<帰国大使は語る>治安危機そして武力政変・マリ


前駐マリ大使 黒木大輔

 2016年7月から2022年4月まで駐マリ大使を務めて最近帰国した黒木大輔大使は、インタビューに応え、マリの特徴と魅力、在任中に経験したことや力を入れて取り組んだこと、日本との関係とその展望等について以下の通り語りました。

-マリはどんな国ですか。

 マリ共和国は、北から南に砂漠・ステップ・サバンナと3地帯が連なる、旧「仏領スーダン」の領域をそのまま継承した面積124万平方キロメートルの西アフリカの内陸国です。アルジェリアなど7か国に囲まれたこの国に、中央年齢15歳の、約2千万人の多彩な民族構成の国民が住んでいます。
 その65%を砂漠、すなわちサハラ砂漠が占めるマリの国土は、輸出量アフリカ第三位の金、また近年開発が始まったリチウムなどの鉱産資源を有し、重要な外貨源である綿花や畜肉を産します。ニジェール川流域では米作も行われており、米はキビと並び人々の日々の主食となっています。GDPは約174億米ドル、成長率は-1.6%です(世銀2020年)。
 「公用語」である仏語と並立する「国語」として、人口で最大の南部の農耕民バンバラ、サヘル地域の西から東に広がる遊牧民プル、またベルベル系で北部に割拠するトゥアレグ等の諸民族の言語、さらにアラビア語マリ方言の全13の言語が定められています。
 マリの情勢は不安定です。北部の分離独立を宣言したトゥアレグ人武装勢力と国軍の間の内戦が起きた2012年以降、北部から始まったアルカーイダ(AQ)系さらにイスラム国(IS)系のイスラム過激派の浸透が止まらず、対テロ戦仏駐留軍および国連PKO=MINUSMAも展開したにもかかわらず、国土の相当部分が中央政府の制御の外にある、「治安危機」・「国家崩壊」とも評される状況が続いています。また、一昨年8月、昨年5月と二回の武力政変を起こした国軍将校の軍政の下、政党政治は無力化され、仏との連携が基軸だったマリの外交・安保は反仏・親露へと一変しました。露民間軍事会社「ワグネル」が領内に導入され国軍と共同行動中と言われ、仏駐留軍は完全撤収しました。

(写真)首都バマコ市(大統領府の丘から)
(写真)ニジェール川(バマコ市内)

-マリの魅力は何ですか。

 まず、豊かな文化です。音楽、舞踊、絵画、民芸品等々どれも秀逸で、多くの世界的なマリ人芸術家・文化人が活躍中です。
 そして、深い歴史です。マリの地に、4世紀から16世紀にかけ、ガーナ帝国、マリ帝国、ソンガイ帝国など、金その他の物産を支配しサハラ交易で栄えた諸民族の国々が興亡し、世界文化遺産を今にもたらすトンブクトゥなどの都市が生まれました。14世紀の君主マンサ・ムーサの豪華なメッカ巡礼で威勢を轟かせた帝国の名「マリ」は、1960年の独立に際し、国号に選ばれました。諸帝国の栄光の歴史は、困難な状況の下にある今のマリの人々の、大きな心の支えとなっています。

