「密約」問題(四)

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元駐米大使  栗山 尚一

 沖縄返還時の原状回復費肩代わりに関する「密約」


 外務省と有識者委員会の検討対象の最後に取り上げられた本事案は、沖縄返還協定第四条3項で定められている、協定発効前に地主に返還された一定の軍用地の原状回復のための費用として米国政府が行う「自発的支払」 の財源を、別途の密約で日本政府が肩代わりしたのではないか、という問題である。

 そもそもの発端は、返還交渉が大詰めを迎えていた1971年4月に、米側(事務レベルの交渉責任者スナイダー公使)が日本側(吉野アメリカ局長)に対し、米行政府は、財政支出を伴わない沖縄返還を議会に約束しているので、日本政府が求めている、原状回復費の支払いができないと述べたことにある。以後6月に至るまで、見舞金の支払いを協定に明記することを主張する日本側と、財源がないことを理由に日本の要求には応じられないとする米側の応酬が続く。その間、五月の愛知大臣とマイヤー駐日大使との会談では、同大臣が、私見と前置きの上で、日本側が財源を考慮する可能性を示唆する局面もあった 。さらに日本側は、両国の財政当局間で合意されていた総額3億ドルの対米支払いに2千万ドルを上乗せし、その中から米側が原状回復費(最大限400万ドルと見積もられていた)を支払うことも提案したと言われる 。

 6月になると米側は、議会の承認を得ることなく見舞金を支出できる方策が見つかったとして、一案を出してきた。すなわち、信託基金法(1896年制定)という古い法律を利用して、同法に基づく新たな基金を設定し、同基金に日本政府が原状回復費400万ドルを拠出することとし、その旨の不公表書簡を愛知大臣からマイヤー駐日大使宛に発出するというものである。不公表書簡は、必要に応じて議会に説明するために不可欠ということであった。これに対し、日本側は、日本政府が同基金に直接拠出することは筋違い(まさに肩代わり)であり、不公表書簡の発出も受け入れられないと応じ、対案として、対米支払総額の中から400万ドルを信託基金設定のために留保することを「了知」する旨の大臣名不公表書簡を大使宛に発出することを提示した。この対案は、もともと日本政府が、琉球電力等在沖縄三公社の資産承継や核兵器撤去費等の名目で総額3億2000万ドルを支払うことになる(協定第七条)ので、その中から米国政府が原状回復費を工面しても、それは米側内部の問題であり、日本政府が関知するところではない、との議論を米側に行っていたので、その趣旨の書簡であれば発出しても差し支えないと考えられたからである。そもそも、対米支払いの3億2000万ドルについては、承継資産の評価額はともかく、その他の核兵器撤去費等の名目については、明確な積算根拠はなく、特定の使途に紐付きで支払われるという性質のものではなかったのである。

 このように、日米のそれぞれ異なる二つの書簡案が交渉のテーブルの上に乗っている状況の下で、6月9日にパリで、愛知外務大臣とロジャーズ国務長官との外相会談 が行われた。私は 、本省から急遽出張を命ぜられ、同地の米大使館での会談に吉野アメリカ局長と共に同席した。席上ロジャーズ長官から改めて書簡発出の要請があり、若干のやり取りの後、愛知大臣はなお慎重に考えたいとして態度を留保したまま会談を終えた。会談後 大臣は、吉野局長と私に対し、ロジャーズ長官の強い要請ではあるが、書簡の発出には応じないことにしようと指示された。後日書簡の中身が明るみに出た場合の政治的リスクが大きすぎるというのが大臣の判断であった。以前から私は、この問題に関する米側の立場は、単に議会に追加支出を要求できないとの国内事情を繰り返すのみで、合理性や正当性に乏しく、妥協のために不透明な処理をすべきではない考えていたので、当時大臣の判断に「わが意を得たり」と感じたことを鮮明に記憶している。

 私は、この愛知大臣の指示で、原状回復費問題は決着したとばかり思っていた。そうであったから、71年10月からの返還協定審議のための沖縄国会あるいは翌年の予算委員会で、当時毎日新聞記者の西山太吉氏が入手し、同氏から野党議員に渡った極秘扱いの公電 コピーを材料に、野党が「密約」の存在を追及したときも、私は漏洩公電の内容は、あくまでも交渉の途中経過を記録したものであり、最終的には同大臣の判断で書簡発出に至らなかったとの趣旨を福田外務大臣(当時)に正直に説明したのである。(吉野局長も、私の説明に異見を述べることはなかった。)また、その後西山記者が逮捕され、私が東京地検で事情聴取を受けたときも、同様の趣旨を担当検事に述べた。

