東日本大震災と地球環境問題

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西村六善(元地球環境問題大使)

目の前の事態を鳥瞰してみよう…エネルギー資源を他国に依存するのはそもそも危険だ。地球環境を守る為にはエネルギーの脱炭素化が必要だ。再生可能エネルギーを軸とするグリーン投資はこの双方を実現する…のみならずグリーン投資こそが21世紀の世界成長を起爆し、第二次産業革命の旗手になる…こう云う信念から世界はグリーン投資に驀進している。先進国も新興国も。

香港上海銀行(HSBC)の最近の分析ではグリーン・エネルギー投資は今後10年間で現在の3倍になり、最大の推進者、そして受益者は欧州、中国、米国の順だと述べている。原子力は今日全球電力の15%を占めているが、水力と再生可能エネルギーを合体した自然エネルギーは既に20%を占めている。世界中が温暖化防止とエネルギー安保にコミットして膨大な投資をしている事実からして、今世紀の後半には自然エネルギーが世界の電力生産の主流となるだろう。その結果、原子力は限界的な存在となろう。要するに原子力は推進派の「強い思い」に拘わらず「将来性のないつなぎ」でしかないのだ(注)。人類のエネルギー問題の最終解決は原子力ではなく再生可能エネルギーか核融合なのだ。

(注)2011年4月6日、小宮山三菱総研理事長は日本記者クラブで「原子力は20世紀後半から21世紀前半にかけてのつなぎのエネルギーであり、自然エネルギーが中心になる。今回の福島原発事故は自然エネルギー加速のきっかけになる」と述べている。

「つなぎ」であるにも拘らず既に深刻な問題を将来の人類に課している。放射性廃棄物の管理はこれから数千年以上、10万年も続く。将来の人類は自分たちには必要のない原子力エネルギーの後始末を10万年にわたりやっていく必要がある。地中深く埋めたガラス固化体は安全だとされている。しかし15メートルの津波は想定外であった。どうして10万年間ガラス固化体には絶対に想定外のことは起こらないと断言できるのだろうか?

21世紀の人類が少しばかり「まとも」ならば、後世に迷惑をかける放射性廃棄物の量を最小限に押さえて行くべきだ。日本でも全電力の30%近くを賄っている以上、原発は当面は維持しなければならない。安全を徹底して強化し、老朽原発は順次退役させ、天然ガスなどで急場をしのぎ、省エネに更なる努力を傾け、再生可能エネルギーの急速で大規模な導入へ舵を切るべきだ。

日本では今まで再生可能エネルギーの大量導入は忌避されて来た。安定的電力供給が出来ないと云う理由だ。しかし真の理由は明治以来日本の「電力の供給は中央で集中管理し支配する」と云うDNAだ。原子力はこのDNAに合致するのみならず「クリーン・エネルギー」だった。だから政・産・官・学・一部メディアの5者複合体によって強い熱意で推進されて来た。これに対して分散電力である再生可能エネルギーは電力の地産地消を促し、地域経済開発を促し、地域振興と地域主権を推進するものであって、中央統制体制を弱体化させるものであった。分散電力は文字通り中央管理を分散させるものだった。

福島原発事故以降、本来的に問われているものは原子力を継続するかどうかではない。原子力をどうするかは最早地域の国民が決着をつけるだろう。本質的問題は寧ろこのDNAだ。このDNAが生き続け、電力のような社会システムの基礎部分に独占体制が居座り続けるのかどうかだ。電力自由化問題が再度俎上に上るかどうかだ。日本の電力料金は海外に比して2倍だ。電力自由化が進んでいないことが日本の高コスト体質を生んでいる。最も重要な電力と云う基礎商品に産業も家計も選択の自由がない。だから計画停電のような計画経済が罷り通る。国民の大多数は「そこそこの品質」でも安ければそっちを買いたい所を、0.1秒たりとも電流が断絶しない世界最高の品質の電力を国際価格の2倍も払って受忍してきた。

