ドイツからみたユーロ危機とEUの展望

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                     前駐独大使
                     関西学院大学副学長 神余隆博

1.ドイツから見た欧州統合

地政学の重要性
欧州の分裂とユーロの崩壊を回避する上でドイツが果たす役割は極めて重大である。そこでドイツとは何か、ドイツは欧州をどう見ているかについて私見を述べてみたい。
筆者はこれまで、ドイツに4回勤務した(研修も含めれば5回)。そのうち2回がボン、1回がデユッセルドルフ、そして最後の一回がベルリンであった。ベルリン以外はいずれも旧西ドイツ地域のそれも西端に近く、ドイツの東端にあるベルリンよりもフランスやブラッセルへの距離感覚が近く、ベルリンは遠い存在に感じられた。この地域ではドイツは西欧に属するという意識は自然である。しかしベルリンに勤務して感じたのは、このドイツの東端のプロイセンの首都であったベルリンは実は東欧や旧ソ連のウクライナあたりまで含めた欧州全体でみた場合の中心に位置するということであり、ベルリンではドイツは中欧という感覚が自然である。ドイツ統一後の日本外務省の組織改革でそれまで西欧第1課でドイツを担当していたのが、現在では中・東欧課で担当することとなっているが、それは統一ドイツの置かれた地政学的な観点からは適切な仕分けであったと思う。ドイツは西欧であると同時に中欧であり、感覚的に東欧はドイツの裏庭なのである。地政学が政治と外交の運命を左右するということはドイツについてはよくあてはまる。

 また、ドイツの置かれている地理的位置関係について言えば、ドイツには現在、シェンカーとかDHLとかの世界的なロジスティックスの会社が集積しているが、これもドイツの地政学的な特徴を生かしたもののようだ。すなわち、ドイツから見れば、ニューヨークも北京も時差が同じ6時間であり、この21世紀の2つのスーパーパワーから同じ時間差にあるということが、ビジネスのみならず外交面でも、世界政治の動きをにらんでグローバルな対応を行う上で極めて有利な地政学的な環境にあるということである。

不安と抗議とロマン主義の弁証法 
さらに、ドイツを理解する上で鍵となる地政学的な要素は、ドイツが9つの主権国家に取り囲まれているという事実である。欧州でもこれほど隣国の多い国は他にない。日本も海を挟んで4つの国(と1つの地域)と向かい合っており、領土をめぐる外交問題や不法侵入の事態を抱えているが、陸続きでしかも9つの国と接するドイツは日本の比ではない。このため、ドイツ人は絶えず周囲の国への警戒心があり、「不安」を抱えて生きているということである。この不安(ドイツ語ではアングスト=Angst)は、ドイツ人の国民性と政治・社会行動を規定する鍵となっている。何事につけ、常にアングストがあるのでドイツ人は見た目とは異なり憶病で慎重な面が多い。福島の原発事故が起こって、EU諸国の先陣をきって東京のドイツ大使館が大阪に一時避難したのもそうだし、他のEU加盟国と相談することもなく単独で原発脱却に踏み切ったのもそうである。すべて、不安が物事を規定する。そして、その不安に立ち向かおうとして抗議(プロテスト)する。このプロテストがドイツを理解する第二の鍵である。ルターの宗教改革も核兵器や原発への反対もこの抗議が物事を前に動かす誘因となる。そして、不安と抗議のジレンマ状態から抜け出して新たなステージに導いてくれるのが、ドイツを理解する第三の鍵である「ロマン主義」(ロマンティシズム。ドイツ語ではロマンティク)である。

これは自然への憧れとか、美と調和とか純粋性といった形而上学的なものであるが、ロマンティクこそドイツ人の誰もが憧れる精神であり、これに導かれて対立はやがて止揚されて、新しい歴史段階に至る。まさに、原発問題も不安と抗議を経て緑の環境思想というロマンティクによって原発脱却決定という状態に止揚され、そこから世界は新しい歴史が始まるのである。このヘーゲル流の弁証法的な史観がドイツ人をそしてドイツを規定する古くて新しい行動原理であり、ドイツが抱える困難な事象はほぼすべてこれで説明がつくといってよい。おそらくユーロ危機もこの弁証法的アプローチでいずれ政治的な解決が図られると思われるが、その場合のロマンティクは何なのか。かつてユーロを導入した際は「欧州における戦争と分断の克服」がそれであったと思うが、今回のロマンティクは筆者の見るところでは、「政治統合」あるいは「欧州のドイツ」の考え方ではないかと思われる。

