米軍基地問題に対する沖縄県民の意識

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元沖縄担当大使 橋本宏

   はじめに
   県民意識調査
   比喩の中の県民意識
   ウチナーンチュとヤマトーンチュ
   ウチナーンチュへの語りかけ
   アメリカーナへの語りかけ
   政府関係者への助言

はじめに

昨年鳩山内閣の下で米海兵隊普天間飛行場の移設問題が取り上げられた際、同総理の口からしばしば「県民意識」という言葉が発せられた。小泉内閣時代に2年間にわたり、沖縄担当大使として那覇の外務省沖縄事務所(下記注参照)に勤務した経験のある筆者は、鳩山総理の言われた「県民意識」が現実とは相当大きく異なっているのではないかと、当時感じていた。現在に至るも、普天間飛行場の移設は政府にとって最重要の政治課題の一つとして残っていることもあり、沖縄勤務経験を踏まえ、ここで改めて米軍基地に対する沖縄県民の意識について、筆者の私見を開陳してみたい。筆者の意図は、普天間飛行場移設問題そのものを議論することではなく、今後同問題について沖縄県民の理解を深めていくに当たって、政府として留意すべき対話の在り方について論じることにある。

(注)1995年に沖縄県で発生した少女暴行事件は、政府が在沖米軍基地問題への取り組み方について改めて包括的に検討を加える契機となり、それ以後数々の政策が展開されていった。そうした中、1996年橋本龍太郎総理大臣は沖縄訪問中、基地所在市町村長と懇談をした際、日米地位協定の運用など米軍に関する地元の意見や要望よく聞いて政府に報告する大使を長とする、外務省の出先機関を沖縄に設置するとの意向を示した。こうした経緯を踏まえ、1997年2月に初代沖縄担当大使が那覇に着任し、その後筆者は第三代目の沖縄担当大使として2001年2月から2003年1月まで沖縄に在勤する機会を得た。
筆者の沖縄在勤時代の県知事は稲嶺恵一氏、また、四軍調整官(脚注)は、2001年7月末までがアール・ヘイルストン海兵隊中将、その後はウオレス・グレグソン海兵隊中将(現米国国防省アジア太平洋担当次官補)であった。

(脚注)沖縄には米国の陸、海、空軍及び海兵隊の四軍が駐留しており、全体の調整役は在日米国海兵隊基地司令官(海兵隊中将)が兼任していてその正式な肩書きは「Okinawa Area Coordinator(沖縄地域調整官)」であるが、ここでは通称の四軍調整官に従った)。

1.県民意識調査

総理府及び内閣府は下記のようにこれまで累次にわたり在沖米軍基地問題をめぐる県民意識調査を実施してきた(筆者の沖縄在勤時である2001年以降は新たな調査を行っていないようである)。2001年までの推移を見ると、長期間にわたって、米軍基地の存在を肯定する人の割合は、それを否定する人の割合より少なかったが、2001年の調査で初めて肯定する人の割合は否定する人を上廻った。しかし、その割合は過半数には達していなかった。

政府による県民意識調査結果の推移
 年
割合(%) 1985 1989 1994 2001
肯定する人 34.0 29.5 38.8 45.7
否定する人 53.9 60.7 54.3 44.4

2001年以降政府が県民意識調査の実施や結果について何の発表もしていないため(沖縄県が5年ごとに実施している県民選好度調査は、「米軍基地対策の優先度」を調査の対象にしており、「米軍基地に対する県民意識」そのものを対象とはしていない)、その後の県民意識の推移を客観的に論じるための具体的なデータは存在していない。従って類推せざるを得ないが、2001年の調査結果に示された「基地の存在を是認する人の割合が否認する人の割合より多い」という傾向は、その後も数年間にわたって継続していたことと思われるものの、恐らくは、2009年秋の民主党連立内閣の発足以降、その傾向は逆転しているのではないか。
仲井眞弘多県知事は、“県民に米軍基地の存在に賛成か反対かと直接的に聞くならば、誰でも反対と答えるものだ”、といった趣旨をメデイアを通じて発言しているが、これは米軍基地問題を巡る県民の微妙な意識をよく表現しているものと筆者には思われる。即ち、ここで本土の我々が理解しておくべきことは、2001年の調査においてすら、基地肯定派と否定派はほぼ同数であって、そのどちらも過半数を占めていないということ、沖縄県民の多くは米軍基地の存在に根強く反対しているということである。

