パラグアイから見る南米の風景

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駐パラグアイ大使 神谷 武

本年5月、フェルナンド・ルゴ大統領(当時)が、「パラグアイは三国同盟戦争の敗戦から未だに立ち直れないでいるが、日本は、敗戦からも、度重なる自然災害からも、復興を遂げている。その日本の伝統の力が何処にあるのか知りたい」と、日本などアジア諸国への歴訪を前に、その思いを述べていたことがある。

 三国同盟戦争とは、1864年から1870年まで、パラグアイがブラジル、ウルグアイ、アルゼンチンの三国同盟との間に戦った熾烈な戦争であり、この戦争により、パラグアイは、国軍が全滅、領土の大きな部分を失い、人口は、1/3、男性人口は、1/10に減じ、国力は衰退した。その後、140年余を経た今も、その影響があると言うのである。

 因みに、三国同盟戦争を率いたパラグアイの第2代大統領、フランシスコ・ソラノ・ロペス元帥は、英雄廟に祀られ、その戦死の日(3月1日)は、英雄の日の祝日となり、その名は、大統領公邸や日本大使館などの並ぶ大通りに冠せられている。アスンシオンは、1537年に創設され、17世紀初頭まで、南米南端まで広がるスペインの総督領の中心であった。パラグアイは、1811年に独立宣言を行い、1861年には、アスンシオンから南部のエンカルナシオンまで蒸気機関車が走り、その鉄道は、ブエノスアイレスまで通じるなど、国威を発揚していた。なお、三国同盟戦争では、戦勝国側の消耗も激しく、ブラジルは、奴隷解放から帝政崩壊への道を辿ることとなった。

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大統領官邸(ロペス宮)

 6月、ルゴ大統領(当時)がアジア諸国歴訪から帰国したが、その後、まもなく、「三国同盟戦争」の文字が新聞の見出しに躍ることとなる。
 6月15日、パラグアイにおいて、不法侵入の土地なし住民の警察による強制退去が流血事件に発展し、これを契機に、議会が、ルゴ大統領の任務遂行不手際を理由に、弾劾裁判を行い、22日、圧倒的多数の賛成を以て、大統領罷免の判決が下され、フェデリコ・フランコ副大統領が、大統領に就任する。他の南米諸国は、これを議会によるクーデターであると見、一斉に、パラグアイにおいて民主主義秩序が断絶したと非難した。29日、アルゼンチンにて開催された、南米南部共同市場(MERCOSUR)の首脳会議には、パラグアイの参加が拒否され、MERCOSURの他の加盟国(ブラジル、ウルグアイ、アルゼンチンの3カ国)は、民主主義的秩序が回復するまでの間、MERCOSURのすべての会議へのパラグアイの参加を停止すると宣言した。そして、同時に、2006年の議定書署名以来、パラグアイ1国のみが批准しないために棚上げとなっていたベネズエラのMERCOSURへの正式加盟が、パラグアイの参加停止のまま、他の3カ国により決定された。

 パラグアイは、議会による弾劾裁判と大統領の罷免は、憲法に従った措置であり、民主主義秩序は維持されているとし、3カ国による決定は、MERCOSUR設立条約(アスンシオン条約)及び関連議定書の明白な違反であり、不法、不当と反発したが、他の諸国の認めるところとはならなかった。パラグアイと他の3カ国との間には、電力取引や貿易障壁など種々の問題が燻り続けているが、その対立が一層際立つに至った。そして、マスコミは、これを「三国同盟戦争」の再発と報じた。「歴史は繰り返す」と言うことであろうか。

 ベネズエラのMERCOSUR加盟については、パラグアイでは、ウゴ・チャベス大統領の下での非民主的体制と人権抑圧を問題とする議論が強く、議会での批准手続きが成立しなかったが、逆に、パラグアイが民主主義秩序断絶の烙印を押されることとなったのである。

 南米では、1980年代以降、多くの国が民主的体制に移行するが、新自由主義政策は格差拡大をもたらし、多数の低所得者層を支持基盤とする政権が生まれ、社会主義的傾向が強まることとなる。そして、ベネズエラの石油資源と経済力を背景に、ボリバリズムと21世紀の社会主義の影響が広がってきた。パラグアイにおける2008年のルゴ大統領の下での左派連合政権の成立、それによる61年ぶりの政権交代も、こうした流れに沿うものであった。それだけに、パラグアイ議会による大統領罷免に、ベネズエラを始めとする他の南米諸国が、直ちに、強い反発を示した。

 ベネズエラのMERCOSUR加盟が認められると、MERCOSURは、カリブ海から南米南端のパタゴニアまでの広大な経済ブロックとなるが、その保護主義的傾向は、一層強まるとの見方が多い。これに対して、2011年4月に設立された太平洋同盟は、メキシコ、ペルー、コロンビア、チリによって構成され、より自由な貿易体制を指向している。南米に保護主義圏と自由主義圏が形成され、その間に新たなトリデシリャス・ラインが引かれようとしていると、15世紀のトリデシリャス条約によるポルトガルとスペインの領土分割に擬える論調も見られる。パラグアイには、今回の事態を機に、MERCOSURへの依存を見直し、太平洋同盟諸国への接近を強めようとの動きが出ている。そして、8月23日、パラグアイ議会は、ついに、ベネズエラのMERCOSUR加盟議定書の批准を正式に否決した。

 MERCOSURへのパラグアイの参加停止の決定は、民主主義秩序の回復(即ち、来年4月21日の大統領選挙、議会選挙による新体制成立)までの間の時限的なものであり、経済制裁は加えられず、実体的な経済関係に影響はないとされている。しかし、パラグアイとしては、不法、不当な決定に甘んじることは、国家の主権と尊厳に関わる問題でもあろう。米州機構(OAS)では、対パラグアイ制裁は不成立に終わっている。南米特有の政治の流れの揺れ動く中で、どう折り合いをつけるのか、外交的取り組みが図られようとしている。

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ラパッチョ

 折しも、パラグアイでは、ラパッチョが咲き乱れ、季節は、冬から春に移ろいつつある。
※本稿の内容は、筆者の個人的見解である。
(2012年9月4日寄稿)