日中国交正常化40周年と激動の中国

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               前駐中国大使 宮本 雄二

日中関係に何が起こっているのか
 1972年の秋に日中国交正常化が実現し、今年は40年目に入った。私は、小泉総理時代の国交正常化30周年の時は日本を離れており、よく知らないが、5年前の35周年は、大使として直接関係した。安倍訪中に続き日中関係が再度活気づいた時期だったので、25周年の時と変わらず、相当に盛り上がったことを記憶している。それまでの日中関係の大枠の中で、日中関係を前に進めるべきであり、前に進めることができるのだ、という気持ちが日中双方にあった。そういう気持ちが通じ合う一連の記念行事であり、雰囲気であった。
ところが本年の国交正常化40周年は、どこか違う。とにかく気持ちがお互いに盛り上がらないのである。直接の関係者はいざしらず、それぞれの社会において本気で日中関係を進めようという雰囲気は、どこかに消えてしまっている。
日中の間でもめ事が続き、日中関係が緊張することは、これまでいつもあった。もめ事がない時期の方が珍しいくらいだ。しかし、現在の情況は何か異質なものを感じる。この間、いったい何が起こったのであろうか。あるいは何が顕在化したのであろうか。
 私は、このことと、この40年の間に日本も、中国も、そして何よりも世界が変わり、われわれが大きな変動期に入ったことと関係している気がしてならない。

その象徴的な出来事が、2008年に起きている。一つは、同年9月、アメリカの投資銀行リーマン・ブラザーズの破たんに端を発する世界金融危機である。もう一つが、同年12月、中国の国家海洋局の公船が初めて、尖閣の日本領海を9時間侵犯した事件である。前者は、中国がいち早く経済を回復させたことにより、中国の世界大国としての地位を見せつけ、中国社会も自分自身が真の大国なったと思った。後者は、今日の主流の世代にとっては“他人事”であった歴史や台湾ではなく、自分自身の問題である主権や領土がらみの問題について、それも政府が直接対峙する形に変えてしまった。

私は、その大きな背景として、われわれが大きな変動期に入ったことと関係していると感じている。もちろん私の限られた知見では、現在直面している変化が、第二次世界大戦がもたらした変化を超えるものであるかどうかはわからない。しかし相当に大きな変動が起こっており、それが2008年のリーマンショック以来、われわれの視野に入ってきた気がする。

何が変わったのか?
 本論の主題ではないので結論だけ述べれば、第二次大戦も東西冷戦も、地政学的な抗争ではあったが、最も本質的な部分をとらえて考えれば、価値観ないしイデオロギーの抗争でもあった。少なくとも価値観ないしイデオロギーを口にしなければ戦えない時代となった。そして自由民主主義(リベラル・デモクラシー)が勝利し主流の座を確保した。さらに第二次大戦後、アメリカの圧倒的軍事力が平和をもたらす、いわゆるパクス・アメリカーナの時代を迎え、東西冷戦時代は東側ブロックを除いた残りの世界が、またソ連崩壊後は全ての世界が、世界経済の一体化、つまり経済のグローバリゼーションの大波にのみこまれた。

このような背景の下で、今日、われわれが知覚する世界全体を覆う地殻変動的なものの中心に、中国が位置していることは間違いないと皆、感じている。ここで問われるべき本質的な問題は、一つは、はたして「中国の台頭」が、第二次大戦や東西冷戦を経て世界秩序の基本となったもの、すなわちリベラル・デモクラシーや経済のグローバリゼーションに対しどのような変化をもたらすかどうか、という点であろう。もう一つは、地政学的に中国がアメリカの地位にどこまで挑戦できるかという点にある。

結論的に言えば、前者に関していえば、私は、中国はかなりの間、世界の基本秩序の部分的修正は求めることはあっても根本的変化を迫ることはないだろうとみている。なぜなら、経済について言えば、中国が経済のグローバル化から最大の利益を得た国であり、既存の枠組みの修正は部分的なものにとどまらざるをえない。また価値観についても、リベラル・デモクラシーは、今日においては人類の“普遍的”な価値を代表しているのであり、その基礎の上にさらに発展させる可能性はあっても、それと全く異質のものが人類の普遍的な価値になるとは、考えにくい。

それでも「中国の台頭」は、これまでのアメリカを中心としてきた世界の構造を、少しずつ重心を中国に移す形で変えようとしている。つまり後者の論点である、地政学的なバランスの変化である。それが中国のアメリカへの挑戦ということになるのかどうかは、正直分からない。私は、中国がかかえている国内問題の深刻さ、中国の経済成長が必ず限界を迎えるという事実、またアメリカ社会の懐の深さやアメリカの軍事力のもつ先進性、を考えるとき、中国がアメリカに正面切って挑戦する可能性は、あまり大きくない気がしている。