要するに電力の中央管理DNAの周辺にも上記の5者利益複合体が存在している。日本はとどのつまりこのDNAに背馳しない範囲内でしか行動して来なかった。石炭等の化石燃料への依存もそうであったし、原子力への傾斜、自然エネルギー忌避もそうであった。その過程でエネルギー自給率は僅か4%に低迷し、日本経済の高コスト体質を温存し、日本企業の収益機会を奪い、地産地消で地域振興を目指す動きに背を向けてきた。国際的には温暖化問題で不自然な消極姿勢を取り、グリーン技術産業革命で主要競争国に後れを取るに至った。

以前からこのDNAに風穴を開け、電力の自由化を実現しようとした官僚は存在した。しかし彼らは敗退した。高コストへの批判は結局国民的議論にならなかった。国民は従順であった。メディアが気候変動防止や電力自由化への正論を論じようとすると電力を貴重なスポンサーとする広告局から横やりが入った。これが紛れもない現実だった。今回のような歴史的悲劇を経ても日本のような国際国家が懲りずに電力部門での非市場性を温存して行くのか?これが真の問題だ。

ところで、再生可能エネルギーをそれ程急速に且つ大量に導入できるのか?今日ドイツの再生可能エネルギー由来電力は全電力供給の17%を占めている(2010年の実績。ドイツ環境省BMU 2011年3月16日発表)。今後10年以内に35-40%にする計画だ。米国でも2010年実績で自然エネルギーは一次エネルギーの11%を占めた。米国エネルギー省はこの趨勢からして原子力を2011年内に追い抜くと推測している(米国エネルギー情報庁の2011年3月付エネルギー月報)。世界で7番目のGDPを有するカリフォルニア州のブラウン知事は2011年4月12日、2020年までに同州の電力の1/3を再生可能エネルギー源とする州法案に署名した。これにより、2010年までに20%の目標が2020年で33%になる。

日本はどうなっているのか? 現状では日本の総発電量のうち再生可能エネルギー由来分は僅か1%だ。水力を加算した自然エネルギーではやっと10%になる。これに原子力を加算して「ゼロ・エミション発電」と云う日本独自のカテゴリーを新設し、これを現状の34%から2030年に70%に引き上げることにしている(2010年6月「エネルギー基本計画」)。この内、原子力は50%を占めることになっているので、自然エネルギーだけなら、2030年にやっと20%になると云う「穏健な」目標だ。原子力は急速に伸ばすが自然エネルギーは「程々に」と云う姿勢がはっきりしている。中央が日本のエネルギーを差配しようとするDNAが依然底辺で効いている。

これだけ出遅れているから日本が欧米に伍して急速に再生可能エネルギーを大量導入することは難しいだろう。その上、他国の顕著な実例を引用すると国情が違うからと反論が来る。然り…ドイツは原子力忌避、エネルギー安保、国際競争力強化という国策に立脚して、再生可能エネルギーへの最も先進的な固定価格買い取り制度から始まり、炭素市場の開設、大規模なグリーン投資、カネのかからない多様な誘導法制の実施に至るまであらゆる努力をしている。ドイツは日本より国土が広いとか大西洋に面する風況が良いといったことは視野狭窄の議論だ。エネルギー安保と温暖化防止を促すグリーン投資はコストではない…それどころか それは「成長と雇用を生む自己利益」だという信念。それに基づく政治意志と賢明な政策手段。透明な国民議論。こう云うものがあるかどうかが問題だ。然り。国情は明らかに違う…

しかし、我が国にも希望の萌芽はある。大規模な洋上風力発電は原発に代置できる発電能力がある。日本発の先端技術も存在する。太陽光発電は中国メーカーの巨大投資などを背景にコストが大幅に低下している。日本の休耕田を太陽光パネルで敷き詰める構想もある。昨年6月に閣議決定した「新成長戦略」は並々ならぬ用語を使って再生可能エネルギーの急速拡大を謳っている。たった1年前に唱えたお経に魂を入れる時だ。再生可能エネルギーの急速導入なんぞは出来る筈がないと冷笑する時でなく、昨年6月に唱えた熱意を思い出し断固行動する時だ。

東日本大震災と原発事故は日本の外交に大きな示唆を与えている。それは日本がエネルギーの外国依存を脱却する可能性を開くものだ。近世史初めて日本は独自の価値観で外交を進める機会が訪れようとしている。自然エネルギーを主流として持続成長を保障して行くことは、単に地球の温暖化の悲劇を回避するためだけではない。

(2011年4月21日寄稿)