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第10弾 インドネシアで考えたこと

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元駐インドネシア大使  飯村 豊

Ⅰ はじめに
  2001年8月から約3年半、私はインドネシアに大使として勤務した。もう10年も前のことになってしまったがインドネシアについて何か書いて欲しいとの要請が霞関会よりあったので、インドネシア勤務を終えるに当たって、2006年2月外務省の職員、それもインドネシアのことをよく知らない人々を対象に書いたエッセーを微修正して提出させて頂くことにした。その後インドネシアについて勉強する機会はなかったので、本稿よりレベルアップできる自信がなかったからである。

近年インドネシア経済の急速な成長と日本企業の積極的な進出、民主化の進展、更には中国の一層の台頭に伴い、日本の対外関係におけるインドネシアの重要性は飛躍的に高まってきている。また、インドネシアの人々の自分の国力についての自信も深まってきているようである。従って、ここで描かれているインドネシア像や日本・インドネシア関係の見方は少し古くなっていると云わざる得ないが、基本的な認識は現時点においても妥当と思われ、現在のインドネシアと日本を考える上で、参考にして頂ければ幸いである。
  なお、インドネシア内外に係る事実関係の記述も本稿執筆の時点のものであり、その後大分変化が生じていることも付言したい。敢えて言えば、かかる記述をそのまま残すことにより現在の状況をよりよく理解する視点も得られるものと思われる。

Ⅱ  インドネシア人の気持ち
1.日本への期待感
(1)インドネシアについて、また日本とインドネシアの関係について何点か所感を申し述べたい。私自身インドネシアについては全く白紙の状態で着任し、在勤中もこの国について余りアカデミックな勉強はしていないので、勤務をしながら感じたこと、特にインドネシアとの関係に少しでも携わる人々が念頭に置いた方が良いと思われる点を3点程述べてみたい。

(2)第一点目は、この国の人々の日本への期待感の大きさである。
着任直後、ジャカルタ在住の邦人特派員の方が、「飯村さん、この国から見る日本はとても大きいですよ。」と言われたことをよく思い出す。

   確かに多くの日本人の方々にとってインドネシアを意識する時間は極く僅かなものであろう。私が在任中、新聞にインドネシアのことが大きく出たのは、バリやジャカルタでのテロ事件とかアチェの大地震、津波、あるいは大統領選挙、ジェンキンスさんと曾我ひとみさんの再会といった機会位であった。大方の日本人の方は、インドネシアについて殆ど知識を持っておられないし、バリに来られる日本人観光客の多くはバリがインドネシアにあることすら知らないと、在留邦人の方々は半ば冗談半ば残念そうによく言う。

  それに比して、現代インドネシアの営みの中で日本が果たして来た役割は重要なものがある。特に、経済面での日本のプレゼンスは大きく、今でもこの国の人々は経済的に困った時には日本が何とかしてくれると直感的に思うのではないかと感じられる程の期待感を持っているように思われる(もっともこのような日本への期待感も中国の台頭とインドネシア自身の国力の向上に伴い少しずつ色あせてきているようであるが、この点はあとで触れたい)。

(3)日本の役割につき歴史的な考証をする程の力を私は持っていないが、これを象徴的に示すものとしてスシロ・バンバン・ユドヨノ大統領がメガワティ政権下で政治治安担当調整大臣の任にあった頃、訪れた日本の国会議員団に述べられた言葉がある。外交辞令的な側面もあろうが、同大統領がその後も時々同趣旨のことを述べられているので、彼の対日感を示しているのではないかと思われるので、ここで引用させて頂く。
同大統領は会談の冒頭、「本日、日本を代表する皆様に改めてインドネシア建国史上3回お世話になったことを御礼申し上げたい。1つは独立の時であり、2つ目は経済開発を通じて、3つ目は97年、98年の経済危機の際、日本政府・経済界はインドネシアを支えてくれた。心から感謝している。」と言われ、アジア諸国の指導者からこのような言葉を聞くことが少ない我が国の政治家の方々に感銘を与えた。

   第1点目の独立の時とは、日本軍政下で独立の準備を始められたことを指しているのか、あるいは第二次大戦後オランダに対する独立戦争に日本軍兵士1000人以上が自らの意思で参加したことを指しているのか、真意は良く分からなかったが、第2次大戦と日本・インドネシアの関係につき、インドネシアの人々がその「明暗」双方感じているという意味では、中国や朝鮮半島と事情を異にしていると言えるかもしれない。
   特にイスラムの復権においては日本軍政が一定の役割を果たしたようで、アジュマルディ・アズラというイスラム学の大家は、我が国軍政下でインドネシアのイスラムがオランダ植民地時代の抑圧された状況から国のメーン・ストリームに置かれたことを評価する発言をしている。

(4)大使として任国の政権中枢に食い込むことは、どの地においても大きなチャレンジであるが、インドネシアにおいては、このような日本の存在感、日本への期待感に助けられて歴代の大使は大統領とのパイプを作り上げることに成功してきた。
   私の場合は、着任早々、メガワティ大統領のお誘いで東部ジャワ州ブリタールにある故スカルノ大統領の墓参りに同行して以来、2回旅行にお供する機会があったし、公邸にも食事等で4回来て頂いた。