このように「中国の台頭」は、文明史的なロジックとしては大きな限界を抱えている。アメリカに対しても、それにとってかわるほどの力はない。だが、中国は巨大である。その巨大な中国が、自分たちの価値観ないし理念、つまり何に導かれ何をやりたいのかということが探し出せず、漂っている。このことが、とりわけ中国と地理的に近い日本との関係に大きな影響を及ぼさざるをえないし、実は日本を含む世界にとっての、現時点における最大の挑戦ではないだろうか。

中国共産党は、形式的には、マルクス・レーニン主義、毛沢東思想、鄧小平理論の政党ということになっており、“中国の特色ある”社会主義をめざしている。マルクス・レーニン主義は、哲学も歴史観も著しく西洋的である。ところが毛沢東思想も鄧小平理論も、この西洋的なものを放棄していないどころか、むしろそれを基本に置いている。そのような毛沢東思想や鄧小平理論が、今度は“中国の特色”を出す上で大きな貢献をしたことになっているのだ。そして、中国の伝統的な価値観の居場所は、中国共産党の理論体系の中においてまだ定まっていない。こうなると価値観や理念という面で“中国の特色”が何であるのか、曖昧にならざるを得ない。中国が漂う大きな理由の一つである。

中国の変化と不確実性の増大
中国が漂うもう一つの大きな理由は、中国の急激な変化と、それがもたらす不確実性にある。
急激な変化の帰結として、中国は、ますます複雑で管理の難しい国になってきたと思う。社会全体が、“走りながら”考えている。しかも短距離のスピードで中距離を走っている。制度も、それを運用する人材も、そしてそれを支える考え方自体が、中途半端にならざるを得ないことになる。あまりに速すぎるのである。
おかげで中国共産党は、国内問題に対処するのに膨大なエネルギーを割かざるを得なくなっている。社会の価値観が多様化し、社会が自己主張を始めると、中国共産党は、それに対応せざるを得ない。その結果が、“社会の安定”を確保するために、「科学的発展観」に基づき人間を中心に据え(以人為本)、協調し睦み合う社会(和諧社会)を作り上げる、という政策である。

しかし、この動きは緒に就いたばかりであり、定着するには程遠い状態にある。「和諧社会」に対する挑戦は各方面からくる。江沢民が「三つの代表」論で資本家をも共産党員にした結果、中国共産党は、要するに社会の構成員全員を代表する政党ということになった。多様な構成員の多様な利益を調整して全員を満足させなければならなくなったのだが、それは実際上至難の業である。しかも「和諧社会」は平等を求めるが、 それは中国共産党の国家運営のもう一つの絶対的要求である“経済成長”と矛盾する。“経済成長”は、平等よりも競争を重視し、結果は不平等だからだ。「和諧社会」は“経済成長”の要求と常に妥協を強いられているのである。

これを突き詰めれば、鄧小平理論の限界でもある。鄧小平は、生産力の増強を主題とする経済の現段階を「社会主義初級段階」と名づけた。最終目標は、共産主義の理想社会であり、人々は能力に応じて働き、必要に応じて受け取る。それには生産力の増強が不可欠であり、だから「社会主義初級段階」をやらざるを得ず、生産力の増強という目標を達成するためには、そのやり方を資本主義から学んでも、何の差支えもない、ということにした。

ところが鄧小平によれば、この「初級段階」の期間は100年以上もかかるというのだ。このように鄧小平は、100年以上先の理想や理念は語ったが、現在を生きる社会の理想と理念は語っていない。つまり中国共産党は、現在および近い将来の、自分自身の国内社会の価値観や理念をもっておらず、それは未完成のままなのである。
それ以外の、たとえば世界の将来像、つまり世界をどう持っていくかについては、さらに遠い目標となる。胡錦濤は“和諧世界”を口にしたことがある。これも鄧小平理論の延長線上の、至極まともな結論である。ところが、中国国内のナショナリズムや愛国主義は、対外強硬姿勢を求め、この傾向は、2008年以来強まっており、しかも国内の「安定」に影響を与えるまでになった。“和諧世界”は、ナショナリズムとの間に厳しい緊張関係を強いられており、その中身は、いまだに十分な発展を見せてはいない。現時点をとれば、中国に世界全体のことを必死になって考える余裕は、まだないように見受けられる。

その結果、“台頭した中国”は、世界の中で自分自身をどのように位置づけ、どのような将来世界を構想し、そのために何をしようとしているのかが、全く見えてこないのだ。本年7月12日のニューヨークタイムズに、中国の国家安全部系のシンクタンクである中国現代国際関係研究院の Zhao Minghao の、中国の「力」のもたらす難しさに関する意見が掲載されている( The Predicaments of Chinese Power)。中国の知識分子の苦難は続くということである。