2.「ドイツの欧州」か「欧州のドイツ」か 

戦時中ナチを嫌って米国に亡命したトーマス・マンが戦後1953年にハンブルクで行った講演の中で問いかけたのは、ドイツの将来は「ドイツの欧州」なのか「欧州のドイツ」なのかということであった。ドイツ再統一に向けての長い道のりの中で、戦後ドイツは西ドイツの時代から、ドイツが欧州をそしてドイツ自身を不幸に陥れさせたあの「ドイツの欧州」を求めるのではなく、欧州の中で統一を夢見、欧州とともに発展する「欧州のドイツ」を追い求めてきた。アデナウアーもブラントもシュミットもコールも、党は異なれど、戦後の偉大な業績を達成したドイツの歴代首相はみな欧州主義者であった。
それは、ドイツ再統一後のシュレーダー首相もメルケル現首相も同じであるが、再統一後のドイツの「普通の国」化とベルリンへの首都移転による西欧との距離感(ドイツにおける地政学の復権)により、欧州主義には若干の揺らぎが出てきている。2004の年シュレーダー政権の「ドイツの道」(イラク戦争に反対して、「ドイツのことはドイツで決める」として反英米的態度を鮮明にした)路線が、その嚆矢ではなかったかと考える。また、現在のユーロ危機に際し、メルケル首相がギリシャ支援とユーロ危機に対し優柔不断の立場をとり、ドイツの国益を優先的に考える立場が見え隠れしたこと等からメルケル首相に対し「欧州のドイツ」路線を放棄しようとしているのではないかとする、長老たち(シュミット、コール元首相、ヴァイツゼッカー大統領等)の警鐘が乱打されたのである。

ドイツは再び特別な道を歩み始めているか
 メルケル首相は、これまでギリシャ支援とユーロ危機への対応において頑ななまでにノーを言い続けていることがある。それは、ECBによる債権の直接買い入れとユーロ共同債である。特に後者のユーロ共同債については、「自分の目の色が黒い内は決して実現しない」とまで言い切っており、これと財政規律・緊縮財政とはセットになって頑として譲らない(その意思は鉄より固いので「テフロン・メルケル」と揶揄される)。この点については、ドイツはユーロ圏の中で孤立しており、ドイツが独自の道を歩み始めているかのような印象を与えている。その一方で、メルケル首相は「ユーロが失敗すれば欧州も失敗する」とも言っており、ユーロを何とか再建したいし、ギリシャもユーロ圏にとどまることが望ましいということではフランスはじめ他の国々と歩調を合わせている。

メルケル首相が頑なな態度をとるのは何故だろうか。ドイツが自国の国益を何より重視し、独自の道を歩むことを内心決意しているとみるべきものかそれとも、「地中海連合」に譲歩を迫り、ドイツ流の経済思想を共有させるための戦術的な抵抗なのか。筆者にはドイツの内政を見据えた上での戦術的なものだという気がする。ギリシャが国家破産し、ユーロから離脱するならそれはユーロ全体の信用問題に発展する。他の南欧諸国への連鎖反応が考えられるし、その影響は当然にドイツにも及ぶ。ギリシャの脱退は最悪の場合、ユーロの崩壊を招く危険性とドイツ、オーストリア、オランダ、フィンランドという北のユーロ圏(いわばカロリングのフランク王国ではなくドイツ民族の神聖ローマ帝国)に縮小する可能性が有り得る。後者は実質的なマルク圏の復活であり、そうなればそのような優等生国だけに縮小したユーロは切り上がり、輸出を中心とするドイツ経済は苦しめられることになるだろう。そのようなリスクをドイツが犯すとは思われないので、最後は必ずドイツも妥協するとみるのが自然であろう。これが欧州の智恵で、ドイツが真に孤立することはドイツにとっても他のEU諸国にとってもためにならないことは歴史の教訓である。

「ラッパロ」の警告
仮に、ドイツが追い詰められ、孤立を貫いた場合に何が起こるか。その場合ドイツは地政学的な観点から、ロシアと手を組むこともあり得る。歴史は過去にそのようなケースがあったことを教えている。それは1922年4月16日のラッパロ条約である。当時ベルサイユ条約で多額の賠償を強いられ、政治的にもさまざまな制約を課せられていたドイツは、ジェノヴァで行われた米、英、仏、独、ソ、伊、日等が出席した欧州経済会議を抜け出し、ソ連と二国間会談を行い、秘密の合意を含め互いに支援しあうことを約束し、世界を驚かせた。ドイツはロシアをパートナーとみる傾向があるので、このような歴史も繰り返さないとは限らない。

