2011年を回顧して

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国連代表部次席常駐代表 兒玉 和夫

 2011年という年は、戦後未曾有の大災害を我が祖国日本に
齎した東日本大震災を抜きには語ることはできません。他方、小職は、その時、ニューヨークの地にあって、我が祖国の同胞がくぐり抜けざるを得なかった試練を体感することなく、申し訳ないような気持ちと、同時に、日本からの情報を毎日驚愕と鎮魂の念で懸命にフォローして来ました。まず、東日本大震災について、NYにあって考え、感じた所を記します。次に、国連という場から見た「アラブの春」を中心とする世界情勢について申し述べ、私の所感とさせて頂きます。

1. 東日本大震災について
(1) 東日本大震災は、日本のみならず世界全ての国にとって驚愕すべき大災厄(英語では、cataclysmic disaster)でした。質量共に国際情勢を報じる世界第一級の新聞、NYタイムズ紙は、小職がフォローした限りでは、3月12日から4月23日までの一ヶ月半の間、一日たりとも途切れることなく震災、津波災害及び東京電力福島第一原子力発電所事故放射能汚染災害に関する記事(論説、解説を含め)を掲載し続けました。恐らくNYタイムズの歴史上、これほど長期間に亘って徹底的に日本について報じたことは未だかつてなかったに違いありません。

(2) そうした報道において、世界は、大災害に直面した日本人被災者が、苦難の真只中にあっても礼節を重んじ、人間としての品格を保持し続け、ストイックなまでに悲しみに耐え、互いを支え合い、復旧/復興に立ち上がる姿を賞賛しました。また、日本人は、世界中の人々がこれほどに被災した日本人のことを気遣い、寄り添ってくれていることに感動し、そこに「絆」の大切さを身にしみて感得したに違いありません。

(3) 同時に、国連の場においてひしひしと感じたのは、そうした日本への支援/共感は、人道的考慮からだけではなく、日本政府、日本人自身が戦後営々として実践してきた途上国の開発/国造り支援、更には、アチェ沖地震・津波大災害、四川省大震災、ハイチ大震災等に際しての、献身的な緊急人道支援活動を常々実践してきていることへの感謝・お礼の気持ちから発していることです。彼らは、日本による人道・開発支援への感謝の念を口にしつつ、政府、国民、NGOがそれぞれ「貧者の一灯」を日本に差し伸べるのは当然の行動であると述べてくれました。戦後日本は、世界の平和と繁栄に対し、開発援助を実践してきており、また、ここ20年間は、PKO活動への参加という形で、「徳」を積み重ねてきた歴史があります。

国連に集う150ヶ国を越える開発途上国の外交官はそのことを正当に評価してくれているのです。それだけに、平成24年度政府予算原案において、外務省のODA予算が、10年以上続いた減少傾向から反転の端緒につき、0.3%の対前年度比増となったこと、また、南スーダンにおけるPKO活動に自衛隊施設部隊が派遣されることは、震災後の日本は、決して「内向き」姿勢ではなく、国際社会の責任ある一員として責任を果たすというメッセージの表明になったと確信しております。

(4) 東日本大震災の教訓ということで、世界が最も注目してきたことは、原子力発電所事故の教訓として我々は、何を学んだか、ということです。NYタイムズ紙が報じた日本人自身による議論・反省の中で最も根源的な教訓を一つ挙げるとすれば、それは次のようなものです。

『日本における安全性確保のルールは、「決定論的」(deterministic)なものとなっている。その本質は、「決定論」の下で想定された「危険」を越える「危険」,即ち現状の津波防禦壁を越える津波の発生は、もはや「想定外」として、危険管理の範疇の外に置き去りにされてしまっていたということ』。それ故に、今後使用すべきは、「確率論的」(probabilistic)な危険管理手法ではないか、ということになります。2000年以上わたり頻繁に天変地異を生き抜き、順応してきたはずの日本人でありながら、何故、「想定外」という思考停止に陥ってしまったのか、日本再生の大きな鍵がここにあるような気がします。

2. 国連の場から見た世界情勢
(1) 2011年という年は、日本のみならず世界にとっても格別の意味をもつ年となったと思います。恐らく、この20年間というタイム・スパンで見れば、冷戦の終了という世界史的意義ある1989年に劣らない意義ある一年であったのではないか。中東・北アフリカ地域に生起した「アラフの゙春」という民主主義革命は、チュニジア、リビア、エジプトにおける専制・独裁体制の終焉をもたらし、イエメンにおけるサレハ大統領の退場も不可避となっており、シリアにおいては、アサド大統領による専制が崩壊の瀬戸際まで追い詰められています。

更に、ミヤンマーにおいては、民主化プロセスが大方の予想を上回るほどのペースで着実に前進しております。なお、北朝鮮においては、金正日国防委員長の死去により、金正恩体制に移行しつつありますが、同時に、我々は、この機を少なくとも「チャンスの窓」として活かす外交を展開すべきは当然です。

