第2弾 変貌するインド消費経済

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元駐インド大使  榎 泰邦

はじめに
 退官してはや5年目に入るが、相変わらずインド講演を求められることが多いし、私自身が代表取締役を務めるコンサルタント会社からして、対インドビジネスを主たる業務としている。しかし、一度任地を離れると、急速に現場感覚を失っていく。特に、インド経済のように変化の激しい場合は、尚更である。現在でも、年に1~2回は現地を訪問するが変化についていくのが難しい。在勤時代は場末の空港そのものであったニューデリー国際空港は、英連邦大会に合わせて2010年7月に新ターミナルを正式オープンし、50万平米と乗客専用ターミナルとしては世界第8位の広さを誇っている。

かつて、空港に向かう牛が寝そべる渋滞著しい道は上下8レーンの高速道路に変わり、市中からは空港まで地下鉄が時速135kmで走る。大使着任後1年目の2004年12月に初めての地下部分が開通したデリーメトロは、昨年8月第2フェーズが完成し、6路線、総延長190kmに達し、年間乗客数180万人を運んでいる。2021年に第4フェーズが完成すると、8路線、総延長411kmに達する予定である(東京のメトロ総延長は現在301km)。街を走ると至る所でメトロの駅が目に付くようになった。

 もっとも、一歩大都市を出れば、道路、鉄道、港湾等々インフラの未整備は相変わらずで、供給不足による停電も相変わらずである。一国が大変貌を遂げる過程というものは、旧態依然たる部分と変貌する部分が混在したまま、化学変化を起こしていくものなのであろう。インド離任後の5年間に生じた変貌については、様々な切り口からの解説が可能であるが、ここでは「インド消費経済の急拡大」に絞ってご紹介することとしたい。

ファッション・センターEmporioの登場
 ニューデリー南部、バサント・クンジと言えば、在勤時代には灌木が生い茂る荒れ地で、独りグランド・ホテルが建つだけの地であった。昨年、久しぶりにこの場所に行ってみると、延べ床面積3万平米に170のブランドショップが軒を連ねる一大ファッションセンター、Emporioに変じていた。出店のほぼ半分は、Cartier, Dior, Armani, Gucci, Burberry, Louis Vuitton等々ヨーロッパの一流ブランドであり、店内には購買意欲満々のお客で溢れている。

 5年前にも5つ星ホテルのロビーにはヨーロッパの老舗がブティークを出してはいたが、およそ店内に客が入っているのを目にしたことはない。マネジャーに同情半分に尋ねると、「ホテルの店はショーウィンドーであり、実際の商売は超富裕層の自宅に訪問販売をして、しっかり儲けているからご心配無用。」との答えが返ってきた。この5年間で、ごく一部の富裕層への訪問販売から、小金持ちがファッション・センターに繰り出してレジの前に列をなすまでに変貌した訳である。実際、インドの高級品市場は年平均20%で拡大しており、2015年には58億ドル市場にまで成長するとの報道もある。関係者は、高級品市場の拡大はまだ本格化段階にほど遠く、奢侈品に対する高関税(30~40%)の引き下げと、小売り分野に対する外資規制の緩和の2つが措置されれば、爆発的に拡大すると解説する。

 かかる高級品市場の拡大の背景には、富裕層の増大がある。富裕層の定義は、2001年度価格で年間世帯所得100万ルピー以上~170万円弱(1ルピーは約1.7円)~で、日本人の感覚からすれば違和感を覚えるが、インフレ率の高さと購買力を勘案すれば、そんなものなのであろう。この富裕層は、絶対数は少ないものの、所得別グループの中で年平均22.3%と最も増大化が著しく、2001年度に僅かに400万人であったものが2009年度には2,000万人に拡大している。

自動車とカラーテレビ
 高級品市場を支えるのが富裕層であれば、耐久消費財市場の主な担い手は中間層である。年間世帯別所得20万~100万ルピー(01年度価格)の層を言うが、2001年度に6千万人弱(総人口の6%)であったものが、年平均13%で成長し、2009年度には1億5千万人(総人口の12.8%)となっている。この層が、今や乗用車、エアコン販売市場の50%を占め、クレジットカード新規契約の50%を構成している。耐久消費財市場の花形が自動車とカラーテレビである。かつてインド人口が富裕層と貧困層に二分化されていた時代には、国民の大多数には全く無縁の商品であった。在インド日本大使公邸に隣接して料理人、運転手、給仕人たちの居住区があるが、ここでも中古車、カラーテレビ、エアコンが備えられている。以下、自動車とカラーテレビを取り上げて消費生活の変貌を観察してみよう。

