普天間飛行場移設の大前提は民自両党間の基本合意形成

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元沖縄担当大使 橋本宏

現在政府にとって最も緊急を要する国家的課題が東日本大震災からの復旧・復興であることは論を俟たない。同時に日本全体の中長期的発展のために取り組まなければならない喫緊の課題は他に多くあり、それらを放置しておくことは許されない。わが国安全保障政策の根幹に関わる普天間飛行場移設問題もその一つである。

1996年4月に橋本総理大臣・モンデール駐日米国大使(当時)が共同記者会見において普天間飛行場の全面返還を表明して以来、長い年月と紆余曲折を経て、2009年4月には自民党政権下で普天間飛行場移設に先立つ環境影響評価準備書が提出され、同年8月には地元沖縄の関連市町村の首長から意見書が提出されるまでに至っていた。しかし、同年8月30日の総選挙に基づく9月16日の民主・社民・国民新党による鳩山連立内閣の成立後、普天間飛行場移設問題が混迷に混迷を深めたことは周知の事実である。その後2010年5月28日の日米共同発表により、大筋で2006年5月の日米合意である「ロードマップ」)のラインに戻ることにはなったものの、その間沖縄は全く「カヤの外」に置かれ、爾後名護市長も沖縄県知事も、この共同発表の内容は受け入れ困難との立場を明確にしてきている。

そもそも仲井真県知事からすれば、総選挙の選挙戦の中で鳩山民主党代表(当時)が、普天間飛行場移設問題に関し「最低でも県外移設が期待される」と訴え、首相就任後も県外移設の可能性を追求したものの、結局2010年5月の日米共同発表において、「代替施設をキャンプ・シュワブ辺野古崎地区及びこれに隣接する水域に設置する」ことに再び合意するに至った経緯について、県知事に対して正式で詳細な説明を行わなかったことから、これでは沖縄県として何をどのように理解すれば良いのか全く分からない、としか言いようがないのであろう。加えて、仲井真知事としては、政府による県外移設の可能性の検討という過程を通じて、沖縄県民は最早県内移設という選択肢を受け入れる余地をなくしてしまった、との思いを強くしていることであろう。

今年に入って関係閣僚が相次いで沖縄県を訪れ、政府としては昨年5月の日米合意について県民の方々の理解が得られるよう特段の努力をしていきたいと述べているが、県知事はじめ関係首長は「受け入れ困難」という対応を続けており、事態打開の目処は全くついていない。筆者は、沖縄担当大使としての経験を踏まえ、今年1月の霞関会ホームページの論壇に「米軍基地問題に対する沖縄県民の意識」と題する寄稿をした経緯があるが、そこで開陳した論点からしても、現在の政府の対沖縄アプローチは「無理筋」のものであると考えざるを得ない。

そこで筆者は政府に対して次のような段取りを助言したい。

(第1段階)早期に菅総理大臣から仲井真知事に対して、2009年総選挙以降2010年5月の日米合意までの間の民主党・政府の「対応ぶりの変遷」について、正式かつ詳細な説明を行うこと。
(第2段階)続いて菅総理大臣から谷垣自民党総裁に対して、同様の説明を行うとともに、民自両党間で普天間飛行場移設問題についての基本合意の形成を行うこと。
(第3段階)この基本合意を踏まえ、政府は沖縄県に対し政府の立場に対する
理解を求めること。
(第4段階)政府は沖縄振興も含め普天間移設全体の課題について沖縄県との間(結果として米国政府との間)で調整を行うこと。

以下に若干の解説を行いたい。なお、6月2日菅総理大臣は震災対応に一定の目処がついたところで退任する意向を明らかにした。時期がいつになるかは詳らかにされていないが、将来退任の場合、筆者としては、次期総理大臣に対してもこの段取りを助言したい。

第1段階については、政府側としては、これまで経緯について沖縄県に何度も遺憾の意を表明している、という理解であろう。また、仲井真知事としては、菅総理大臣から正式説明を受けたからと言ってこれに納得することは出来ないという立場であろう。それにも拘わらず、筆者としては、菅総理大臣から仲井真知事への正式説明は、政府としての義務であると考える。沖縄をカヤの外に置いたままで、日米合意に対する理解を沖縄に求めることは、政治の王道ではないし、また、沖縄県民の誇りを傷つけるものである。菅総理大臣からすれば、この正式説明はまことに居心地の悪いものになるであろうが、これを乗り越え、沖縄県民に「礼節」を示す必要がある。少なくとも仲井真知事が沖縄県民に対して、“政府の説明には到底納得できないが、正式かつ詳細な経緯の説明を行ったことは評価する”といった趣旨の発言することが出来る環境を醸成する必要がある。

第2段階については、菅総理大臣としては、2010年5月の日米合意が2006年の自民党政権下の日米ロードマップと軌を一にするものであることを認め、政権交代によっても日本が継続して順守すべき基本的国益の認識を共有することを通じて、普天間飛行場移設の基本的立場について両党間の合意の形成を求めるべきと考える。政権交代があるたびに政府の普天間飛行場移設問題に対する基本的立場が変更される可能性があるような状況では、沖縄県民が政府の取り組みを真剣に受け取ることは困難であろう。

第3段階については、民自間の基本的合意の基礎があって初めて、政府の立場に対する沖縄県の「理解」を求める環境が整うことになると言える。現在はこうした環境が出来上がっていないと言わざるを得ない。他方、例え民自両党間の共同歩調が整ったとしても、それが直ちに沖縄県民からの理解が得られることを意味するところにはならない。しかし、少なくとも沖縄県民の理解を得るため、一つの重要なステップが踏まれることになる。敢えて言うならば、筆者には、このような過程を経ずして沖縄県の理解を求めることは、ほぼ不可能に近いと思える。

第4段階においては、政府・沖縄間、ひいては日米間において、どこまで相互の立場の相違点を調整し得るかについて、ギリギリの話し合いが必要となる。抽象的な表現ではあるが、その最終的な姿は、関係者間のすべてに一定の不満は残るものの、日米両国政府、沖縄県の3者間のバランスをこれ以上動かすことは出来ないという共通認識が生まれるような内容の合意、以外のものであることは考えにくい。かかる合意達成が如何に難しいことであるかについては、普天間飛行場の移設問題のこれまでの経緯から見ても明らかであるが、そうであるが故に、菅総理大臣としては、米軍基地の存続に反対する沖縄県民の深い思いへの理解を持ちつつ、強いリーダーシップを発揮してこの調整に全力をあげることが必要と考える。

筆者には、今の政府のやり方が続く限り、普天間飛行場移設問題のすべての関係者が解決の遅れの責任を相手側になすりつけたままで、ただただ時間が過ぎていくような気がする。皮肉に聞こえるかも知れないが、筆者には、普天間飛行場の現状が続くことに対して、関係者の誰もが不満を持っているように見えると同時に、未解決のために焦慮している様子も伝わって来ない。こうしたことで日米両国政府も沖縄県も良いのであろうか?

上記のような段取りは政府にとっても沖縄県にとっても受け入れ難いものであるとして、筆者は各方面から批判を受けるかも知れない。しかし、関係者のすべてが大いに汗をかき、大いに苦労することなしに、普天間飛行場移設が実現するとは到底思えない。

東日本大震災の復興に関連して政策課題ごとに民自両党が共通の立場を模索する動きが続いている。普天間飛行場移設問題についても、まず両党間で基本的合意の形成に取り組み、それを基礎にして、沖縄県への働きかけを早急に始めて貰いたい。
                              (2011年6月3日寄稿)