NATOの新しい行動計画
元駐ベルギー大使 内藤昌平
-NATOの欧州回帰がもたらすわが国への影響-
昨年11月下旬、わが国の主要紙はこぞってリスボンでのNATO首脳会議(11月19,20両日)を報道し、朝日新聞を除く全国紙はいずれも社説で「日本のNATOとの連携」を推奨した。欧州防衛のための軍事同盟であるNATOへの関心の高まりは、昨年秋のわが国世論の安全保障意識を反映したものであろう。日米安保体制とは異なり、NATOは典型的な集団防衛体制であるため、加盟各国の同盟義務は厳しい。アフガニスタンへの遠征軍派遣は、その最たるものである。しかし「歴史上最も成功した軍事同盟」と称されるNATOは、時代の変遷に応じて非加盟国との関係を定義し直して来ている。従ってわが国に有益な関係が持てる限り連携を図るのは当然であり、それにメディアが着目したのは望ましい展開であった。
NATOにとってこの首脳会議は、10年に一度の重みを持つものであった。同盟内に向けては、NATOの向こう10年間の行動のガイドラインとなる「戦略概念(Strategic Concept)」を採択する一方で、内外に向けての象徴的イベントとして、ロシアのメドベージェフ大統領の参加を得てロシアへの融和姿勢を演出した。これ以外にもアフガニスタン国際会議を同時に開催して、治安権限をアフガニスタンに委譲するスケジュールを発表しているが、NATOのアフガニスタンからの出口戦略は既に昨年一月に明らかにされている。ここでは、
NATOの欧州回帰の方向と政治的手法を重視する姿勢に焦点を絞ってNATOの変化を追い、わが国にどのような影響がもたらされるのか考えてみる。
ロシアへの融和姿勢
NATOは、冷戦時代の敵であったワルシャワ条約機構が消滅した後も、軍事同盟としての存在意義を更新して来た。ユーゴー危機では欧州内の危機管理の実力部隊として働き、2001年米国を襲った国際テロリズムに対しては集団防衛条項を発動した後、テロリストの根城であったアフガニスタンを正常な国に建て直すための治安維持の任に当たっている。欧州内に敵無しの勢いが、欧州外での任務に怯まない雰囲気を作っていた。
しかし冷戦の敗者であったロシアが、2008年のグルジア紛争で自己の勢力圏には武力介入を辞さないとの姿勢を示すに及んで、改めてロシアにどう向き合うかとの課題が生じた。冷戦時代ソ連圏の脅威に陸続きで対峙していた西欧諸国は、米の力を借りるNATOのお蔭で軍事上の抑止力を効かせることが出来たことを胆に銘じている。他方長年の伝統ある欧州文明の浸透力を活用したOSCEによる信頼醸成措置を重ねることが、ソ連圏の敵意を和らげる効果があったことも認められている。従ってNATOは冷戦後、ロシアに対しては硬軟両面でのアプローチを用意するのが常であったが、東方拡大はロシアへの圧力路線であったことは否めない。しかるにこの度採択された戦略概念の中で最も注目されるのは、ロシアへの融和的レトリックである。「NATOはロシアに対して脅威となるものではない。」と宣言した上で、共通の利益のために協調したいと呼び掛けている。
NATOは冷戦後ロシアを特別のパートナーとして遇し、ロシアがNATO加盟各国と並列する同等の立場で(即ちロシア対NATOという図式ではなく)議論に参加できるNATOロシア理事会を設立している。リスボン首脳会議の機会に
メドベージェフ大統領の出席を得て開催されたNATOロシア理事会は、①弾道ミサイル防衛については脅威評価を共同で行い本年6月の国防相級会合で協力の進捗を評価すること、②アフガニスタンへのNATOの非殺傷物資をロシア鉄道が輸送する体制の強化、③麻薬対策での協力強化、④アフガニスタン軍のヘリコプター整備での協力等で合意している。もちろんこうした合意の実施についてはロシア側の厳しい損得勘定によって割り引かれるのが常であるが、例えば麻薬対策についてはロシア軍内部では兵士のアフガニスタンからの麻薬中毒が深刻であるため、ロシア側も切望しているとの事情がある。一方ミサイル防衛については、数年前米国のブッシュ政権の構想がロシア向けに転用され得るものとしてロシアが激しく反発した経緯がある丈に、ロシアとしては先ずは実体を見極めた上で立場を決めるとの慎重な姿勢であるし、NATO側でも最先端の軍事技術情報をどこまで共有できるのかとの疑問が大きい。