2.比喩の中の県民意識

筆者が沖縄在勤当時の県知事は稲嶺恵一氏であった。同氏の口からしばしば出て来た比喩は、「点と線」、「マグマ」、「温度差」といったものであった。
“米軍は一つの事件・事故を「点」として捉えているかもしれないが、県民は戦後57年間に発生した「線」の中で捉えて見ており、その一つ一つが県民の「マグマ」となって蓄積されていくのである。今回の一連の事故を「点」として捉えて欲しくない。米軍は小さな事故として見ているかもしれないが、県民は小さな事件・事故に対しても「線」の上で関心をもって見ていることを理解して欲しい”と言った具合である。

「マグマ」という比喩は筆者も積極的に借用させて頂き、“今県民の「マグマ」がここまで来ているので要注意である”といった説明を在沖米軍幹部によくしたものだった。

「温度差」という比喩については、“県外の人たちは沖縄県民の基地過重負担を自分の身になって考えようとしない。沖縄県民との間に温度差があると言わざるを得ない”といった形で、使用されていた。
こうした比喩に示された県民意識について、角度を変えて更に考えていきたい。

3.ウチナーンチュとヤマトーンチュ

「温度差」については、ウチナーンチュとヤマトーンチュという沖縄の方言によっても表わされる。
 筆者の経験では、沖縄の人たちと米軍基地問題について話が進み、あるところ迄来ると、突然“ウチナーンチュ(沖縄の人たちの意)以外には分からない”とさえぎられ、”ヤマトーンチュ(本土の人たちの意)には理解出来る筈がない”といった彼らの強い感情を接することがある。このように、在沖米軍基地問題に関しウチナーンチュとヤマトーンチュの間には、あたかも越えがたい大きな壁があるように思われる事態に遭遇し得ることを覚悟しておく必要があろう。

故西銘順治元知事は、県知事時代に「沖縄の心とは」と聞かれて、「ヤマトーンチュになりたくてなり切れない心」と答えたというのは、県内で有名な話しである。かつて琉球王国であったことへの誇りと、現在の日本の中での経済的な低い位置付けへの苛立ちが、今でも沖縄の人たちの心の中に同居していると言われている。ましてや戦中・戦後から復帰の時期に、沖縄県民がヤマトーンチュに対して持っていた感情は、さぞかし複雑なものであったに違いない。
本土の我々は、故西銘元知事の言葉の背後に秘められたウチナーンチュの「複雑な思い」に気を配っていかなければならないと考える。

4.ウチナーンチュへの語りかけ

沖縄勤務時代、県民と在沖米軍人との間の相互認識の差異から生じる緊張関係に直面し、それを出来るだけ縮め、両者の間にもっと合理的な「是々非々の関係」を促進出来ないものかと、いろいろ悩んできた。そうした中から、筆者のささやかな経験を以下に紹介したい。
 筆者は2001年6月11日、沖縄経済同友会の6月例会で講演をする機会を得、在沖米軍基地問題に関する県民と県外の人たちとの間の認識の差異、県民と在沖米軍人との間の相互認識の差異に焦点を当て、日頃から考えていることを次のように述べた。

*沖縄に来てすぐに言われることは、本土の人は県民の痛みに対する同情の念が薄い、痛みを理解しようとしないということである。

*沖縄県外の人が、日米関係や日米安保体制について質問される場合には、「第二次世界大戦は遠い過去のことであり、日米同盟は今ではアジア・太平洋地域の平和と安定の基礎となっている」、「日米関係の幅と広さは他の二国間関係に見られないほどまでに発展している」、「お互いに重要なパートナーと認識しており、対立、対決すべき相手とは捉えていない」といった認識を示すのが一般的であろう。