   また、ユドヨノ大統領は対日外交重視の姿勢を2004年の大統領選当選後直ちに明確にされ、当地在任大使のうち日本大使の表敬を最初に受けてこれを明確にしたいとされたことを思い出す。同大統領とのアポイント取り付けは、政治治安担当調整大臣時代と違って決して容易ではなかったが、それでもアチェ和平のための会議を協力して東京で2回(2002年、2003年)行ったことは大統領になってからのコミュニケーションに大きな助けとなった。
    このようなことを述べるのは自分の手柄自慢をしたいのではなく、インドネシアにおける日本への好感度の高さを指摘したいからである。現に世論調査を行っても
ASEANの中で対日期待感が一番良いのがインドネシアである。

2.インドネシア人のプライド
(1)この国の人々がすぐに意識する外国は、日本の他にも、ASEANの隣国であるマレーシアやシンガポールを別にして、米国や豪州、中国等何ヵ国かあるが、日本が主要なプレーヤーの1つであることは間違いないであろう。しかしながら、これはインドネシアの人々が外国から支援してもらう事への期待感のみを持っているということではない。どこの国の人々も同様であるがプライドも大変高い。この点はインドネシアと我が国の間に円滑な関係を築くことを目標にするのであれば忘れてはならない点である。これが第2点である。
   インドネシアの多くの人々は人なつっこい美しい微笑で我々外国人を迎えてくるが、一部の日本人が言う「援助してやっているのに」といった傲慢さはすぐにかぎつける。特に、自らの力で植民地勢力と争って独立を勝ち取ったことは、インドネシア人の気持ちを理解する上で忘れてはならないことだと思う。また、インドネシアは人口2億人を越える東南アジア最大の大国であり、かつては第3世界の指導国家の1つ、ASEANの盟主と見なされてきている。

   インドネシアに援助する外国の人々にとってなかなか容易なことではないが、相手側の自主性(最近の言葉で言えばオーナーシップでしょうか)を尊重しつつ、支援するとのバランス感覚が必要であり、この道を踏み外すととてつもないシッペ返しを受けることになる。これが大変に忍耐のいるプロセスであることは、例えば最近のアチェ地震・津波時の緊急援助、復旧・復興に関わった人であればすぐにでも分かることであるが、74年1月の反日暴動のようなとは言わないまでも、この種の排外意識の噴出はいつでも起きる可能性があるということを忘れてはいけないと思う。

(2)その点で私が不安を感じたのは、我が国政府が国連安保理改革のためのG4決議案を全力で推進していたときに、「G4決議案を支持しない場合は我が国援助についてマイナスの影響ありうべし」とのいわゆる「ネガティブ・リンケージ」の考え方が日本国内にあったことである。これはインドネシアに対してのみでなく、日本の援助を受けているすべての国々についての考え方であり、少なくともインドネシアの人々は「ネガティブ・リンケージ」の背後に日本の大国主義を感じ取ったであろう。長い眼で見てこのような日本人の意識は国益に沿わないものと思われた。政治的には、途上国を「敵か、見方か」に色分けるような行動は外交上マイナスが大きいものと考える。

(3)また、我が国において大きく報道されたジェンキンスさんと曽我ひとみさんのジャカルタにおける出会いは、我々日本人にとっては人道的なエピソードであり、ジャカルタは出会いの地であり、インドネシア政府に何か仲介を期待するといった性格のものではなかったが、この出会いの場所の提供を快諾したハッサン・ウィラユダ外相にとっては、日本と北朝鮮の間の「橋渡し外交」の一環であったようである。
   この出会いを成功裡に終わらせるため、同外相は国内のどこが、またどのホテルが好都合か様々のアイディアを出され、また、警備に万全を期すため自ら治安当局にも依頼するほどの熱の入れようであった。

97、98年の経済・政治危機を克服して、かつてのインドネシア外交を復活させることを目指すインドネシアの外交当局にとっては、「橋渡し外交」は自国のプレスティージを上げるための1つの手法になっており(ミャンマー外交ももう1つの例である)、日本のマスコミの報道合戦が過熱化する中でジェンキンスさん一家の日本行きのフライトにつき特定の期日を日本のプレスから確認を求められ、日本政府から事前に十分に情報提供を受けていなかったと感じた同外相の怒りは相当なものであった。

我々として随分とこまめにインドネシア側に状況をブリーフしていたつもりであったが、時に日本のメディアが我々大使館員が知っているよりも先に情報を入手していることもあり、そのような瞬間を突かれたエピソードであった。メガワティ大統領(当時)は、出発前のジェンキンスさん夫妻に会ってくれたが、その場に日本政府の関係者が同席することを拒絶し、またハッサン外相は数ヶ月に亘り私との会話を拒絶し続けて不信感を表明したが、これらの例は、我々が傲慢であるのかどうかは別にしても、余程我々が神経を使わないとインドネシアの人々の気持ちを逆撫ですることとなる好例かと思われる。

