「人間の安全保障」の発展 (後編)

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上田 秀明  前駐オーストラリア大使

5. ミレニアム・サミットと人間の安全保障委員会
(1) 日本が人間の安全保障を打ち出している折に、2000年秋の総会をミレニアム総会とし、世界の首脳が世界の課題について討議することが予定されていた。
そこで、日本としては、人間の安全保障をこの総合の議題として国際的にさらなる推進を図る方針を立てた。佐藤大使以下の国連代表部がロビー活動を行ったが、中国、インド、ブラジルなどの途上国から「概念があいまいである、先進国による途上国への干渉を招く恐れがある、発展の権利を損なう」などとして懸念が出され、議題にすることは簡単ではない事態であることが分かった。カナダも人間の安全保障を議題とするよう提案したが、結局、人間の安全保障は議題としては採用されなかった。
  日本としては、ミレニアム宣言の内容についての議論の課程で人間の安全保障が有益なアプローチであるとうったえたが、貧困撲滅、開発促進を重視する途上国側(G77)と民主化、人権、地球規模の環境問題などを重視する先進国側の主張との間で首脳宣言案をめぐる議論がまとまらず、日本も宣言に文言として人間の安全保障に言及することは断念して、内容的に取り入れを図った。そして、ミレニアム宣言の「価値と原則」(とくに5、6、)に人間の安全保障の考え方が含められた。すなわち、開発・貧困撲滅で途上国の主張をいれた「ミレニアム開発目標」が設定されると共に、人権・民主主義・良い統治と弱者の保護で先進国の主張が入れられた。

(2) カナダはアクスワージー外相が、対人地雷禁止条約を提唱したのに続き、人間の安全保障の重要性をうったえた。当時、コソボでの悲惨な事例が注目されており、カナダは、人間の安全保障として人道的介入が必要となるようなケースを重視していた。アナン事務総長が、いかなる時に人道的な軍事介入が行われるべきかをより明確にすることを呼びかけたのを受けて、カナダの提案で「介入と国家主権についての国際委員会」が設置され、2001年12月に報告書が出された。主要な点は、国家主権は責任を伴い、国民を保護する主要な責任は国家にある:内戦、騒乱、抑圧、国家破綻の結果、人民が甚大な迫害を受け、国家が迫害を止め、または避けさせようとしないか、その能力に欠ける際は、国際的な保護を行う責任が内政不干渉の原則に優先する:軍事的介入は最後の手段だが、大規模な虐殺、ジェノサイド、民族浄化の脅威の場合、安保理か(緊急特別総会も)決定するとして、予防の重要性を指摘し、総会に保護する責任について決議採択を提案した。カナダは、総合での採択を目指し、活発な外交を展開した。

(3) 日本としては、カナダのようなアプローチを前面に出すと途上国の反発をかうので、よりひろいアプローチをとるべきであるとの議論を行ったが、平行線をたどった。そこで、日本としては、人間の安全保障の理解者を増やす努力を継続し、事務総長の「恐怖からの自由」と「欠乏からの自由」の2つの目標達成の呼びかけに対して報告を行う目的で、ミレニアム総会で森総理より提案し、「人間の安全保障委員会」を2001年1月に設立した。緒方貞子UNHCR(現JICA理事長)とアマルティア・セン教授(ノーベル賞受賞者、ケンブリッジ大学・トリニテイ・カレッジ学長)を共同議長とし、ブラヒミ・アフガニスタン問題担当事務総長特別代表、ジンワラ・南ア下院議長、スリン・前タイ外相、ゲレメク元ポーランド外相、サザランド・元GATT・WTO事務局長など12名の有識者を委員とするこの委員会は、人間の安全保障の概念構築と国際社会の取り組むべき方策について提言する目的で会合を重ね、2003年5月に最終報告書を事務総長に提出した。
報告書は、人間の安全保障は、「国家の安全保障の考え方を補い、人権の巾を広げると共に人間開発を促進し、多様な脅威から個人や社会を守るだけでなく、人々が自らのために立ち上がれるようにその能力を強化することを目指す:個人と国家、国家と国際社会を結ぶ制度や政策を改善し、世界規模の連携をはかる:人間の生にとってかけがいのない中枢部分を守り、すべての人の自由と可能性を実現する:人間の安全保障なしに国家の安全保障は実現できず、その逆も同様である:人間の安全保障実現のためには強靫で安定した制度が必要であり、その裾野は一定の現象に焦点を当てる国家の安全保障よりも広い:暴力を伴う紛争・テロ、犯罪、戦争からの犠牲・難民と困窮、貧困、環境汚染、病気、教育(特に女性)の双方に統合して対処する」、と指摘し、国際社会に次の10項目の提言を行った。
すなわち、暴力を伴う紛争下にある人々を保護すること:武器の拡散から人々を保護すること:移動する人々の安全確保を進めること:紛争後の状況下で人間の安全保障移行基金を設立すること:極貧下の人々が恩恵を受けられる公正な貿易と市場を支援すること:普遍的な生活最低限度基準を実現するための努力を行うこと:基礎保健サービスの完全普及実現により高い優先度を与えること:特許権に関する効率的かつ衡平な国際システムを構築すること:基礎教育の完全普及により全ての人々の能力を強化すること:個人が多様なアイデンティティを有し多様な集団に属する自由を尊重すると同時に、この地球に生きる人間としてのアイデンティティの必要性を明確にすること:である。
この報告書は、人間の安全保障についての国際社会の共通認識となり、その提言を後押しし、人間の安全保障基金の運用に助言するために、人間の安全保障諮間員会が設けられている。

