荒波の中を漂う日中関係

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               公財 日中友好会館顧問・元駐中国大使
                              谷野 作太郎
1.「不惑」の年を迎えた日中関係
昨今、日中(中日)関係を語る際、日本でも中国でも、「不惑」の年を迎えた日中(中日)関係という枕言葉をもって始めることが多い。
 今年は日中国交正常化40周年。孔子流に言えば、「四十而不惑」(論語 為政篇)、日本と中国の関係は、今年「不惑」の年を迎えたということになる。すなわち、日本も中国もともにお互いの関係において、惑うことなし、つまりは、両国は相互の関係において大局を知り、小局にとらわれることがなくなる年頃になった、ということか。
 しかし、そう話を始める人たちも急いで言葉を継いで、現実はそれとは程遠いとして、暗い面持ちで昨今の日中(中日)関係を語るのが常である。

 尖閣諸島をめぐっての両国の間の攻めぎ合い、その後、中国各地で起こった日本(人)を標的とした中国人による乱暴狼藉。孔子は「五十にして天命を知る」とも言っているが、今10年先の日本と中国の関係について、自信をもってそのように見通しうる状況ではない。昨今の両国関係の状況を見るにつけ、中国の人たちがよく口にする「両虎相争えば、いずれか一方が傷つく」、「和すれば双方に利益、戦えばともに傷つく」という言葉が思い起こされてならない。40年前、両国の政治指導者たちが、様々な困難を乗り越え、国交正常化を実現したあの時の気概、あの時の心意気はどこに行ってしまったのか。

2. 中国各地での反日デモ
それにしても、先に起きた中国人による乱暴な行動は論外である。状況は鎮静化の方向に向かいつつあるものの、その残した傷跡は大きい。日本大使館、各地の日本総領事館への投石などの破壊行為(道路に面した多くの窓ガラスが破損された)、日系企業、販売店、日本食レストランに対する破壊、放火、略奪行為、日本人への暴力沙汰等。その後、北京では、たまたま通りがかった米国の大使車をも襲うという事態にまで発展した。
また、いつものことであるが、今回も日中青年交流など、多くの意義ある交流事業が日本でとり行われるものも含め、中国側の意向で、一方的にキャンセル、或いは延期された。

 領土問題は、双方のナショナリズムに火がつくだけに厄介な問題ではある。従って、この問題について、それぞれが強い形で意思表示に及ぶということも自然なことかもしれない。しかし、その場合においても、自らを文明国家(「文明」・・・中国語では、秩序を守る、礼儀正しいという含意をもって、国政の指導者たちがよく使う言葉である)として認めるのであれば、越えてはならぬ一線があるはずである。ましてや、政府のスポークスマンが、「民意」なるものにおもねり、「原因はあげて日本側にあり」として、そのような行為を容認する発言をくり返すなどは論外である。

 私は、今、かつて(2006年)、中国で歴史教科書論争が繰り広げられた時、広東の中山大学の某老教授が、あれは「愛国の壮挙」でも何でもなく、各地で主として外国(人)を対象に破壊、殺人行為に及んだ義和団民は「盲従の愚民」であり「文明にもとる行為」であると決めつけ、大いに論争を呼んだことを思い出している。そういえば、日本に対しては。しばしば厳しい言葉を並べたてるあの唐家璇氏(前国務委員、元外交部長、現在、中日友好協会会長)も、過日、北京で開かれた公開のシンポジウムにおいて、多数のテレビ・カメラの放列を前にして、丹羽大使車への暴力沙汰にふれ、あのような行為は「愛国」ではなく「害国」だと言い切った(もっとも、そこは中国らしく、翌日の中国のメディア報道で、唐氏の発言のこの部分を報道したところは全くなかったが)。

 私は、義和国事件については、くだんの老教授が断じるような(あれは、「立派な反帝国主義的行為」などというものではなく、「盲目的な排外の極端にして愚まいな行為」)そんなに単純なものとは考えないが、日本(人)を標的にとしたというところ、そして、政府のスポークスマンのこれを容認するような発言を聞いていると(義和国事件の時、これを裏であおったのは西太后だった)、その部分を見る限り、今回の事態は、正に日本を対象とした21世紀版小型義和団事件(あの老教授が言うところの)ではなかろうかとすら思った。

 これと比較して、一昨年、尖閣沖での中国漁船の衝突、拿捕事件を契機として中国において繰り広げられた反日デモに対抗して、東京で数度にわたって行われたかなりの規模の対中抗議デモ(不思議なことに、日本では中国における反日デモは大きく報道されたが、東京でのデモの方はCNNなどが大きく取り上げる中、ほとんど報道されなかった)。この方は行進中のゴミの収集も行うなど、何と整然と秩序立ったものであったことか。