3.新しい国インドネシア―形成途上多民族国家
(1)第3点は、インドネシアを少しでも知っている人にはあまりにも当然のことであるが、この国が新しい国であり(建国60年を祝ったところである)、また本来であれば一つの国を構成するのが不思議な程の多数なエスニック・グループを抱える中で、国家の統一性を維持する努力を行っていることである。

   「一つの祖国、一つの民族、一つの言語」をスローガンに掲げた「青年の誓い」が行われ、オランダの統治下にあった様々な伝統と文化を有する人々が1つの近代的な「国民国家」を形成する意志を示したのは1928年、つまりわずか80年弱前のことである。このようないわば人工的国家は古くはアメリカ合衆国、新しくは第2次大戦後独立を達成した国々に多数の例が見られる訳であるが、日本のように「歴史の深奥」からいつしか生まれてきた民族国家の構成要員にはその苦労一つまり個人レベルでは異民族・異文化の人々と日常的に生活を共有すること、国家レベルでは放置されれば遠心力が働き国家が解体していく可能性の中で、国の一体性を確保しつつ運営していく苦労―がなかなか肌身で分からない。対インドネシア外交に当たっては、この原点をどうしても理解する努力を払う必要があると思われる。

(2)この関連で申し上げれば、インドネシアに勤務したことのある方は誰でも御存知のことであるが、出身のエスニック・グループによって気性が大いに違うことで、この国との関係に携わる方々はこの点にも留意する必要があるかと思われる。
  インドネシアの6割を占めるジャワ人であるユドヨノ大統領は、人を傷つけることを好まず、正面切って「ノー」と言うことを避ける傾向があるように思われ、その真意はなかなか見極めがたいが、ユスフ・カッラ副大統領はスラウェシ島に住むブギス人らしくアウト・スポークンであり、またビジネス感覚に富んでいると言われている。

   また、非ジャワ人のジャワ人への反撥も強く、カッラ副大統領はアチェ紛争の和平合意(2005年8月)について、非ジャワ人である自分であったからこそアチェ人と話し合いをうまく進めることができたのだと、私に述べたことがある。
   この点で思い出すエピソードが1つある。何の機会であったか忘れてしまったが、東京からの指示でユドヨノ大統領に直接無理なお願いごとをしなくてはならないことがあり、カッラ副大統領の助けを得て面会の運びとなった際、その直前にカッラ副大統領より私に電話があり「大統領に直談判するときは、ソフトにアプローチするように。」とのアドバイスをもらった。その時ハビビ元大統領(カッラ副大統領と同じギブス人)が、かつて自分がスハルト大統領から学んだ最大のものは「ジャワ人の政治」の特質についてであり、折に触れて取っていた記録は大学ノートの数冊にもなると述べていたことを改めて思い出した。

(3)更に、インドネシアは多数の途上国と同様、国民の意識の面でこれから長い年月をかけて達成しなくてはならない課題を抱えている。特に重要なことは国民レベルで「勤労の倫理」を形成していくこと、「社会的正義」の観点を育て上げ、「法の支配」を確立することであると思うが、これらは言う程に容易なことではない。日本においても、このような意識は、おそらく武家支配の数百年を通じ形成され、これが一般庶民のレベルに共有されるようになったのは江戸時代のことであろうと推測される。これらの倫理は一朝一夕に形成さるものではないようである。ユドヨノ政府は成立以来、汚職撲滅キャンペーンを熱心に進めており、それなりに成果を上げてきているが汚職がなくなるための1つの前提条件である「公」の精神が国民全般に行きわたるためには長い時間をかけた努力が必要と思われる。

このような状況にあることは、何もインドネシアの人々にとって個人の責任ではないのであるが、先進国の人々は「上からの視線」でものを言いがちである。インドネシアの心ある人は自分の国の現状を憂いており、気の遠くなるような課題を前にして真剣に悩んでいるのではないだろうか。先進国の人々の「上からの視線」は民族の歴史が与えてくれたものを自分が努力して得たものと勘違いしているという傲慢さ以外の何ものでもないと思えてならない。
インドネシアに限らない。先進国が途上国援助を行うに当たって時々見られる大国意識は、折角の援助の意義を台無しにするものとしか思えない。もちろん日本の場合、国内経済が困難に逢着している時に国民の援助への支持を集めるためには「日本の旗」をあらゆるプロジェクトに掲げることが必要であろうし、また性急に成果を求めようとするのも理解できる。同時に「上からの視線」「押しつけがましい姿勢」とは逆方向の努力、つまり日本国民に途上国の人々の苦しみを分かってもらう努力も必要ではないかと思われる。

4.日本外交に求められる謙虚さ
(1)以上は私自身が対インドネシア外交の一翼を担うに際して念頭に置いていた何点かであるが、最も重要な点は、日本とインドネシアはお互いに必要としており、この点を十分に認識することは、中国の台頭に伴い東南アジアのパワー・バランスが変化していく中で益々重要になっていることである。