(乗用車)
 1980年代初め、第1回在勤時代には、市中を走る自動車は、政府専用車、大使館や外国企業関係の乗用車、トラックなどの商業車の3つに限られていた。自動車・輸入関税が200%の時代である。2004年、大使として着任してみると大使館の裏手にはクラーク・クラス現地職員のマイカーが所狭しと駐車している。約3分の2がマイカー通勤という。乗用車販売台数は、ちょうどこの2004年度に初めて100万台の大台を超え、本格的なモータリゼーション時代に入る。その後、2010年度には252万台と初めて200万台に乗せた。インド自動車市場の特徴は、MUVを含めた乗車車の販売シェアが79%(2010年度)と高いことにある。商業車を含めた自動車全体の販売規模は2010年度で320万台に達している。

 過去5年間の変化を一言すれば、台数の急増もさることながら、車種が多様化していることである。5年前には、道路を走るのは、中古のミニカーとオートリキシャ(三輪車)ばかりの感があった。現在でも、全長4,000mm以下のミニカー、コンパクトカーが販売市場の60%と中心を占めていることには変わりがないが、20万円台のタタ自動車ナノが話題をさらう一方で、絶対数はまだ少ないがベンツ、BMWといった高級車が、2010年度40%増、2011年度50%増と急速に売り上げを伸ばしている。2006年には、市場の将来性に目を
つけたBMWが現地生産に踏み切り、AUDIがこれに続いている。

かくして、1993年以前には、マルチ、ヒンドゥスタン、プレミアなど僅か5社であった乗用車メーカーは、今や17社がひしめき合っている。2~3年後に乗用車販売数が300万台に達するのは確実であり、日本市場を追い抜くのは時間の問題である。JDパワーは、2020年に約1,200万台と、中国、米国に次ぐ世界第3位の販売市場に発展すると予想している。

(カラーテレビ)
 1980年代初めの在勤時代にはカラーテレビ(CTV)は高嶺の花で、転勤内示を受けるとどこで聞きつけてきたのか、業者が自宅に押し掛け、大型の高級カシミール絨毯と交換しろと迫るほどであった。耐久消費財の世帯別普及率統計には信頼できるものが少なく引用に苦労するが、大雑把に言って、CTV普及率は、2005年で全国平均で20%、都市部で40%であったものが、09年に入るとそれぞれ30%と60%に5割増になっている。かつ、カラーと言っても、05年頃はブラウン管TVが中心で、この傾向は相当長く続くと見られていた(この頃、わが国某メーカーがブラウン管CTV製造でインド進出をしている)。

それが、2011年には、都市部でのCTV普及率は66%となり、かつ、主戦場は液晶TVに移っている。この分野はサムソン、LG、ソニーの外国勢3社がしのぎを削り、それをインド企業Videocon、最近ではパナソニックが追う展開となっている。ソニーは2004年に現地生産から撤退をし、タイからの輸入商製品で捲土重来を期してきたが、その甲斐あって2010年には販売シェア22.1%と首の差で韓国勢を押さえ、第1位になった。

 都市部でのカラーテレビ普及率(2010年)を、他のアジア諸国と比較すると、中国96.6%、マレーシア98.4%、タイ92.7%、ベトナム91.8%と軒並み90%以上に達しているなかで、63.6%と画然と遅れている。しかし、ビジネスの目からみれば、それだけ成長潜在力が大きい訳で、CTVに限らず世界の耐久消費財ビジネスの関心が集まっている。

FMCG(日用雑貨)市場
 FMCGというのも聞き慣れない言葉であるが、Fast Moving Consumer Goodsの略である。石鹸、洗剤、シャンプー、生理用品、タバコ、スナックなど幅広い商品を対象とする。耐久消費財に対し、一般消費財ないしは日用雑貨と言ったらよかろう。BOP(Bottom of Pyramid)という言葉もよく聞くようになったが、普通サイズの市場では経済レポートの柱立てにもならない事項が、人口12億の巨大市場となると立派なビジネス分野になる。FMCG市場は、年平均10~12%で成長しており、今やインドGDPの2.15%を占め、第4位の産業分野と称されている。

 所得階層別に分析すれば、富裕層が高級品市場を、中間層が耐久消費財市場を支えるのに対し、FMCG市場は中間層に加え新中間層が支えていると言いうる。しかし、FMCGにつき最も重要な視点は、所得階層別の議論を超えてこれまで殆ど無視されてきた「農村市場」が主な舞台として登場したことにある。

