<帰国大使は語る>地殻変動が加速するサヘル地域にあって―ブルキナファソの魅力と現実―


前駐ブルキナファソ大使 加藤正明

―ブルキナファソはどのような国ですか。どのような特色・魅力がありますか。

 ブルキナファソは、1960年にフランスの植民地からオートボルタ共和国として独立した新しい国です。現在の国名は1984年、当時のサンカラ大統領によって改名されました。前半のブルキナは国の多数派民族モシのモレ語で統合や名誉を意味し、後半はジュラ語の土地・国・祖国を意味する語を組み合わせたものです。「高潔な人々の国」の名のごとく国民は誠実・勤勉で、同じ家族構成員でも異なる宗教を許容するなど、民族や宗教に寛容な国民性を持っています。
 周辺6か国に囲まれた内陸国で、金などの鉱物以外には自然資源も限られ、厳しい自然環境におかれていることから、世界で最も貧しい国の一つとなっています。国家財政も厳しく学校、診療所にさえ予算が十分に行き届いていません。しかし、それを補う形で村落共同体が活発に活動し自助努力に努めています。貧しい中でも支え合いながら生活する人々の姿には、しなやかさとたくましさを感じます。
 最近では、ブルキナファソ産のシアバターがスキンケア商品として日本でも出回るようになりました。同国はゴマや綿花などの産地としても知られています。市内には、日本車やヤマハのオートバイが多くを占め、日本というと技術先進国のイメージが人口に膾炙する一方、規律や礼を重んじる国との印象も持たれています。柔道や空手といった武道が若者に人気があるのも、そうした日本の魅力に惹かれたからかも知れません。

(写真1) 女性による伝統的な機織りの様子 (筆者撮影)

 ブルキナファソに来られた方が異口同音に言うのは、人々の誠実で温かみ溢れる人柄です。30余年前に私が初めて同国を訪れた時と比べ街の様子も治安状況も大きく変化しましたが、人々の勤勉さ、寛容さは変わりません。この人々こそが同国の一番の財産であり、潜在力の源であり、最大の魅力であると感じています。

―在任中に経験された大きな出来事や特筆すべき事柄はありますか。

 着任した2020年8月は、世界中でコロナ禍が猛威を振るっていた時期でした。その最中に迎えたのが、民政復帰(2015年)後初の大統領カボレ政権の評価を問う2020年11月の大統領選挙でした。騒乱もなく再選を果たした2期目のカボレ大統領は、テロ対策、国内避難民の帰還、国民和解、ガバナンス強化を優先課題とした第2次国家経済社会開発計画(PNDES)を策定し、新たな門出を迎えました。2022年8月にはTICAD8を控え、大使館としても今後の支援強化に向けた準備に余念のないところでした。
 そうした中、2022年1月、反乱将校によるクーデターが勃発し、ダミバ中佐率いる保護・復興のための愛国運動(MPSR)が権力を掌握し、カボレ政権は崩壊しました。国民からも、一向に改善しない治安への不満と軍への期待を背景に、クーデターという非合法的行動にも一定の理解が示されました。移行憲章への署名や組閣、議員任命などを2か月弱で実施し、移行期間もECOWASとの協議の結果、24か月(2024年7月1日まで)とすることで決着しました。しかし、テロ被害者や国内避難民は増える一方で、いくつかの大規模テロ攻撃事件が追い討ちをかけました。また、ウクライナ戦争に起因する食糧、肥料、燃料価格の高騰も手伝い、市民生活への影響も拡大しました。
 2022年9月、クーデターから8か月にして、再び一部士官によるクーデターが勃発。トラオレ大尉を首謀者とする反乱兵士は、ロシア国旗を振る民衆の興奮と歓迎ムードに包まれ、勝利宣言しました。その後、移行体制を僅か1か月強で構築。ECOWASと合意済の移行期間も遵守しました。弱冠34歳で大統領に就任したトラオレ大尉は、サンカラ大統領の再来と期待され、主権国家としてブルキナファソの真の独立を標榜しています。しかし、旧宗主国フランスの駐留部隊を撤退させる一方、テロを帝国主義、新植民地主義と結びつけ急進的アフリカ主義を主張することで、伝統的パートナーを遠ざける方向に歪曲化しています。
 2023年9月末でトラオレ政権も1年を迎えました。テロによる被害拡大、国内避難民の増加、国民生活の窮乏化に加え、マスコミ報道規制が厳格化する現実を前に、抑制された国民感情がくすぶっているのも事実で、いつ火がつくかが懸念されます。また、軍の内部統制には不安材料が残されており再度のクーデターの可能性も否定できません。

