東日本大震災とアフリカからの支援

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元駐ナイジェリア大使 佐々木 高久

今回の大災害で色々なことに感じ入った。それは被害者の内に秘めた底力であり、一般市民・アーチスト・スポーツ選手等の一過性でない支援活動、世界各国よりの心温まる各種支援、日本人を信頼し、激励してくれた各国メデイアの報道である。
ここでは、日本から距離的に遠く、多くの日本人にとって感覚的にも縁の薄いアフリカ大陸の諸国が極東の日本で起きたこの惨害に対してどのような反応を示したかについていくつかの例を紹介することとしたい。

1. お見舞い状
アフリカ大陸53ヵ国の内、現在内戦中である1ヵ国を除いた52ヵ国の大統領、首相等から、また、
アフリカ連合等4つのアフリカの国際機関の事務局長から、天皇陛下、総理等に対しお見舞いのメッセージが届けられた。各国首脳は、その中で、弔意と連帯の意を表すると共に、「勤勉な日本国民がこの厳しい苦難を勇気と献身の精神で乗り越えるものと確信しております」、「日本がこの惨事に耐え、早期に立ち直り、正常化及び繁栄に向けた復興を進めることを確信しております」等々と述べ、日本人の勤勉さ、不屈の精神をもって日本が早期に再建復興することに期待感を示している。

2. 救助チーム
震災発生直後、19ヵ国・地域が被災地に救助チームを派遣したが、その内の一つが
南アフリカ救助チームであった。南ア・チームは総勢45名、3月18日から27日まで滞在し、宮城県の岩沼市、名取市、石巻市、多賀城市において救助活動を行った。

(1) 南ア・チームは、現地で使用する機材や宿泊用テント、チーム用の食料等総量12トンの装備品を持ち込み、南ア側手配の車両で、また、福島第1原発の状況も了解の上で(放射能防護服も持参)現地入りした。

(2) 同チームは、宮城県警、地元警察の要請に従い、「言われたことは何でもやる」との姿勢で割り当て区域の捜査活動を行った。同チームは規律を守り、高い士気をもって活動し、資器材の整理整頓、隊員の行動等に厳しい指示が徹底され、現地警察、地元民より高い評価を得た。

(3) また同チームは、瓦礫の下の捜査やその撤去作業に加えて、外国救助部隊では唯一ゴムボート(2隻)を持ち込み、冠水した地域で水上、水中での捜査活動も行った。

3. 義援金
(1) 在京アフリカ外交団の外務副大臣表敬
3月30日、在京アフリカ外交団を代表する10名のアフリカ大使が高橋外務副大臣を来訪して、東北地方太平洋沖地震に対するお見舞いと日本国民に対するアフリカ諸国の連帯の気持ちを表明した上で、5月に予定していたアフリカ・デーの行事を中止し、その予算120万円を被災者のために寄付した。

(2)これまで、2ヵ国から人道支援物資の支援の申し出に加えて15ヵ国から義援金の申し出があったが(この内の10ヵ国がGNI一人当たり2ドル/日のいわゆる最貧国)、各国の日本国大使館には一般市民、学校・NGO等の代表が義援金を持って弔問のために訪れ、また各種団体が義援金募金のための行事を催している。

4. 各国における行事
(1) ジブチにおける「日本国民との連帯の一日」
ジブチ政府は、ゲレ大統領のイニシアチブの下に、3月23日を東北地方太平洋沖地震の被災者に捧げる「日本国民との連帯の一日」とし、各種行事を実施した。当日、大統領、首相、主要閣僚等が在ジブチ日本国大使館を訪れ、弔問記帳した後、約800名が出席する式典がジブチ市内の「東京広場」(1996~97年、日本の援助により整備された主要道路の起点ロータリー付近)で開催された。この式典には、ジブチ側より、ゲレ大統領、主要閣僚、国会議長、国会議員、宗教関係者の他一般市民が、日本側より、大使、館員、自衛隊部隊(ソマリア沖派遣海賊対処行動部隊の代表約50名)、JICA関係者(青年海外協力隊員を含む約20名)、在留邦人が出席した。

