体験的アフリカ協力論

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        前ウガンダ大使 加藤圭一

1.歴史に翻弄されたアフリカ
 アフリカの人々は、元来、農耕、牧畜を生業とした部族社会を形成し、自給自足の生活を営んできた。その後、植民地支配、1950年代から70年代にかけて殆どの国が独立を果たしたものの、東西冷戦に巻き込まれ、今またグローバル化された世界の中で生きていかなければならないという大きな変化と挑戦の時代にさしかかっている。部族社会の運営経験はあっても異なる部族を国民とする国家の運営経験を有せず、独立を果たして国家として国際社会にデビューしても紛争、独裁政権、度重なるクーデター、腐敗、更には蔓延するエイズ等の感染症などが重なり開発にも暗い影を落としてきた。
21世紀初頭(2004年)のアフリカは、人口が8.762億人で全世界の13.8%、国数が53カ国で28%、面積が3,000万平方キロで22.4%、GDPは9,260億ドルで2.1%、輸出額が2,645.41億ドル3%、輸入額は2,454.85億ドルで2.7%、ODAは821.3343億ドルで30.1%、HIV/AID感染者数は2,490万人で64.5%、難民・避難民は486万人で25%などとなっており、一日1ドル未満で生活する人が全人口の46%にも達していている。

2.アフリカの時代へ向けて
アフリカは、本年7月に新たに独立した南スーダンを含め54の国家があるもののナイジェリアなどのごく限られた国を除けば人口が数百万人から数千万人といった国々が殆どで市場規模が限られている。過度な首都への人口と富と近代化の集中、貧しく・安全な水・基本的な医療へのアクセスもままならない農村社会の地方、近代的な交換経済と自給自足経済が混在し、一部の資源国を除けば基本的には農業が主要な産業となっている。多くのアフリカ諸国の経済基盤である一次産品の国際価格は概ね低水準にあり貿易収支は恒常的に赤字となっている。外国企業はアフリカに投資するにはリスクが大きいとして投資を控え、民間資本に変わる資金源として援助に依存せざるをえないといった現実に直面している。貿易と投資、これらを補完する援助が程よいバランスで援助が国家発展の触媒として機能したアジアのモデルは、アフリカの現状に照らして明らかに異なる対応を求められていることに気づかされる。 それでもアフリカは、アフリカ連合(AU)を中心とした政治的な統合、東アフリカ共同体(EAC)などに見られる地域の経済連携の動きの加速、複数政党制による選挙を通じた民主化の進展、ソマリアなど依然として紛争が続いているものの、多くの地域や国内で平和と安全の取り組みが進んでいること、域内の貿易の活発化、2050年には10億人を超え世界人口の20%にも達すると推定され潜在的な巨大市場となる等その歩みは遅いものの着実に国際社会における存在感を増してきている。