(2) こうした動きをどう理解すべきでしょうか。
第一に指摘すべきは、今年一年間世界が目撃したことは、地球上における民主主義空間が着実に拡大したということです。それは未だ全地球を覆うまでには至っていないが、アレクシス・トックビルが喝破した世界政治における「民主化」、「平等化」の契機は、強まりこそすれ弱まることはないということを示しているように思います。

(3) 第二に指摘できることは、これら民主主義革命は、本質は「内発的な」(home-grown)革命であったということです。何よりも、若者が、インターネットという情報通信革命の道具を最大限に活用しつつ、勇気を奮って立ち上がったという強い印象を持ちます。自らの国民に人間としての生きる上で必要な自尊心、尊厳を保障できない専制政治は退場を迫られるということを実証しました。かつて英国は、植民地統治に際し、二つの鉄則を自らに課し実践したといわれております。

一つは、「法治主義」(民主主義ではない)を徹底すること。それは香港統治の成功の公然の秘密でもあります。二つは、「殉職者」を出さないこと。もうお分かりでしょう。チュニジア革命は、「大学を卒業した青年が自らの将来に絶望し、自らの尊厳を自死(殉死)で贖った」ことにより突き動かされました。

(4) 第三に、「アラブの春」革命は、「イスラム主義者」主導の革命ではなく、「世俗主義」を基調にした「民主主義」革命であったということです。但し、来年以降、それぞれに合った民主主義の確立が追求される中、イスラム主義者がどこまでその主張を国政レベルで獲得するか(セキュラリズムとイスラム主義のせめぎ合い)は、全ては、各国がそれぞれに結論を見いだしていくべき課題であり、紆余曲折、時間がかかることは覚悟せねばならないでしょう。

(5) 第四に、チュニジア、エジプト、リビア、イエメン、シリアにおいて生起しつつある政治革命への国連安保理の関与についてです。関与の度合いは、個別事案ごとに様々でしたが、基本的には、「国民の民意を反映した政治体制」への動きを一貫して支持し続けたという意味で、国連は、恐らく歴史の審判を受ける際には、正しいとされる側に立ち続けてきたと思います。

これまでであれば、ロシアや中国が「内政不干渉」を理由に拒否権を行使することで国連安保理として一切行動を起こせない場合が多かったはずですが、今回は違いました。その最大の理由は、王政下の限定的な民主主義国家である湾岸諸国を含め全アラブ連盟加盟国(21ヶ国と1機構)の総意として、民意を反映した政治体制への変更を一貫して支持する動きがあったことが決定的に重要です。

それ故に、リビアに対する国連による武力介入を容認した安保理リビア制裁決議1973は、ロシア、中国としても「棄権という形で容認」せざるを得なかったのです。両決議は、「紛争下における文民保護」という大義の下に、紛争下にあって、当該国政府が自国民保護の責任を果たせない場合に、国連が武力介入することを容認した国連史上最初の事案となりました。

その後ロシアと中国は、シリアに対する制裁決議案については、頑なに反対を貫いています。シリアについては、安保理は機能不全に陥っていますが、国連総会は、安保理が採択しえなかった内容を含むシリア非難決議を採択しました。このことは、「アラブの春」が象徴したような「独裁・専制国家」における民主主義への要求を当該国の現体制が武力を行使することで抑圧しようとする場合には、国連として声を挙げないではおれなくなっている、方向としては国際社会の人道介入を阻止し得なくなりつつあると言って過言ではありません。

(6) 第五に、中東・北アフリカ民主主義革命は、イスラエルの存在、或いは、「中東和平」の進展が進んでいないことをスケープ・ゴートにすることなく達成されたことも重要です。同時に、中東世界に議会制民主主義国が複数誕生したことは、「中東和平」進展に向けた圧力はより強まることをイスラエルは覚悟する必要があります。

(7) 第六に、「アラブの春」は、国連における日本外交を強力に後押ししてくれました。拉致問題解決他、北朝鮮による人権侵害状況の改善・是正を求める「北朝鮮人権状況決議案」を日本政府はEUと共同で2005年以来毎年提出し、国連総会における賛成多数で採択を勝ち取ってきております。先月19日の国連総会において、これまでで最多の123ヶ国の賛成票(昨年比17票増加)を得て採択されました。

リビア、チュニシア両国に支持を働きかけた際、「新生リビア」、「新生チュニジア」が拉致問題解決を求める国連決議に賛成するのは当然の責務であるという回答を得たときは、「アラブの春」が日本外交への追い風になったことを実感できました。今年こそは、拉致問題解決を含め、日朝関係の歴史的打開を期待したいと思います。

3. 大変長文の2011年年末所感となってしまいました。
かつてポーロは、「災厄は、経験を、経験は、勇気を、勇気は希望をもたらす」と述べました。2012年という年が、大震災の被災者の方々を始めとして、全ての日本人に勇気と希望を感じることのできる一年になることを願います。皆様方におかれては、2012年が、何よりも健康で、充実した一年となりますよう祈念申しあげます。                                                
(本稿は筆者の個人的見解です。) (2012年1月19日寄稿)