もはやユートピアは存在しない?
 ドイツ人がロマン主義を信奉する民族であることはすでに述べたとおりである。このロマン主義自体は、キリスト教が世俗化していたドイツにおいては宗教に代わる代償的な精神となってきたとの見方もあるが、ナチスなどはこのロマン主義を悪用したと言われている(ヘルムート・プレスナー『ドイツロマン主義とナチズム』、フリードリヒ・マイネッケ『ドイツの悲劇』)。ヒトラーは大衆社会の欲望と幻想を利用し、ドイツを破滅に導いたのであるが、ドイツ民族が持つ「不安」(アングスト)がロマン主義と結びつく場合に、予期せぬ増殖作用を持つ危険があることもドイツの特徴である。 

ここで注意しておかなければならないのは、ドイツの国民の現在の精神状況である。ロマン主義はエトスではなくパトスの問題だからである。そしてパトスは国民の精神から発するものであるからだ。ドイツ国民は統一に満足している。ユーロ危機にあっても唯一ドイツの経済は現在まで混乱もなく、好調でドイツ人はユーフォリア(陶酔感)に浸っており、なぜほかの国はドイツのようにできないのかと説教を垂れている。そしてドイツに更なる負担を求める目論見には断固として反対するメルケル首相に対しては、国益をよく守っているとして支持率が高い。このようにドイツ国民にとってはベルリンの壁が崩れてドイツ再統一が達成され、ユーロが導入されたことで、この20年の間にユートピアは実現したのである。そして、このユートピアを越えるユートピアが見つからない現状では、精神的には目標喪失状態にあるので、ユーロ危機のハンドリングを誤れば社会が右傾化する危険もはらんでいる。このことを早くから指摘していたのはドイツ政治学者の仲昌樹氏であり、仲氏は1996年の『アスティオン』誌秋季号に掲載された論文(「脱幻想化するドイツ」)の中で、「これまで戦後社会をリードしてきた既成政党、批判的知識人たちが統一後の具体的な目標を提示できず、消失したユートピアへのノスタルジーに浸って無力化しているため、相対的に右のほうに吸引力が生じている」と指摘している。

政治統合とドイツのジレンマ
 この目標喪失状態の中でユーロ危機に喘いでいるドイツが追い求める次なるユートピアそしてロマン主義の目指すものは何であるのか。おそらくそれはドイツとEUを統合を更なる高みに導く欧州政治統合を目指すということであろうが、これは容易なことではない。その第一歩として財政同盟があるが、税制の統一はまさに徴税権という主権そのものにかかわる問題であるので、ドイツもさることながら主権の問題に敏感なフランスにとっては微妙な問題であろう。ドイツが強く拒否するユーロ共同債や財政移転について、ドイツは表向きこのようなことは政治統合が完成した暁のことであるとして、入り口ではなく出口論として処理しようとしているが、本音は政治統合などできないと踏んでいるのであろう。その限りにおいて政治統合推進のお題目は、レトリックの範疇のものであり、現実政治(レアールポリティーク)の目標ではない。これには主権の移譲に伴うドイツ連邦議会の関与低下の問題、すなわち「民主主義の赤字」と呼ばれる議論を惹起し、連邦議会議員や国民から憲法裁判所に違憲訴訟が提起され、基本法の改正や国民投票の実施の議論も噴出して収拾がつかなくなる恐れがある。政治統合はあくまでユートピアとして理想主義の中に閉じ込めておくことが現実的な対応と言う他ない。
 ポピュリズム政治の横行する民主主義社会においては、右傾化し国益を重視する国民意識と理想政治の間で常に呻吟するのが為政者の常であろうが、ユートピアを喪失したドイツは今後ますますその間のジレンマに悩まされ続けるであろう。

3.ドイツはなぜ指導力を発揮できないのか

「中ぐらいの国」症候群
ドイツはユーロ危機においてなぜもっと積極的にリーダーシップをとれないのかとの疑問を抱く向きは少なくなかろう。ギリシャ危機以降ドイツの決定の遅さ(慎重さ)と小出しにする対策は、かつてのバブル崩壊後の日本の金融危機における対応を彷彿とさせる。ギリシャア問題が起きてこの方、欧米のメディアではメルケ首相の優柔不断をあてつけたタイトルが散見する。「メルケルはどこにいるのか」だとか、「マダム・ノー」だとか、はたまた、アイアン・レディのサッチャー首相よりもさらに強硬ということで「テフロン・メルケル」というあだ名がつけられたこともある。