 もっとも、私は、昨今の中国各地における事態、あのような立ち振る舞いが、中国の国際的イメージを大きく傷つけているということについて、内々深く悩み、心を痛めている多くの良識ある中国人が居ることを知っている。また、昨今の状況を深刻に心配しながら、できるだけそこから距離を置き、歯を食いしばりながら懸命に日々の勉強に励む多くの在日中国人留学生たちのことも知っている。(2005年の反日デモの時は、彼ら、彼女らが寄宿する中国人学生寮の前を通る街宣車から“貴様ら、とっとと中国に帰れ!”といった罵声があびせられた)。

3. これからのこと
いずれにせよ、今回の事態が日中関係にもたらした傷は決して浅くはない。両国の国内政治状況(中国では政権交替、日本では党首選、総裁選を経て、いずれ総選挙)と相まって、日中(中日)関係は、残念ながら、傷を癒すためにも、しばらくの間は「冬ごもり」ということか。特に中国は、このような時には、上から下まで塹壕の中にこもって、なかんずく、中日関係のようなやばい仕事には手を出さない。

 そのような状況の下においても、少なくとも日本側は、売り言葉に買い言葉、目には目を、歯には歯をといった言動に走らず、中国に対して、さらには世界に対して、中国とは一味違った日本(人)の国柄、人柄を見せつけてゆきたいものである。
 「尖閣」については、中国との間では、政・官・学それぞれの間で今後とも大いに議論してゆかなければならない。しかし、その場合も、お互いに一呼吸おき、過度に感情的にならず、言葉を正した上で・・・という風格を身につけたいものである。あの吉田松陰も「言葉ツキ丁寧ニシテ、声低カラザレバ、大気魄ハ出ズルモノニ非ズ」と言っている。

 中国側の議論で、最近気になることは、このところ中国側の一部の学者たちが、「尖閣」の問題を「歴史」の問題にからませて議論を仕掛けて来ていることである。ある向きは、「中国(中華人民共和国)は度重なる要求にもかかわらず、サンフランシスコ講和会議の参加をみとめられなかった」、とし、つまりは、「そのような中国を排除した形で定められた戦後の国際社会の姿、形については、領土問題の処理も含め異議あり」と言わんばかりの議論を展開し、ある向きは、「日本のファシズム、軍国主義」に言及しながら、この問題についての中国側の主張を述べるなど。

 なお、この点に関して言えば、サンフランシスコ平和条約の後に結ばれた日本と中華民国との間の日華平和条約(1952年)の第2条の領土事項においては、「日本国は・・
台湾及び澎湖諸島並びに新南群島(現・南沙群島)及び西沙群島に対するすべての権利、権原及び請求権を放棄したことが確認された」とあるだけで尖閣諸島(釣魚島)への言及はないことを想起したい。更には、戦争が終わり、台湾及び澎湖諸島などが中華民国に返還されたにも拘らず、尖閣諸島(釣魚島)などは米軍の日本占領下の一部として扱われていた、そして中華民国政府は、このことに全く異議を唱えなかった。要は、国交正常化当時、周恩来総理が田中角栄総理に正直に述べたように、すべては、あの海底に豊富な石油資源がある(らしい)(1968年のECAFEの調査)ということが分かってから、台湾、ついで中国が手を上げはじめたことから始まったのである。

 第二に最近の日中・日韓関係を見ていて、往年と違って彼我の間における政治のパイプが極めて細いものになってしまった、ということをつくづく感じる。私たちが現役時代、例えば、日本の歴史教科書問題、或いは台湾をめぐるいくつかの戦後処理案件について政府間の交渉が行われるのと並行して、日中、日韓、日台の間で、これらの分野で一家言を持つ大物政治家の方々が往来を重ね、先方に対し説得に努めるかたわら(これに対応して、先方にもしっかりした受け皿があった)、それぞれの国内を治めていったものだ。

今回の件について、中国の筋から聞こえて来るのは、①中央政府(国)にどうして
一地方自治体(東京都)の動きを抑えられなかったのか②実は、国と東京都の間で、あらかじめシナリオができ上がっていたのではないか ③東京都がひきとるというのと、国がひきとるというのでは、重みが全く違うというものである。この辺のことについて、日本側は政官あげて、中国側に十分時間をかけて説明し誤解を解く努力をしえていたのか、若干のうらみが残る。いずれにせよ今後、それぞれの側が落ち着きを取り戻した上は、少なくとも中、韓などアジアの主要国との間では、あらためてそのような政治のパイプ造りに心がけなければならない。

