共に歩む地震兄弟国、日本とチリ

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前駐チリ大使 林 渉

はじめに
中南米の優等生と呼ばれるチリはこの地域では政治的、経済的に最も安定した国と言って良い。治安もよい。今やOECDメンバー国である。また、日本とは1世紀以上の友好関係にあり、これといった懸案もない。強いて挙げれば日本の調査捕鯨に明確に反対していることぐらいである。他方、日本とチリのネガティブな類似点の一つとして両国とも地震・津波の多発国であることが挙げられる。この50年だけでも1960年に東北地方を襲ったチリ津波を始め両国を巻き込んだ地震と津波が多数発生している。在勤中にも両国で大地震が発生し、津波が多くの人々の命を奪った。チリで経験したこと、感じたことを略述したい。

1. 中南米の優等生チリ
(安定した政治経済情勢)
南米の優等生として引き合いに出されるのは常にチリである。ピノチェット時代の人権抑圧という暗いイメージが完全に払拭されたわけではないが、安定した政治経済情勢、汚職の少なさ、透明度の高さ、治安の良さなど、確かに優等生と言われるにふさわしいというのが実感である。アメリカにとりチリは特に経済的に重要というわけではないが、中南米における民主主義のモデル国という意味で重要国と位置付けられており、米国にとってもチリは優等生である。ピノチェット後の中道左派政権が20年続いた後、2010年3月に中道右派の現ピニエラ大統領にバトンタッチされたが、本質的な政策の相違点は見いだせなかった。2010年の建国200周年記念式典にピノチェット後の5人の大統領がそろい踏みしていたのは圧巻であった。

チリの経済は発展しており、2011年の経済成長率は6%で、2012年は4~5%程度と予想されている。好調な経済の背景には一貫した市場重視の開放的な自由主義経済政策がある。銅価格が基本的に高めに推移しているのが強みである。しかしこのことは、銅への依存度が高いという脆弱性も示している。

「安くて良いものを世界から」という貿易開放政策は、奇しくも2010年に世界の注目を浴びた33名の鉱山労働者の救出にも貢献したと思う。ピニエラ大統領は、救出に最も効果的な機器や技術を世界中から調達した旨述べたが、日頃の実践がものをいったと言える。例えば、同僚オーストリア大使によれば、テレビ画面によく映っていた大きな滑車と救出用カプセルを吊るすワイヤーは、ケーブルカーの機器や技術に優れているオーストリアのものである。救出劇を実況で見ることが出来たのは日本の技術のおかげである、とチリの新聞が書いた。
前々任地コロンビアも、そのネガティブなイメージにかかわらず優等生になる素質は十分備えていると思うが、治安問題(最近の改善は目覚ましいが)の他にも透明性などにやや疑問符が付くし、インフラの整備状況でもまだかなり差をつけられている。チリとコロンビアは補完的に発展していける関係にある。互いに貿易や投資が盛んであるのみならず、コロンビアはチリから合理性、透明性、計画性等を学んで発展に役立てることができるし、チリはコロンビア人の親切さ、サービス精神、文化の香り、情熱等を感じ取って生活を更に豊かにすることができよう。最近注目を浴びている太平洋同盟(チリ、コロンビア、ペルー、メキシコ)にあってこの両国は指導的役割を演じており、今後の展開が楽しみである。

(治安の良さ)
優等生的要素の中でも特筆すべきは治安の良さである。行きたいところには特別の安全対策なしでどこへでも行ける。ただ、一般犯罪は結構起きる。日本よりずっと多いのは勿論、コロンビアよりむしろ多い印象である。従って十分注意する必要があるのは他の国と変わらないが、誘拐は無に等しい。コロンビアでは防弾車に乗り、かなりの人数の警護がついてくれたが、チリではかかる治安対策は全くのゼロであった。私用車で自由に行動できた。象徴的だと思ったのはアメリカ大使ですら私用車を一人で運転していることがあったということである。コロンビアでは想像だにできない。