(2)海洋東南アジアの要衝を占め、豊富な天然資源を有する地域最大の大国が政治・経済的に破綻する、或いは他の域外大国の影響力が強まる事態が生じた場合の東南アジア全体への影響を考えると、対インドネシア外交は日本のアジア外交の柱の1つであることは自明であると思う。インドネシアとの関係は決して日本の一方的な持ち出しなのではなく、お互いに必要としているのであり、そのような気持ちでインドネシア外交を進めていくことが大切であると思う。援助国対被援助国の関係ではなく、外交の対等なパートナーとして二国間関係を見ていくことが必要ではなかろうか。

Ⅲ.インドネシアで今何が起きているか。
1.グローバル化の経済的影響
(1)さて、次に、このようなインドネシアで今何が起きているのか、大使として何をしようとしていたのか、これから何がなされなければならないのか、述べてみたい。

(2)私が在勤した2002年8月から2006年初めの3年半は、まず第1にインドネシアが97年、98年の経済・財政危機を克服して、経済再建の途上にある時期であった。マクロ経済の安定を達成し、2003年12月末にはIMFプログラムから卒業し、更なる成長を目指すユドヨノ政権が2004年10月成立したが、国際経済環境の変化、特に石油価格の高騰がこのような努力をさらに困難なものとする可能性をも見せ始めている。

   政治的には、私の着任直後に1945年憲法の4次改正が成立し、これに基づき2004年には議会総選挙、大統領・副大統領の直接選挙が実施された。また、着任直後の10月バリ島爆弾テロ事件で豪州人を中心とする200名以上の死亡者が出、その後毎年1回位の間隔でジャカルタのマリオットホテル、豪州大使館、そして再びバリ島の観光地と次々に大きなテロ事件が発生し、インドネシアにおけるイスラム過激派テロが国際的な注目を浴びるに至った。

   また、明るい話題もあり、インドネシア国家の一体性維持にとって重要なアチェの独立を巡る問題で、2002年12月には和平・復興東京会議、GAM(アチェ独立運動)とインドネシア政府間の停戦協定の成立、更には翌年5月の東京における和平交渉の挫折というユドヨノ政治治安担当調整大臣(当時)による和平イニシアティブの失敗を経て、2005年8月にはカッラ副大統領の主導でヘルシンキ合意が成立した。
   更に、この国は予測しえない不運にも襲われてきた。その最大のものが、ユドヨノ政権成立直後の2004年12月26日アチェ州を襲った地震・津波大災害であり、現在は鳥インフルエンザがパンデミックとなった時のダメージの大きさにおののいているところである。

(3)このような様々な現象の背後にどういう大きな力が働いているのか、やや単純化のそしりを受けることになるかと思うが、3点述べてみたいと思う。
   まず、世界の隅々まで大きな変化を与えつつあるグローバル化がインドネシアにも押し寄せており、この国が少なくともグローバル化の負け組にならずに生き残れるか否かおそらくここ数年のうちに明らかになると思われる点である。
そもそも、97年・98年のアジア危機が急激な経済面でのグローバル化の中で起きたことは定説であるが、マレーシアやタイ等他のASEAN主要国が経済の再建に成功しつつある中で、この国が本当に危機を克服し、ASEANの盟主としてのかつての地位を再び手に入れることができるのか否かは現段階では不透明と言わざるを得ない。特に特徴的なこととしては、経済危機がスハルト体制の崩壊、すなわち開発独裁から民主主義体制への移行にもつながったことから、政治的混乱が経済再建のためのリーダーシップを阻害してきたことがあげられると思われる。メガワティ政権下でマクロ経済の安定を曲がりなりにも達成したことが同政権の業績としてしばしば挙げられるが、これはやはりIMFのモニタリングの下にあったからと言えよう。

  ユドヨノ政権はスハルト政権崩壊後初めての本格的政権とも言え、同政権が民間投資の促進、そのための環境整備を通してより高い経済成長を達成することを政策課題のトップに置いていることは、この国がグローバル化の下で東アジア地域での経済統合が進む中で落ちこぼれ組とならず、むしろ勝ち組となるために極めてまっとうなことと思われる。問題は、投資環境整備のためには、インフラ整備から始まって、税・関税制度や労使関係に係る制度の整備、すそ野産業の育成、更には汚職の撲滅、司法制度の確立等気の遠くなるような課題を着実にこなしていかなければならないことである。ユドヨノ政権が成功するか否かは、これをどの程度実行に移せるかにあると思われる。この意味では、改革への抵抗勢力と化している官僚組織の近代化、効率化も大きな課題である。

