日本のアフリカ農業支援二題(その1)

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   元国連大使、JICA副理事長 大  島  賢  三

世界的な食料価格高騰が再び表面化し懸念を生んでいる。6月のG20農相会合で対策が話し合われる予定もあるようだ。筆者には農業や食料危機の問題を真正面から論じる資格はないが、開発協力の視点から、現在日本が関わっているアフリカに対する二つの大きな農業協力計画について紹介したい。本号では「コメ倍増計画」について、次号で日本とブラジルが協力してモザンビークで進める「三角協力」を取り上げたい。
 この前に食料危機が世界を騒がせたのは2008年春から夏のころ、ちょうどリーマンショック直前のことであった。5年ごとに日本が主導する「第4回アフリカ開発会議、TICAD4」が丁度、この時期(2008年5月)に横浜で聞かれていた。折からアフリカをふくむ30以上の国で食料暴動が発生し、政権崩壊につながる例も出ていただけに、横浜での会議に参加していたアフリカ40ヵ国以上の各国首脳や国際機関の関係者には、深刻な課題として頭上に重くのしかかったに相違ない。アルゼンチン、ウクライナ、ロシア、インドなど少なからぬ穀物輸出国が輸出規制に訴えたことも、パニックを広げた。
 そのような経験から「食料安全保障」に対する意識が各国に強まり、日本など輸入国側を中心に、価格抑制や輸出規制に関する国際的ルール作りへの関心も高まった。その後、食料価格の方は少し落ち着きを戻したものの、高止まり傾向は続いてきた。そして、今の危機再来の兆しである。
 世界的な食料高騰を招く元凶として、最近の豪州やロシアなど穀物大生産国における(気候変動による影響を含め)干ばつや洪水など天候不順の激化、〝膨らむ胃袋″(人口増と中国など新興国での消費増大)、バイオーエタノール生産との競合、さらには農業セクターへの投資不足、投機マネーの流入といった数々の要因が指摘されている。多くは中長期的、構造的な要因であり、将来的な影響の広がりは大きい。つまり、安い食料、カネさえあれば世界から食料を輸入できる時代は当然視されなくなりつつある。日本のように食料自給率が低く、大量の穀物輸入に頼る国は安閑としておれなくなる。こうして、日本でも一部商社は海外での食料権益確保へと動き、湾岸産油国や韓国など一部の食料輸入国の政府や企業が逸早く、世界各地の優良農地、遊休地をめがけて農地争奪(Land grabとかLand rush)と呼ばれる動きに走っている。

農業軽視への反省 
開発の観点から見るとどうなのであろうか。農業や農村開発はODAの伝統的分野の1つではあるが、ここ2、30年間を見ると、特に多くのアフリカ諸国においては、独立以来、生産から流通まで公的セクターで管理していた農業セクターの効率悪化が顕著になる中、また余剰農産物や〝安い食料価格″を背景に、先進援助国による農業分野への資源配分は減少を続けてきた。ことに80年代から90年代にかけて流行した世銀・IMF主導の「構造調整政策」の下で、アフリカなどでは農業関連案件の予算はバッサ、バッサと削られた。その中で、日本は比較的に農業・農村開発を重視したドナーであるが、世界全体的には農業軽視は否めなかった。最近の2、3年こそ、こうした減少に歯止めがかかり増勢に転じているが、はっきりと警鐘を鳴らしたのは2008年版の世銀の「世界開発報告」である。この年の報告は農業を特集し、(一般に誤りを認めたがらない)その世銀が、「過去の農業軽視は誤りであった」と率直に認め、政策転換をアピールしたのである。
 いったん食料危機が起きると、最も脆弱な国や地域は飢餓や貧困の多いところ、特にアフリカ(サブサハラ・アフリカ地域)だ。同時に、(見落とされがちであるが)農業生産性を上げる余地、農地開発の余地が大きいのも、実はアフリカである。危機と潜在可能性が同居するこのアフリカの農業・食料問題の改善に向けて、日本が力を入れて協力できること、比較優位があるとすれば、それは何であろうか。数力月後に追っていたTICAD4への準備として、世銀報告のメッセージをくみ取りながら、JICAではこれにいかに対応すべきか検討を進めていた。
その答えは、(常識的ながら) コメである。日本はキャッサバ、大豆、トウモロコシ、小麦などについては特段の比較優位はないが、コメであればアフリカでも数力国で協力実績の積み重ねがある。西部アフリカにおけるコメ専門の地域機関であるWARDA(後に
「アフリカ稲センター」に改称) への資金援助・専門家派遣や、東部のケニア、タンザニアなどでも協力を続けてコメ増産に貢献している。DACの先進援助国グループの中で
コメ専門家派遣などにより稲作協力ができるのは、日本くらい(あと若干ではあるがフランス、研究支援などでアメリカ)である。ただし、コメに特化するにしても、従来の二国間協力タイプの稲作プロジェクトを少々増やすだけでは新味はなく、インパクトも限られる。新しいイニシアティブを打ち出す以上は、従来の実績を活かしつつも少々大胆な発想、ちょっとした戦略アプローチが必要である。