(それでも残る貧富の差とその問題)
このような優等生チリではあるが、他の殆どの中南米諸国と同様に貧富の差は大きく、社会問題の背景をなしている。確かに大きなスラム地域は見かけないし、極貧の割合は低く、全体が底上げされているが、格差の程度は南米諸国の中でも大きい方で、感じとしてはコロンビアよりむしろ大きい。また、人口の40%が集中する首都サンチャゴと地方の格差も大きい。サンチャゴの近代的な高層ビル街やよく整った高級住宅街に比べ、地方は一部の観光地を除き一昔前の様相である。2010年のチリ大地震の際、震源地に近く被害が最も大きかったコンセプション市などで略奪行為が発生したが、その背景には貧富の差に対する日頃の不満があると言われる。

大きな貧富の差がもたらしている最大の今日的課題は大学教育をめぐる問題である。あの優等生のチリがどうして、と思ってしまうほどの乱闘シーンがテレビで盛んに報じられていた。教育改革を求めてデモ活動、破壊活動をする大学生・高校生と警察との間で繰り広げられる光景である。チリにおける大学教育費は高いといわれる。豊かな家庭にとっては何の問題もなかろうが、チリの大学生の7割はそれぞれの家庭で初めて大学進学を果たした子弟と言われている。このことはチリでは大学教育が急速に普及したことを意味し、それ自体は賞賛すべきことであるが、他方では多くの家庭が高い教育費を追加的に支出する余力に乏しく、奨学金に頼ることとなる。チリではこの奨学金貸付がいわばビジネスで、銀行が奨学金を貸し付け、年率6%で回収する。めでたく卒業して高給にありつければ問題ないが、現実はそういかないケースも多い。年率6%の利子を含む奨学金の取り立てが深刻な社会問題を引き起こしている。学生を中心に教育改革を求める人々は、教育を収益活動の対象とするのは許せない、政府は教育を市場経済に任せるべきでなく大学教育を無償化せよなどと主張している。この問題解決の見通しは未だ立っていない。中南米の優等生チリが名実ともに優等生国家として質的にレベルアップするためには、この教育問題の克服、ひいては貧富の格差問題への対処は避けて通れない課題であり、近隣国もチリの対応ぶりを注目している。

1. 恒久的な友好関係
(日本海海戦をめぐるエピソード)
日智関係を語るとき、ほぼ必ず言及されるのが日露戦争における日本海海戦で活躍した巡洋艦和泉である。チリ海軍は、19世紀後半の南米での太平洋戦争(チリ対ペルー・ボリヴィア)で失ったエメラルド2世号の後継艦を英国に発注し、エメラルド3世号とした。チリ海軍が10年ほど使用した後、日本海軍のたっての要請に応じ売却し、日本で和泉と命名された。和泉は信濃丸がバルチック艦隊を最初に見つけたあと同艦隊をフォローし続け、その勢力、陣形、進路などを詳細に東郷提督に報告して日本の勝利に多大の貢献をしたとされる。東郷提督は同巡洋艦の働きを大いに讃えるとともにチリ海軍に感謝状を贈っている。「坂の上の雲」では残念ながら和泉とチリとの関係は記されていないが、このエピソードを知れば日本人はチリに対し友情を感じること間違いないであろう。東郷提督はチリにおいても偉大な提督と評価されている。日智両国が恒久的友好関係にあると思う歴史的所以である。