 歴史的な経緯もあり、普段ドイツが強くなることに慎重な隣国ポーランドのシコルスキー外務大臣までが、ドイツは今こそリーダーシップをとるべきだと公に発言してもなかなかドイツの慎重さと消極的態度が改まらないのはどう理解したらよいのであろうか。その答えの一つは日本と同様、第二次世界大戦の敗北と歴史問題のトラウマがドイツをして大国外交をすることができない「ミドルパワ―」メンタリティ(「中ぐらいの国」症候群)を作り出さしめてきたことにあると思われる。リーダーシップをとるということは、当然に重い責任を伴うことであり、中小国にはできない大国の特権でありかつ義務である。ところが、日本と同様ドイツには自国を「大国」だと思っている国民は少ない。ドイツは「中ぐらいの国」だとみているのである。ドイツの戦後外交は、国民の自信と国家の名誉をどう回復するかという「修復外交」であり、リーダーシップを極力とらない外交であった。そして再統一を果たしてして「普通の国」になってまだ20年にすぎないのである。この「中ぐらいの国」メンタリティと大国外交の経験不足がメルケル首相をしてさらに慎重な態度をとらせているものと思われる。

 第二に、これも日本と相通じる面であるが、1990年のいわゆる湾岸戦争以降、ドイツや日本が直目した国際秩序維持のための「国際貢献」論議において、求められたのは資金協力と人的貢献であった。そして両国ともtoo little, too late と酷評する国際的な非難を克服し国際秩序維持のためにどうすれば国の在り方を変えていくことができるか、いかにすれば「普通の国」になれるのかが90年代のテーマであった。

英国の役割はあるのか?
英国の歴史家のティモシー・ガートン・アシュが2012年2月9日のロサンジェルス・タイムスやドイツのシュピーゲル誌に書いている通り、「デメジエール・ドイツ国防大臣は、アングロサクソンがドイツにもっとリーダーシップをとるように要求する場合は、それが普通意味するところはリーダーシップではなくカネなのだと言う。彼は間違っているが、多くのドイツ人が感じるところを正確に反映している」ということになる。ガートン・アシュは続けて「ドイツのエリートはフランスのエリートと違って、欧州においてリーダーシップの役割を果たすことに慣れていない、フランス人はその役割を果たしたいができない、ドイツ人はできるがやりたくない」と指摘し、「それに加えて、ドイツの中途半端な国の規模についての恒常的なジレンマが存在する。キッシンジャーが言うように、ドイツは『欧州には大きすぎ、世界には小さすぎる』ということである」と紹介する。ガートン・アッシュの結論はドイツはやればできる、英国もそれを助けるべきだというものである。正論ではあるが、政治的にはそうならないと筆者には思える。それは、こと、ユーロの問題については金融パワー英国とドイツの考え方は水と油ほど違い、ドイツを助けることはロンドンのシティにとっては致命的な結果をもたらしかねず、国益に真っ向から反するため、英国にとって最大の協力は何もしないことであり、名誉ある孤立を守り、ユーロ諸国がまとまることを邪魔しない(ビナイン・ネグレクト=悪意のない怠慢)ことがベストと考えているように思われる。

決断できない政治の伝統
 「決断できない政治」は日本の専売特許ではない。ドイツも戦前からそのような傾向があり、有名なドイツの公法学者のカール・シュミットが指摘しているように、「政治的活動が始まるところで、政治的ロマン主義は終わる」ということであり、革命的な場合は別としてそうでない普段の政治においてはドイツの政治家の心情である政治的ロマン主義は、決断しないこと、そして他人の決断に従属するという受動性すら持っているとシュミットは見ている。このような政治的伝統がドイツに存在するとすれば、ドイツはこれからも一人でリーダーシップをとることはできない。決断のできる頼りになるパートナーを見つけるしかないが、そのパートナーとして最もふさわしいのは、フランスであろう。フランスの場合は啓蒙主義の影響で様々な価値対立の下でも個人に決断を行わせている。このように決断できないロマン主義のドイツと決断できる啓蒙主義のフランスが協力することこそ、ユーロと欧州を救う道であり、2013年に50周年を迎えるエリゼ条約(独仏協力条約)の精神の下で、独仏がリーダーシップを発揮することができるようになることが期待される。

