16世紀に来日したイエズス会士ザビエル、渡欧した天正遣欧少年使節が、18世紀末まで首都であったモザンビーク島(プロサバンナ計画の対象地域(州))に滞在している。また、日本は、世界文化遺産であるモザンビーク島ポルトガル砦の修復にユネスコ信託基金を通じて協力している。

―交換船―
日米開戦後の1942年7月に、両国の外交官を交換するために横浜から浅間丸、香港からイタリア船籍の船が、また、ニューヨークからスウェーデン船籍の船が、モザンビーク(中立国ポルトガル領)に来て、野村吉三郎大使、来栖三郎特派大使、石射猪太郎ブラジル大使(途中に寄港したリオから乗船)等日本外交官とグルー大使等米国外交官を交換した。

―日本の国連PKO(ONUMOZ)―1993-95年―
1975年の独立後に内戦が続いていたモザンビークでは、1992年、冷戦の終焉に伴い和平が成立した。日本は、和平後の総選挙支援のため総司令部と全国を南部、中部、北部(プロサバンナ計画の拠点ナカラ回廊のある地域)の三つに分けて司令部(自衛官5人)と輸送調整業務(同48人)分野にPKOを派遣した。モザンビークは4回に亘る総選挙の結果を全て受け入れ、安定したその内政、経済運営は内戦復興のモデルケースになった。

(柳井俊二元(総理府)国際平和協力本部事務局長(元外務次官、元駐米大使)が、日経新聞(2009年7月7日付夕刊)「明日への話題―モザンビーク再訪」のコラムで日本のPKO派遣とその帰結につき卓見を述べられているので、その要約を引用させて頂く。)

「1993年、我が国は、モザンビークでの国連平和維持活動(PKO)に48名の自衛隊員を派遣した。
このPKOは、最も成功した国連のPKOの一つである。国連は・・日本のPKOを打診してきた。国際平和協力本部の事務局長として、若葉マークの我が国PKOに失敗は許されないと考え、成功の確率が高そうなモザンビークへの参加を提案した。・・自衛隊の貢献は高く評価された。この国連PKOは成功し、平和が定着した。我が国の政府開発援助(ODA)も再開され、日本の民間投資も始まった。理想的な形の進展である。・・(同コラムの末尾で)父親が駐コロンビア公使だった時に日米開戦となり、私達は南米各地の在留邦人と共に米国に移送され、抑留された。・・北米から船に乗り、モザンビークに行き、日本から移送された米国人たちと交換された。横浜まで約4カ月の長旅であった。私は5歳半であったが、この異常な旅の記憶は鮮明である。51年後にモザンビークを再訪し、この国の再建を手伝うようになったのは不思議な運命だ。」)     

7.プロサバンナ計画の課題
―セラード開発の反省―
プロサバンナ計画の第2段階(2013年以降)では、同計画の事業に民間投資を想定している。現在、カーギル等欧米企業、中国、ポルトガル、ブラジル、インド、ベトナム等の企業が同計画地域での土地確保に乗り出しているが、日本企業は出遅れている。
セラード開発では、土地、商品作物の流通機構を掌握したカーギル等国際企業が開発の利益を得たが、汗水を流した日本、日本企業はその果実を得られなかった。生産・流通段階から市場を押さえないと食糧安全保障の将来の確保が困難である。プロサバンナ計画で再び汗水を流す日本は、官民が協力してアグリビジネス用地の取得を始める必要がある。 

―土地国有制の問題―
社会主義国として建国されたモザンビークでは、土地が国有化されている。但し、これは、イデオロギーよりも資本蓄積のない同国が土地取引を自由化すると外国資本に買収される恐れから採られた措置であった。個人住居から開発プロジェクトまで政府から利用権(最長50年間までで延長可能)を得る必要がある。利用権は譲渡可能であるが、利用権の不動産市場が整備されていなく、利用権を担保にして金融機関から融資を得られない問題がある。また、相当規模の農耕地の利用権を確保する場合は地域住民の居住地、部族の入会地等の取得につき公聴会等を開いて当事者間で補償等を含めて合意する必要がある。

―政府のコミットメント―
農業投資は回収するまで長期間を要し、また、政府の政策に左右されるリスクがあるので、権利関係が複雑な土地利用権の取得については、その裁量権のある政府のコミットメントが重要である。 

