革命の興奮と倦怠―エジプトの場合
駐エジプト大使 奥田 紀宏
今年初めに18日間のタハリール広場の青年活動家を中心とした抗議運動によりムバラク大統領が退陣してから8ヶ月余りが過ぎたが、現状では、革命は依然として進行中である、と言わなければなるまい。今月末には4ヶ月間に及ぶ日程で国会選挙が開始される。エジプトの報道機関は、革命がもたらした数少ない具体的な成果である報道の自由に戸惑いながら、政党間の合従連衡の動き、現在のエジプト支配者である国軍最高会議と新旧雑多な政治グループとの間の今後の民主化スケジュールを巡る鍔迫り合い、全国各地におけるデモやストライキ、その他の次から次へと続く異議申し立て行動につき喧しく報じ、論ずる。
毎晩10時頃から放映されるテレビのトークショウでは、活動家や知識人が文字通り口から泡を飛ばしてあるべき政治の姿について討論している。10月9日には国営放送局前でキリスト教徒と国軍との衝突事件があった。選挙前の微妙な時期に25名を越えるキリスト教徒の死者と300名以上の負傷者の発生は政治的にも治安の面からも深刻な影響をもたらしうる。宗教間の対立抗争やキリスト教徒の増大する不満を抑えるために、国軍幹部は宗教関係者と頻りに会談し、その模様が写真付きで大きく新聞に報道される。一年前には国軍が国家統治の前面に出てきて国民との対話を行うなど、全くの「想定外」であった。確かに今年エジプトで大きな政治的社会的変化が生じ、それをもたらした革命は、今も進行中なのである。
しかし、どこに向かって「進行中」なのか。勿論、民主化という大きな目標はある。デモも各地で行われている。しかし、最近のデモは以前のデモとは違ってきた。今年の初めからこの夏まで盛んに行われていたタハリール広場を中心とする政治デモは、「国民の自由、平等、尊厳」、「国軍と国民は一体」、「イスラム教徒とコプト教徒の連帯」、「エジプト第一」等の標語に現れているように政治的理想を訴えるものが主だった。ところが、最近では、賃上げ、雇用の要求、個別の組合や会社組織の幹部批判を目的にするものが多くなり、その規模も次第に小さくなっている。9日の国営放送局前衝突事件の直後に懸念した大規模な抗議行動は比較的短期間の内に収まってしまった感がある。
奇妙なことだが、このことに何かすっきりしない感情を覚える。第三国の大使館の立場からすれば、情勢が沈静化の方向に向かうことに文句はないはずだ。しかし、あの1月25日に青年活動家により華々しく開始された抗議運動が新たな秩序の形成に繋がらないまま、中途半端な混乱状況をもたらしているように感じられ、それに何故か満たされない気持ちが残るのだろう。
革命は何故一挙に力強く進まないのか。それは第一に、生活者としてのエジプト人が革命の基本的メッセージである民主主義や自由などの様々な価値よりも安全で安定した生活を求めている、ということではないか。9日の衝突事件における国軍の対応に問題があったとしても、これを追及することで治安維持の最後の砦である軍の権威を崩壊させたくない。元来、エジプト人は他のアラブ人とは異なり、定住民族で、性温厚にして、安定を好むと言われるし、筆者の聞いたところでも、多くのエジプト人自身がそう考えている。前政権がまさにこの点につけ込んで30年以上にわたる独裁と腐敗を意のままにしたのであれば、問われなければならないのは、エジプト人における「我が内なるムバラク」なのかもしれない。
第二に、現在のエジプトには国中を興奮させる国民的ヒーローもアンチヒーローもいないということを挙げなければならないだろう。
1952年7月26日革命は、自由将校団、ナセル大佐というリーダーがいて、これがまさに革命のヒーローとなった。他方、1月25日革命は個別のリーダーのいない所謂民衆革命と言われている。8ヶ月後の現在も、8000万のエジプト人の心を鷲掴みにする政治的指導者はまだ出現していない。病床のまま獄に繋がれているムバラク前大統領にはもはやアンチヒーローとしての価値はない。タンタウィ元帥は勿論アンチヒーローではないが、他方で、国民的リーダーという訳でもない。これはエジプトという気候風土から生ずるものなのか。或いは、個々人が瞬時に情報を共有することを可能にしたグローバライゼーションやIT革命が伝統的意味でのヒーローの誕生を困難にしたということであるならば、歴史的必然なのか。いずれにしても、革命の理想を掲げて国中を圧倒する強い個性は今のところ見あたらない。