 こうして、TICAD開催までの数力月の間に新しいアイディアの太枠を固め、それに基づきアフリカをはじめとする関係機関・団体等への周到な根回しが始められた。その上で、2008年5月の横浜会議の機会に打ち上げられたのが、以下に概略を述べる。〝CARD″と略称される「アフリカ・コメ生産10年倍増計画」である。

10年倍増計画の打ち上げ
コメを主食とするアジアには及ばないが、アフリカでもコメは多くの国で主要穀物の1つになっている。日本人のコメ消費量は漸減して、最近では65キロ前後/年であるが、インド洋に浮かぶマダガスカルが最も消費が多くて日本の倍近く(120キロ以上)、西アフリカの象牙海岸、セネガル、ギニアなどでは日本以上の80キロ前後を食べている。東アフリカのケニア、タンザニア、ウガンダなどはまだ10キロ以下に留まるが、ここでも近年消費量は急速に伸びている。(貧困層にはまだ手が届きにくいが)コメは保存が効き、調理が簡単、栄養価が高いので、とくに都市部を中心に消費の伸びが大きく、都市化の進行が全体の消費を押し上げる構造になっている。特に1990年代後半以降に、アフリカの多くの国でコメ需要が急速に増大し、主に耕作面積の拡大により生産増が図られてきたものの需要に追いつかず、アジア等からの輸入に頼っているが、このため多額の貴重な外貨が使われている。サブサハラ・アフリカ全体のコメ生産量は、推定約1,400万トン (自給率は全体で60%) で、これはフィリピン一国の生産量に過ぎない。また、コメは、アフリカにおける主要穀物のうちで唯一、低湿地の適切な開発や媽灌漑の拡大、栽培技術の改良による生産増大のポテンシァルが高く、一般に農民のコメ生産意欲も高いとされている。

稲作振興のための共同体立ち上げ
そこで、アフリカのコメ生産を画期的に増やすとして、その目標をどのように設定するか、その目標実現に向けて国際協力の仕組みをどうするか、JICAとしてアフリカ側の、どのパートナーと組むのが適当か―これらが最初の検討課題であった。
 まず目標設定は、専門家の意見も良く聞いて、向こう10年間を目途にサブサハラ・アフリカ全体で生産を「倍増」することを目指すことにした(1,400万トンから2,800万トン次に協力・連携の仕組みとして、まずドナー側では、①アフリカの農業・稲作に関心を持つ二国間ドナー(米、仏など)、②マルチ援助機関(世銀、アフリカ開銀など)、③農業関連の国際機関(FAO、IFAD、WFPなど国連機関)、④マニラに本部を置く国際稲研究所(IRRI)、農水省傘下の国際農業水産研究センター(JIRCAS)、⑤アフリカ地域機関・研究機関(WARDAなど)を出来る限り広く巻き込んだ上で、これを協議グループとして組織化し、情報の共有を進め、個々のプロジェクト活動の調整と調和を図ることを目的とする「共同体」を立ち上げることにした。

 こうして生まれたのが、「アフリカ稲作振興のための共同体、Coalition for African Rice Development’ CARD」である。CARDは、コメという単品作物に特化し、幅広い参加機関のそれぞれの比較優位を活かしながら、「緩やかな援助協調」を目指すというユニークな位置づけの仕組みと言えるであろう。
 JICAはこの「共同体」の中で主導的役割を果たすが、アフリカの〝オーナーシップ″を担保する意味でアフリカ側にも主導的なパートナーがあった方が良いとの考えから、「アフリカ緑の革命のための同盟、Alliance for a Green Revolution in Africa’ AGRA」という民間組織をこれに選ぶこととした。アジアでは1960年代から70年代にかけて小麦とコメ増産に画期的成果を挙げることで「緑の革命」を成功させたが、アフリカ版の「緑の革命」を実現させようと数年前にスタートしたのがAGRAである。アメリカのゲーツ財団、ロックフェラー財団などがこれを強力にバックアップしており、その会長には国連事務総長を退いたコフィ・アナン氏が就いている。ケニアの首都ナイロビに本部事務所、アフリカの数力所に支部を置いて、コメをふくむアフリカ農業振興全体のために活発な支援活動を展開しており、頼りになるパートナーである。
 AGRA会長のコフィ・アナン氏は、かつて筆者が国連事務局に勤務していた時のボスであった。それも助けになったか、アナン氏を訪ねて「共同体」の構想を説明しその同意を取り付けることは、幸い比較的簡単に進んだ。また、AGRAの本部事務局の一角にCard専任の小さな事務局を設置することについても快諾を得た。