3.ウガンダの歩み
(1)1962年に独立、以来、政治・経済的な混乱を経て、1986年にムセベニ現大統領が
   政権を掌握して世界銀行・IMFの構造調整を受け入れ適切・堅実な経済政策を
   実施して、この25年間6-6.5%、最近の5年間は年平均8%以上の経済成長を続け
   マクロ経済は安定している。2009年の政府統計によればGDPが162億ドル、一人
   当たり国民総所得460ドル、外貨準備24億ドル、貧困率31.5%、基礎教育の充実、
   安全な水へのアクセスの向上など着実な成果を挙げると共に、20年来の懸案で
   あった北部の治安も回復して復旧・復興がはじまっている。1997年、貧困と不公平
   の削減、人的資源開発の改善、経済成長を目指す貧困削減行動計画(PEAP)を
   策定、2000年及び2004年にそれぞれ改定を行って貧困削減を更に加速させること
   にした。2010年には、海外からの投資を呼び込み持続的な経済成長を通じた貧困
   削減を目指して、民間主導型の成長と雇用創出に重点を置いて社会・経済変革を
   図ることを骨子とする新たな中期国家開発計画(NDP:2010-2015)を策定して実
   施に移している。2009/2010年の国際社会からの援助は7.818億ドル、国家予算に
   対する援助比率は27%、EU、英国等のヨーロッパ諸国が主体の財政支援は48.7%
   となっている。2008/2009年の主要な援助国・機関は世界銀行(2.66億ドル)、EU
   (2.06億ドル)、米国(1.42億ドル)、英国(1.23億ドル)、アフリカ開発銀行
   (1.05億ドル)、中国(86.4百万ドル)、アイルランド(79.3百万ドル)、デンマーク
   (61.8百万ドル)、オランダ(56.9百万ドル)、日本(51.8百万ドル)などとなって
   いて、アフリカではエティオピア、スーダン、タンザニア、モザンビークに次いで
   5番目の援助受取国となっている。欧米諸国はウガンダを大湖地域の政治・経済的
   安定の要と位置づけている。世界銀行は水力発電所などのインフラ、教育、保健
   医療、業などに、EUは道路整備などのインフラ、農業、法整備などに、米国は
   エイズ、マラリア対策などの保健医療分野に、英国は教育、法整備、民主化支援
   などを重点分野として支援を行っていて援助協調の最も進んでいる国ともなって
   いる。日本はウガンダの国家開発計画の優先度の高い、理数科教育・学校の整
   備などの教育・人材育成、農業(ネリカ米の普及)、病院建設などの保健医療、地方
   電化、北部国内避難民支援、道路、橋梁、送電網整備などのインフラ、100名を
   超える青年海外協力隊員が地方に派遣され村落開発などの分野で活動するなど
   幅広い支援を行っている。
   過日、西部地域で行われた地方電化プロジェクト(電化率は12%であるが、地方の
   電化率は4%で、電気を供給する為の電柱・電線を敷設するもの)プロジェクト
   の引渡し式典に出席したところ、電気のひかれる村々から大勢の人々が駆けつけ、
   「私たちはこの工事が始まってからずっとその模様を目のあたりにしてきた。
   日本から来た技術者はウガンダの人々と共に汗を流し、我々の声にも耳を傾けて
   くれ、予定よりも早く工事が終了した。この地域には道が通じるところまで開発の手
   がさしのべられるという言い伝えがある。今まではケロシン・ランプを使っていたが
   電気が通じれば子供達が夜に本を読むことが出来るなど生活の質が変わる、明日
   への希望の光を遠くのアジアから来た日本人がもたらしてくれた」と語ってくれた
   言葉が印象的であった。このように、アフリカ諸国のオーナーシップを尊重し、経験
   や技術をアフリカの人々に移転すること、常にアフリカの人々と同じ目線で現場で
   共に汗を流すなど欧米諸国とは一味違う日本の援助に対する評価は高いものが
   ある。 インド及び中国もウガンダにおいては他のアフリカ諸国同様に大きな存在
   である。実質的にウガンダ経済を支配し、アミン元大統領時代(1971年-79年)
   に追放された6万人ともいわれたインド人移住者は、3万人ほどが帰還し、現在
   では砂糖やお茶の大規模なプランテーションを所有し、卸小売業などの流通を
   事実上支配してインド本国からの投資も増大している。在住中国人は、2500-3500