*他方、多くの沖縄県民は、沖縄戦争、米軍占領、米国施政権等々の歴史的体験を現在でも鮮明に記憶しており、日米関係を未来志向に置くという気持ちにはなりにくい。稲嶺県政の下で日米安保体制は是認されるようになったが、基地負担の軽減を求め、米軍基地の整理縮小を求める声は同県政以前と変わっていない。米軍を「対立軸」、「対決軸」で捉える傾向にあり、米国を重要なパートナーとして捉える認識はあまりない。

*米国の有識者は、多くの米軍基地を抱えている沖縄の県民が日米安保体制の維持に「貢献」してくれていると考えている。米国側はこの「貢献」に対し「感謝の気持ち」を持っており、在沖米軍、特に幹部はその気持ちから、県民に出来るだけ迷惑をかけてはならないとの基本姿勢を示し、兵隊の教育にも当たっている。他方、県民側の意識からすれば、これは「貢献」というよりも「負担」ということになるのであろう。

*その上で、「客として沖縄にいる以上、ホストである県民に対して礼儀正しく振る舞う必要があると兵士達に教育している」と当時在沖米軍関係者から何度となく聞いていた話しを紹介しつつ、“この論法は私にはよく理解できるが、恐らく県民側からすれば、在沖米軍は日本政府の招いた「客」であったとしても、自分たちの招いた「客」ではないという意識の方が強いであろう。

*日米は友好関係にあり、沖縄においても米国、米国人と幅広く深い関係を築き、県、米軍、国の三者間が「是々非々の関係」となることを可能にしようではないか。

講演に続いて行われた質疑応答の際に、同友会会員から次ぎのようなコメントが寄せられた。

*日米安保体制は日米両国政府の問題である。県内の苛立ちは、県民の要求や要望に対して両国政府から目に見えた形が示されないことである。

*日米安保条約は西洋の契約という対等の
概念で結ばれているが、沖縄県民は米軍に対して対等という概念を持っていない。米軍は招かざる客と言わざるを得ない。

*県民としては例えば米国の政治家と軍人
を同じように見ることは出来ない。政治の論理と軍の論理は異なる。

(注)ここで述べた「県民の貢献に対す
る感謝」を巡る相互認識の差異の問題は、翌2002年5月の沖縄復帰30周年記念式典におけるベーカー駐日米国大使の祝辞に関連して表面化し(下記5の脚注参照)、この問題の深刻さを印象づけた。

5.アメリカーナへの語りかけ

筆者は、2001年8月3日に沖縄米国商工会議所の月例昼食会で講演を行う機会があり、出席者した米国関係者から次のような多くの質問やコメントが行われた。
(注)アメリカーナとは沖縄方言でアメリカ人のことを言う。

*県民は昔の記憶が強すぎるのではないか。

*地元メデイアに米軍非難記事が多く掲載されるのは編集局の方針によるものと思う。県民一般は、本当は友好的ではないのか。

*特定の地元政治の影響で米軍非難が強まるのではないか。

*在沖米軍人が沖縄の人たちに支配者意識を持っているというのは全くの誤りである。

*かつては政治的不適切性(要するに犯罪行為のこと)があったことは認める必要がある。

*米軍は事件事故の再発防止に真剣に取り組んでいる。

*再発防止にはもっと真剣に取り組む必要がある。

*良き隣人政策こそ最も重要なことである。

*日本政府は日米安保体制の本質を県民に説明しようと努力していないのではないか。

*米軍関係者による事件・事故が発生すると、日本政府は米軍に綱紀粛正ばかり求め、自ら動こうとしないのはおかしいのではないか。

筆者は、こうした率直な意見表明の中から、在沖米軍人の間にも「点と線」の気持ちがあることを感じ取った。つまり1995年の少女暴行事件を契機として在沖米軍幹部の意識は変化し、爾後事件・事故の再発防止に努めるとともに、その努力を客観的に評価して貰いたいという気持ちを強く持つようになったことが感じ取られた。しかし、沖縄県民は米軍幹部のこれまでの努力を評価する気持ちには乏しく、今更ながら、沖縄県民と米国関係者の間の大きな相互認識の隔離を前に、苦い気持ちを味わった。