こうした政治的動きの裏では、軍事面でNATOは加盟国の集団防衛にも備えなければならない。グルジア侵攻で見られたようにロシアは武力行使の敷居が低いので、ポーランドを代表とする東欧諸国はロシアへの警戒心を緩めていない。リスボン首脳会議の後でウィキリークスによって暴露された情報によれば、NATOは既にポーランド及びバルト3国防衛のための非常事態防衛計画を秘密裡に有している由である。ロシアのラヴロフ外務大臣がその後でNATOの二面性を批判しているが、お互い様の観がある。
いずれにしてもリスボン首脳会議は、NATOがロシアを取り込もうと本格的に乗り出したイベントとなった。それはNATO自身にとって、ポスト・アフガニスタンでは欧州での平和と安定が政治・軍事両面で重大な課題となったことを意味している。
欧州ミサイル防衛網構想
次に注目されるのは、ロシアの参加を呼び掛けたNATO全域をカバーしようとする弾道ミサイル防衛網構想である。従来欧州諸国は、軍の部隊駐屯地の如く限定された地域の防衛を超える広範な領域をカバーするミサイル防衛の効果を疑問視しており、高価な投資に見合わないとして米国の独自開発に任せ、NATOとして取り上げることに消極的であった。これに対し米国は2009年秋以来、イランの脅威に対応するものとして欧州における米軍基地の防衛に始まり、次第に一般市民の居住地域をカバーするように、移動可能な迎撃ミサイルとレーダー網を2020年を目途として開発整備する計画を推進しており、欧州諸国に対してはこれに連結する手法であれば経費節約になると説得して来た。ラスムセンNATO事務局長も、連結のために必要なNATO予算からの支出は10年間で2億ユーロに満たないと強調して、合意達成に尽力した。この結果戦略概念では、「弾道ミサイルから市民と国土を守る能力を開発することを同盟の中核要素とする。」と認定した。同時にロシアに対しても協力を呼び掛けることで、欧州全域で共通のミサイル防衛網への期待を生むとの政治的効果をもたらした。
協調的安全保障
実は第3の注目点が、NATOが日本に協力を呼び掛けているテーマである。戦略概念は、NATO域外で発生した問題でもNATOの安全に影響を及ぼすと認められれば、域外のパートナーと協力して行動することを「協調的安全保障」と名付け、集団的領域防衛と並ぶ中核任務に位置付けた。「協調的安全保障」でのパートナーには「世界各地のパートナー」という名のグループがあり、日本はその中でもオーストラリア、ニュージーランドや韓国と共に価値観を同じくする諸国として、NATOから密接な協力関係の構築が期待されている。
日本とNATOとの政治レベルの交流は、2007年春、当時の安倍総理大臣がブラッセルのNATO本部を訪れ、北大西洋理事会で日本のNATOとの協力への意欲を表明したことがピークとなっているが、実務的な交流と協力の実績は少しずつ積み上がっている。リスボンでのアフガニスタン国際会議には日本代表として伴野外務副大臣が出席し、自衛隊の医療・衛生要員を訓練指導員として派遣することを検討中であると発言している。長い間の懸案であった機密情報の保護に関する協定は、日米両国間のものに続くものとして昨年6月に締結され、情報共有の基盤が固められた。
「協調的安全保障」任務の代表的なものは、アフガニスタンでの治安維持活動(ISAF)である。NATO加盟国にとっては欧州から5000キロも離れた遠隔地での長期軍事作戦であり、これまで7年半の任務でNATOからは2000人以上の兵士が死亡する厳しいものである。ISAF任務は、今後数年をかけるアフガニスタン国軍と警察の育成を経て終了する方向にある。NATOとしては将来域外の国際的安全保障問題への積極的関与を謳ってはいるが、戦略概念の中で言及されているのは、軍備管理、大量破壊兵器の拡散防止及び軍縮であり、アフガニスタンのようにNATOが遠征軍を派遣する事態はほのめかされていない。一方国際テロリズムに関するパートナーとの情報交換やエネルギー安全保障に関するパートナーとの協力には関心が表明されている。