―ブルキナファソと日本、またフランス、国連、ロシアやとの関係の現状はどのようなものですか。今後の展望はいかがですか。

 日本とブルキナファソは1960年に外交関係を樹立して以降、60年以上にわたり築いてきた厚い信頼関係のもとに友好関係を構築してきました。先人が積み重ねてきた功績のおかげで、クーデター後の軍事政権以降も揺るぎない関係が継続しています。

(写真2) 草の根無償で建設した井戸 (在ブルキナファソ日本大使館員撮影)

 フランスとの関係は、カボレ政権、クーデター後のダミバ政権までは反仏感情が深刻化することなく、友好関係が継続していました。しかしトラオレ政権になり、その状況は一変。フランス大使に退去を求め駐留部隊を撤退に追い込むなど、一部国民の反仏感情を背景に強硬姿勢をとっています。フランスも、2023年7月末に起きたニジェールのクーデターを契機に、ニジェールの反乱勢力を支持する同国に対する援助を中断し、関係はさらに悪化しています。
 他の欧米諸国との関係は基本的には変わっていません。しかし、他国の軍に頼らぬ同国軍の即効的強化策として、わずか2週間の訓練で現場に赴くボランティア兵を大量に徴用する措置に、欧米諸国は人権侵害に懸念を有しているほか、軍の統制や管理の観点から殺傷能力のある軍備品等の供与には慎重です。こうした措置に対し、政府側は「帝国主義者は民主主義や人権を守ることを口実にしている」と反発し、明示的でないものの欧米諸国を批判しています。国際機関に対しても、政府は国連常駐調整官に通常は国連に適用されないペルソナノングラータとして国外退去を求めたり、国連機による支援物資の運搬に干渉するなど、両者の関係は不安定です。
 一方、軍備品供与に前向きなロシア、トルコや非同盟国イランといった国々とは密接な関係を構築しようとしています。特にロシアは、歴史的に軍事支援や留学等による人事交流で関係構築を図ってきましたが、近年では天然資源などを狙った経済的利益や国際的な孤立を回避し地政学的利益を得るために、アフリカへの関与を強めています。また、西アフリカでは、クーデターといった脆弱なガバナンス問題の表出化と前後して、フランスに対する国民感情を逆手に取った情報戦が展開されています。マリ、ブルキナファソ、ニジェールでは、情報戦に影響された若者の声を後ろ盾にして、フランス部隊の退去などを実現しています。
 サヘル地域では、多くの国でクーデターや非民主的な政権交代が起こるとともに、テロの脅威が拡大、さらに反仏感情や急進的なアフリカ主義の思想の蔓延やロシアによる有形無形の介入が混乱に拍車をかけ、地殻変動が加速化し、極めて不安定なベルト地帯と化しています。どのように民主的な体制を定着させていくのか、いかにテロの脅威を食い止めるのか、国を超えサヘルやマグレブを含めた西アフリカの地域の視点での戦略が問われています。

―大使として在任中、特に力を入れて取り組まれたことは何ですか。

 一丁目一番地として邦人の安全確保の重要性は言うまでもありませんが、それ以外での取り組みを紹介すると、まずは地道な対話の継続です。当初の1年強はコロナ禍で対話もままならず、クーデター勃発後1年間は閣僚とのバイでの接触も制限されました。そうした中、マスク外交を続けつつ、公邸にはアクリル板設置などコロナ対策を施した上で、必要最小限ながら対話を維持してきました。クーデター後も、外交団や政府主催の各種行事など公の場を通じて、黙示の承認を与えたと誤解される接触を避け、閣僚との対話の機会を設けるよう努力しました。最後の1年はそうした制約もなく存分に対話ができましたが、それ以前の地道な取り組みのおかげで何とか信頼関係を維持できたと思います。
 2つ目は、持続的な経済協力の実施です。特に、2022年1月にクーデターが起きて以降約1年間は新規案件が中止される一方、国内避難民の増加など人道状況はますまず厳しい状況になりました。このため、国際機関との連携強化、既存案件予算の工夫、さらには見返り資金活用などで対応してきました。また、在任中は治安の関係で日本人が活動できる範囲が限られましたので、ナショナル・ボランティアという現地事情に通じた人材を活用する制度を設けたり、計画していた一般無償案件を国際機関を通じた無償案件に切り替えるなどして、成果の維持・最大化に努めました。

