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メコン河第3国際架橋とジャパン・フェスティバル

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駐ラオス大使 横田 順子

 2011年11月11日11時11分、メコン河にかかる第3の国際架橋の開通式がラオスの中部タケークとタイの東北部ナコンパノムの間で行われました。第1番目の国際架橋(タドゥア・ノンカイ間)は1994年にオーストラリアの援助で、2番目(サバナケート・ムクダハン間)は2006年に日本の援助で、そして今回はタイの援助で建設されました。2012年12月には中国とタイの援助で第4の橋(フアイサーイ・チェンコーン間)が南北経済回廊上に架けられる見込みです。また、中国雲南から遠くシンガポールまで続く高速鉄道プロジェクトが動き出せば、その鉄道のためにもう一つの橋がラオスの首都ビエンチャンとタイのノンカイ県の間に架けられることになるでしょう。

メコン河第3国際架橋
メコン河第3国際架橋
(写真提供 Sisay Vilaysack氏)

 

開通式の式典日に先立つこと数日間、私はやきもきしていました。もしこの式典に招待されれば、片道4時間をかけても出席すべきと考えていたからです。他方、その日の夕方6時までにはビエンチャン市内に戻り、国立文化ホールで11日~12日の2日間開催の「ジャパン・フェスティバル~ありがとうラオス、ともに歩む未来~」のオープニングに駆けつけ、トンルン副首相兼外相を始めとする多くのラオスの要人を迎えて、スピーチをしなくてはなりません。

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ジャパン・フェスティバル
東日本大震災復興写真展

 


11時11分の開通式が終わるのは何時なのか、ビエンチャンに戻るのにラオス側とタイ側のどちらのルートがより短時間で走行できるのか、どんなに遅くとも夕方6時までにはフェスティバル会場にいなくては、着替える時間はあるのかなど詰めなくてはならないことだらけです。しかし肝心の招待状がまだ来ません。

在ラオスのタイ大使からは招待状は出るはずと言われているものの、招待者がタイ大使なのか、タイの交通大臣なのか、あるいはラオス政府なのかもはっきりせず誰に聞いても明快な答えがないまま前日になりました。突然タイ大使から携帯電話に連絡が来ました。彼はすでに開通式の現地に向かっている途中の由で、ラオス外務省には他の外交団はともかく日本の大使だけは呼んでほしいと要請した旨を電話の向こうで説明していました。それを聞いて、外交団は今回の式典に招待しないことになったことが判りました。他の外交団が呼ばれない中、日本だけが出れば、ラオス側もどう扱うか苦慮するだろうことは容易に想像できます。即座に私はタイの大使に特段の配慮に感謝しつつも、迷惑をかけるつもりはないので、心配しないでほしい旨伝えました。

なぜ私が出席すべきと考えていたか。それは、タイ王国を代表して出席されるシリントーン王女殿下にお出迎えの礼を取らねば申し訳ないと思っていたからでした。28年前、最初に同殿下にお目に掛かって以来、常に何かとお心配りをいただき、タイ北部のチェンマイの総領事時代には2度も公邸に足を運んでくださるなど過分のご配慮をいただきました。その王女様がラオスに来られるのにお出迎えの列に加わらないわけにはいかないという心情だったのです。しかし、招待状がないのに勝手に行くわけにはいきません。

11日、シリントーン王女殿下とブンニャンラオス国家副主席による開通式をテレビの生中継で見つつ、ビエンチャンで初めて開催されるジャパン・フェスティバルの最後の準備にとりかかりました。東日本大震災の被災者にと全国で募金活動を展開し、100万ドル以上の義捐金を寄せてくれたラオスの政府と人々に対し、現地の日本人コミュニティーが一体となってお礼の気持ちと元気な日本人の姿を伝えるためのフェスティバルです。東北の日本酒や北海道のワイン、スナック菓子、香川の讃岐うどん、丸亀うちわ、大正琴演奏の他、カンボジアからは芽魂太鼓グループ、バンコクからはパントマイム役者が駆けつけてくれています。被災地の復興を示す写真展、ビデオ上映、最後はラオスと日本の盆踊りで盛り上げます。5月に発案して以来、毎月実行委員会を開催して準備が進められました。経費の負担や人手不足などいろいろな課題が出てきましたが、みんなの知恵と意欲と献身で当日を迎えました。大きな櫓も据えられ、提灯に灯がともり、太鼓が鳴って浴衣を着たラオス美人となでしこ美人達がドラえもん音頭を一緒に踊る姿はとても素晴らしいものでした。
関係者の皆さん、本当にお疲れさまでした。

(2011年12月9日寄稿)
 ※本文に記載している内容は個人的見解に基づくものです。