建党90周年胡錦濤講話に見る中国の現状

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前駐中国大使 宮本 雄二

中国共産党建党90周年と胡錦涛
 建党90周年の行事は、胡錦濤にとって大変重要な意味を持つものであった。江沢民が10年前の建党80周年のときにやったように、自分が去った後、中国共産党そして中国を指導し続ける何らかの「受け継がれるもの(レガシー)」を残す絶好の機会であったからである。
江沢民の時代から、中国のナンバーワンの任期は2期10年ということになってきた。党の総書記については党規約に任期の規定はないが、国家機関である国家主席については憲法で10年の任期が決められているからでもある。これに従えば胡錦濤は来年秋の第18回党大会で総書記の座を去り、再来年春の全国人民代表大会で国家主席を辞することになる。

 思えば胡錦濤もよくやってきたものである。
1989年の天安門事件で趙紫陽が失脚し、鄧小平は江沢民を抜擢し、「第三世代指導者」として中国のナンバーワンに据えた。さらに鄧小平は、1992年の第14回党大会において当時チベットの書記をしていた胡錦濤を中央委員から2段階アップの政治局常務委員に抜擢した。江沢民の後継者たる「第四世代指導者」の誕生である。胡錦濤が、50歳になる直前のことであった。 翌1993年の全国人民代表大会で国家副主席に任命され、それから10年、江沢民にしっぽをつかませず、無能呼ばわりもさせず、無事ナンバー・ツーを勤め上げ、禅譲を実現させた。そして来年で中国のナンバーワンをつとめて10年を迎える。その間、失政らしいものもなかったが、同時に成果も見えにくい胡錦濤時代であった。しかし、20年間、この微妙なポストを無事こなしてきたことは、やはり大した政治家だと私は思う。
その胡錦濤が、ついに任期の最終コースを迎えようとしている。江沢民は、建党80周年の講話において「三つの代表」理論を打ちだした。中国の先進性と多数の利益を代表するのが中国共産党であるという理屈で、企業家、つまり資本家も共産党員になれるようにした。
この理論は、何が社会主義であり、共産主義なのかをますます分かりにくくしたという意味で、事態を深刻化させた面はある。“みんなの党”ですよといえばいうほど、利益の調整は難しくなる。だが、実力をつけてきた企業家を取り込まず外で自由にさせておくことの方が、党にとっての危険とデメリットは大きい。この意味で、江沢民の誇る成果ではある。現にその後、この理論は党規約にはっきりと書き込まれ、今や中国共産党の“重要理論”にまで昇進している。 胡錦濤も江沢民にならって、建党90周年の華々しい場で何か新しいものを打ちだしたかったであろう。しかし一読した限りでは新理論は打ちだされていない。そして毛沢東、鄧小平、そして江沢民は使うことのできた「△△を中心とした指導グループ」という言い方も、胡錦濤はまだ使えないでいる。

胡錦濤は何を伝えようとしたのであろうか
 このレポートを書く機会に江沢民の10年前の建党80周年講話を再読してみた。そして今回の胡錦濤講話とのトーンの違いに驚かされた。 胡の講話は江に比べて、中国共産党の現状と将来に対する厳しい見方と切迫感に満ちている。10年前の報道を読んでいると、江の講話でさえ現状に対する悲観が目立つと書いているものがあった。胡の講話は、それよりもさらに悲観的になっている。
 胡は、党をめぐる現状と党のもつべき心構えについて、次のように述べる。長々と中国共産党の成果を誇り、羅列した江講話とは大きな違いである。

