第5弾 アルゼンチンーその光と影

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前駐アルゼンチン大使  石田 仁宏

アルゼンチンという国名を聞いた時、皆さんはどのようなイメージを想い浮かべられるだろうか。サッカーの強豪でタンゴの盛んな南米の国というのが大方の反応だろうと思う。もう少しこの国に馴染み付き合いのある人は、日本とかなり古くから関係を有し、日本人移住者の数も相当多数に上る友好国であるが、近年は、融資したお金の返済が行われず、日本を含む債権国との関係が滞っている国ということを付け加えられるかも知れない。私は今年2月までほぼ4年間在勤した。だが、アルゼンチン勤務を命じられた時点での自分の認識も、凡そ皆様の抱く認識と大差はなかったといっていい。スペイン語を専門とし、本省、在外とも中南米地域を主たる仕事の対象としてきた身として、内心忸怩たる思いがあるとはいえ、それが偽らざるところである。それだけアルゼンチンは、日本と日本人にとって遠くて遠い国であるということかも知れない。本稿では、勤務を通じて得た印象をお伝えする事により、少しでも皆様にとってアルゼンチンが身近に感じられ、遠いけれど近い国と思って頂ければ幸いである。

長く友好的な両国関係
 1898年に締結された「修好通商条約」以来、我が国とアルゼンチンは110年以上の長きにわたり友好関係を維持してきている。加えて1907年に日本人の同国への集団移住が開始してからでも、既に1世紀を超える歳月が流れている。この間、日露戦争時、アルゼンチンは自国がイタリアに発注していた2隻の軍艦を我が国に有償譲渡し、それが「日進」「春日」と命名され、ロシアのバルチック艦隊との日本海海戦で活躍して日本の勝利に貢献したこと、また、第二次大戦後、物資欠乏に苦しむ我が国に、エバ・ペロン大統領夫人が救援物資を満載した船を派遣したこと等両国間の友好関係を示すエピソードも少なくない。

アルゼンチンはその当時(その後も日本が高度成長を達成するまでは)経済的に我が国を上回る豊かさを享受していたことから、我が国に対し寛大な措置をとったこともあろう。しかし、それ以上に両国の間に培われた友好の情がそれらの措置の根底にあったと考える。そして、同国に在住する日系人の存在が、「友好の情」を築く重要な要素であったことを、私は、在任中のアルゼンチン要人の言葉から、また、日系人の方々の色々な活動から身をもって実感した次第である。

1. 恵まれた国アルゼンチン
このアルゼンチンは色々な面で恵まれた国である。我が国の7.5倍の広大で肥沃な国土を有し、南極に近い南部を除けば、気候も温暖である。ブエノスアイレス州を含む中央部の肥沃で平坦な穀倉・牧畜地帯であるラ・パンパ地域だけで、日本の1.6倍の面積がある。極端な話、種を播いて放っておけば作物は実るし、牛は、その辺の草を食べて育つと言っても過言ではない。時々、干ばつに見舞われて穀物、家畜に多大の被害をもたらすことはあるけれども、台風、大雨、大雪、冷害、水不足等々、季節毎に日々生産管理に気を使わなければならない我が国に比べれば、その気苦労には雲泥の差があるであろう。事実、このような利点を生かし、アルゼンチンは、大豆、トウモロコシ、小麦等穀物の大生産国、大輸出国である。また、その生産力には十分な余力がある。このことから、アルゼンチンは、将来世界の人口が増加し食糧不足が懸念される際に、供給力のある国の一つとして言及されている。

 鉱物資源にも恵まれている。 銅、金、銀、鉛、亜鉛等が産出され、石油、天然ガスも生産されている。尤も、前述の通り、農業大国で輸出競争力があり、それだけで経済を支え外貨の太宗を稼ぐ事ができるため、鉱業に関心が向けられたのは1990年代中頃と比較的日が浅く、従って、探査、開発とも未だ十分には行われていない状況である。政府はこの分野のみならず工業、インフラなど様々な分野での投資不足を認識し、経済界・財界に投資を呼び掛けているものの、政府の経済・物価政策に対する信頼感の不足等の要素もあり、効果を挙げるには至っていない。それでも現状でかなりの資源大国振りであり、探査が十分になされれば、隣国チリ、ボリビアとの地理学的近似性に照らし、鉱産物の埋蔵量に大幅な上積みがあっても不思議ではない。因みに、アルゼンチンは、近年注目を浴びているリチウムについてもチリ、ボリビアと並んで主要な保有国であり、最近我が国の企業がその開発権を獲得したことは記憶に新しいところである。