(写真3)無償資金協力で建設したタンソバ・バイパス道路
(在ブルキナファソ日本大使館提供)
(写真4)UNDPとの連携で建設した共同市場の視察
(在ブルキナファソ在日本大使館提供)

 クーデターが勃発したことでTICAD8には招待国から外れ、TICAD7まで続いてきた大統領の参加も途絶えることになりましたが、こうした懸命の工夫で何とか経済協力を持続的に実施できたおかげで外交的な影響も最小限に済ませることができました。外務本省や館員に努力に改めて感謝したいと思います。
 3つ目は、文化・スポーツ交流の強化です。経済協力を通じた人造りと同様、文化・スポーツは心の触れ合いという両国民の深く永続的な絆を築く上で極めて有効な外交手段です。とは言え、予算は非常に限られていますので、費用のかからぬ方法で強化してきました。例えば、研修生や留学生、在日ディアスポラといった日本の滞在経験者や、日本国際漫画賞受賞者、「オタク」と称するマンガ・アニメ同好会など日本に関心を持つあらゆる人脈を活用し活動に協力してもらったのもその一つです。公邸を外交拠点とした、和食と日本酒の魅力の発信とプロモートにも随分と力を注ぎました。このおかげで、「武道の日」といった年中行事だけでなく、文化・スポーツ交流にも奥行きが広がったと思いますし、蒔いた種の芽が少しずつ出ることを期待しています。

(写真5) スポーツ外交推進事業による柔道着の供与 (筆者撮影)

―在外勤務を通じて強く感じられたことはありますか。

 まず、最重要課題である治安・人道危機からの回復には、武力だけでは解決できず、テロの根本原因を断つことが極めて重要ということです。格差に不満を持つ若者が、過激思想の影響を受けることでテロの温床となり、民族的な偏りが差別につながるという負の連鎖を生んでいます。過激思想による影響の根を断ち、社会的結束を取り戻せるか、辛抱強い努力が求められています。
 次に、クーデターの連鎖を起こさぬためには民主主義という価値観の国民への定着が不可欠ということです。しかし、定着には長い葛藤の歴史が必要のようです。欧米や日本も、民主主義は歴史の変遷を経て自ら獲得したものです。また、人々の生存、生活、尊厳が脅かされる人間の安全保障が確保されない状況では、その定着には困難を伴います。選挙≒民主化といった手段の議論に偏ることのない、民主主義についての本質的な議論が求められています。
 第3に、そうした民主主義や人権といった欧米等とも共有する価値観から、サヘル地域やブルキナファソを遠ざけぬようにつなぎ止めることは、国際秩序を維持する上で重要です。しかし、旧宗主国などの歴史的な負の遺産が、つなぎ止めに必要な対話を妨げていることも事実です。その点、「欧米」の範疇にはくくられない「日本」の位置づけはある意味特殊であり、その役割を果たす可能性が残されている国として、外交上の意義を見いだせるのではないかと感じたことです。
 さらに、ロシアのアフリカへの影響拡大が懸念されていますが、情報戦が軍事投入せずとも簡単に国を混乱に陥れ民意を動かせる、権威主義国家にとり有効な手段となっています。情報戦は、行動や表現の自由を含め民主主義の隘路を突いた、実に巧妙な戦い方です。情報化が進み人々を結びつけるネットワークがパワーの源泉となる中で、情報戦に対する対策は脆弱国家に限らず全世界にとって無策ではいられないと強く感じた次第です。
 最後に、人材は国の宝ということです。持続可能な開発を考える上での課題は、2.7%(2021年)という高い人口増加率です。人材育成を行い若年労働力の源泉となれば、将来の経済発展の原動力となりますが、人材育成がままならず、十分な雇用を創出できなければ、大きな社会問題の原因となり、内生的なテロリストの温床ともなりかねません。人材育成は、ブルキナファソにとって最大の課題の一つといえます。