 「世界、中国、中国共産党をめぐる情況は大きく変化している。この新しい情勢下において、党の指導と執政(注:政務をとる、政権を握るの意)のレベルを高め、腐敗を防止し変質を防ぎ、危険を制御する能力を高め、党の執政能力と先進性をつくりあげ(なければならない。そうす)ることは、これまでに遭遇したこともない多くの新しい状況、新しい問題、新しい挑戦に直面するということであり、(そのことから生じる)執政の試練、改革開放の試練、市場経済の試練、外部環境の試練は、長期にわたる、複雑かつ厳しいものであることを、全党は、冷静に見て取らなければならない。精神懈怠の危険、能力不足の危険、大衆から離れることの危険、腐敗に受け身であることの危険は、さらに鋭く全党に及んでおり、党が党をしっかりと管理し、厳しく党を治めるという(われわれの)任務は、これまでのいかなる時期よりも重く、さらに切迫したものとなっている。」

 ここからは中国のバラ色の将来は見えてこない。経済的にはGDPで日本を超え、世界の奇跡と讃えられているにもかかわらず、また「世界の大国」の地位を回復したにもかかわらず、楽観論はどこにも見られない。胡錦濤は、講話において新たな「理論」を打ち出すというよりは、むしろ党としてどのように考え、何をなすべきかについて、党の総書記としての考えを述べているように見受けられる。おそらく「新しい理論」に向けて党内の議論を集約できなかったのではないだろうか。
ここに胡錦濤が「新しい理論」を打ちだすことができなかった、根本的な理由があるように感じられる。議論は集約されず、党内が割れているのである。時代が変わり、情勢が変わり、これまでのやり方は大きな壁に直面しているのに、それを突破するコンセンサスは、まだ生まれていないのである。

中国の現状
 党内が割れ、コンセンサスが浮上しにくい一つの理由は、“鄧小平路線”をどう解釈するか、どこに重点を置くか、について議論が収束していないからである。胡は、鄧の言葉を大きなよりどころにして政権運営を行っている。権威は依然として鄧にあるのである。逆にいうと、鄧小平路線を超克できていないところに、現政権の課題と限界がある。
例えば、その一つが、成長と分配の問題である。結論としては両方を同時にやれ、ということになるのだが、政策あるいは現場の施策の段階になると、そう簡単ではない。とりわけ中国共産党自体が既得権益化している現状においては難しい。今のやり方で経済成長から利益を得る仕組みができており、それが既得権益化しているのである。どうしても「成長」派が優位に立つ。 そういう中で、いくら税収増が続いているとはいえ原資は限られている。それを成長部分に回すのか、それとも分配部分に回すのか、あるいは環境に回すのかという問題を現場はかかえている。今の仕組みでは、力の弱い「大衆向け」に資金は自動的には向かわないということになる。

胡錦濤も成長なくして何物も達成できないことはよく分かっている。そのことを強調してもいる。しかし民、つまり大衆の不満も高じていることもよく分かっている。大衆の不満が高じれば社会の安定を保つこともできない。それは結局、経済の成長に響く。
この大衆の不満への警戒感は、江沢民をはるかに超える。江講話を読むと、ときおり、とってつけたように大衆路線の重要性がふれられているだけだ。しかし胡講話では、これがマインテーマである。やはり大きな時代の変化といわざるを得ない。
その結果として、人民大衆との関係の強化が繰り返し強調されている。とりわけ大衆の不満が大きい基層幹部の質の向上が焦眉の急となっている。「大衆への奉仕を基層党組織の核心的任務及び基層幹部の基本的職責とし、(そのことを通じ)基層党組織を、発展させ、大衆に奉仕し、人心を凝集させ、和諧を促進する強力な砦とする」と述べている。しかし実現のハードルは高い。