(日智関係の「顔」)
今日の日智関係にある程度関心を有する人であれば必ず思い浮かべるのがチリ随一の鉄鋼会社CAPの会長アンドラーカ氏である。同氏は日本の某大手商社と40年を超える緊密な付き合いがあり、日本を80回以上訪問している。いわばパーマネントな「日本大使」みたいな人であり、同氏を知らずして日智関係を語るのはモグリと言って良い。着任後間もなく、日智関係における人脈の強さとその効力を思い知ったのは日智EPA発効のためのチリ側手続きに関連してのことであった。チリ国会による日智EPAの承認が議事日程等の関係でなかなか進まず、バチェレ大統領訪日時における発効が風前の灯になった最後の最後でアンドラーカ氏は猛然とロビーイングを行い、その他の協力者のおかげも有り上院はわずか1日でこれを承認した。バチェレ大統領自身が「最善を尽くすが大変難しい」と筆者に述べていた案件であった。更に憲法裁判所の承認も必要ということとなり、もはや間に合わないと思われるに至った際も、同氏による旧知の憲法裁判所長官への働きかけが奏功し(筆者はそう信じている)、数時間で承認手続きを終えることが出来た。このような迅速さは前代未聞と聞いている。

(日本は好感度ナンバーワンの国)
2008年6月、国際捕鯨委員会(IWC)総会がサンチャゴで開催された際には、我が国による調査捕鯨への反対キャンペーンが活発に行われ、大使館や公邸にもデモ隊が押し寄せる状況であった。たまたまその時期に、チリ人に対し諸外国への好感度調査が行われ、調査捕鯨反対キャンペーンのネガティブな影響が懸念されたが、日本はドイツと並んで好感度ナンバーワンの国であったことは特筆に値しよう。

(補完的経済関係)
日本とチリの貿易バランスは圧倒的な日本の入超であり、日本はチリの最良のお得意様といったところである。日本とチリは輸出入品目の観点から、また季節的にも補完的関係にある。今や中国がチリの貿易相手国としては断然一位を占め、韓国も日本に迫っているが、アジアからの対チリ直接投資では日本からの投資が抜きん出ている。その大半は銅鉱山の開発関係であり、日本にとっての銅輸入に占めるチリの重要性を物語る。チリの安定性、治安の良さ、透明性の高さ等から、日本の企業関係者は異口同音にチリの投資環境の良さを高く評価し、特に2007年9月のEPA発効後、日本からの対チリ直接投資は大きく増加している。

3. 地震兄弟国
(2010年のチリ大地震)
20年続いた中道左派政権からピニエラ大統領率いる中道右派政権への交代を間近 に控えた2月27日の深夜、サンチャゴの南500キロのコンセプション市付近を震源とするマグニチュード9.2の大地震が発生、その後大きな津波が沿岸部を襲い600人以上が犠牲となった。日本はすぐに緊急医療チームを派遣することとしたが、チリ側の受け入れ態勢が整わず、結局医療支援ニーズの調査を主たる目的として活動した。鳩山首相(当時)からバチェレ大統領への見舞いの電話で、自らも医師である同大統領から要請のあった病院建設を支援することとなった。緊急支援物資・資器材供与の他、地震被害の評価ミッション等々、数多くの専門家が日本から派遣されるとともに、チリからも早期警報システムの構築を念頭にミッションが訪日する等、様々な技術協力が実施された。

また同じ地震国として、被災者の気持ちがよく分かる我が国の国民からは、チリとビジネス上の関係を有する日系企業を中心に多額の義捐金が寄せられるとともに、個人ベースやNGOによる支援活動も活発になされ、日本は最大支援国のひとつであった。   特記すべき協力プロジェクトの一つとして学校の児童生徒のための防災教育プロジェクトが挙げられる。これは、すでに日本語では作成されていた「津波は怖い」の教本をチリでの津波被害の写真とともにスペイン語で出版するものであった。右教本はコンセプション大学の地震・津波専門家等の協力も得て2011年の初めには完成した。

(東日本大震災)
2011年3月11日に、上記「津波は怖い」教本の出版式がコンセプション市で開催されることになり、筆者は前日から同市のホテルに宿泊していた。11日の午前3時頃、同じく出張していた館員から連絡があり、日本は大変なことになっていると言うではないか。あわててテレビをつけると、まるでSF映画のような光景が飛び込んできた。チリ時間では1年ばかり前のチリ大地震とほぼ同時刻に発生した東日本の巨大地震とそれによる巨大津波であった。それ以降はサンチャゴの我が方大使館との連絡、チリ政府要人や各国の同僚大使からの見舞いの電話への対応に追われた。そして、チリの各放送局が東日本大震災の津波の模様をテレビで流し続ける中、チリ報道関係者も多数出席して出版式は実施された。かくして「津波は怖い」の教本はこれ以上ない注目を浴びることとなったが、出席したJICA所長や筆者としては非常に複雑な気持であった。

