福島原発事故から何を学ぶべきか

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元原子力委員会 委員長代理 遠藤 哲也

原発事故への対応は現在進行中であり、筆者の観察、評価等は現時点でのとりあえずのものであること、かつ全くの私見であることを予めことわっておきたい。

(何が起こったのか)

 日本時間2011年3月11日14:46に起った日本史上最大のマグニチュード9.0の巨大地震と大津波は日本の東北及び関東地方に壊滅的な被害を及ぼした。又、この地震と津波は東京電力福島第一原子力発電所も襲い、深刻な被害を引き起こした。これは近年では1986年のチェルノブイリ事故に次ぎ、1979年のTMI事故に匹敵するあるいはそれ以上の規模で、IAEAの国際原子力事象評価尺度(International Nuclear and Radiological Event Scale-INES)上、8段階のうち上から三番目の深刻な「レベル5」と暫定的に評価されている。(レベル「6」ではないかとの意見が出ている。)
 福島第一原子力発電所には6基の原子炉が有るが、そのうち四基が壊滅的な被害をこうむった。原子炉自体は、近年補強された耐震性強化のおかげで地震の衝撃には何とか耐えたが、続いて襲って来た大津波によって電気系統が破壊された。津波の高さは、14mを超えるこれまでの想定(最高4m)をはるかに上回るもので、これによって外部電源が切断されて、外部からの電気の供給が途絶し、緊急冷却装置は作動せず、又バックアップのための冷却用ディーゼル発電機が全て破壊されて、原子炉は電気のない裸同然の状態になった。又、冷却用海水ポンプのモーターも破壊されてしまった。
 原子炉事故への対処には、「止める」、「冷やす」、「閉じ込める」の三つが鉄則といわれているが、このうち原子炉を「止める」ことには成功したので、チェルノブイリ事故のような原子炉の暴走は避けることが出来た。しかし原子炉、使用済燃料プールを「冷やす」ことについては、電源喪失のため注水及び冷却水の循環が出来ず、外部からの海水あるいは真水の注入により目下悪戦苦闘している。放射性物質を「閉じ込める」については、原子炉建屋の水素爆発などにより、よう素131やセシウム137などの放射性物質の外部への流出が続いている。
 目下、「冷やす」「閉じ込める」の対応に懸命に努めており、事故の最悪の事態は一応回避したと考えるが、事態の収拾についてはまだはっきりした目途が立っておらず、長期戦を覚悟しなければならないだろう。

(事故から何を学ぶべきか-―評価と気付きの点――)

1、 原子力政策への影響
・今回の事故は原子力技術の先進国として定評のあった日本で起こったということもあって、世界中で非常に大きな関心を呼んでいる。「外国メディアの関心は、地震・津波災害に対してより、はるかに大きい。(アジア諸国の中には、事故の特集号を出したところさえあった)当初は、特に地震と津波については、秩序を乱さない日本、団結力の強い日本、冷静な反応等と評価する向きもあったが、原発事故については懸念を示す声も出てきている。
 反応や影響は国によってかなり違うが、一般的に言って原子力発電に慎重になって来ている。特に、これから新たに原子力発電を立ち上げようとしている国に慎重さが目立つ。このことはTMI事故やチェルノブイリ事故の後遺症を想い出せば想像できるであろう。折角の「原子力ルネッサンス」は影をひそめ、当分の間は「冬の時代」を迎えることになるかもしれないし、日本の原子力輸出にも冷水をかけることになるかもしれない。
 「どこかで事故が発生すれば、それは地球全体の事故となる」のである。
・日本の原子力政策に対して、厳しい打撃を与えることは間違いない。現在、定期検査などで停止中の原発の再開さえ容易でないし、建設中の原発についても今後の作業進捗に困難が予想される。ましてや新規建設については少なくとも当分の間は悲観的にならざるを得ない。核燃料サイクル、特に第二再処理工場、実証高速炉については、民間の財政負担能力の観点からも本格的な検討を行うことにさえ抵抗があるかもしれない。
 だが、日本にとっては、エネルギー安全保障、地球環境対策の観点から原子力の平和利用は不可欠である。省エネに努め(関東地区は相当長い間計画停電が続くであろう)、再生可能エネルギーの開発に邁進しようとも、原子力発電なくしては日本経済と日本社会はやってゆけない。原子力発電は、すでに総発電量の約30%を占めており、原子炉の増設、稼働率の向上こそ期待され、原子力発電の縮減は直ちに経済活動と生活水準の低下につながることは必至である。
 従って、傷ついた原子力発電をどうしても立て直さればならないが、それには何よりも失われた国民、特に地元の人々の信頼を取り戻さなければならない。それにはどうすれば良いのか。

