<帰国大使は語る> 資源大国コンゴ民主共和国には文化外交で挑め


前駐コンゴ民主共和国大使 南博之

コンゴ民主共和国はどのような国ですか。その魅力は何ですか。
 コンゴ民主共和国は通称DRCと表されアフリカの中央にある大国です。DRCの面積は2,345㎢で西ヨーロッパ全体の面積に匹敵し、人口は約1億人と見積もられていますが、長年人口調査が行われていないので、その実態は計り知れません。面積、人口以上にDRCが世界に誇る大国である所以はその地下資源(鉱物)と森林資源にあります。DRCの銅、ダイアモンド、金、マンガン、プラチナ、ウランなど豊富な鉱物資源は有名ですが、森林資源についても世界有数で、伐採が進んだアマゾンを抜いて世界一のCO2吸収能力を持つ森林地帯となったコンゴ盆地の60%はDRCにあります。他方で、DRCは大きすぎるが故に、国としての纏まりがなく経済社会の管理が不十分なため豊かな資源を上手く活用することができておらず、アフリカの中でも最貧国の一つと位置付けられています。一般的には、欧米ではDRCは「平和以外何でもある国」とネガティヴに捉えられており、この「何でも」には汚職や感染症が含まれます。魅力としては、資源のポテンシャルが大きいことと、これは他のアフリカ諸国も同じですが、音楽や絵画など文化面で世界に誇る人材、文化財が存在することでしょうか。しかし、資源についてのポテンシャルはあくまでDRCの人々が自力でその活用ができるような状態になればの話であり、「発展の可能性が無数にある」という意味でも、DRCには「何でも」あるのです。

在任中に経験された大きな出来事や特筆すべき事柄はありますか。
 私は2020年の末から3年間DRCに勤務し、ちょうど2023年末の大統領・国政選挙の前に離任しましたから5年に一度の選挙は経験していません。

2023年12月の大統領選挙キャンペーン中のチセケディ大統領 (日本大使館提供)

 任期の半分以上はコロナ禍下であったこともあり、人物交流は極めて低調でした。唯一大きな出来事といえば、2023年6月に開催された「マタディ橋40周年記念祭」に参加したことでしょうか。マタディはアマゾン河に次いで世界第2位の総水量と水域面積を誇るコンゴ河の下流に存在する街で、1983年に完成したマタディ橋はコンゴ河にかかる実質的に唯一の近代的な橋で、我が国がDRCに供与した唯一の円借款案件です。1984年には皇太子・同妃両殿下がマタディを訪れられ、完成した橋をご覧になっています。現在の上皇・上皇后両陛下ですね。これまで、DRCを訪問された皇族はこの一回です。1988年昭和天皇の大喪の礼に参加出席したモブツ大統領に続いて日本を訪問した、DRC随一、いやアフリカ随一とも言われている彫刻家のリヨロ氏は、即位される前の上皇陛下に銅像を献上しました。私はそのレプリカを2023年2月のDRCにおける天皇誕生日レセプションで披露し、マタディ橋の40年史と共に紹介しました。なお、マタディ橋には傷みも見え始めてきたので、JICAが2024年から修理に取り掛かり、未来に渡って日本とDRCの架け橋を守っていこうとしています。

天皇誕生日レセプションにて(彫刻家故リヨロ氏の未亡人及びご長男と共に)
(日本大使館提供)