二つ目の党を割りかねない対立点が、鄧小平理論をいかに超克するかというところに出てくる。つまり鄧小平路線を推進しながら、結局それを越えざるを得ないという現実の課題にどう直面するか、という難題である。中国の現状が、今や鄧小平の語った言葉だけでは対応不可能となってきたことの表れでもある。その最たるものが反腐敗の問題がある(鄧自身、反腐敗の重要性を何度も強調している。しかし有効な処方箋は出していない)。
胡の言葉を借りれば「人心の動向と党の存否に係わる、党がしっかりと取り組まなければならない重大な政治任務」なのであり、「腐敗を有効に処罰できなければ、党は直ちに人民の信任と支持を失う」のである。 胡は、制度改革で対応しようとしている。「制度を用いて権利を管理し、物事を管理し、人を管理する」ということであり、「党建設を制度化し、規範化し、手続化する」という発想になる。“人治”からの離脱だが、制度をつくっただけでは不十分なのは明白なので、共産党員は立派な人間にならなければならないと強調する。その結果、胡講話には「徳」という字が無数に出てくる。ここで再び“人治”に戻ってしまうのである。 結局、鄧小平を越えないと解決は難しいといわざるを得ない。つまり私がよく使う譬えのように、中国共産党は癌にかかっており、自分で手術はできないのである。どうしても政治制度を改革しなければならないことになる。しかし“政治改革”と聞くと、そこで思考停止に陥るのが、1989年の天安門事件以来の、これまでの中国共産党であった。

中国共産党は、「自覚して憲法と法律の範囲内で活動する」というが、憲法や法律は、党がOKしないと党員には及ばない。中国共産党が憲法を超える存在であることが諸悪の根源ともいえるが、そこに言及することはない。そこで「積極的ではあるが穏当に政治体制改革を進める」ということになる。
結論は「社会主義民主」であり、「社会主義法治国家」である。つまり「中国の特色ある」仕組みということになる。胡講話の中に「民主」が嫌になるほど出てくるが、そういう意味である。しかしそれが何であるかかについて、まだ結論は出ていない。次の習近平時代の重大な課題となろう。

さらに大きな課題として、依然としてイデオロギーの問題をかかえている。われわれは1978年に鄧小平理論が採択され、それでこの問題は終わったと思っているが、実はそうではない。鄧小平理論は、オーソドックスな共産主義論者ないし保守主義者の強い批判を浴びてきたし(これが中国では「左」となる)、改革派(これが中国では「右」になる)からは改革が不十分であるとの、これも強い批判を浴びてきた。
中国指導部は、いつも、この「左」と「右」からの挑戦を受けてきた。そしてその中間を歩くことが最も安全であることを学んだように見受けられる。だが、それでは「新しい理論」は出にくい。ここに時代を突破する、もう一つの致命的な限界をかかえているのである。

終わりに
 このように中国の現状は厳しい。しかしすぐに崩壊することもない。この、ますます存在感を強める中国が、新しい国家像、自己認識を求めてさまよい始めた。鄧小平の描いた構図だけでは収まらなくなってきたのだ。 中国がすでに大戦略を定めて、一歩一歩それに向かっているという類の話は、中国の現実と合わない。中国自身が、結論を出せていないし、そもそも何を求めているのか焦点を絞りきれていない。議論は始まったが、まだ本格的な議論の段階には至っていない。
経済に関しては、われわれと同様の認識と見て良い。既存の世界経済秩序から最大の利益を引き出した中国が、その破壊者になるとは思えない。だが地政学の世界は違う。中国が「中国の特色ある」世界地政学秩序を願うのであれば、覇道は是認されない。アメリカの行動を覇権主義と批判しているのは中国ではないのか。
孟子に出てくる「力を以て仁を仮る者は覇なり」、「徳を以て仁を行う者は王たり」が覇道と王道の原義である。王道を口にすると、すぐ華夷秩序や朝貢関係の世界観を前提としているとのコメントに出会う。
だがこの古い世界観は、今日の状況に全くなじまない。アメリカや欧州、それにインドやロシア、そして日本という大国が同じ舞台に登場した今日、中国が中心となって世界全体を統べることは、予見しうる将来、考えられない。またこの世界観は、著しく文化的であり、文明的なものである。中国が卓越した文化と文明をもつことを前提とする。それが実現するにしても、とてつもなく長い時間を必要とするであろう。
中国は、数百年前の古い秩序に還ることはできない。そうであるならば新しい普遍的な理念を打ちだすべきである。そして世界文明の発展に寄与すべきである。その理念が中国の古典から来たとしても何の問題もないし、そこに中国台頭の文明史的な意義ある。

(2011年8月10日寄稿)