「ポリティシズム」より「リーガリズム」の国民性
 これは日本と共通する国民的傾向であるが、ドイツにおいては政治よりも司法的な判断が、優先されることが多い。本来は政治が判断し、決めるべきことがすでに紹介したような事情で決められないことが多く、憲法裁判所の判決等の司法的な決定に容易に従うのがドイツ的リーダーシップの現状なのである。アングロサクソンあるいはフランスのように、政治的な決定が優先される政治優先主義(ポリティシズム)ではなく法治優先主義(りーガリズム)の国柄である。すでに連邦議会で審議し可決された条約ですら、憲法裁判所に訴えられた場合は、大統領はその判決が出るまで批准書に署名をしない。たとえば6月29日に連邦議会で可決したユーロ加盟国の財政規律の強化を求める財政協定条約と資金難に陥った国への資金供与を行う欧州安定メカニズム(ESM)のケースがそれであり、反対する連邦議会議員等の訴えで、連邦憲法裁判所で審理が行われ、9月12日に判決が言い渡された。

 この判決を一言でいうならば、条件付き合憲(Ja, aber=Yes, but)判決であり、ガウク独大統領も批准書に署名を行った結果、これでひとまずESMの発足は確実になった。ドイツがストッパーになり、ユーロが不安定化する最悪のケースは脱した。しかし、この判決が付している条件とは、第一にESMにおいてドイツが負担すべき上限の1900億ユーロ(約19兆円)を超える保証を行う場合は、ESMの理事会においてドイツ政府代表の同意が必要であること、第二に、ESM関係者はその守秘義務に拘らず、連邦議会と連邦参議院に包括的に状況説明を行うことである。しかし第一の条件については、今後の状況如何によっては、ドイツの負担は1900億ユーロを優に超えることも予想される。その場合にドイツ政府が議会の同意なしに増額負担の決定をESMにおいてできるかは未知数であり、同意なしに増額に応じれば憲法違反に問われるという袋小路に入り込むことになる。

 日本では憲法解釈については内閣法制局が憲法裁判所の役割を事実上代替している。尖閣への中国漁船の侵入の場合もそうであるが、大きな政治的決断を避けるために小さな法律問題として処理することで、事態を非政治的に、冷静にコントロールしようとするのが、尖閣事案を含む危機管理におけるいつもの日本の処理の仕方である。「法に従って厳粛に処理する」ということは、政治的判断を避けるということとトートロジーであり、ここにカール・シュミットのいう政治的ロマン主義(決められない政治)を日本にも見る思いがする。

4.メルケルの憂鬱は続く

 ドイツとユーロ圏諸国にとって今年の9月から10月にかけてが、1つの山場になるだろう。夏休み明けのメルケル首相はすでに精力的な外交を開始している。8月23日には、オランド仏大統領とベルリンで会談、翌24日にはギリシャのサマラス首相がベルリンを訪問、29日にイタリアのモンティ首相とベルリンでの首脳会談、30日からは訪中、9月6日にはマドリッドでスペインとの首脳会談、同12日には連邦憲法裁判所がESM等の合憲性につき判断、その後10月にかけてトロイカがギリシャについて報告書を出す予定である。スペインとの関係ではECBによる国債の買い入れにつき、9月6日の理事会が、ドイツのヴァイトマン連銀総裁の反対を押し切って(一時辞任を考慮したとの報道もある)、ECBによる国債の無制限購入を条件付きではあるが決定したこともあり、一時ユーロは100円台に回復した。

しかし、ECBによる国債購入の条件は、当該国がESMの救済を要請し、厳しい管理を受けることであり、スペイン政府がそれを要請するかは予断を許さない。かくして引き続き難問山積である。鍵を握るのはメルケル首相であるが、下手な妥協をすれば姉妹政党のCSUや連立与党のFDPから突き上げを食い、今後の法案審議に影響を与えかねない。ユーロをとるかそれとも政権の安定をとるかの厳しい選択を迫られるであろうが、双方を両立させる綱渡りを演じなければならないメルケル首相の悩みは深い。