コンゴ民主共和国と日本や中国・ロシアの関係の現状はどうでしょうか。今後の展望はいかがですか。
 1960年の独立後、モブツ大統領の時代が終了する20世紀末の頃まで、日本やアメリカとの関係はかなり強力でした。もちろんそれ以降も今日に至るまで日本との友好関係は続いていますが、その関係は経済協力のドナーとしての日本が最貧国であるDRCに援助を齎すといった一方的な関係です。
 他方で、モブツ大統領を追い出した後に大統領になったカビラ親子は資本主義に社会主義を併せ入れようとして、中国に接近しました。2001年に暗殺された父親の跡を継いだジョゼフ・カビラ大統領は、かつて軍事留学していた中国との関係を深めて行きました。2018年末選挙で大統領になったチセケディ大統領は、中国に大きく依存していたカビラ時代の経済のバランスを取ろうと西側との関係の再構築に努めていますが、やはり鉱山開発、インフラ投資などの面で、DRCにおける中国の存在はかなり大きいと言わざるを得ません。日本や米、独、仏などがODAを多用した支援をDRCに行っているのに対して、中国は商業活動でDRCを支えているイメージが強いです。最近、首都近郊にできた経済特区にも中国は工場を建てました。また、東部の紛争地帯ではコンゴ人のみならず中国人の鉱山開発労働者が犠牲になる例が後を断ちません。
 かたや、モブツ時代の冷遇状態を脱したとはいえ、DRCにおけるロシアの影響力は限定的です。一つには中国と異なり必ずしも資金力に優れているわけではないと考えられている事情があるようです。2022年2月ウクライナを侵略したロシアに対して、23年秋までの間国連総会は機能不全に陥った安保理に代わってロシアを非難したり、ウクライナを支援する決議案を何度か通してきました。一度だけ不手際で棄権した投票がありましたが、DRCの投票姿勢は常に西側に同調しています。近隣にはルワンダやザンビアのように西側の支援を目的に対ロシア非難に参加した国もありますが、DRCの場合にはモブツ時代から常にロシアには縁遠かったということです。CIAに近かったモブツが去ってからロシアも一応普通の国としてDRCと外交関係を持っていますが、お隣のコンゴ共和国におけるような影響力は持っていません。
 最近では、中東諸国やインドがその経済力を生かしてDRCの経済社会に入り込んでいる印象があります。インドは他のアフリカ諸国同様、DRC国内に一大コミュニティを持っており、かつてのレバノン社会に代わり、流通などを抑えている感じです。中東で存在感を増しているのが、UAEやカタールで、トルコもそれなりに頑張っています。DRCの外交で懸念されるのは、東部を中心に治安の悪化の責任を国連に押し付け、MONUSCOという国連軍に撤退を要求したことです。2023年末の選挙が終わったのち、徐々にMONUSCOは撤退する予定ですが、先にPKO部隊が撤退したスーダンやマリの状況を理解していないDRCの政府は、国連に対して夜郎自大になっています。西側の大国のみならず、中国やロシアもMONUSCO撤退後に予想される治安情勢悪化に対してDRCを軍事支援する姿勢を示しておらず、今後が心配です。

ビントゥ・ケイタMONUSCO代表(向かって左より2人目)
(日本大使館提供)

大使として在任中、特に力を入れて取り組まれたことは何ですか。
 DRCとの関係は経済協力を供与することに尽きているのですが、それだけでは寂しい。また、アフリカはODAだけでは豊かにならないことは歴史が示しているので、何とか日本との経済・貿易関係を1980年代までのような姿に戻せないか苦慮してきました。具体的には日本企業に戻ってきてほしいということです。しかしながら、私の在勤した3年間にDRCにおいて経済活動を始めた日本企業はわずかな数のスタートアップ企業だけで、大手の企業はDRCに戻ってきませんでした。なぜ、豊かなポテンシャルがあるにも関わらず、我が国の企業はDRCに疎遠なのか、これには2つの事情があります。
 まず第一にDRCの風土が日本企業にそぐわない、というものです。平たく言えば投資環境が整っていないため、この国においてはペイしないのです。それどころか、2021年にIMFの支援を求めるためDRCは国税庁、間接税庁を再構築して税金徴取が始まると、役人たちが不法不当な税徴取を行おうとするので、正当な外国企業の立場から見ればDRCの投資環境は悪化の一途を辿っているということになるのです。どういうことかといえば、ちゃんと他国並みに徴税をしないとIMFからファシリティ資金をもらえないのですが、他のアフリカ諸国に比してもDRCは「地下経済」の比率が圧倒的に高く、地上経済のほとんどは外国人・外国企業に頼っているため、そうした外国企業に対して過剰徴税せざるを得ないのです。キンシャサに駐在する外交団等の間では、DRCの投資環境(むしろビジネス環境と言っている)の問題点は「legal and judicial securityの不在」と要約されており、政府も認識しています。キンシャサでピストル強盗に会う機会はヨハネスブルクの10分の1と比較的安全なのですが、警察、軍隊、裁判官はじめ政府機関から不当な金銭の要求に遭わない外国人は皆無と言えます。