 したがって、最近になり、吉野局長がイニシアルした “Summation of Discussion” (有識者委員会の報告では「議論の要約」と訳されている)と題される不公表文書が、米国政府の公開文書の中から発見され、さらに、西山氏等が「密約」文書公開請求の訴えを起こしていた東京地裁の裁判(原告側勝訴、国は控訴中)で、同局長が当該不公表文書の存在を確認する証言をしたことを知り、心底驚いた。愛知大臣の明確な指示にも拘わらず、なぜこのようなことになったのか、はっきりしたことは分からない。私の推測は、あくまでも書簡の入手にこだわった米側(スナイダー公使)が、「局長レベルの文書でも良い」と吉野局長を説得し、同局長も、返還協定調印予定日(6月17日)が目前に迫っていたこともあり、自らの判断で当該文書のイニシアルに応じたのではないか、というものである。

 しかし、いずれにしても、この「議論の要約」の内容 は、先に述べた、日本側が反対提案として米側に示した大臣書簡案と大きな違いはなく、スナイダー公使の発言に吉野局長が応える形式になっているが、基本的には、日本政府が支払う3億2000万ドルの中から米国政府が400万ドルを協定に定める「自発的支払い」のために留保することを予め日本側が承知している、との趣旨であるから、「肩代わり」の密約と言うには当たらず、有識者委員会も同様に結論づけている。なお、この文書が、当時米側が説明したように、議会を説得するために実際に利用されたかは不明である。


 おわりに

 最後に、四回に亘って連載させて頂いた拙稿の結びとして、若干の所感を述べることにしたい。

 外務省と有識者委員会が「密約」問題の真相解明のための調査、検証の対象に取り上げた四事案のうち、密約(不公表の国際約束)と結論づけられるのは、朝鮮半島有事再発という緊急事態下の事前協議の免除を認めた「朝鮮議事録」(本稿(三)参照)のみと言えるが、幸い同議事録が想定したような自体が発生しなかったので、現実に国益が損なわれるまでには至らなかった。今日では、朝鮮半島有事に際し、米国が事前協議を行わずに日本の基地から戦闘作戦行動を発進させるようなことは、日米関係に与える政治的ダメージが余りにも大きく、実際問題として考えられないであろう。

 沖縄返還関連の二事案のうち、今回考察した、いわゆる原状回復費の肩代わり問題は、最終的な処理の形に不透明さが残ったとはいえ、吉野アメリカ局長がイニシアルした「議論の要約」の中味は、「密約」と呼ぶにはほど遠く(有識者委員会も同様の認識)、また、これによって、返還協定に基づき日本政府が約束した3億2000万ドルを超える財政負担が生ずることもなかった。しかし、そもそもこの3億2000万ドルという金額はどのようにして決まったのであろうか。

 有識者委員会は、当初3億ドルで合意されていたものが、その後の交渉の過程で、原状回復費見込額400万ドルと、協定第八条に基づき五年間の継続運営を認められたVOA(ヴォイス・オブ・アメリカ)放送局の最終的移転費1600万ドルの計2000万ドルが上乗せされた経緯があるとし、この上乗せ分については、「これらの合意や了解は非公表扱いとされ、明確に文書化されているわけでもなく、返還協定や関連取り決めにも明記されていないものであるが、両国政府の財政処理を制約するものとなる。その点では、これらは(中略)『広義の密約』に該当するであろう」と述べている 。当時在沖縄三公社の資産承継を含む対米支払いについての交渉は、原状回復費問題を除けば、専ら日米の財政当局間で行われ、条約局は、その内容を知らされることはなかった。有識者委員会の考察がそのとおりであるとすれば、外交チャンネルでの交渉とは関係なく、いつの間にか原状回復費は、3億2000万ドルの内枠で肩代わりしたことになる 。さらに、有識者委員会によれば、日本側の財政負担は、「返還協定に記載された3億2000万ドルをはるかに超え、5億1000万ドルに達することが、我部政明教授の研究(中略)や、米側資料によって確認されている」とされる 。いずれにしても、沖縄返還に伴う財政取り決めの全貌は極めて不透明で、日本側に交渉記録が存在しないために、検証は米側の資料に依存せざるを得ないのは、遺憾と言わざるを得ない。