2.グローバル化の政治的影響
(1)第2点目は、すでに触れたとおり、経済のグローバル化が政治面にも影響を及ぼしていることである。これは、インドネシアが政治面でも国際社会から孤立して変化しているのではなく、国際的な大きなうねりの真っ直中にあることを示すものであろう。
   その一つが民主化の進展である。その結果として生まれてきた議会の役割の強化や地方分権の進展は政策決定に関与するものの飛躍的増大をもたらしており、当面行政の停滞と混乱を招く結果にもなっている。これは、健全な中産階級が十分に育つ前に開発独裁から民主化へ移行したため、国民の側のエトスが民主化の進展についていないことを示すように思われる。

   また、国軍の政治的役割が劇的に減少したが、国民の間には国軍が政治的安定を担保していた時代へのノスタルジアも根強く、その組織力、また何よりも最大の武装勢力であることから、ひとたび危機が再来すれば、政治の前面に再登場する可能性を排除することはできないと思われる。その意味では、国軍を民主化プロセスにがっちりと組み込んでいくことが重要であり、改革派軍人出身のユドヨノ大統領のあまりに表に出ない功績としては、民主派の軍人を次々に戦略的ポストに任命し、軍の掌握を進めていることがあると言えよう。

(2)もう一つは、インドネシア・イスラムの変容と影響力の増大である。インドネシアの国民の9割がイスラム教徒であり、またそのイスラムも伝統社会に根ざした穏健なものであることは良く言われるところであるが、このようなイスラムもグローバル化の直接・間接の影響から逃れることはできない。例えば、キャンパス・イスラムからPKS(福祉正義党)という政党設立にまで影響をのばしてきた都会の学生層を中心にしたイスラム改革運動。この運動は既存のナフダトゥール・ウラマやムハマディアという巨大なイスラム団体とは断絶したところに90年代から急激に発展してきたと言われ、インドネシア経済社会の都市化を考えずして説明でいないと言われており、インドネシア政治において無視し得ない勢力になっている。
   また、相次ぐテロ事件で有名になった「ジュマー・イスラミア」(イスラム共同体)。一時アル・カイダとのリンクがあるか否かも注目されたが、どの程度の連携があるのかは別にしても、インドネシア・イスラムが、それもジャワの片田舎のイスラム寄宿塾が国際的なイスラムの在り様と無縁でないことを示している。

   同時に、このような政治的イスラムの動き以上に顕著な変化をもたらしているのは、文化・社会面のイスラムルネッサンスとも言うべき面であろう。女性で「ジルバブ」をかぶっている人の数、或いはメッカ巡礼者でモスクに行く一般の人々の数は、近年飛躍的に増大している。政府の当局者もこのような国民レベルの動きを直視して内外の施策をとることが必要になっている。

(3)グローバル経済への適応にしろ、政治の安定化にしろ、このような課題は当事国のやる気がなければ達成できないのであるが、ユドヨノ政権はこういった課題に正面から取り組む意識を示している。この国の将来を考えれば、日本を含む国際社会はこのような努力を支援して行く以外には方策はないと思われる。インドネシアに対する欧米の多くの国々の政策は、人権問題や環境問題、民主化等に個々に焦点を当てた

  single issue-orientedなものとなっており、この国のことをグローバルに捉え、その発展を支えることが自らの利益でもあると考えて行動する国は極めて少数であるように見受けられる。その意味で日本としては米国、豪州や世界銀行などとしっかりとしたパートナーシップを形成して主導的な支援国としての役割を果たしていく必要があると思う。このような努力がまた、以下に述べるインドネシアへの中国の影響力伸長を防ぐ最大の武器になるのではなかろうか。

3.中国の進出
(1)第3点目は、中国の台頭が東南アジア全体の国際関係に及ぼしている影響である。インドネシアにおいても私が着任した2002年の当時と比べると格段に中国の存在感が増してきた。
   1965年の9.30クーデター事件まで親中国のインドネシア共産党が強大な政治力を持っていたことへの反撥もあり、中国との外交関係を回復したのは90年代になってからと、インドネシアは中国との間に距離を置いてきた。また反華僑感情も強く、98年5月の反華僑暴動ではジャカルタでも数千名の華僑が殺されたと言われている。そのようなインドネシアであるが、ワヒッド政権の頃から華僑の権利の回復が始まり、例えば今ではジャカルタだけでも8紙のローカル華字紙があるようになった。これまでロー・プロファイルを保ってきた華僑達も大っぴらにホテルなどでパーティをやるようになってきた。中国政府は、このような華僑達との関係強化に努めており、華僑の中には中国と協力してインドネシア国内における中国の影響力を強めることに喜びを感じる人々も増えているようである。

   また、中国はインドネシアに対する外交攻勢を強めている。メガワティ政権時代もメガワティ大統領の夫君タウフィック・キーマス氏を中国・インドネシア友好協会のヘッドにすえていたが、ユドヨノ政権になってからの中国からの働きかけは極めて活発で、大統領就任式前に早くも政治局代表団が当選祝いを述べるために派遣されており、2005年には胡錦濤国家主席、ユドヨノ大統領がそれぞれ国賓として相手国を訪問している。また、低金利の借款等経済協力の供与、天然ガスの輸入等経済関係の強化にも努めてきている。