この革命はまだ先が長いと覚悟しなければならない。現時点では興奮と倦怠の間にある1月25日革命の成功を、しかし、願わずにはいられない。
※本文に記載している内容は個人的見解に基づくものです。 (2011年11月16日寄稿)
毎晩10時頃から放映されるテレビのトークショウでは、活動家や知識人が文字通り口から泡を飛ばしてあるべき政治の姿について討論している。10月9日には国営放送局前でキリスト教徒と国軍との衝突事件があった。選挙前の微妙な時期に25名を越えるキリスト教徒の死者と300名以上の負傷者の発生は政治的にも治安の面からも深刻な影響をもたらしうる。宗教間の対立抗争やキリスト教徒の増大する不満を抑えるために、国軍幹部は宗教関係者と頻りに会談し、その模様が写真付きで大きく新聞に報道される。一年前には国軍が国家統治の前面に出てきて国民との対話を行うなど、全くの「想定外」であった。確かに今年エジプトで大きな政治的社会的変化が生じ、それをもたらした革命は、今も進行中なのである。
しかし、どこに向かって「進行中」なのか。勿論、民主化という大きな目標はある。デモも各地で行われている。しかし、最近のデモは以前のデモとは違ってきた。今年の初めからこの夏まで盛んに行われていたタハリール広場を中心とする政治デモは、「国民の自由、平等、尊厳」、「国軍と国民は一体」、「イスラム教徒とコプト教徒の連帯」、「エジプト第一」等の標語に現れているように政治的理想を訴えるものが主だった。ところが、最近では、賃上げ、雇用の要求、個別の組合や会社組織の幹部批判を目的にするものが多くなり、その規模も次第に小さくなっている。9日の国営放送局前衝突事件の直後に懸念した大規模な抗議行動は比較的短期間の内に収まってしまった感がある。
奇妙なことだが、このことに何かすっきりしない感情を覚える。第三国の大使館の立場からすれば、情勢が沈静化の方向に向かうことに文句はないはずだ。しかし、あの1月25日に青年活動家により華々しく開始された抗議運動が新たな秩序の形成に繋がらないまま、中途半端な混乱状況をもたらしているように感じられ、それに何故か満たされない気持ちが残るのだろう。
革命は何故一挙に力強く進まないのか。それは第一に、生活者としてのエジプト人が革命の基本的メッセージである民主主義や自由などの様々な価値よりも安全で安定した生活を求めている、ということではないか。9日の衝突事件における国軍の対応に問題があったとしても、これを追及することで治安維持の最後の砦である軍の権威を崩壊させたくない。元来、エジプト人は他のアラブ人とは異なり、定住民族で、性温厚にして、安定を好むと言われるし、筆者の聞いたところでも、多くのエジプト人自身がそう考えている。前政権がまさにこの点につけ込んで30年以上にわたる独裁と腐敗を意のままにしたのであれば、問われなければならないのは、エジプト人における「我が内なるムバラク」なのかもしれない。
第二に、現在のエジプトには国中を興奮させる国民的ヒーローもアンチヒーローもいないということを挙げなければならないだろう。
1952年7月26日革命は、自由将校団、ナセル大佐というリーダーがいて、これがまさに革命のヒーローとなった。他方、1月25日革命は個別のリーダーのいない所謂民衆革命と言われている。8ヶ月後の現在も、8000万のエジプト人の心を鷲掴みにする政治的指導者はまだ出現していない。病床のまま獄に繋がれているムバラク前大統領にはもはやアンチヒーローとしての価値はない。タンタウィ元帥は勿論アンチヒーローではないが、他方で、国民的リーダーという訳でもない。これはエジプトという気候風土から生ずるものなのか。或いは、個々人が瞬時に情報を共有することを可能にしたグローバライゼーションやIT革命が伝統的意味でのヒーローの誕生を困難にしたということであるならば、歴史的必然なのか。いずれにしても、革命の理想を掲げて国中を圧倒する強い個性は今のところ見あたらない。
この革命はまだ先が長いと覚悟しなければならない。現時点では興奮と倦怠の間にある1月25日革命の成功を、しかし、願わずにはいられない。
※本文に記載している内容は個人的見解に基づくものです。 (2011年11月16日寄稿)