従って「協調的安全保障」を日本サイドから見れば、国際安全保障に関する情報交換や政治的共同行動の分野での協力がNATOによって歓迎されることになる。「協調的安全保障」の主眼は、武力紛争を未然に防ぐための国際協調の網を拡げておこうとするところにあると見られる。わが国が直面している周辺の緊張状態に鑑みれば、NATOとの協調はわが国の安全保障への政治的支援を獲得するものとして推進されるべきであろう。既にリスボンでは、イランと並んで北朝鮮の核開発が取り上げられ、戦略概念を敷衍した首脳宣言の中で、北朝鮮に対し関連する安保理決議と国際義務の遵守が訴えられている。欧州回帰といえどもNATOはわが国にとってロシアや中国の向こう側の軍事勢力であるから、その動向はわが国の安全保障政策を考える上で充分勘案されて然るべきであろう。例えばメドベージェフ大統領の昨年秋の国後島訪問は、ロシアが西方でのNATOの融和姿勢を受けて余力を極東にスウィング出来ると計算してのことかも知れない。更にNATOがロシアとの軍縮を進めるに当たって、「ロシアの欧州内の核兵器をNATO加盟国から離れた位置へ配置転換するよう求める」と戦略概念に明記していることはわが国として看過出来ない。勿論NATOはわが国と同じ価値観を共有する間柄の同志的存在ではあるが、それぞれの行動が相手にどのような波及効果をもたらすかを予見するためには、常日頃からの意思疎通が欠かせない。数年前EUが経済マインドで中国への武器輸出を解禁しようと動き出した時、加盟国はほとんど同じではあるが安全保障マインドの高いNATO内では日本の懸念に理解が示されたことが思い出される。
「協調的安全保障」がわが国の望ましい方向に向かうためには、欧州側がわが国の安全保障政策への関心を抱き正確な理解を深める意欲を保つことが肝要となる。その点先方の動きについての情報収集もさることながら、わが国自身の政策を明確に揺るぎの無い様に打立てて置くことが大前提であることが忘れられてはなるまい。
日本のNATOとの連携
NATOの戦略概念は、日本のように同じ価値観を持っている国との政治対話と実務協力で連携を深めることを期待している。政治対話や交渉にも力を入れようとの動きについては既に述べたが、実力組織であるNATOは実務協力を伝統的に重視している。わが国はアフガニスタンのISAFに対しては主として資金協力や民生安定への貢献で評価されて来たが、ISAF終了後NATOの活動にどのような形で実務協力を図れるかについても真剣に検討して置くべきではなかろうか。戦略概念で懸念が表明されているエネルギー供給問題に絡んでは、アフリカのソマリア沖でのタンカーへの海賊行為に対して自衛隊とNATO海軍の間で実務協力が既に進行中である。このケースは、国際海洋法上のアウトローを取り締まる法執行活動として例外的に認められているものであるが、戦闘行動に引き摺りこまれるおそれのある部隊同士の協力は、一般的にわが国の法制上容易ではない。アフガニスタンのISAFからはヘリコプターの応援を求められたが、応じられず失望させた。
国際関係はギヴ・アンド・テークの世界であり、連携も言葉だけでは力を生まない。実のある行動が伴わなければ相手も行動はしない。NATOが考えている連携関係には、相手の貢献度に応じた濃淡がある。将来先方の期待に応えられる貢献が出来るよう体制を整えて置かなければ、連携の掛け声も空しい。アフガニスタンやソマリア沖でのNATOとの実務協力は、制約の中で知恵を振り絞って考え出されたものであり、わが国の潜在力はNATOがかねてから高く評価しているが、答えを出すまでに時間のかかるところに問題がある。戦略概念で懸念されているサイバー攻撃への防御は、ミサイル防衛と並んでいわゆるハイテクの分野としてわが国の技術が生かせ得ると思われるが、これらについての協力がわが国にとって望ましい場合であっても、武器輸出三原則で自ら手を縛っていては、取り柄を生かせない事態になりかねない。安全保障政策は、広く国際情勢にも目を配って前広に体制を整えておくべきものであろう。
昨年秋の世論の危機意識はわが国の近隣国との緊張から生まれたが、同じ頃に開かれたNATOのリスボン首脳会議は、その向こうにわが国の同志が居ることを気付かせて知らせてくれた。ユーラシア大陸の視野に立って、NATOとの連携を世論と共に考える好機ではあるまいか。 (了)