 自分の国が恵まれているということは、アルゼンチン人自身よく認識している。私は着任直後外務大臣にお会いした際、次のようなエピソードを教えられた。いわく「アルゼンチンは、広大で肥沃な領土、温暖な気候、豊かな農産物・牧畜資源を神様から授けられた。ただ、神様は公平の見地からアルゼンチンに恵を与えなかったものが一つある。それは、アルゼンチン人である」。その後も在勤中、アルゼンチンの方から何度かこの話をきいたことから、これは、相当知られた、アルゼンチン人の好きなエピソードなのだろうと思う。

しかも、話し手は、いかにも楽しそうに話してくれるので、話の重点は前段の「恵み」のところにあり、後段の「アルゼンチン人」のところではないという察しがつく。我々からすれば、アルゼンチンは、我々の持っていないものを有する、ある意味でなんとも羨ましい国であるけれども、とても真似できないなと思わざるを得ない。

2. 力を生かしきれていない国
 20世紀の初頭アルゼンチンは、既に相当豊かな国であった。多数のヨーロッパ人が職を求めてこの新天地に移住した。第一次大戦中は中立を維持し、豊富な農産物の輸出によって多大な外貨を獲得し、大戦後は世界の富裕国の一つに数えられるようになった。その当時金持ちによって建設された建物は未だ沢山残され、美術館、博物館、官庁、外国の大使館・公邸或いは普通のオフィスとして使用され、往時の豊かさを偲ばせると同時にブエノスアイレスの街に趣を添えている。

 しかし、その後の同国の歩み、現在の状況を見ると、アルゼンチンは、少なくとも経済的観点からすれば、当時を頂点として趨勢的になだらかな下降曲線を辿ってきているとの感を持つ。例えば、政府統計局によれば、2010年上半期の貧困率は12%である。統計局のこの数値はインフレ率とともに改ざんが指摘されており、民間エコノミストの中には、実際はその2倍程度であると指摘する者もいる。また、世銀のデータによれば2010年のGDPは、約3700億ドルで世界第27位、一人当たりGDPは、約9100ドル,第59位、一人当たりGNIは、約8600ドル、第53位となっている。これらの数値は、改ざんの有無はともかく、中南米諸国の中で比較すれば決して悪くはない。しかし、過去の実績に照らし、また、同国の保有する豊富な天然資源、教育水準の高い労働人口を考慮すれば、物足りないと言わざるを得ない。では、その原因をどこに求めればよいのだろうか。以下に自分の考えを述べたい。

 (イ)恵まれた者のゆとり
 既に指摘した通り、アルゼンチンは、豊かな国である。大して一生懸命働かなくても飢え死にすることはまずない。そこが、しゃかりきに働かなければ食べていけない国との大きな違いといえる。このような環境に置かれれば、長い年月を経て人は基本的に生きていくのに十分なだけ働くことで満足するようになるであろう。それだけに満足せず、より大きな富や満足を求めて努力する人は勿論沢山いる。そのような努力家が成功する可能性は、この国では高いだろう。在勤中、親しい人から時々、アルゼンチン人と日本人を入れ替えたら、この国は大きく発展するのではと半ば冗談で聞かれることがあった。それに対しては、確かに当初はそのようなことが起こるかもしれない、しかし、時が経てば導入された日本人もそれほど働かなくなるのではないかと思うと答えたものである。同国に実際に住んで、その豊かさを体験した者にとって、偽らざる実感である

 (ロ)政治あるいは政策的要因
 上記(イ)のような国においては、政治及び政治家の役割や市民が政治に期待するものも違ってくると思う。単純化していえば、そもそも政治に求められるのは、まず国民を食べさせること、そのための環境を整備することである。そうであるとすれば、アルゼンチンでは、国があれこれ手を出さなくても、換言すれば、国民のイニシアチブに任せておけば、人々が食べるに困ることはまずない。政府が民間の自由な経済活動に介入するとろくなことはない、無論余りに自由放任を貫けば弱肉強食の論理がまかり通り社会的ひずみが大きくなるので、そのような場合は国が役割を果たせばよいと多くの人が考えているように思われる。過去に経済変動の荒波に何度も翻弄され、多くは政府の政策の失敗に起因することを経験的に知っているアルゼンチン人の生活の知恵といえるかもしれない。かかる土壌の下第二次大戦後大統領となったフアン・ドミンゴ・ペロンは国家社会主義思想を持ち、その政策の重要な柱の一つは政権を強く支持する労働者の保護、換言すれば労働者に対するバラマキ政策であった。