-在任中に経験された大きな出来事や特筆すべき事柄はありますか。

 国軍将校が9カ月の間に二回も起こした政変です。
 治安危機が改善しないマリに、一昨年2020年3月、コロナ禍が到来しました。一層困難となった国家運営に、二期目二年目の75歳のケイタ大統領は苦慮します。6月になると、4月の国民議会議員選挙の結果に異議を唱え、大統領の「無為無策」を糾弾し、その即時退陣を要求する大規模デモが、首都バマコで何度も繰り返されるようになります。7月には、デモは市街騒擾と化し、治安部隊の発砲で死者が生じ、暴徒が国民議会議事堂を焼き討ちにしました。そして、8月、30歳代のゴイタ大佐ら国軍の一部将校が武力政変を起こしました。ケイタ大統領は首相らと共に拘束・連行され、その日のうちに、自身の退陣、内閣総辞職、国民議会の解体を表明し、マリは、「刷新」・「国難打開」を掲げる暫定政権=軍政の支配下に置かれました。さらに、昨2021年5月の二回目の武力政変で、親仏的ないずれも文民の暫定大統領と暫定首相が解任されました。暫定副大統領だったゴイタ大佐が新しい暫定大統領になり、暫定首相には、反ケイタ大統領デモの主導者の一人で旧ソ連留学組の閣僚経験者が、据えられました。
 以来軍政は、早期に大統領選挙・民政移管を行うよう迫る西アフリカ諸国経済共同体(ECOWAS)またアフリカ連合(AU)、EU、そして特に仏と、激しく対立します。同時に、東西冷戦時代にマリ国軍の最大支援国であった旧ソ連の後継国である露に、傾斜していきます。暫定首相と外相の仏非難の舌鋒に共振するように、「仏帝国主義はテロリストの共謀者、出ていけ」、「露こそが真の友邦」と露国旗を振りながら連呼するデモも頻発します。今年1月、軍政は、仏大使を国外追放し、3月、仏の国際テレビFRANCE24と国際ラジオRFIを視聴できなくしました。仏が幅を利かせていたかつてのマリでは、あり得ない事態です。
 2月、暫定首相は、「意見交換会」と銘打って外交団を首相府に集め、「選挙を行うためには、先ずは治安の立て直しが必要である。」、「仏はマリに対し悪意を持っている。」等々、延々と語りました。外交団長としての発言を求められた私は、「選挙・憲法秩序回復の早期実現が重要であることを、日本がその一員である国際社会は、マリの友として申し上げる。」と応じました。なお、西側各国大使からはもちろんですが、同夜の国営テレビのニュースを見た多くのマリの方々からも、賛同の言葉が届きました。
 「露正規軍ではなくワグネルの要員がマリ領内に多数入っており、マリ国軍兵と共同行動中。そして、一般住民が抑圧されている。」という仏メディアの報道が、3月になると、見受けられるようになります。軍政は事実無根であると激しく否定し、この件の調査を進める国連МINUSMAを、強く牽制しています。
 さて、7月、首都バマコ近郊に立地する、ゴイタ大佐らの本拠地の国軍カティ基地で爆弾テロが発生し、AQ系イスラム過激派が犯行声明を出しました。翌8月、マリ政府の要請で2013年1月に軍事介入しイスラム過激派のバマコ進攻を阻止して以来、9年にわたり北部に駐留してきた仏軍は、予告通りマリ領から完全撤収し、兵員を隣国ニジェールにある仏軍基地に移しました。

-マリと日本との関係はどのようなものですか。今後の展望はいかがですか。

 日本とマリの外交関係はマリが独立した1960年に始まり、2008年、首都バマコに日本大使館が開設されました。2019年2月には、佐藤正久外務副大臣の公式訪問があり、マリ官民に日本の役割が強く印象付けられました。
 毎年の援助額では、日本は西側援助国のうちで10位に入るかどうかといったところですが、日本へのマリ側の評価は高く、昨年7月のジョップ外相主宰の外務省行事「第一回・外交サロン」のテーマ国は、日本でした。良心的な日本の協力の定評、そしてマリ全国を席巻する優秀な日本車の存在感があればこそのことです。マリ最大の自動車ディーラーは豊田通商の100%出資会社CFAO社の現地法人、そして最大の医薬品商社は同グループ企業のLABOREX-МALI社です。この日系2社は、マリで大きな社会的役割を担っています。
 マリは、潜在力を有しています。軍政が国内外に公約しているとおり2024年2月の大統領選・民政移管が行われ、国際社会との健全な協力により民主主義と法の支配が定着し、平和と安定が回復され、事前予測可能な環境の中で、経済・文化等々、日本・マリ両国にまたがるさまざまな活動が盛んになることを願っています。日本におけるマリ・サヘル研究の一層の深まりを期して、この分野の一流の研究者の方々と、日本・マリ研究会を立ち上げたところです。

-大使として在任中、特に力を入れて取り組まれたことは何ですか。

 何よりも、邦人の安全です。
 私が着任した2016年当時、外交団は会えば皆、イスラム過激派によるバマコ攻撃そして誘拐への懸念、有事の際の国外脱出につき、話していました。宿泊客19人が殺害された前年11月のバマコ市内高級ホテルへのテロ、北部での外国人誘拐・殺害、そして中部での連続村落襲撃と国軍兵の潰走が、背景にありました。
 日仏など西側諸国の自国民向け安全情報地図で、マリ国土の大部分は、恒常的に、赤色=退避勧告とオレンジ色=渡航中止勧告になっています。
 このような治安情勢ですから、地方で危険な状態にあった邦人の方を、МINUSMAに依頼しバマコまで国連機で緊急移送してもらったことも、幾度かあります。

-在外勤務を通じて強く感じられたことはありますか。

 マリの年来の脆弱な治安情勢に、2020年には、さらにコロナ禍、市街騒擾、武力政変が加わり、街に出て活動することが一段と困難となりました。一方、邦人安全をはじめとする大使館の業務は、情報を収集すること、こちらが望むところを実現するために相手に働き掛けること、この二つの作業を必要とします。いずれも、人的要素が強い作業です。平素から人に会い味方に付け、いつでも電話やメールで仕事が成り立つようにしていることが、特に有事に際して不可欠であると、強く感じました。
 もう一つあります。外国に暮らし、その国また第三国の人々と睦み、競い、そして日本に思いを致すことができる海外勤務。味わい深いものだと思います。

(写真)ジョップ外相主催送別会(マリ外務省ツイッターより)