前年のチリ大地震の際に多大の支援をしてくれた日本国民に対し少しでも恩返しをしたいとの強い気持ちから、原子力発電所の重大事故を含む激烈な東日本大震災の被災者支援のため、チリ官民の間で様々な支援活動が展開された。

(絆の強化)
地震・津波そのものは決して歓迎されるものでないが、日本とチリとは互いに地震・津波の被災国として痛みを分かち合い、助け合うことを通じて絆を更に強めることができる言わば地震兄弟国の関係にある。例えばチリからは既に1960年のチリ大津波の主たる被災地の一つである現在の南三陸町に対し、見舞いとして約6メートルのモアイ像とコンドルの彫刻が贈られチリ広場となっていた。今般の東日本大震災でこのモアイ像は頭部が破壊され、コンドルは「飛んで行って」帰ってきていない。そこでチリ側は緊急支援物資の供与に加え、南三陸町を再び重点的に支援することとし、新たなモアイ像の贈呈や学校支援プロジェクトを進めている。南三陸町での支援活動において中心的役割を演じているのが前述の日智関係の[顔]であるアンドラーカ氏である。

この他、地球規模問題対処のための技術協力として今後4年間にわたり「津波に強い地域づくり」を主たる目標にするプロジェクトが実施されることとなった。このプロジェクトでは被災コミュニティーの単なる復興ではなく、省エネや環境にやさしい地域づくりもテーマになることが期待される。昨年8月には既述の日本の支援になる病院の完成式典が大統領夫妻の出席のもと開催され、町中が日本への感謝の言葉と日の丸の旗で埋めつくされた。式典の模様はチリの全国紙でこれまでになく大々的に報じられた。

4.更なる関係緊密化に向けて
優等生チリとの関係は、放っておいても発展していくだろうとの思いもあってか注意を引きにくいという、ある意味贅沢な悩みがある。特に2007年9月の日智EPA発効以降は日本との経済関係強化のための新たな枠組み協定のようなものは成立していない。この間、近隣のコロンビアやペルーではいくつかの条約が進展しており、日本との関係で良い意味での競争がチリとこれらの国の間で高まっていると言えよう。そういった中、日本と「太平洋同盟」との関係強化という観点からも、経済的な日本とのバイ関係で先行してきた日智関係を更なる高みに持って行きたいものである。

その意味で、一つには日本の企業関係者の強い要望があり、チリ側もこれを欲している租税条約の締結が両国間の経済関係をさらに強めることは確実であり、ポストEPAの目玉として実現を期待したい。二つ目として、日本とチリの間では既に天文学や医学の分野で本格的な協力活動が行われているとともに、環境、エネルギー、防災・減災の分野でも更なる協力が期待できる。経済が発展しているチリでは、これらの協力をもはや政府間の技術協力に留めるのではなく、日本企業のビジネスチャンスに繋げるべきである。そのためにも両国間で科学技術協力の枠組みを作り、ビジネスチャンスをも念頭に置いた戦略的アプローチが肝要と考える。三つ目に留学生事業を含む人的交流の重要性は強調しすぎることはない。特にチリでは、グローバル時代を見据えて銅モノカルチャーではない国家建設の必要性を唱える識者の意見を取り入れ、建国200周年事業の一つとしてBecas Chleという奨学金制度が設けられた。この制度の下、主に理科系の分野で毎年数千人のチリ人研究者や大学院生を先進国に派遣しているので、日智両国でその有効活用を図らない手はない。日本がこの制度をどう活用できるかは、日本の大学の国際化が声高に叫ばれる中での試金石の一つに思える。(了)(2012年7月26日寄稿)