(2)このような状況を見ると、すでに大陸における東南アジア諸国において影響力を強化してきた中国が、ASEAN諸国の中で格段に日本との関係の深かったインドネシアにも外交攻勢をかけ始めたと見ざるを得ないと思う。その背景としては、―つには、すでに自らの影響力を伸ばしてきた大陸東南アジア諸国に加え、これまで中国と距離感を保ってきたインドネシア、シンガポールに一定の影響力を確立すればパワーバランスを自らに有利な方向に持って行けると考えていると思われることがあげられるであろうし、また経済的にはインドネシアに天然資源の供給先、中国産品の輸出市場のとしての価値の見いだしていることがあると思われる。

   東南アジアにおける影響力を強化せんとの中国政府の意図は東アジア共同体をASEAN+3だけで構築しようとする動きからも明らかである。できるだけ外部の勢力を排除し、中国が支配的な力を発揮できる地域ブロックを作ろうとしていると思われる。このような動きに明確にブレーキをかけようとしてきたのはASEANのメンバー国のなかではインドネシアとシンガポールだけである。そのインドネシアに影響力を強めれば、東南アジア外交を進めやすくなるだろうと中国政府が考えることは不自然ではないであろう。
  (注:2012年時点では、南シナ海の領有権をめぐる争いもあり、両国に加えヴェトナム、フィリピンも中国に対する警戒心を強めている。また、ミャンマーの改革の動きは、これまで中国の影響力の下におかれているとされてきた同国が西側世界にも門戸を開き始めていることをしめしていると言えよう。)

(3)インドネシアの指導者達、特に外交に携っている人々がよく述べる考え方は、「中国が台頭する中で、地域に新しい均衡(new equilibrium)を作っていくことが望ましい。そのためには日本等が引き続き主要な役割をこの地域で果たしていくことを期待する。」と言うものである。これは少なくとも現段階ではインドネシアが中国の強すぎる影響力を嫌い、地域に大国間の均衡が形成されることを望んでいることを示すものと思われる。しかるが故に、インドネシア政府は、将来の東アジア共同体の構想にASEAN+3以外の国々(具体的には豪州、ニュー・ジーランド、インド)が関与することを確保するための外交努力を重ねてきているのである。2005年12月のクアランプールにおける東アジアサミットを準備する過程の中で、我が国とインドネシアの間でこのような戦略的利益が合致していることがはっきりと示された。

  (注:更に、最近では東アジア・サミットには、米国、ロシアも招かれるようになっていることは、地域のパワー・バランスを維持するために更に幅広い域外大国を引き込んでいくことが必要とのASEANの一部諸国の意識を反映していると思われる。)
現在の日本のアジア外交は、対中関係、対朝鮮半島関係で外交的エネルギーを費やしている間に、また日本経済が停滞を続けている間に、これまで自ら影響力が強かった東南アジアに中国がしっかりと根付き始めていることを発見して愕然としている、今や失地回復の努力が始まりつつあるといったところではないか。
(注:安倍新政権が東南アジア外交に重点を置いているように見受けられることはその意味で心強い。)

(4)インドネシアの指導層の多くは自国経済の発展にとってまだまだ日本と協力していかなくてはならないことを良く知っていると思う。製造業に対する外国からの投資を支えているのは日本の民間セクターであり、ODAにしても日本がトップ・ドナーの地位を占めており、中国の援助は端緒についたばかりであることも広く認識されている。しかし、中国にはニュー・カマーとしての魅力があり「チャイナ・ユーフォリア」が起きつつあることも事実である。また中国経済の成長が続き、政治・軍事的にも更に力を付けてくれば、まだまだ中期的な展望ではあろうが、これまで中国に異を唱えることができたインドネシアの立場が変化するのか、しないのか注目すべき点であろう。

Ⅳ.日本は何をなすべきか
  このように、インドネシアにおいてもグローバル化の影響が、経済的にも政治的にも様々な形で現れつつあり、また、中国の台頭による東南アジアの国際関係の再編の中で、地域の大国としての自らの位置づけが問われる状況になっている。
  最後に、インドネシアとの協力関係の強化が日本の国益にかなうものと考えた場合
一体何をなすべきなのか、また、我が国として何をしてきたのかも含めて簡単に申し述べたい。

1.戦略的パートナーシップの構築
   まず、第1には、当然のことながらインドネシア外交を東南アジア地域全体に対する我が国外交の関数として、しかも地域最大の人口を要し、戦略的要衝を占める大国に対する外交として考える必要があるという点をあげたい。特に中国が地域に支配的な力を確立せんとの動きを見せている中で、日本とインドネシアはこのような支配的な力を望まないとの観点から戦略的利益を共有している。先に述べたように、インドネシアにとって対華僑政策と対中政策は密接に関連を持っており、中国の影響が強まれば国内の華僑勢力のコントロールが難しくなるとの内政上の理由からも、本来インドネシアの指導層の多くは対中政策に慎重な姿勢をとってきた。しかし、このような慎重な姿勢も中国の影響が伸びるにつれ、今後徐々に変わっていく可能性がある。日本としては早い機会からしっかりとした戦略的パートナーシップを築いていく必要があると思う。
外交面では東アジア共同体構築のプロセスにおいてこれが開放的なもの(inclusive)になるように共同歩調をとることが重要であり、また、同じように民主主義的価値観を有し、国際社会における穏健な勢力として軍縮や人権等、或いは対中東・アフリカ支援等様々な分野で共同の努力を展開していくことも考えられる。