2、原発の安全の根本的な見直し
「安全」は、「核不拡散(保障措置)」、「核セキュリティ」とともに原子力平和利用にとって最も重要な要素であり(「3S」)、根本的な見直しを必要とするのではないか。
・これまでの地震等による事故について、関係者はいつも想定外であったという説明で対応して来たが、悪く言えば、これは言い訳、責任逃れ、専門家としての立場放棄ともとられかねない。想定をどのレベルまで上げるかは、コストとのからみもあって難しいところがあるが、念には念を入れよとの観点から再検討すべきである。
・すべての電源が切れたことが今回の事故の大きな原因とされているが、これは原発安全の基本である深層防護(defense-in-depth)の失敗を示しているように思われる。根本的な再検討の対象とすべきではなかろうか。
・政府の原子力安全規制体制を整理、強化すべきである規制機関である原子力安全・保安院が原子力の推進を所管する資源・エネルギー庁と同一の大臣の下に置かれていることは問題であるし(規制と推進の分離)、又内閣府の原子力安全委員会の役割は中途半端である。一本化し、独立行政機関とすべきである。
・安全神話を捨て初心に帰るべきである。日本の原子力界は、いつの頃からか自信過剰、換言すれば優等生意識に毒されていて(本当の優等生は自分を優等生と言わないものである。)IAEAをはじめ第三者の意見に耳を傾けない嫌いがある。(旧ソ連についてはそういうような批判があったが、日本についてもそのような声があることを知っておくべし。)常に謙虚な態度が必要である。
・今回の事故は、核セキュリティ上の原発の根本的欠陥を露呈したといえる。安全の根本的見直しに際して、核セキュリティの観点を十分に配慮すべきである。
3、情報の伝達
 適格な情報の迅速な伝達が絶対に必要であり、かつ日本国民及び国際社会に不信感を抱かさないことである。
・原子力は素人が理解するのに極めて難しい分野であるが故に、出来る限りやさしくかつ誤解を招かないように説明すべきである。今回の事故についてのこれまでの報道、解説をみると、局部にやたらにくわしく、全体と関連づけられていないケースが多いようにみうけられる。
 放射性物質流出については、市民に不必要な不安感を与える報道が少なくない。
・情報の伝達では政府関係及び、直接当事者である東京電力の一次情報が最も大切であるが、果たして上記の期待に答えていたであろうか。情報の伝達が適切に行われていたとは思えないし、大切な情報が共有されていなかった事例も少なくない。政府関係の情報は、いつも不透明であり(disturbingly opaque)、影響を過小評価しているとの先入観があり、特に外国筋にその傾向が強いので十分に留意すべきである。
・国際社会の物心両面でのすばやい援助には感謝の言葉もない。他方、日本はその援助を適切に受入れたであろうか。又、今回の事故に対する在日外国人社会の反応(外国人の大量離日、在京外国公館の引き揚げなど)はいささか異常であった。その理由の一つは、適確な情報の不足、外国メディアから入ってくる誇張された情報などのせいではないかと思われるが、外国人への情報提供には一層の意を用いるべきである。

(2011年3月31日執筆)