 (脚注)「ベーカー発言」

 2002年5月19日、日本政府と県共催の沖縄復帰三十周年記念式典に出席したハワ 
ード・ベーカー駐日米国大使は、祝辞の中で、「沖縄は、第2次世界大戦後目覚ましい繁栄を遂げた地域の中心にいます。強固で効果的な日米同盟によってもたらされた安定が、非常に重要な要因となってアジア太平洋地域の平和的発展が可能となりました。日米同盟は、私たちの誰もが願う持続的な平和と安全保障を確保する上で、極めて重要な役割を果たしてきました。また、沖縄は米軍の前方展開にとって、長年にわたり重要な役割を果たしてきました。その事実に対して、沖縄以外の日本国民や米国そしてアジア太平洋諸国の人々は、沖縄県民に大きな感謝の念を抱いています。私は本日ここで、米国はこうした事実すべてを直視していくことを強調したい。私は米国政府を代表し、皆様に感謝の意を表します。米国の兵士やその家族を温かく迎え入れて下さったことや、日本と米国の友好関係、そして米国や米国の軍人と、沖縄県との間の友好関係に対して感謝申し上げます」と述べた。
 翌20日付地元紙は稲嶺知事がベーカー大使の祝辞について記者から質問を受けて“いろいろな意味の温度差がある。私どもが思っていることを必ずしもそのまま取り上げては頂けない”と答えたとして「ベーカー大使の発言、知事が批判」と報じた。
 続いて5月21日付地元紙は前日知事のもとを訪れた在日米国大使館員に対して、稲嶺知事が“温度差を感じる。普通は感謝されると喜ぶし、言った方も喜んで貰えると思ったのだろうが、沖縄は違う”と述べたとして、「稲嶺知事ベーカー発言に抗議」、「“感謝望んでいない”、あらためて不快感示す」といった見出しで記事を掲載した。
 これは県民と米国人との間の大きな認識の相違を現実に見せつけたケースであった。

6.政府関係者への助言

上述したことから、一口に米軍基地問題に対する沖縄県民意識といっても、その深層心理は複雑であり、単純化した判断は当てはまらないことが、読者にはお分かりいただけると思う。政府は普天間飛行場移設について県民の理解を深めることが重要と述べているところ、こうした複雑な県民意識及び筆者の沖縄勤務経験を踏まえ、今後の沖縄との対話を行うに際し、政府関係者に心得て貰いたい点の幾つかを以下で説明したい。

(1) 沖縄県民は米軍基地問題を「線上」で捉えつつ、色々な機会を通じて、政府の「本気度」を試している。その中でも総理大臣の「本気度」が最も真剣に試されている。同時に、総理大臣の確固たる指導の下、政府が一体となって同問題に取り組んでいるかが厳しく試されている。歴史的経緯を無視或いは軽視した「思いつき」発言、基地周辺住民に対する「にわか」同情論、関係大臣、関係省庁間の「不協和音」や「ちぐはぐ」な言動などは、県民の不信感を増大させ、政府の「本気度」を損なうだけである。政府関係者はこうした点に常に留意していくべきである。

(2) 沖縄県民の深層心理は極めて複雑であり、本音と建前の違いを見分けるのはなかなか難しい。特に日頃温厚な県民が基地反対の抗議行動に見せる激情に接すると、本土の我々は困惑することがある。また、基地周辺の行政や議会関係者の意見と基地に土地を保有する地主、基地内で働く人たち、経済関係者等との間には、相当大きな意見の相違があることを知って、戸惑うこともある。ましてや、同じ沖縄県内でも米軍基地が存在するところと存在しないところでは、住民の意識も相当異なる。「米軍人は嫌い、アメリカ人は好き」という多くの県民の意識に接するたびに、本土の我々はウームと、うなってしまう。
他方、政府関係者の発言の中に本音と建前の差を見出そうとする県民の方の目は厳しい。例えば、沖縄振興策を普天間飛行場の移設との取引に使うことが政府側の「本音」ではないかと、日頃疑っている県民側は、政府関係者の発言の中にそうした「臭い」をかぎとるや直ちに糾弾するという図式が厳存している。本土の我々はこうしことに十分留意する必要がある。