2.経済関係の強化―投資の促進と経済連携協定(EPA)交渉の推進
(1)しかしながら、インドネシアにおいて日々の外交政策に関与しまた関心を寄せているのは極く僅かな少数の外交エリートのみであり、インドネシアの国の方向性に影響を与えるためには、この国の人々が最も関心のあるその経済発展や政治的安定達成の分野で支援を行うのが本命と思われる。このような努力を通じ、インドネシアにおける日本の存在感を維持することが、ひいては東アジア地域に戦略的均衡を築き上げ、日本が行動の自由を確保しうる空間を維持することにつながるものと思われる。

(2)その意味では、なんと言ってもインドネシアの現政権の最大の政策目標である「民間投資の促進を通じ、雇用を増大し、貧困を削減する」ことを助けていくことが重要である。そのためには、特に民間投資を促進するような環境整備が大切であり、2004年11月ビエンチャンにおける両国首脳会談で設置につき合意を得た「官民合同投資フォーラム」を通じ、両国の官民が力をあわせてこのような努力が行われることが期待される。
また支援国会合(CGI)においても、我が国の提唱で日、米、世銀の3共同議長の下(追ってEUが加わり4共同議長)、「投資ワーキング・グループ」が設けられており、このようなマルチの場を通ずる努力も組み合わせ、インドネシア側に働きかれていくことが必要である。特にユドヨノ政権の一つの問題が、同大統領のかけ声にも拘わらず官僚組織がこれに暗に抵抗して、ものが動かない状況にある中で、我が国としては積極的な働きかけを続けていくことが重要である。同時に、このような努力において日本のみが突出することはナショナリスティックな感情が日本に向かうことになり得るので、その意味でバイ・マルチの場を組み合わせることが望ましい。

(3)二国間の経済連携協定も、インドネシアとより緊密かつ広範な経済関係を築いていく上で重要である。国内の民族主義勢力の反発に懸念していたことがあると思うが、メガワティ政権では対日EPAに殆ど関心を示さなかった。ユドヨノ政権になるやいなや、バクリー経済担当調整大臣(当時)、ヒダヤットKADIN(インドネシア商工会議所)会長、ソフィアン・ワナンディAPINDO(インドネシア企業家連合会)会長がイニシアティブをとり、あっという間にEPA交渉入りに政権としての意思をまとめてしまった。ユドヨノ政権は、財界出身、若しくはこれをサポートする人々を官僚として抱えており、我が国としては財界、就中KADINと上手に連携しながら、できるだけ早く妥結に持っていくことが望ましいと思われる。同時に、インドネシア国内でナショナリスティックな保護主義勢力がEPA反対の声を挙げる可能性に目配りをしておく必要性もあると考える。
  (注:本稿執筆後、2007年8月に、日本・インドネシア経済連携協定が署名された。)

3.ODA外交の強化
(1)ODAについては、日本政府として特に円借款をこのような投資環境整備のためのインフラ整備に集中的に投入する方向性を2004年から明確にしたところであるが、2005年に石油価格高騰に伴い燃料価格補助金の削減が焦眉の急になったことから貧困問題が急速にクローズアップされるに至っている。この政権が成功裡に経済成長を達成していくためには、人口の半数を占めるといわれる貧困層への配慮を行い、政治的安定を確保する必要が更にはっきりとしてきていると思われる。その観点からは、我が国のODAの支援も貧困削減を主要な柱の一つとすることが求められるに至っていると考える。特に、保健・教育や地方のインフラへの十分な配慮を行っていくことが重要と思う。

(2)また、インドネシアが抱える大きな困難の一つが司法・行政・立法の多分野における統治能力の欠如にある中で、我が国としては大海の一滴ではあってもODAを通ずる努力を行い、改革の方向性をインドネシア国民とともに考えているとの姿勢を示すことも必要であろう。警察改革プロジェクトで行われてきたような努力が各分野で実施されることが望まれる。司法においては人材育成のための司法研修所設立のための協力がすでに現実的課題ともなっており、また立法では改正憲法の下で設立された地方代表議会への支援も緒についている。また、行政の分野では地方分権制度確立のための支援をJICAが始めていることは周知の通りであるが、世銀等がプロジェクトづくりを始めている公務員制度改革分野においても日本のODAが貢献できるのではないかと考えている。

