日本は世界5位の農業大国

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元シンガポール大使 橋本宏

政府がTPP(環太平洋パートナーシップ)と略称される環太平洋広域自由貿易・経済連携協定への参加問題を取り上げるようになって以来、日本の農業の実態について理解を深める必要があるとの思いに至り、関連する会合に顔を出したり、本を読んだりしているが、日本農業の在り方についての国内議論は余りにも隔たりが大きく、なかなか議論に付いていけない、というのが正直な感想である。

そのような状況にあって、たまたま書店の店頭で見つけた浅川芳祐著「日本は世界5位の農業大国、大嘘だらけの食糧自給率」(講談社+α新書)という極めて「挑発的」な本を見つけて読んでみた。略歴によると著者は長く農業関係誌の編集に携わっている人物である。知人の或る農水省OBに聞いてみたが、著者のことは知っておらず、農林水産省や農業関係議員を厳しく批判するその論調には懐疑的な感じを漏らしていた。しかし、本著は、私のような素人が日本の農業への関心を増大させるに十分な主要農業データを分かりやすく紹介し、また、日頃余り見かけない論理の展開を示していることもあり、敢えてここに紹介する次第である。

本著は、世界における日本農業について、国内生産額で見れば中国、米国、インド、ブラジルに続いて第5位、品目別に見れば、ネギが第1位、ホウレンソウが第3位、ミカン類が第4位、キャベツが第5位、イチゴ、キュウリが第6位、キウイフルーツが第6位と有数な地位を占めていると紹介している。また、農業人口は減少しているものの農産物総生産量は着実に増加し、農業者一人当たりの生産量は1960年の3.9トンから2006年には25トン超に増加している等々、国民が持つ一般的な印象とは異なり、日本の農業は決して衰退している訳ではないと力説している。こうした諸点は農業専門家には周知の事実であろうが、世界的見てもこのような優位性がある分野が存在するのであるならば、それを如何に伸ばしていくかに着目した議論や施策が、もっと広く取り上げられていって然るべきであると思う。

また、本著は、食糧自給率は世界において日本のみ主張し続けているものであるとし、これを重視する農水省はいたずらに国民の不安感を煽り立てるだけであり、日本農業の発展に役立たないと糾弾する。特にカロリーベースの自給率は意味をなさないものであるとして、仮に生産額ベースで見れば、日本の自給率は66%という世界で見ても高率であると論じている。また、食糧自給率の増大を前提とする現在の農業者個別所得補償措置は、黒字を目指す当たり前の事業の在り方を否定し、むしろ赤字を奨励していると厳しく批判している。その上で、本著は日本農業成長八策なるものを提言している。農業の素人である私には、こうした点について論じるだけの知見がない。他方、食糧自給率引き上げを国の政策に据えている日本は世界の中でも特殊な存在であるとする議論は、一般紙上でも取り上げられ始めており(例えば2010年11月20日付日本経済新聞「大機小機」)、私のような素人が、今後国会や関係者間で広く行われていくと予想される農業改革論議をフォローしていく上で、本著は大いに参考になると思われた。

TPPに代表される貿易自由化措置が今後の日本農業にどのような影響を与えるものであるかについては、本著の議論は全く不十分であると感じた。「(事業的農家の多くは)未来のない過保護政策ではなく、より競争原理が強化される既成改革と、新たな売り先を開拓できる各国との市場開放を歓迎するであろう」(189ページ)と言うだけでは、読者も納得できまい。今後こうした点について国内で広く議論が展開されていくことに期待したい。

最近メデイアでしばしば取り上げられる“現在の個別所得補償制度の拡充を通じてTPPに参加していく”という議論は、どうも単純化し過ぎたもののように思える。同制度が日本農業の発展に貢献するものなのか、改善、修正を必要とするものであるのか、その場合TPPとの関連で如何なる具体的な措置が必要か等々について、今後広く有識者、関係者の間で議論が展開され、国民的理解が深化していくことに強く期待したい。