この政治思想は“ペロン主義”と呼ばれ、現在までのアルゼンチン政治において最も重要な政治潮流となっている。2003年に成立したネストル・キルチネル政権、その後を継いで2015年まで任期を有する、夫人であるフェルナンデス・キルチネル大統領政権もペロン主義を標榜する政権である。そして、キルチネル流政治の最も重要な政策手段は財政黒字を用いた電気・ガス・水道料金及びバス・鉄道・地下鉄料金を低く抑えるための補助金の供与である。このようなバラマキ政策は自由放任主義からの逸脱、アルゼンチン人が本来求める政治ではないではないかと思われるかもしれない。しかし、先述した“ひずみ”が特に労働者階級に重くのしかかり、労働者を主要な支持基盤とするペロン主義政権としては選挙対策上もそのような政策を採らざるを得ないということであろう。

ただペロン主義はその中に左から右まで幅広い思想を含む政治潮流であり、同じペロン派政権でも大統領によって政策が大きく異なってもなんら不思議ではない。

90年代に政権を担ったメネム大統領はキルチネル政権とは逆に国営企業の民営化を推進した。また現在キルチネル派に反対するペロン主義政治家は相当数に上る。昨年10月の大統領選挙では現職のフェルナンデス大統領が54%を超える得票率で圧勝したが、反キルチネルのペロン派の票を含めればペロン主義は約三分の二を獲得している。アルゼンチンではペロン主義は常に30%超の基礎票を持つと言われており、極めて強固な政治勢力なのである。同時にこれまで中長期的国家目標・政策目標に欠け(これはペロン主義政権に限らずその他の政権にも当てはまることであるが)、また大統領が代わると同じ政治潮流であっても政策が180度変わることが多く政策の継続性に欠けることなど、国家の発展のために足かせの要素となっている。

3. 将来の展望
 私が中南米局にいた2002年秋、ブラジルは大統領選挙に向け選挙戦の真っただ中にあり、結果として昨年1月まで二期務めたルーラ大統領が当選した。同大統領の任期8年の間にブラジルは、所謂BRIC`Sと呼ばれる新興経済大国の一つとして台頭し、またG20のメンバー国として国際経済分野での存在感・発言力を増している。私は、2002年の時点ではブラジルとアルゼンチンの間に経済力、国際的影響力に違いがあったとは思わない。その当時までは両国とも南米の大国として潜在力は高いがそれに見合った経済的実績、例えば一人当たりGDPの数値であるとか、国際経済分野での貢献・発言力は低いといった評価を共有していた。しかしこの10年ほどの間に両国には大きな差がついたと言わざるを得ない。アルゼンチン自身そのことをよく認識していると思う。

誇り高く負けず嫌いな国民性であるから、表立って認めることはない。国連安保理の理事国の拡大に関する議論のような国の威信に直結するような問題では、仮に中南米から一カ国しか常任理事国に選定されない場合、アルゼンチンがブラジルに自発的にその席を譲るようなことはないだろう。アルゼンチンにとってブラジルは、政治的にも、また経済的にも最も重要な国となっている現在でも、胸の奥底に秘めたライバル意識、優越意識が消えることはなかろう。にもかかわらず報道などから判断する限り、最近ではブラジルに対する配慮は色々な問題で目につくようになっていると自分には感じられる。やはり客観的に見てブラジルの発展が顕著でアルゼンチンにとって重要性が増しているということなのだろう。同時にブラジルのアルゼンチンに対する配慮、気の使い方も相当なものであることも事実である。

 それではアルゼンチンは今後どのような道を歩むのだろうか。これまでと同様ブラジルの後塵を拝し、その差がますます開くばかりなのだろうか。因みにアルゼンチンもG20のメンバーであるが、そのパフォーマンスについて一部メンバーから疑義が呈されているとも側聞している。私はアルゼンチンを直接知る者として、また可能性に期待する者として、いずれはこの国も隣国ブラジルが辿ったのと同じ道を歩むことができると考えている。既に述べた通り、アルゼンチンは資源・食糧に恵まれた国でありこの面ではブラジルに遜色ない。人口は4000万に過ぎず1億9000万の隣国よりはるかに少ないものの、労働者の質の観点からはむしろ勝っていると言っても過言ではない。

ブラジルはこの10年で急速にのしてきたのであり、これは決して追いつくことができない距離ではない。そうはいってもそれ程容易な道ではないこともまた事実である。そのためにはなんといっても政府が明確な中長期的国家目標を提示し、オープンな議論を通じて国民各層と共有し、政権が代わっても国家目標をしっかりと維持・継続することが不可欠である。この国の現在の政治状況、政治風土からすれば簡単な課題ではないけれども、まずそのことを政府と国民が合意することが出発点である。(6月1日記)

(6月8日寄稿)