 第二の点は、日本や韓国に特に関わるのですが、DRCの英語教育が遅れていると言うことです。同じフランス語圏でも、カメルーンやルワンダではインド人が英語でITを教えていますが、キンシャサで殆どのスーパー(大型店舗)を押さえているインド人はフランス語でコンゴ人労働者を指導しています。実はザンビアやボツワナ、アンゴラといった国でもビジネス環境の悪化は免れず日本企業は後退しているのですが、それでもスタートアップ以外ゼロというDRCに比べて邦人企業が積極的なのはこれらの国では英語が通じるということが大きいと思います。コートジボワールやセネガル並みに英語で労働力が確保できるようになることを祈っています。

 いずれにしましても、現状ではスタートアップ以外の日本企業がDRCに戻ってくる道はなかなか開けません。しかしながら、民間の進出のないところに経済発展がやってこないことはアジアで実証済みです。私の後任の小川秀俊大使には、欧米ドナー諸国と一緒になってDRC政府にビジネス環境改善を強く働きかけて欲しいと考えています。

在外勤務を通じて強くお感じになられたことはありますか。
 私の在勤中に日本から来られた閣僚は西村前経産大臣です。コロナ禍があり、人物交流が停滞していたこともありますが、欧米、中東、中韓などと比べても日本の人物交流は極めて低位にあります。大臣等政治レベルの交流だけでなく、他国に比べ日本はDRCとの間で文化交流も大きく遅れています。政府の文化予算が限られている国は、その国の民間企業がメセナとしてDRCの文化活動を支援していますが、日本の場合には政府に海外における文化活動を支援する予算に限りがある上に、DRCに日本の民間企業が進出していない、ということで日本としては文化交流も殆どできませんでした。実はニューヨークで活躍するフルーティストの藤井香織さんという方が長年、米国のNGOを利用して当地を訪れコンゴ人の音楽家を育てておられるのですが、彼女が大使公邸でコンサートを行う際に出席者を招いて行うカクテルすらできませんでした。藤井さんは2023年11月に帰国間近の私と親しい企業の支援を受け、キンシャサでコンサートを行いました。欧米各国もこうした文化活動には日本以上に熱心で企業の支援を求めてきています。しかし、他の先進国と異なり、日本は政府からの補助金に限りがある中、「100%民間企業の拠出に頼る」「その民間も各国、半分ぐらいは自国企業にお願いしているのに日本は欧米やインドという自国以外の企業に頼っている」という現実に直面して大使としては残念に思うことが多かったです。
 既にお話しした通り、上皇陛下に銅像を捧げたリヨロは当代一の彫刻家です。この銅像のレプリカをリヨロ財団から購入してこれから建設する新公邸に設置して欲しいという私の願いは叶えられませんでした。コンゴ人は経済運営や清浄な行政については世界190ヵ国中下から5番目くらいですが、文化面では世界レベルに比肩する者もいます。文化を軽視して、どうやってこの国の国民のハーツ・アンド・マインズを日本は確保できるのでしょうか。リヨロ財団はキンシャサでは堂々とした私立の財団です。国際交流基金のDRCへの関与は極く限られたものですが、コリア・ファンデーションはDRCの国営テレビ局と共同で番組を作りました。国会の隣に立つ2019年に韓国が建てた国立博物館では若干とはいえベルギーが返還したDRCの歴史的遺産(木彫りのお面等)が飾られています。大通りを隔てた向かいには中国が建てた巨大な中部アフリカ文化会館が落成を待っています。中国や韓国がDRCの発展に寄与している度合いが日本ほどではないにせよ、文化面における中韓の存在は、DRCで高いと認められていることは否めません。文化を大事にしてほしいと切に望みます。
(2023年12月インタビュー実施)