2011年の全人代の主要報告を読んで

元駐中国大使 國廣道彦

私は1995年に退官しましたが、その後も毎年全人代の三つの主要報告書を全文読んで印象を まとめて来ました。中国語ができない元大使の定点観測のようなものです。今年の感想文は次の通りです。中国の日々の変化が余りにも大きいので私ではついて 行けないと吐露もあるかと思いますが、最近霞関会報で中国が話題になることが少ないように思いますので、あえてご参考まで。

1. 5カ年計画について
(イ) 中国は今年から「第12次五カ年計画」に入る。そこで先ずこれまでの5年間の

  • 回顧をしているが、GDPが年平均11.2%伸びて、昨年39.8兆元に達したのは確かに偉業である(1元=12.34円)。
  • その間に有人宇宙飛行や世界一高速のスーパーコンピューターなど先端技術の目覚しい進展があ り、軍の近代かも著しかった。食糧生産は7ヵ年連続の増産で、「三農」に累計3兆元近くの投入を行なって農民一人あたりの純収入も5、919元(都市住民 の可処分所得19,109億元)になったと言う。5年間で鉄道を1.9万キロ、道路を63.9万キロ(うち高速3.3万キロ)新規開通したという実績も目 覚しい。
  • 5年間でGDP単位当たりエネルギー消費量を20%削減するという目標は19.1%の達成に終ったがこれも悪くない実績である。

(ロ)三報告は、同時に発展のアンバランス、持続性などの反省点も簡単に指摘し、

  • 所得分配の 格差、住宅価格の急騰、農地や土地の違法収用、腐敗汚職などにも触れている。しかし、5年間の成果に対する賛辞は、我々が平素聞いている中国社会の問題を 考え合わせると、かなり白々しさを感じるところもある。

(ハ)今後の5年間の成長目標は7%と前期より1%低めに置いている。

  • 過去5年間は8%の目標に対し11%の実績であった。これからの5年間も目標を上回る成長を達成するかもしれないが、次のような具体的な計画内容を考えれば楽観してはいられないだろう。

(ニ)発展パターンの転換と経済構造の調整を急ぐとしている。例えばサービス業の

  • GDPに占 める割合を4ポイント引き上げる。自主イノベーションを推進するために研究開発費をGDP比2.2%に高める(2010年は1.75%)。都市部の新規就 業者数を5年間に4500万人増やす。都市と農村の住民の収入をそれぞれ7%超増やす。社会保障のレベルを引き上げる。計画出産と言う基本政策を堅持す る。そして、インフレ率を4%程度にとどめる、等々を掲げている。

(ホ)これらの政策をうまく実現することはこれからの中国には容易なことではあるまい。

  • なお、「改革開放を全面的に進化させる」と言う中で、一言「社会主義的民主主義を拡大」させ ると言っているが、これが何を意味するのか分からない。昨年末から温家邦首相が政治改革なくしては経済発展なしと何度かの機会に意見表明したが、大きな支 持は得られなかったようであり、彼の政治改革もその内実は党内民主化ないし行政改革を意味しているようである。

2. 今年について
(イ)今年については、GDP成長率の伸びを実質8%前後と程度と想定している。

  • 昨年と同様である。しかし、注目されるのは財政の支出構造の変化である。中央の歳出総額は5兆4360億元で前年度比12.5%の増である。その主要項目を見ると次の通り。

① 教  育 2964億元  +16.3%
② 科学技術  1300億元 +12.5%
③ 文化・スポーツ
    ・メディア 
374億元 +18.5%
④ 医療・衛生  1726億元 
+16.3%
⑤ 社会保障雇用対策  4414億元 +16.6%
⑥ 住宅保障  1293億元 +14.8%
⑦ 農業林業水産関係  4589億元  +18.3%
⑧ 国土資源気象関係 4455億元 +22.9%
⑨ 資源環境保護 1592億元  +10.3%
⑩ 交通運輸  3867億元
             +10.3%             

⑪ 資源探索・電量・情報等 

744億元 +10.0%
⑫ 食糧・食油等備蓄 1130億元  +13.9%
⑬ 商業サービス等 706億元 +3.3%
⑭ 国防  5830億元 +12.6%
⑮ 公安安全 1617億元  +9.6%
⑯ 一般公共サービス 1119億元  +4.3%
⑰ 国債利払い  1840億元 +21.7%