―農地争奪戦争―プロサバンナ計画の批判―
一部のNGO・マスコミからは、プロサバンナ計画が内外の企業のために零細農民から土地を奪うと批判をする動きがある。この中で、2011年6月にパシェコ農業大臣が「農地への技術移転を促す民間投資を歓迎する、6百万haの土地を必要に応じて徐々にブラジル農業者にコンセッション方式の低価格で提供する用意がある。」と発言しためマスコミで騒がれた。筆者から農業大臣に土地問題につき質した際に「モザンビークが農業分野への民間投資を必要とする考えに揺ぎは無い、未開発地に投資と新技術を導入して生産性の向上を図る。」と繰り返し述べていた。

―社会主義型開発の失敗―
ソ連、東独が、1977年に社会主義を選んだモザンビークで集団農場の建設、農業の機械化、化学肥料の投入を行い、農業生産の支援を行ったが、これは、農村共同体を破壊し、採算を無視した生産材の投入により数年で失敗に終わった。

土地国有制は、一見、民間投資の阻害要因に見えるが、政府は、ソ連、東独主導の農業開発の悲惨な結果により、援助国の政府資金だけではなく、民間投資による農業開発が重要である教訓を骨身に沁みて学んでいる。これを別の視点から見れば、土地利用(国有)制度を活かして民間投資が纏まった農地を確保できるビジネスチャンスの可能性もある。  実際、プロサバンナ計画の地域では、相当規模の土地を取得して大農場を経営する会社が既に数社あり、その数も増加している。
1989年にモザンビークはマルクスレーニン主義を正式に放棄、国有企業を相次いで民営化し、多くの欧米諸国と投資保証協定を既に締結している。今や、ベトナムを手本とするビジネスの国である。

―日本の役割― 
 日本政府は、国際場裏で途上国の農地取得に関する国際ルールの策定を主張しているが、日本はセラード開発等を通じて世界の食糧安全保障に貢献した実績と信用があり、今後のプロサバンナ計画のために国際ルール作りの日本の役割に期待したい。                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                           

8.中国の農業協力、食糧基地とアグリビジネス
中国は、2006年の「北京サミット」でアフリカ農業開発の支援、食糧安全保障の強化を宣言し、中小規模ビジネスに対する10億ドルの特別融資基金を設定した。  
中国は、モザンビークにおいて2000-09年の間に米作地帯ガザ州の農業会社(1万ha規模)等5社を設立し、農地の取得に乗り出している。また、2009年に首都郊外に中国農業技術センター(55百万ドル、52ha)を開設し、米、トウモロコシの生産、技術及び生産管理の人材育成、機材供与を行っている。現地中国大使は、筆者に「中国の食料問題は優先課題である。センター試験農場で中国の豆の試験栽培をした結果は芳しくなかったが、米は肥料を使わずに給水の調節だけで周辺農家より5倍の収穫を得られた。中国はモザンビークを将来の食糧供給地として着目し、農場を更に拡張したい。」と述べている。

9.無形の財産
―国民の相性―
 モザンビーク人は人種偏見がなく、貧困問題と戦うブラジルに共感を持っており、また、アフリカを植民地支配したことのない日本に信頼を寄せている。プロサバンナ計画は、今後10年、20年と長期の事業であり、その根幹にある技術移転、零細農民の農業指導、農業組合の育成等何れも人間関係を通じた根気のいる協力である。言語と文化を共有するモザンビーク人とブラジル人が互いに気が合うのは当然だが、日本人も彼らとは自然と相性が合うのだ。この相性と信頼関係は、同計画の成功の鍵を握る無形の財産である。

―日系人農業者の現地指導―
 ブラジルで農業に成功する日系人は、自ら農耕地を耕すノウハウ以外にも農場で農業従業者(数十人から数百人)を指導、労務管理の技量を持っている。JICA、EMBRAPAを通じた専門家派遣だけでは「何十万の零細農民のキャパシティ・ビルディング」を到底カバーできない。零細農民に必要とされるのは高度の農業技術ではなく、草の根レベルの農業指導であるが、モザンビーク人と相性のあう日系人の力量は、マプト郊外の試験農場で既に実証されている。

終わりに
今後、10数年以上を要するプロサバンナ計画の将来を予見するのは難しいかもしれない。2008年のモザンビークに着任間もなく、筆者は畠中篤元JICA副理事長(元南アフリカ大使、当時モザンビーク大使を兼任)から「(内戦で荒廃した)モザンビークには、恵まれた水と国土があるので、日本が協力すれば、必ず豊かな国になろう」とのお便りを頂いた。現在もこの言葉を信じている。プロサバンナ計画がモザンビークの将来を約束していると思う。

                              (2013年2月5日 寄稿)