 佐藤総理とニクソン大統領が署名した、緊急時における沖縄への核兵器の再持ち込みを許容する趣旨の秘密合意議事録は、表見的には、「密約」そのものであるが、少なくとも日本側では、後継政権に引き継がれた形跡はなく、その法的性格(国際約束とみなしうるか)は極めて曖昧と言わざるを得ない(本稿(三)参照)。有識者委員会は、同議事録の内容に着目して、「必ずしも密約とは言えない 」としているが、「密約」と呼ぶべきか否かはさておき、佐藤総理の二元外交が、沖縄返還交渉に「深刻な歪みを残した」との私の評価は、本稿(三)で述べたとおりである。

 若泉氏という裏チャンネルを併用した佐藤総理の二元外交は、核問題に止まらなかった。沖縄返還実現のためには、ニクソン大統領の対米繊維輸出自主規制の要求に対処しなくてはならないと考えた同総理は、若泉・キッシンジャーのルートを通じ、共同声明では言及しないことを条件に、年末までに包括的自主規制を実施することをコミットしたのである 。ところが、日本国内の繊維産業の反対が強く、同総理はニクソン大統領に対する約束を果たせない結果になった。裏チャンネルの一方の当事者であったキッシンジャー氏は、交渉失敗の責任は、過大な要求にこだわった米側と過大な約束をした日本側の双方が負わなくてはならないと振り返っている 。これは公平な見方ではあるが、いずれにしても、慎重さを欠いた不用意な約束が実行されなかったために、首脳間の信頼関係を損なう結果となったことは否定しがたい。外交当局を外した二元外交の危うさを露呈した若泉「密使」の役割は、決して積極的に評価しうるものではない、というのが私の率直な結論である。

 密約は存在しないことが明らかになったとはいえ、日本の安全保障政策の中核である日米安保体制に深刻な影響を及ぼしたのが、現行安保条約の誕生と共に生じた、核兵器の「持ち込み」(イントロダクション)の意味についての日米の解釈の基本的な食い違いである。「核兵器搭載艦の寄港は事前協議の対象であり、協議があればノーと言う」との政府の国内説明は、国民の目から見た安保条約そのものの信頼性を著しく損なった。また、「核の傘」を欲しながら、他方ではこれを拒む(できるだけ遠ざける)という二律背反の日本の姿勢は、「核の傘」を提供する立場にある米国にとっては、容易に理解しがたいものであった。その結果、日米同盟は、冷戦期を通じ、相互信頼が乏しい脆弱なものであり続けた。

 この事案に関する私の考察は、責任の所在の問題を含め、本稿(一)及び(二)で詳しく論じたので、ここで繰り返すことはしない。いずれにせよ、安保改訂後、九一年の米国政府の決定により(平時に関する限り)、核搭載艦の寄港の可能性がなくなるまでの三〇年間の「持ち込み」問題の経緯は、外務省事務当局(私自身を含む)にとって、忘れてはならない苦い教訓である。

 しかし、我が国の安全保障政策(その基軸となる米国との同盟関係)にとってより重要なのは、今後の問題である。すなわち、一方では、広島、長崎の惨劇を体験した唯一の被爆国として、オバマ大統領が掲げる「核兵器がない世界」を追求する姿勢に深い共感を覚えながらも、他方、今日の厳しい安全保障環境の下では、米国の核を含む軍事力の「傘」(抑止力)に国の安全を依存しなくてはならない我が国としては、安保体制と米国の新たな核戦略との整合性を確保する方策について、米国と現実的で突っ込んだ対話を始める必要がある。これこそが、現政権が唱える「日米関係の深化」に不可欠な作業である。

 なお、これに関連して私は、岡田外務大臣が去る三月に、鳩山政権(当時)としては非核三原則を堅持していく方針であるとした後に、次のように述べた国会答弁 に注目した。

「ただ、先程来議論になっておりますように、ぎりぎりの局面で内閣としての判断を迫られることが将来全くないということではない、それはそのときの内閣が判断するしかないということだと思います。しかし、そのときに大事なことは、やはり国民にきちんと説明することだと思っております。」

国の安全を与る政治の責任者の一人としては当然の発言であるが、私が知る限り、過去にこのようないわば当たり前のことを公の場で発言した総理大臣、外務大臣、防衛大臣はいなかったのではないかと思う。これを契機に、これからは、足が地に着いた日本の核政策が論じられるようになることを望みたい。