   人と言われているが、建設業、電気通信、卸小売業、最近では石油事業、金融部
   門にも進出している。また、中国とアフリカ諸国との協力の一環として2009年に
   7,600万ドルの援助を表明して学校建設、病院建設、農業協力、インフラ整備事業
   などを行っている。
(2)ウガンダは、独立後の政治・経済の混乱をこの25年間で漸くにして解消し、国家
   開発の第二の出発点に立っている。投資環境整備のための道路、鉄道、電力な
   どのインフラ整備、インフレ抑制、国家歳入の多角化、財政赤字の削減、マイクロ
   ファイナンスの普及、民間投資の促進、輸出の多様化、EACや近隣諸国との経済
   連携の強化、西部地域で発見された石油(現在の推定埋蔵量は25億バーレル、
   日産10万バーレルで未開発地域の探査が進めば更なる埋蔵量の増が見込まれ
   ている)収入の有効活用などを通じて民間主導・輸出主導型の持続的な経済成長
   を目指している。各援助国・機関ともこのような政府の政策を後押しする支援を活発
   化させている。課題は、年率3.3%と世界最高水準にある人口増加率(毎年約100万
   人ずつの人口増)、主要生産品である一次産品(農産品)の生産性向上、農業に付
   加価値をつけて農家所得の向上を図ること、青年層の雇用確保などである。
   ここ数年、EAC諸国のみならず、コンゴ(民)東部、南スーダンを含む国境貿易が
   急激な伸びを見せており、アフリカでも数少ない食糧自給国として周辺国に対する
   食糧の供給拠点ともなっている。
(3)最近でこそ石油が発見されたものの、めぼしい資源も有しない小国ウガンダが何故
   堅実な発展を遂げることが出来たのか、その背景にあるのは何なのか、いくつか
   気付きの点をあげてみたい。かねてより、ムセベニ大統領は、アフリカの弱点は、
   天然資源の輸出依存と技術力の弱さ、政治的な混乱による市場拡大の限界、政治
   的・経済的な統合力のなさに起因する国際交渉力の脆弱さ、民間セクターへの投
   資の少なさ、そして、文化的な分断にある。アフリカが21世紀の国際社会の中で
   生きていく為には、地域の政治経済的な統合、インフラの整備、政策・法律の整備・
   調和化、人材育成、人・物・金の自由化、科学技術の振興、地域紛争・テロなどに
   対する防衛の強化などを通じた政治・経済・安全保障が重要であると説いてきた。
   農産物価格の自由化、輸出品の公社による独占廃止、国営企業の民営化、公共
   部門の縮小、万人の為の教育政策(初・中等教育の強化)、基礎医療の強化、万人
   の繁栄政策を通じた地方農民の所得向上、地方向けマイクロファイナンスの創設、
   投資環境整備のためのインフラ整備、北部ウガンダの紛争に終止符を打ち復旧・
   復興計画を策定・実施、人口約1.2億人を擁する東アフリカ共同体(EAC)の関税
   同盟の導入、共通市場などを通じた政策を国民に明示し、強力なリーダーシップの
   下で実施に移してきた経緯がある。このような一連のウガンダの歩みを通じて見え
   てくることは、第一に、北部地域で反政府組織「神の抵抗軍(LRA)」の活動に
   よって国内紛争の被害を受け約180万人にも及ぶ国内避難民の大部分が帰還し
   て勢が改善し全土に平和が到来したこと、第二に、この25年間政治が安定し
   大統の強いリーダーシップのもと重要政策が次々と実施に移されたこと、第三
   に、貧困削減行動計画(PEAP)や中期国家開発計画(NDP)が策定され実施
   されていること、そして、これら政策の実施を担う人材もある程度育ってきている
   こと、第四に、累次にわたる大統領・議会・地方選挙を通じて国民の支持を得て
   きたことがあげられる。

4.おわりに
アフリカは、市場経済、民主主義、基本的人権などを共通の価値観とする今日的な国際社会に遅れて登場してきたが、それぞれ状況は異なるものの、ウガンダの例で見られるように、①平和・安全、②政治的な安定・強力なリーダーシップ、③適切な開発計画と人材及び④国民の支持といった一定の要件がそろえば、発展が著しい諸国に加えて、次なる国々が続く可能性を秘めている。
アフリカにおける協力の基本は、アフリカの人々が持続的な経済成長を通じた貧困削減に取り組めるような環境整備を支援すること、具体的には、紛争の予防・終結、民主化支援、法の支配の確立、人材の育成、教育・保健医療・農業の効率化等それぞれの国の実情に応じて行われることにある。

 (9月5日寄稿)