さらに言えば“ものを言う国民”と“雰囲気の支配する社会”の登場である。理性的に考えれば、中国にとっても『日中戦略的互恵関係』しかいない(詳細については、拙著「これから、中国とどう付き合うか」を参照願いたい)。しかし日中間で問題が頻出すると、中国においても日中関係の重要性を説く理性的な結論を口に出せなくなる社会の雰囲気は、日ごとに強まっている。

その背景に国民社会の不満の蓄積がある。7月28日、久しぶりに中国のネットを2時間ほどのぞいてみた。2時間で一つの書き込み場所の4時間分の書き込みしか読めないので、ネットをフォローすることはとうの昔に諦めている。だが、それでも社会の瞬間的な雰囲気は分かる。国民の社会に対する不満、党や政府に対する不満が大きいことは読んでいてすぐに気が付く。

中国において中国共産党と国民、党指導者と国民との力関係において、国民に有利な方向に確実に進んでいる。その中国において、党に国民社会を引っ張る確固とした理念と理想はなく、国民社会も価値観の多様化と多元化に悩んでいる。中国は漂っているのである。

変化する日中関係
中国が大きく変化した間に日本社会も変わった。日中両国が変化の途中にあることが、日中関係をさらに分かりづらいものにしている。世界そのものが変化してきている中で、力関係が日本に有利な時代から、日本に不利な時代に変わってきているのである。この力関係の変化のなかで、日本社会は中国をどう位置付けたらいいのか分からずにいる。情けをかけて助けてやる相手なのか、平等のパートナーなのか、恐るべき敵対者なのか、決めかねている。この相手の位置づけ、つまり相互位相の点で、日本も漂い始めた。

理性的に考えれば、私は日本にとっても『日中戦略的互恵関係』しかないと考えている。ところが、もともと日本は“雰囲気の支配する社会”である。日本においても中国を理性的に眺め、語ることが、ますます難しくなってきている。そして日本においても国民感情や「世論」(「輿論」ではない)が、外交を牛耳る時代が来ているのだ。

日中国交正常化は、基本的には台湾問題を処理するものであった。それでも台湾問題は、いつも日中間の火種として残った。90年代の台湾の民主化と、李登輝、陳水扁の登場で中台関係は著しく緊張したが、「中国は一つ」を唱える台湾国民党の馬英九政権の登場で、事態は比較的沈静化した。民進党が天下を取るには、その大陸政策を調整する必要があるというのが、台湾のコンセンサスだ。当面、台湾問題はローキーで推移するであろう。

歴史認識問題は、80年代初めの「第1次教科書問題」で表面化し、小泉総理の靖国参拝問題で、最高潮に達した。中国共産党指導部は、小泉時代の経験を踏まえ、日本側が問題を起こし、中国側が対応を迫られる場合を除き、歴史認識問題は基本的には解決済みということにした。だが「南京で虐殺はなかった」などという発言が、日本で飛び出し報道されると、それはネットが普及した中国社会の雰囲気を変える。

中国では、依然として「愛国主義教育」(決して反日を主目的にしたものではない)の手綱は緩めてはいない。複雑化し、価値観が多様化している今日の中国社会において、社会の求心力を維持する方法は多くはない。その一つとしてナショナリズムは捨てがたい手段となっている。「愛国主義教育」の一環として、日々、抗日のテレビ番組や映画が流し続けられている。結果として、中国人の日本と日本人を見る目は自然と厳しくなる。「80后」、「90后」と呼ばれる若い世代の間の反日感情が特に強いといわれることが、そのことを示している。

党中央が、一方で『日中戦略的互恵関係』の強化を求め、もう一方の宣伝工作で日本と日本人のイメージを悪化させているのは、明確な政策の矛盾である。私は、中国が真に『日中戦略的互恵関係』の構築を望んでいるかどうかは、抗日戦争のテレビや映画の放映の度合いで判断できると考えている。

日中の尖閣諸島をめぐる問題は、最近とみに重要性を増してきている。この問題は、日中間の緊迫した課題となっているし、さらに言えば南シナ海の諸問題とともに、中国が世界との関係をどうしようとしているかを判断する重要なテスト・ケースとなってきているからである。
中国が海洋に対する関心を強めたのは、中国が国連海洋法条約の研究を始めてからではないだろうか。そのことを通じ、資源や安全保障にとって海洋の持つ重大な意味を理解し始めたのであろう。1992年に『領海法』を制定し、尖閣を中国領と明記した。その後、海洋に関する中国の法令と体制の整備は進んでいく。中国共産党の制度化が進んだように、中国政府の制度化も進んだのだ。そのことは、とりもなおさず管轄する組織や機構が、マニュアル通りに事務を進める仕組みが出来上がったことを意味する。