6. 国連首脳会合成果文書と人間の安全保障フレンズ
(1) 人間の安全保障委員会の報告を受けて、日本としては、2005年の国連首脳会議
(ミレニアム総会のレビュー)の成果文書に人間の安全保障を盛り込むべく運動した。日本の人間の安全保障とカナダの保護する責任の概念整理が課題となった。カナダは2つを連続したものとみなしているのに対し、日本は途上国からの保護する責任への反発を踏まえ意図的に2つの概念を分けて対応してきたところだが、この際お互いの考えの相違はそのままで、とりあえず共同戦線を張ることとなり、結果的には、両概念とも成果文書に含められた。

  人間の安全保障には依然としてブラジル、キューバなど途上国から概念があいまいとして疑問がだされたが、パラグラフ143で、「我々は、人々が、自由に、かつ尊厳を持って、貧困と絶望から解き放たれて生きる権利を強調する。我々は、全ての個人、特に脆弱な人々が、全ての権利を享受し、人間としての潜在力を十分に発展させるために、平等な機会を持ち、恐怖からの自由と欠乏からの自由を得る権利を有していることを認識するめ、我々は、総合において人間の安全保障の概念について討議し、定義づけを行うことにコミットする。」として明確に言及された。

(2) 2006年日本は、人間の安全保障に関する共通理解の構築及び国道の諸活動におけるこの理念の主流化に向けた協力を模索するために関心国・機関と人間の安全保障について議論する場として、ニューヨーク・ベースの非公式・自由なフォーラムである「人間の安全保障フレンズ」の立ち上げを主導した。これには、メキシコなど10数ヵ国が参加し、その後累次4回目まで開催されている。もっとも、カナダもノルウェイなどと「人間の安全保障ネットワーク」を設立して同様の活動を行っている。
  国連における最近の動きとしては、2007年に人間の安全保障基金に日本以外の国では初めてスロベニアが2万ドル、タイが3万ドルを拠出した。また、2008年5月には総会のテーマ別討議で人間の安全保障が初め議題とされて各国が議論に加わった。これらの動きは、これまでの人間の安全保障の分野での日本の努力が国際社会で認められた証左といえる。

(3) 人間の安全保障については、エヴィアン・サミット議長総括で言及され、同年のバンコクおよび2004年のサンチャゴのAPEC首脳会議の宣言に盛り込まれるなど、国際的に認知されてきた。また、日本とEU、メキシコ、ベトナム、インド、豪州、モンゴル、英国との間の2国間の共同文書で言及されている。

7. 日本外交にとっての意味合い
国家安全保障は、近代国際政治の歴史を踏まえた上で理論化されており、各国はそれぞれの置かれた安全保障上の現状認識を行い、ハード面、ソフト面の政策を決め、実施してきた。しかし、冷戦中は、各国の国家安全保障はなんといっても米ソ両大国、せいぜい他のP-5を加えた国々の意向、動向によって左右されてきていた。日本は、敗戦後米国との同盟の下で「軽武装・経済立国」の路線を採り、国内では非常にいびつな「安全保障論議」が行われてきた経緯から、この分野では国際的に「1人前」とは扱われてこなかった。この路線により、アジア諸国の日本再軍備への「疑心」を薄めてきたメリットは指摘すべきだが、日本は国際場裡では「経済大国」ではあっても伝統的な意味での大国ではない。
日本外交は、核廃絶を達成するとの政策を一貫して追求してきている。米国の核の傘のもとで国家安全保障を確保しつつ、この方針を追及するのは一見論理矛盾ともとれるが、経過措置的な現実の下にあると説明できるであろう。さらに一貫しているのはODAの実施であるが、これは「相手国の関心」に応えつつ、「情けは他人の為ならず」ともいうべき長期的視野に立った日本の国益追求の路線といえる。
ここに、人間の安全保障が外交の柱として加わった。これまでの経緯で明らかなように、人間の安全保障論は、国家安全保障論とは異なりすぐれて意図的に打ち出された「政策論」である。誰も正面切って否定できない肯定的な要素からなっており、欧米の言う「人権外交」よりもやや広範で、先進国、途上国のいずれからも「文句を付けにくい」考え方であり、いまや国連ではJapan Brandになっているといえる。
ODA予算が減額されているが、日本ブランドの人間の安全保障ODAの充実は費用対効果が高いと思われ、今後とも活用すべきと思われる。
軍事力による国際貢献の面では限界のある日本としては、ここまで発展してきた「人間の安全保障」を引き続き外交の柱の1本とし、各般の施策を展開することは、厳しい国際環境の下で存在感を示しつつ、日本への信頼感の醸成に資するものであり、長い目で国益を確保していくために有益であると考える。
米つくりに例えれば、秋により良き収穫を得るための、早春の苗代つくりと真夏の田の草取りのような作業であると考える。

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