CARDの活動
 こうして立ち上がったCARDは、2008年10月にナイロビで第一回の本会合を開いて本格的活動を開始した。ここで①支援対象国が正式に決定された(コメの重要性が相対的に高い「第1グループ」としてマダガスカル、ナイジェリア、ガーナ、ギニア、セネガル、ケニア、タンザニアなど12力国、これに続く「第2ダループ」としてエチオピア、ザンビア、コンゴなど11力国の合計23力国)。②また、「共同体」の総会を2年に1度のペースで開くこと、コア・メンバー(JICA、AGRA、世銀、IRRI、JIRCASなど11機関)によって構成される運営委員会が最低毎年1回会合して全体の連携・調整にあたること、③CARD事務局を設置して日常業務の運営にあたること等が合意された。さらに、④「第1グループ」と「第2グループ」の支援対象国は、各国それぞれの「稲作振興戦略」を策定すること、それを基礎に各国の自助努力と国際支援が相まって振興策が進むよう努力を傾注していくことも合意された。
 それから、約2年半、CARDの枠組みの下での活動は徐々にではあるが、着実に進展を見せているこの間に、上記の[稲作振興戦略]ペーパーは各国により作成され、その着実な実施に向けての動きも具体化しつつある

 ドナー側の投入計画も次第に強化されつつある。日本は、世銀に設定している「開発政策・人材育成基金」の中からCARDの下でのアフリカ稲作支援に向けて1億ドルを振り向けることを決定し、コメ生産性向上のための研究強化、人材育成等の支援に充てられる。
JICAは、コメ関連技術者・普及員など人材育成のための研修、コメ専門家の派遣、濯漑計画などを強化してCARD達成への貢献を主導する。モンティ・ジョーンズ博士(シエラレオーネ出身)がアフリ力種とアジア種を交雑させ、両者の長所を発揮させることに成功した「ネリカ米」の普及にも日本人専門家が大きく貢献している。
 上述のAGRA、世銀・アフリカ開銀、FAOやIFADなど国連機関も、それぞれ投入計画を増やして協力を強化している。オバマ政権下の米国(USAID)は新援助政策の下で、「食料安全保障」を主要な柱に据えているが(“Feed the Future” 計画)、CARDを今後の日米援助協力の一つに柱に育てていこうとする流れも出てきている。

アジア・アフリカ協力の芽
 さらに、今後注目されるのは、稲作を軸とした「アジア・アフリカ協力」の進展可能性である。コメであれば、アフリカとアジアの間で「南南協力」「三角協力」を進める「入り口」になり易い。現にその方向で幾つかの動きが出始めており、JICAとしても、東南アジア諸国がCARDに参加することを奨励していくこととしている。現に、インドネシア、フィリピン、ベトナムなどは、JICA支援の下に自国のコメ専門家をアフリカの稲作国に派遣し、あるいは研修員を受け入れることに積極的で、今後拡大していく可能性が大いにある。韓国(JICAのカウンターパートであるKOICA)のCARD参加の話も出ている。エチオピアのメレス首相など、一部のアフリカのリーダーは「アジア経済発展の経験から学ぼう」と熱心に提唱しているが、CARDを通じる支援・交流が一石を投じることになれば面白い。
 勿論、CARDの前途には数々の難題が山積しているのも事実だ。稲作に限らずアフリカの農業は、低い生産性、無駄の多い収穫後処理、肥料・農薬などの低投入、灌漑施設や農村道路などインフラ不備、農業技術や品種改良の後れ、マーケティングの溢路など課題は多い。生産から市場への流れ全体をにらんだ対策(いわゆるバリュー・チェーンーアプローチ) に取り組む必要性が高いことも強調されている。ただ、アフリカの多くの政府は農業重視へと舵を切りかえ始めており、政府予算の10%を農業に振り向けようと言う目標も設定されている。コメはアフリカ農業全体からみればごく一部に限られるが、CARDを通じてアフリカ農業の改善・発展に良いインパクトが生まれることになれば幸いである。 
                 (会報4月号より転載)