そのような状況の下、肝心の「尖閣」の方はどうするか。日本側としては、尖閣を特定の勢力の下に置くより、これを国が購入することの方が、あの島々を平穏かつ安定的に維持管理してゆく上で最良であり、日中関係の大局からも、その方が良いということを、引き続き中国側に説明し理解を求める、ということであろうが、その上で、当分の間(何年、何十年?)、やはりかって鄧小平氏が言ったように、「(この問題については)、我々の世代の人間は知恵が足りない。次の世代は、我々よりもっと知恵があろう。その時はみんなが受け入れられる良い解決法を見いだせるだろう」ということだろうか。

そして、そのような「知恵」のひとつとして、いずれ、台湾の馬英九総統、或いは日本国内においても少なからぬ向きがつとに主張している、あの辺の海底資源の日中台による「共同開発」ということがあるのかもしれない。もっとも、これとても、昨今のそれぞれの国内状況に鑑みれば、そこに至るには、それぞれの側において島の領有権問題への対応も含め、大いなる知恵(日本について言えば、領有権の問題は譲れない。そのことと、「共同開発」をどう両立させるかという大難題がある。)と、大きな政治力が必要とされよう。

いずれにせよ、今は状況の鎮静化を期待するばかりであるが、問題が片付いたわけではないので、今後のことははなかなか見通せない。今後、日本側としては、①海上保安庁による警備体制の強化、②中国側との間における、海上における危機管理メカニズムの構築(彼我の間の議論は相当煮詰まって来ていると承知。なお、私の中国の友人からは、今の解放軍の幹部たちは、戦争の経験がなく、昨今、とくに海軍の一部筋に「オレ達は戦勝の味を知らない。日本との間で、イッパツやったろうか!」といった気運が出て来ているというブッソウな話も聞く)などの面で努力すべきことは勿論であるが、その間にあっても、尖閣諸島(釣魚島)について、できれば、日中両国政府の支持の下、例えば、すでに存在する「日中共同歴史研究」の場を利用して、双方の側からこの問題を熟知した複数の有識者を集め、できれば、第三国からの有識者の参加(オブザーバー)も得て、静かな雰囲気の中で、それぞれの主張のベースとなっている資料、古文書の類を持ち寄り、突き合わせること位はできないものだろうか。そして、その中で議論すべき一つの点は、中国側(そして日本の側の一部の人たちも呼応して)が、つとに主張している「尖閣問題について棚上げについて日中間の合意」なるものについてである。私自身は、そのような「合意」は存在しないと承知しているが、他方、この点については、過去において日本の外務大臣も日本の国会で、「(この問題については)今のままじっとしておいて、20年、30年そのままの方がよいと思う」と述べたこともある(1979年7月30日の衆議院外務委員会における園田外務大臣の答弁)。

もっとも、このような会合を立ち上げることについては、早速、日本の一部からは「あの島を巡り領有権の問題など存在しないのに、そのような会合などとんでもない」という声が聞こえてくるような気がするが、いつ迄もそのような棒を呑んだような硬い言い方は止めるべきだ。この問題は、今や日中間、日台間の外交問題としては明らかに存在するのだから。我々は、そのことは認めた上で大いに日本側の主張を展開すればよい。   
なお、このことに関し、竹島、北方領土と違い、尖閣諸島については(問題が存在しないのだから、従って)、日本政府の側において、しっかりした広報資料も存在しない。この点も改善すべきである。ちなみに、「独島」(竹島)について韓国政府は、「領有権問題は存在しない」(故に日本政府による国際司法裁判所への提訴にも応じない)としながらも、韓国側の主張のついては、世界の隅々において(驚くなかれ、あのブータンにおいてすら)活発な広報活動を行っている。
 最後に、冒頭に「両虎相争えば、いずれか一方が傷つく」と述べたが、昨今の日中関係をめぐる一番の問題は、今や日本は中国から「虎」とは見なされていないということである。同様なことは、日韓関係についても言える。李明博大統領はこのことをあからさまに述べた。

 日中関係、日韓関係を今一度しっかりした基盤の上に乗せること、そこへ至るには、迂遠なことではあるが、わが日本が、政治、経済などの面において日本が往年の力、存在感を取り戻すことこそが一番大切なことである。

―これから冬にかけて、尖閣周辺は、漁期の最盛期を迎える。そのような状況の下、不測の事態が起こらぬことを念じつつ―             (平成24年9月20日記)

 昨日の日本女子オープンで、中国人プレイヤーのフォン シャンシャンが優勝した。
観戦していた日本人は皆 彼女に対し、大きな拍手をもって祝意を表した。私は、この光景を見て、大変うれしく思い、あらためて日本人として生を得たことを誇りに思った。
                               (10月1日追記)