逝きし世の面影 渡辺京二

逝きし世の面影」 元駐メキシコ大使  西村六善

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 名著である。幕末と明治初期の日本を外国人はどう見たか? この本はそれを膨大な資料をもとに物語る。当時の日本人の純朴さや社会が旨く機能している様子に先ず外国人が驚嘆した。 同時にその良さは日本の開国や国際化とともに消え去るだろうと確信していた。重要なことは彼ら外国人がそのことを自分のことのように悲しみ、嘆いていた点である…この本はそう云う物語である。


例えば、日本に開国を迫った初代米国領事タウンゼント・ハリスはこう述べている。

「これが恐らく人民の本当の幸福の姿というものだろう。私は時として、日本を開国して外国の影響を受けさせることが、果たしてこの人々の普遍的な幸福を増進する所以であるかどうか、疑わしくなる。私は質素と正直の黄金時代を、いずれの国におけるよりも多く日本において見出す…」

外国人に強い印象を与えたのは質素や正直だけでなかった。社会の仕組みと生産力は欧米文明の助けを借りなかったのにどうしてこれだけ水準が高いのか?
産業革命以降、イギリスなどの労働者階級が陥った恐るべき非人道的な状況に較べ、日本はどこも貧しいが困窮していなかった…住まいは狭いが質素で清潔だった。子供のおもちゃに至るまでモノはなんでも上手く出来ていた。

当のハリスは更に「衣食住に関するかぎり完璧にみえるひとつの生存システムを、ヨーロッパ文明とその異質の信条が破壊し、ともかくも初めのうちはそれに替わるものを提供しない場合、悲惨と革命の長い過程が間違いなく続くだろうことに、愛情にみちた当然の懸念を表明する」と書いた。

日本での近代登山の開拓者ウェストンは最後に日本を去る船上で号泣したと伝えられているが、こう云っている。

「明日の日本が、外面的な物質的進歩と革新の分野において、今日の日本よりはるかに富んだ、おそらくある点ではよりよい国になるのは確かなことだろう。しかし、昨日の日本がそうであったように、昔のように素朴で絵のように美しい国になることはけっしてあるまい。」

英国の商人クロウは1881年に木曽山中で「かつて人の手によって乱されたことのない天外の美に感銘を受け」た。ある日の夕方、小さな村で、村中の人々が一日の労働を終えて如何にも楽しげに談笑している「忘れられぬ光景」を見て、「この小さな社会の、一見してわかる人づきあいのよさと幸せな様子に感動した」と書いた。

ハリス領事の通訳だったヒュースケンは1857年に次のように記した。

 「 いまや私がいとしさを覚え始めている国よ。この進歩はほんとうにお前のための文明なのか。この国の人びとの質朴な習俗とともに、その飾り気のなさを私は賛美する。この国土の豊かさを見、いたるところに満ちている子どもたちの愉しい笑い声を聞き、そしてどこにも悲惨なものを見いだすことができなかった私は、おお、神よ、この幸福な情景がいまや終わりを迎えようとしており、西洋の人びとが彼らの重大な悪徳を持ち込もうとしているように思われてならない。」

長崎海軍伝習所のオランダ人教育隊長カッテンディーケは2年間長崎で生活した後1859年帰国に際し、次のように嘆いた。

「…私は心の中で、どうか一度ここに来て、この美しい国を見る幸運にめぐりあいたいものだとひそかに希った。しかし同時に私はまた、日本はこれまで実に幸福に恵まれていたが、今後はどれほど多くの災難に出遭うかと思えば、恐ろしさに耐えなかったゆえに、心も自然に暗くなった。」

以上はこの本が物語る印象の僅かな一部だが、著者渡辺京二は綿綿たる哀切をこめてこの喪失感を読者と共有しようとしている。

「 日本近代が古い日本の制度や文物のいわば蛮勇を振るった清算の上に建設されたことは、あらためて注意するまでもない陳腐な常識であるだろう。だがその清算がひとつのユニークな文明の滅亡を意味したことは、その様々な含意もあわせて十分に自覚されているとはいえない。われわれはまだ、近代以前の文明はただ変貌しただけで、おなじ日本という文明が時代の装いを替えて今日も続いていると信じているのではなかろうか。つまりすべては、日本文化という持続する実体の変容の過程にすぎないと、おめでたくも錯覚して来たのではあるまいか。」

この本は現代日本人に対して当時の日本がどう云うものであったのかを探求するように求めている。当時のことを知れば、多くの日本人は大きな喪失感を抱くだろう。同時にその喪失感を超えて前向きな展開と美しい価値体系を将来の日本で実現できるのか? この本はそう云う問いかけもしている。