(3)なお、ODAの関係では、他の多くの途上国も同様であると思うが、世論が債務問題に敏感であり、先進国への借金でインドネシア国民が苦しめられている、外国からの借款の少なからぬ部分が富裕層の懐に入ってきたとのイメージが一部国民の間に根強くあることを指摘したい。国内の政治、経済の困難があると、このような気持ちが政治的に利用されることもあり、あっという間に政治問題化する可能性を常に秘めている。インドネシアの対外債務のGDP比がコンスタントに減りつつある事実などは、このような荒波の中で消し飛んでしまう。アチェ津波の直後に見られた債務キャンセル・削減を求める一部世論は好例であり(英国ゴードン・ブラウン蔵相(当時)の無責任な提案にあおられた面が多々あるが)、また最近では2005年12月BAPPENAS長官に就任したパスカ・スゼッタ氏(ゴルカル党幹部)が、円借款の金利問題でこのような感情に火をつけた。ブディオノ経済担当調整大臣、スリ・ムルヤ大蔵大臣は学者出身のテクノクラートであるだけに、このような政治的動きの前ではやれることに限界がある。その意味では、ユドヨノ大統領、カッラ副大統領が世論形成に極めて大切な役割を果たすことが期待されている。
また、マスメディアに対して、円借款の原資の一部は日本国民の血税であること、いずれにしろインドネシアは開発のため借款を必要としているのであり、これをマーケットで調達しようとすれば大変に高くつくこと等を引き続き説明していくことが必要であろう。また、日本のODAが貧困削減や民主化支援を重視しているとの認識を深めてもらうことも重要である。債務問題で反日感情に火がつくようなことだけは避けなくてはならないと考える。

4.インドネシアの一体性維持への支援 
(1)また、政治的安定を達成するためには、インドネシアの一体性の確立を支援していくことが重要であり、そのためには各地域の紛争、特にアチエ紛争の解決を側面支援していくことが重要である。特にアチェは我が国にとって戦略的利害のかかっているマラッカ海峡に面しているだけになおさらである。
   アチェ和平プロセスの支援については、2002年着任早々の私にユドヨノ政治治安担当調整大臣(当時)から東京で和平・復興会合を開催して欲しいとの要請があった。その背景にはボイス・アメリカ大使(当時)がアチェ和平に向けて様々な努力を行っており、日本をパートナーとして求めていたことがあり、アチェ和平東京プロセスはCGI投資ワーキング・グループと並び、インドネシアにおける日米協力の好例となった。我が国において2002年12月和平・復興会合を、また翌2003年5月には崩壊の危機に瀕した和平プロセスを救う最後の試みとしてGAM側とインドネシア政府側の双方を集めた会合が日本連携の下に行われた。残念ながら、このプロセスは失敗に終わったが、ユドヨノ大統領は「東京プロセスがあっだからこそヘルシンキ合意の成立に導かれた。日本政府の支援に感謝している。」と述べている。

(2)このような外交努力は、インドネシア国内における日本の存在感を強めることに間違いなく貢献しているものと思う。また、アチェ津波災害の際の日本の緊急支援は日本の存在感を強く示したと言えよう。
   外交とは因果なものと時々思うが、このような努力は自転車をこぐように常に続けていなければならない。我々がこぎやめれば、できた真空に他の勢力が入ってきて別の形で存在感を示すであろう。その意味でも、当面のアチェ和平プロセス(へルシンキ合意)が円滑にとり進められるために日本の支援が望まれている。 GAM兵士の社会復帰や、紛争で荒廃した地区の再建、更にはアチェ全体の経済・社会の底上げへの支援を検討していく必要があると思われる。


5.人的交流の強化
  インドネシアにおいて気になっており、我々としてこれまで攻めあぐねてきたのは、大学分野、更には国民レベルでの日・イ関係の強化である。日本には現時点でインドネシアの留学生が文部科学省留学生、私費も含め1,500人程滞在しているが、日本留学組が米国や豪州留学組に比し、指導層に余り見あたらないことは否定しえない事実と思われる。日本政府奨学金など無償のスキームのみでは、どうにも量的に限界があり、留学生の拡大、大学間の研究交流などに円借款を活用するなどODAの一層の活用を図ると共に、プルサダなどの日本留学生の組織やインドネシア・日本友好協会の活性化を通じて有識者層を両国協力の輪により強力に巻き込んでいくことが必要と考える。このような努力がまた、現在華僑ビジネス層を通じて世論工作を精力的に展開し始めた中国外交への対応にもなるはずである。

日本とインドネシア間の関係の強化に大変な役割を果たした一人のインドネシア政治家が「自分の政治生命もあと数年であることは十分自覚している。今急速に伸びつつある中国の影響力にどうやって対応して日本との絆を維持していくのか、自分として日夜心配している。この残りの政治生命を通じて何とかお役に立ちたいと考えている。特に国民レベルでの交流の強化なくして中国の進出に対抗できないと考えている。」と述べていたが、日本とインドネシアの関係が重要な局面にきているとの判断には共感を覚えたので紹介させて頂く。 ※本寄稿は著者の個人的見解を表明したものです。 (2013年1月22日寄稿)