(3) 上記(1)のことは、言い換えると、沖縄の人たちは「結論」もさることながら、それに至るプロセスを極めて重視しているということを意味している。普天間飛行場移設問題のように、今後政府として一定の結論を模索していく際には、結論に至る過程において、沖縄との対話の在り方に十分配慮する必要がある。過去1年半の間、仲井眞知事がしばしばテレビカメラの前で、「政府がよく説明してくれないので、何が何だかよく分からない」といった趣旨の発言をする姿を見るたびに、同知事の言い方は礼儀に沿ったものであるが、そこには沖縄が政府の決定プロセスからはずされていることに対する強い抗議の念が明確に表わされていると筆者は感じた。政府関係者としては、今後こうした点に益々注意していく必要があると思う。


(4) 沖縄において、米軍基地問題に対するウチナンチューとヤマトンチューの間の「温度差」の問題がしばしば取り上げられていることから、政府としては、沖縄県民の理解を深める努力と並行して、日本の安全保障政策や日米安保条約について国民に語る際には、沖縄県民の負担軽減問題が日本全体の課題であることをよく説明していくことが重要となる。鳩山内閣時代に政府が関係知事や市町村長に対して沖縄負担の本土分担を求め、強い拒否に遭った経緯があるが、やり方の功拙は別にして、沖縄県のみを選び出してそこに多大な負担の継続を求めることの深刻さは、我々日本人全体として忘れてはならないことと思う。

(5) 普天間飛行場移設問題を巡って、政府が一定の期限を区切って解決を図ることに対する是非が、メデイアにおいてしばしば取り上げられる。筆者からすれば、期限を区切ることにも、期限を定めないことにも、大きな問題があると考える。即ち、期限を区切るとなると、“政府は県民側の意見を十分に聞かずに一定の意見を押し付けようとする”と解釈されやすい。反対に、期限を区切らないと、“政府は普天間飛行場周辺の住民を危険にさらしたまま、事態を放置している”と解釈されやすい。陳腐のように思えるかもしれないが、政府の取り得る立場としては、「出来る限り早急に解決を図る」という以外にない、と筆者には思える。

(6) 筆者は、これまで普天間飛行場の辺野古地域移設を巡る議論において、本土の関係者が「ガラス細工」のようなもの、「多元方程式の解」を求めるに等しい、といった表現を用いてきたことに対し、違和感を持ち続けてきた。そのような「腫れ物に触る」発想ではなく、もっと率直でオープンの対応が必要であると信じている。
たとえ、沖縄の人から、ウチナンチュー、ヤマトンチューとか言われたとしても、本土の人間が沖縄県民を特殊扱いすることは間違いであると思う。勿論、これまでの歴史的経緯をよく踏まえ、沖縄県民の複雑な深層心理に十分配慮すべきことは当然であるが、同時に沖縄県民が日本人でることを忘れてはならない。重要なのは、現在与えられた国内的、国際的環境の下において、政府が沖縄県民のため、日本国民のため、最大限の努力を重ねることである。問題は、いまだにそこに至っていないと沖縄県民に受け取られていることである。陳腐な言い方かもしれないが、術策を用いることなく、正々堂々とした態度で在沖米軍基地問題に向き合うことが、一番適切なやり方であると強く考える。

(7) 既述のように、過去における県民意識調査の推移を見た場合、米軍基地に対する理解度が高まった2001年においてすら基地の存続を容認する者の割合は50%に満たず、恐らく現時点で調査を行うならば、それは50%を割っていると推測せざるを得ない。従って、“不満ではあるが政府も様々な面で最大限の努力したことでもあり、現状ではこの程度で政府決定を受け入れることも止むを得まい”といった意識が県民側に生まれるまで、政府が真摯かつ一貫した努力を重ねていくしかないように思われる。
(了)

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