オランド大統領になってからフランスとの共闘も以前ほど期待できず、仏、西、伊等の「地中海クラブ」の国の結束が強まった結果、ユーロ圏におけるドイツ包囲網は狭まりつつある。だが、ドイツの次回連邦議会選挙(2013年9月)までにはなお1年あるので、選挙をにらんだ内政上の考慮がメルケル首相の政策オプションを狭めるにはまだ早い。ユーロが崩壊すれば政治的にも経済的にも最も困るのはドイツであることは、他のユーロ諸国からも見抜かれており、地中海諸国が結束して当たればドイツは最後は妥協せざるを得ないとみられている。メルケル首相の憂鬱は増すばかりであるが、メルケル首相がレッドラインとしている、ユーロ共同債は債務の自動負担になるのでその点は譲れないであろうが、ドイツの議会が関与できる範囲でESMその他を活用した新しい支援メカニズムにつき妥協ができるギリギリの攻防が今後も繰り広げられていくのではないかと思われる。  (2012年9月17日寄稿)

(参考資料)

欧州支援メカニズム(ファイアー・ウオール)の概要
 第一次ギリシャ支援(1,100億ユーロ)
 欧州金融安定ファシリティ(EFSF)創設
 欧州安定メカニズム(ESM)の前倒し設置(2012年7月)
 欧州中銀の長期資金供給(2011年12月~)
 ESM設立条約、財政協定条約の署名(2012年2~3月)
 第二次ギリシャ支援の決定、ユーロ圏のファイアー・ウオール 
 の強化(2012年3月、EFSFとESMの総融資能力を
 7,000億ユーロ引き上げ。第一次ギリシャ支援等を合計すると
 ファイアー・ウオールの規模は約8,000億ユーロ(1兆ドル超))
 独、仏、伊、スペイン4か国首脳会議で成長促進のために
 1,300億ユーロ(約13兆円)合意(2012年6月22日)

解説(シュピーゲル・オンラインの記事より)
 ESM(欧州安定メカニズム)は、EFSF(欧州金融安定化基金)を引き継ぐ恒久的メカニズムで、2013年半ばまでにEFSFは解消される。ESMは7000億ユーロを原資とするが、トリプルAの格付けを確保するために、5000億ユーロまでの信用供与が行われる。

ユーロ圏17か国は、総額800億ユーロをESMに拠出し、残りの6200億ユーロは、信用保証を供与。ESMが発足すればこれに加えてEFSFの資金の2000億ユーロが使用可能になる。
ESMに対してドイツはECB(欧州中央銀行)の原資参加率の27%を適用して拠出。具体的には、220億ユーロの資本参加と1700億ユーロの信用供与の合計1920億ユーロがドイツの限度ということになる。すでにドイツが同意し、すでにその一部供与が行われているアイルランド、ギリシャ、ポルトガル、スペイン向けのドイツの援助額は3000億ユーロ(約30兆円)を優に超える。

問題は、ユーロ各国がESMの中から支援を行う際の基本方針である。各国はESMの決定に当たり拒否権を持っているか否かということが判然としない。ドイツの財務大臣は、ESMの理事会で、ある国へのESMの支援を決定する前にドイツ連邦議会に報告しなければならないとされている。他方で、法律家はESM理事会加盟国は、EU委員会とECBの勧告により緊急融資は直ちに決定できるとESM設立協定を解釈している。
 不確実性が支配しているのは、ECBによる国際購入と被支援国のESMへの支援要請との連携である。この点に関し、ドラギECB総裁は、9月6日に支援を要する国がまず(EFSFやESM等による)厳しい(緊縮財政の)条件を受け入れて初めてECBはこれらの国の国債購入を行えると述べている。ECBのドイツ人理事のラスムセン氏は支援を受ける国は自ら厳しい改革義務を課する必要があると言っているが、ドラギ総裁によればその義務はそれほど厳しいものでもない。支援を受ける国は、EFSFやECCLと呼ばれる基金の拡大融資計画に参加すればその条件は満たすとされている。また、EU外交筋によればその条件は、EU委員会とすでに合意している予算目標を厳守すると約束さえすればECCLの融資は受けられるとのことである。その場合当該国は2年間にわたり、その国のGDPの10%までの融資額を請求できるとされている。スペインの場合であれば、それは約1150億ユーロとなる。

ドイツの連立与党が心配しているのはESMにおいて確定されているドイツの負担分1900億ユーロを優に超えるのではないかということである。すなわちECBの国債買い付けと支援基金への要請の連携というのは単なる幻想であり、ドラギ総裁は自己抑制を効かせることができないのではないかいう不安がある。事実、イタリアもスペインも更なるコントロールを受けるのは嫌だと公言している。ラホイ首相は「どのような部門で予算を縮減するのかしないのかの指図を受けたくない」と言っているし、モンティ首相は「支援を受ける場合でもトロイカのローマ訪問は行われない」と言っている。