「国際人のすすめ-世界に通用する日本人になるために」 松浦晃一郎著(静山社出版)」を読んで
静山社
元科学技術協力担当大使
元ユネスコ事務局長補
松井 靖夫
松浦晃一郎氏が、日本の外交官40年余のプロフェショナルとしての経験とユネスコ事務局長10年の成功体験に基き、国際人として得られた成果と学んだ教訓を織り込んだ好著である。国際人をめざす前途有為な我が国の若い世代、彼らを育てようとする教育関係者、国際社会の舞台をみているジャーナリストと研究者には必読の書である。
本書は、ユネスコ改革に奮闘する、世界に通用する国際人の資質と日本流が通用しないダイバシティ組織の3部から成り立っている。これは松浦晃一郎氏が、日本の国益を中心に行動する外交官から、国際機関の長として国際社会全体のこと即ち人類全体の利益をまず考えて行動する国際人への転換の軌跡を説明し、この背景のもとに、本書のテーマである世界に通用する国際人の資質について自らの鍛錬と努力を前提に解説している。ついで、ダイバシティな組織(人種、価値観の多様な3,000人のスタッフ)の統率の仕方、国際選挙の戦い方など実例をもって説明している。この構成と展開は、大言壮語やプロパガンダに距離をおき、知的な誠実さとファクトを大切にする松浦晃一郎氏の人柄の表れといえる。
ユネスコ改革に奮闘する(第1部)は、ユネスコに精通していない読者には、ユネスコ独特の「企業文化」の予備知識があったほうがよいと思う。ユネスコは、世界遺産(登録と保護)と言う「ヒット商品」でその名を知られ、輝かしい時代もあった。そもそも、「戦争は、人の心に生まれるものである。したがって、人の心に平和の砦を築かなければならない。」との文章で始まる国連教育科学文化機関憲章(1948年)から生まれた。政治的、経済的取りきめでは、永続的平和は続かず、人類の知的、精神的連帯の上に平和を築くべしとの第三の道(政治でもなく、経済でもない)を志向してきた。ユネスコの職員、各国常駐代表のなかには、インテリや文化人を自任するものが多かった。しかしながら、前任者のマイヨール元事務局長(スペイン出身)は演説が上手なカリスマ型のリーダーで、「平和の文化」の定着を唱え、具体的な事業よりも運動に力をいれ、任期の最後の年には、事務局内で、こうした運動同調者の多くを異例の形で昇進させた。これらが、松浦晃一郎氏がまず直面した状況であり、負の遺産の整理と事務局の立て直しが待ったなしの課題であった。
世界に通用する国際人の資質(第2部)については若い読者に熟読を薦めたい。
松浦晃一郎氏は、語学力が基本、記憶力のつけ方、判断力が鍵、議論するコツ、中期ビジョンを打ち出す、体力がすべてを決める6項目をあげている。同氏の求めるレベルは高い。国際機関では、二カ国語以上は常識とし、英語に加えてもう一つの外国語(ユネスコの場合はフランス語)で質疑応答がスムーズかつ臨機応変にできること、そして記憶力は努力によって高められる、総論だけの合意では、各論で意見の相違がでることはしばしばあるので、詳細を常に勉強研究した上で記憶し、各論も総論といっしょに議論する習慣づける事を必要としている。
また、判断力は、国際機関のトップとして運営するにつれ、その重要性を益々感じたとし、若い外務省事務官時代に薫陶を受けた局長から「外交官としていろいろ難しい局面に遭遇するに違いない、一番留意すべきはしっかりと判断し、しっかりと決定することだ」といわれたことを常に思い出したとし、ユネスコの各国事務所の整理統合、人事問題での労働組合との対決などの難しい交渉では、大局観をもち、原則に戻って判断をしたと判断力の重要性を説いている。 議論をするコツについては、40年間の外務省生活の中で、常にタイミングよく、丁寧かつ論理的に意見をのべることを悩み、心がけてきたと述べている。 国際機関では、相手の反応をみて、英語ないしフランス語で、論旨を明確に伝え、事務局が言うことはもっとも、だとの印象を残すよう努めたとし、自分の考えを述べる訓練を重要視し、特に大学教育が鍵であると述べている。「中期ビジョンを打ち出せ」では、米国の復帰実現のための水面下での工作と秘話にも言及している。体力がすべてを決めるの項では、一日15-16時間働き、加盟国首都訪問を繰り返す激務のうえで毎日の健康維持の配慮が最も大切とし、90歳になったら健康維持法の本を執筆すると今から宣言している。
日本流が通用しないダイバシティな組織(第3部)では、国際組織を動かす秘訣を述べている。興味深いのは、日本流と欧米流の常識の対比である。日本の外務省40年間で言いつけられた3つの教え(長話をするな、自慢話をするな、責任から逃げるな)を守ってきたが、国際選挙で運動するときは正反対の3原則(できるだけ長話をする。成功した自慢話だけを話す、失敗談など話してはならない。不利な点の指摘にはすぐ反論し、絶対に責任をみとめてはならない)を実施するようアドバイスを受けた。しかし、なかなか身に付かないまま、当選したと述べている。ユネスコ事務局長になってからは、話は英語とフランス語では長く、自慢話も増えたが、それでも欧米人からみれば謙虚と映った、責任から逃げない点は日本での教えを守り、欧米人からも高い評価をえたと述べている。
(2011年7月11日寄稿)