 今回の調査、検証作業は、一部になお事実関係が不明な部分は残ったが、「密約」の有無をめぐる不毛な論争には終止符を打つことができ、客観的な史実に基づく戦後の日本外交の研究の発展に資することになると思われる。そればかりではなく、現実の外交に携わる者(政治・事務双方のレベル)にとっては、学ぶべき重要な教訓を残した作業であったように思う。外交交渉では、国益のために、秘密の合意、了解を必要とする場合があることは常識である。不透明な交渉結果が、それだけの理由で、すべて非難されるべきではない。核の持ち込み問題に関しても、仮に安保改訂時にすべてを明らかにしていれば、改訂自体が不可能になったとの判断もあり得たかもしれない。しかし、民主主義国である限り、外交当局は、いずれ将来事実が公表されたときに、自らが行った交渉の正当性を自信を持って国民に説明できるかを自問自答すべきであろう。そうすることによって、安易に密約や不透明な処理に走ることを避ける外交交渉の規律(discipline)が確保されることになると考える。

 最後に、今回の作業によって明らかになった事実の大部分は、本来外交文書公開の三〇年ルールに従って文書の整理が行われていれば、当然公開されていて然るべきものである。外務省としては、予算と人員の制約に加え、国内政治への配慮から、文書公開に躊躇せざるを得なかった事情があったことは理解できる。今回、岡田大臣の判断により、大幅に遅れていた文書公開が進み、国民の外交に対する理解が深まるとすれば、極めて有意義なことであると思う。

 (本稿執筆中に、「外交文書の欠落問題に関する調査委員会」の調査報告書という六月四日付の文書が公表された。岡田大臣自身を委員長とする同委員会の作業の背景と経緯は、報告書に詳述されているので、それに譲ることにしたい。しかし、過去における新聞報道 や東郷元条約局長の国会での最近の発言で示唆されているような、意図的な重要文書の廃棄が行われたということの真否(報告書では、確認し得ずとしている)はともかく、昨年の調査、検証の過程で、少なくとも若干の存在すべき重要文書が見当たらなかったことは事実である。万が一にも意図的な廃棄が行われたとすれば、理由のいかんを問わず、正当化されない行為であり、外務省としては猛省しなくてはならない。)(完)

i 具体的には、1950年6月30日後に損害を受け、61年7月1日以降返還協定発動までの間に地主に返された旧軍用地の原状回復のための見舞金(米国は、法的には、「サンフランシスコ平和条約に基づき、支払い義務なしとの立場)を指す。これは50年6月30日以前に損害を受け、61年6月30日以前に地主に返還された旧軍用地の原状回復のために、高等弁務官布令60号に基づいて支払われた見舞金(いわゆる講和前補償)との均衡上、請求権の有無とは関係なく、衡平の見地から米国政府が支払うべきものとの日本側の主張に米側が同意したものである。
ii この愛知大臣の発言が、後に米側の資料によって公表され、密約説の根拠とされた。
iii 有識者委員会報告書84頁参照。
iv パリで開催されるOECD閣僚会議の機会を利用して、返還交渉の最後の詰めを行うのが目的であった。
v 当時私は条約局法規課長として、返還交渉に参画していた。
vi 大臣指示の正確な日時は覚えていない。当初私は、これは帰国後本省大臣室での会議の席上と記憶していたが、これでは今回の検証作業で明らかになった「議論の要約」作成の日付(米側文書によれば6月12日、愛知大臣の帰国は13日、返還協定の閣議決定は15日)と平仄が合わない。したがって、大臣指示は、外相会談直後パリでのことであったのであろう。残念ながら、その記録はない。
vii 漏洩公電中、外相会談の報告電報は私が起案したものであり、そのために、東京地検から事情聴取を求められたのである。
viii 「議論の要約」の詳細については、有識者委員会報告書87頁を参照。
有識者委員会報告書93頁
x 三公社の資産承継費1億7500万ドル、核兵器撤去費7000万ドル、労務関係費7500万ドルというのが政府が国会に説明した3億2000万ドルの内訳である。
xi 有識者委員会報告書93頁脚注51
xii 前掲79頁
xiii 若泉・キッシンジャー交渉については、Henry Kissinger, “White House Years” 332~340頁参照。
xiv 前掲339頁
xv 平成22年3月17日衆議院外務委員会議事録
xvi 2009年7月10日朝日新聞(朝刊)

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