(ロ)教育や医療、社会保障など大衆の生活に直結する支出は1兆510億円で

  • 18.1%の伸びである。また「三農」にたいする中央財政の投入も9885億元で、民生の向上のための財政投入政策をかなりはっきりと示している。
  •  「三農問題」に対しては政府の投資は2006年以来3517元、4318元、5956元、7353元、8560元と確実に増やしている。
  • (注)1996年の分税制の導入以来、地方財政が疲弊したといわれてきたが、昨年度を見る と、中央の歳入総額は4兆5973億元で、それから地方へ租税還付金と移転支出を3兆2350億元支払っている。他方、地方レベルの収入は4兆610億円 あり、これと中央からの支出を加えると中央の歳入総額は7兆259億元であった。(もっとも、地方の歳入のその半分前後が土地売却であったとも伝えられている。)

(ハ) 中国の経済成長は投資の増に依存しすぎと基本的問題を抱えているので

  • 消費を増やすことは経済構造転換の大きな眼目である。今年度都市住民の収入増を経済発 展と同じ率にし、都市住民の一人当たりの過分所得と農村住民の純収入の伸び率をいずれも8%以上にするとしている。公平の見地からも好ましい(因みに昨年 農民の収入増加率が歴史上始めて都市住民の可処分所得の伸びを上回った)。しかも小麦、米の買い付け価格を引き上げ、都市・農村の最低生活保障基準を引き 上げ、低家賃住宅を1000万戸新築する(農村の老朽家屋150万戸を改修)、都市、農村の医療補助を一人当たり120元から200元に引き上げる、企業 定年退職者の養老年金の月額を一人当たり140元程度増やす、等々民生向上の政策を打ち出している。これでインフレを4%程度の抑えうるのだろうか。

(ニ)今年の社会消費財小売総額の伸びを16%と想定しているが、全社会の固定

  • 資産投資は18%伸びる見込みだと言う。投資主導型の経済構造は変わりそうにない。(ここでも小売売上高の半分近くが不動産購入だと言う事実がある。)

(ホ) 国防支出は5836億元で、12.6%増と、再び二桁の伸びに戻った。昨年の

  • 7.3%増は一年限りの例外であった。軍隊の現代化建設と将兵の生活待遇改善 に当てると説明しているが、ステルス戦闘機の配置や空母建設などに向けて、今後も二桁増が続くのであろう。因みに中央の財政支出における国防支出の割合は 10.3%で、このほかに公共安全支出が3.0%ある。(ただし、公安関係は地方の支出が圧倒的に大きくそれと合わせると今年は国防支出より大きくなっている)。

  政務報告の国防に関する部分に、「軍隊を法律に基づいて厳格に納めることを堅持する」 という一文がある。これは昨年もあったが、それまでにはなかった。何を意味するのであろうか。昨年はこれに続いて、「軍隊の正規化のレベルアップに取り組 んでいく」というわかり難い文章が続いていた。思い出すのは2001年の朱鎔基の政務報告の中で、「軍隊に対する党の絶対的指導および軍建設の正確な方向 付けを確保する」と言う文章があり、それは1997年の第15回党大会の江沢民の「軍隊は党の絶対的指導を堅持し、積極防衛と言う軍事戦略方針を堅持し」 という発言に呼応するものだと解していただが、その後姿を消していた。人民解放軍は党の軍であって、国の軍ではないとしながらも、「法律に基づいて厳格に 治める」と言うのは党の指導を再強調するものであろうか。または軍の中の腐敗を抑えようとするものなのだろうか。

(ヘ)今年の全人代は北アフリカの「ジャスミン革命」発生の中で開催された。

  • 閉幕後の記者会 見で温家宝首相は中東民主化の波及を強く否定したが、党内序列第二位の呉国邦全人代常務委員長がこのようなことが中国で起きれば内乱になると言う異常な表 現を使って警告した。その後も中国のネット規制は厳しさを加えている。指導部は内心強い警戒心を持っているのであろう。

その前から、中国は民主活動家の取締りを強化し、マスコミに対する報道規制の強化が目立って いた。中国の法制度に詳しいロジャー・コーエンは昨年の党大会で明らかに大きな政策転換が行なわれたと見ている。今年の予算の民生関係の大盤振る舞いもその裏面だと言うことなのであろう。「和諧社会」を標榜してきた胡錦濤政権は目下瀬戸際に立たされているという感じがする。 
(2011年3月23日執筆)