(2) モザンビークにおける「平和と連帯のための行進」
4月2日、大震災のお見舞いと連帯の表明のため、「平和と連帯のための行進」を行い、ゲブーザ大統領夫妻を始めとする政府関係者、一般市民等多数が参加した。

(3) スーダンのインターナショナル・スクール(KICS)生徒有志による支援活動
KICS(生徒数約450名、日本人生徒3名)は4月3日から8日までを「日本支援週間」とし、その間、日本映画会、菓子販売会等を実施すると共に、企業をめぐり募金活動を行った。4月14日同校講堂にて、生徒、校長、、教師、父兄等約150名が参加し、上記活動にて集めた義援金米貨5,800ドルを現金で日本国大使に手交、日本赤十字への送金を依頼した。

(4)セネガルにおける義援金贈呈式
セネガル政府は、ワッド大統領のイニシアチブにより、1億FCFA(約1,800万円)の義援金を寄付することに決定し、4月18日セネガル外務省において、日本大使に対し義援金贈呈式を行った。その際、ニョン外務大臣は、「日本の被災者に対する弔意を表するため、自分を始めとする政府関係者が日本大使館にて記帳を行ったが、その後、セネガル市民の強い声もあり、セネガル政府として未曾有の困難に立ち向かう友人に対し義援金を寄与することを決定した。」と挨拶した。

(5)コンゴ民主共和国における追悼マラソン大会
4月10日、NGO主催による追悼マラソン大会が首都キンシャサで行われ、約300名が参加した。

国連によると、2011年に日本が世界から受ける義援金、物資の合計金額はスーダンを抜いて世界第一位になるとのことであるが、これを聞いた大部分の日本人は、世界各国よりの心温まる各種支援に感謝しつつ、被災地のみでなく日本全体の再生・創生を一日も早く達成し、これまで以上に、国際社会の平和と安定のため積極的役割を果たしていきたいとの決意を新たにしたに違いない。世の中はつくづく「困った時はお互い様」であると思う。日本は1945年の敗戦後、ガリオア・エロア援助等のお蔭で飢餓地獄から救われ、世界銀行からの借款で東海道新幹線、東名高速道路、黒四ダム等を建設し、基幹産業の復興・発展を実現したのである。日本は1954年にはコロンボ・プランに加盟し、賠償と相まって経済協力に取り組み、1990年代の8年間はODA(政府開発援助)実績で世界第一位であった。その後、日本経済の不調により、日本のODA金額は最盛期の4割に減り、順位も第五位まで下げている。ODAの効用については色々なことが言われているが、今回、エチオピア全土を代表する宗教諸団体指導者から菅総理に届けられたお見舞い状「日本政府及び国民に対する哀悼表明メッセージ」の中での下記一文は、日本が実施してきた国際協力が正しく評価されていることを示唆している。
「世界第三位の経済大国である貴国は、発展の継続が期待される世界において、中心的なあらゆる役割を果たしてきています。エチオピアのような発展途上国に対する貴国の継続した支援は、我々すべてが評価している真の友情と協力に基づく模範例となっています。日本政府及び国民は過去数十年にわたり、自らの資源を使い、天災及び人災の影響を受けた国々を支援してきました。それ故、国際社会が、日本の寛大さに対するお返しとして、国家の危機にある貴国を支援するためにあらゆる可能な手段で応えると我々は固く信じております。」

かつて、日本製品の高品質を称える言葉の前置きとして、「以前の日本商品は安かろう悪かろうであったが、」と言われたものだが、日本のODAもその轍を踏むことにならないよう心から祈りたい。評判を上げるには長い年月を要するが、評判を下げるにはそんなに時間はかからない。国際社会の名誉ある一員としての地位を保つために、長期的視野に立った国際協力が不可欠であると考える。
                     (2011年5月18日 寄稿)

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