 まず、新中間層であるが、世帯別所得9~20万ルピーの層であり、中間層予備軍である。この層が、2001年度で2.2億人(全体の22%)であったものが、09年度には4.1億人(34%)へと拡大している。中間層と新中間層を合わせると、09年度で5.6億人と全人口の46%を占めるに至っている。この6億人弱の人口が、シャンプーやスキンクリームを日常的に使い始めたことにより、FMCG市場が拡大しているわけである。

農村に話しを転じよう。2005年当時は、わが国経済界リーダーにインド経済をブリーフするにあたっては、「人口の7割が住む農村市場は取りあえず忘れて下さい。それでも3~4億人の巨大市場になります。」と説明していた。それが、最近の講演では「農村市場こそが、これからのビジネスの主戦場です。」と変わった。今や、農村は中間層の3分の1、新中間層の3分の2を擁するに至っている。なぜ、農村が豊かになってきたのか。詳細には立ち入らないが、第1に、出稼ぎ送金などにより都市の繁栄が農村にも波及してきた。第2に、政府による農村支援プログラムが一定の効果を収めてきた。特に、コングレス政権によって導入された農村雇用保障法により、公共事業などを通じ家族当たりで年100日間の雇用を保障する支援策が大きい。第3には農村信用の発達がある。そして、第4に、緑の革命、灌漑整備、備蓄制度などを通じ、農業生産が安定化してきた。

大手で最初に農村市場を開拓したのは、ユニリバーである。購入しやすいように、シャンプーを一袋づつのばら売りにし、農村主婦を販売員にリクルートして農村に入り込んだ。それまで泥で洗髪していた農村婦人が購入し始め、今や同社シャンプー販売の50%が農村である。この商法で成功した同社は、2008年に農村販売員5万人、対象農村10万村であったものを2010年にはそれぞれ10万人、50万村に拡大している。インド全体で64万村であるからほぼ全土をカバーする体制と言ってよい。ユニリバーの成功を受けて、ネスレ、キャドバリー、P&Gなど各社が農村市場にどっと進出した。07年インド商工会議所報告では、FMCG市場浸透度は、練り歯磨きで38%、シャンプー32%、インスタントコーヒー3%、消臭剤0.6%でしかない。要するに、農村8億人市場で無尽蔵の販売余地がある。農村市場を狙うのは、日用雑貨ビジネスだけではない。オートバイのヒーローは年間販売の60%を、自動車のスズキ・マルティは12%をそれぞれ農村で販売しており、携帯電話最大手ののバルティエアテルは新規契約の60%を農村で稼ぎ出している。

結語
 インド経済の大きな特徴は、家計消費がGDPの60%と内需中心の経済発展モデルを有するところにある。投資がGDPの40%、輸出の対GDP比が同じく40%と、投資、輸出を牽引役とする中国と対照をなしている。なるほど、リーマン・ショック後、輸出に期待できなくなった中国は、内需拡大策を取っているが、これは4億元(58兆円)の財政出動などに依存するものである。これに対し、インド経済は、財政出動の結果ではなく、経済構造それ自体が内需中心になっている点が異なる。昨今の国際経済不況の中で、北米、欧州市場の内需が縮小し、世界のビジネスは今や必死で巨大内需を求めて、生き残りをかけている。勿論、インド経済も減速は余儀なくされているが、巨大内需は健在である。

 インドの巨大内需は、元来は独立以来のアウタルキー志向経済にあって消費需要に合うだけの製品供給を欠くなかで蓄積したタンス預金が、経済自由化後、一気に消費に向かって吹き出たことにある。しかし、それが一過性の消費として終わらなかったのは、ITソフト産業という牽引役を得て、経済自由化とうまく歯車が合って高度経済成長が実現し、中間層の拡大、農村市場の成長を通じて内需の自動拡大プロセスが機能してきたことによる。以上、インド消費経済の発展ぶりに長々と字数を費やしてきたのも、こうしたインド経済のメカニズムを知って頂きたいからである。 (了)

 
          付表「インドの所得別構成  出典;NCAER、所得は2001年価格


2001年度 2009年度

年平均成長率


年間世帯別所得

億人(対全人口比%)

億人(対全人口比%)


貧 困 層 9万ルピー
7.3 (72%)             6.2  (51.6%)    

 -1.8%

 新 中 間 層    9~20万ルピー 2.2  (22%)    4.1  (33.9%)  

 7.9%

中   間   層  20~100万ルピー   
0.58 (6.0%)  
 1.5  (12.8%)  

 12.9%

富   裕   層 100万ルピー以上

0.04 (0.4%)   

 0.2  (1.7%)   
 22.3%
全        体  
   10.14   

 11.95