このような大きな変化の中で、どちらが先に始めたとはあえて言わないが、尖閣の実効支配を強めるそれぞれの動きが、確実にエスカレートし始めている。そして、それらの動きは、それぞれの法体制の下ではすべて正しいのである。2008年、尖閣問題が質的な転換を遂げ、両国政府を対立と衝突に導く新たな段階に入ったことは、すでに述べた。
かくして“領土問題は棚上げして共同開発”という鄧小平の大政策でさえ、中国において挑戦を受けることになった。なぜなら、その背景には中国の大国化に伴う、ナショナリズムが存在するからである。歴史問題とともに領土がらみの問題は、簡単に国民感情を刺激するからだ。

私は、尖閣をめぐる日中の問題は、安全保障の問題とも絡んで、日中の最大の争点に浮上したと思っている。この問題は、今や、一方の対抗措置が、もう一方の対抗措置を呼び込む新たなサイクルに入っている。論理的な行き着く先は海上自衛隊と中国海軍の登場である。
『日中戦略的互恵関係』に代表される複合的で重層的な両国の国益を考えれば、個別具体的な事案により日中の基本的関係を損なういかなる行為も、結果的には日本だけではなく中国の国益をも大きく損なう。それはアジアのみならず世界にとっても大きなマイナスとなる。そういう時代にわれわれは生きているのだ。

日本の基本的立場を守り、かつこの地域の平和と安定を担保する仕組みを作り上げるのが、政治と外交の本来の仕事である。中国においても全く同じことだ。そのためにはこの問題を念頭に置きつつ、広くこの地域の海洋に関する問題を話し合う必要がある。昨年12月の野田総理の訪中時に合意された『海洋に関する日中協議』が正式に始まったことは同慶の至りだ。

さらに言えば、この問題を日中の全般的な危機管理メカニズムの中に位置づける必要がある。この全般的な危機管理メカニズムは、4つの構成部分からなる。1つは、漁船の操業に係わる危機管理の仕組みである。2つ目は、法執行機関同士、軍同士の緊急連絡体制の整備である。3つ目は、尖閣がらみの諸問題を危機管理としてとらえ、問題を悪化させない、周辺化させるためのメカニズムである。そして4つ目が、日中の意思疎通の強化であり、そのための非公式チャネルの強化である。

だが日中双方ともに、この問題をいかなる形で処理しようとも、そのためには、構想力とともに強力な政治の指導力が必要なことだけははっきりしている。またそれらが発揮されるべき時期は、そう遠いものであってはならないと強く感じている。
この具体的案件処理の局面でも、中国がどういう理念と価値観を持つ世界を作り、その中でどういう役割を果たそうとしているのか、という根本的な問題と深くかかわっていることがわかる。同時に日本自身、どのような東アジア秩序を作ろうとしているのかについて、さらに掘り下げた思考を避けて通ることはできない。国家のあり方、安全保障観等々、日本自身、社会の大きなコンセンサスを作る必要があることを痛感している。日本の宿題も大きいのである。

過渡期にある日中関係をどう導くか
 変動期にある世界。薄希来事件で見えてきた中国指導部内の亀裂。行方定まらぬ日本の政局。そして悪化する両国の国民感情。そのなかで中国の軍事力は、ますます存在感を強めている。それに呼応するかのように、日米の同盟関係も強化されている。これに領土がらみの問題がからまり、日中双方において相手の敵性度は高まっていると認識され始めた。
だが、果たしてそうなのだろうか。われわれが『日中戦略的互恵関係』の中で認定したわれわれの多くの巨大な『国益』は、もう消えてなくなったのだろうか。そういうことはない!それらの『国益』は、依然として牢固として存在している。

中国は突然変貌を遂げ、外に向かって自己主張をし、自分の利益を飽くことなく赤裸々に追及する国になったのであろうか。そうではない!中国は自分自身を探しあぐね、自分の問題に悪戦苦闘し、時に外に対し強硬に出ているにすぎない。
日本は、無能なか弱い国となり、国際関係においても周辺化され、影響力のない国に成り下がったのであろうか。そうではない!日本は依然とし大国であり、世界に好影響を与え続ける国である。

 われわれは、この原点を踏まえて、『日中戦略的互恵関係』の強化に取り組む必要がある。同時に『日中戦略的互恵関係』の唯一の弱点である、安全保障問題が突き付ける課題を克服する思想とメカニズムを構築する必要がある。それにはアメリカの参画が必要にして不可欠である。日米中で、この地域の安全保障問題を考え、新たなメカニズム構築に向けて知恵を出し、汗をかく時代は、すでに到来している。 (了) (2012年7月31日寄稿)

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