<帰国大使は語る>バルカン半島の民族融和のモデル国・北マケドニア


前駐北マケドニア大使 澤田洋典

 2020年11月から2022年12月まで駐北マケドニア大使を務めて最近帰国した澤田洋典大使は、インタビューに応え、北マケドニアの特徴と魅力、在任中に経験したことや力を入れて取り組んだこと、日本との関係とその展望等について以下の通り語りました。

―北マケドニアはどんな国ですか。その魅力は何ですか。

<バルカンのクロスロード>

 「北マケドニアって何処?」とよく聞かれますが、「旧ユーゴスラヴィアの一部で、ギリシャ、ブルガリア、セルビアなどに囲まれた国」と説明するのが一番わかりやすいようです。これらの国々は、歴史的にも今日の北マケドニアの成り立ちと深い関わりがあります。

 北マケドニアの国名は、アレキサンダー大王の古代マケドニア王国に由来します。「マケドニア」は古代から東西交通の要衝として多くの民族が行き交い、ローマ帝国、ビザンツ帝国、オスマン帝国と統治の歴史が変遷し、その間、中世ブルガリア帝国、セルビア王国の支配も受けました。オスマン帝国末期、周辺の国が次々と独立する中、「マケドニア」は権力の空白地帯と言われ、ギリシャ、ブルガリア及びセルビアが領土を分割します(バルカン戦争)。この時セルビア領となった「マケドニア」は、第二次大戦後ユーゴスラビア連邦においてマケドニア共和国となります。1991年「マケドニア共和国」として独立しましたが、歴史的経緯からギリシャがこの国名に反対し、長い交渉の末、2019年に「北マケドニア共和国」となりました。

<歴史・文化・自然が融合>

 多くの民族が往来した歴史的背景から多様な文化が存在し味わい豊かな国です。古代ローマの遺跡、ビザンチン時代の教会、オスマン帝国の名残オールドバザールなどがあり、風光明媚な国土、豊かな自然(1年のうち300日で日照)に恵まれ、美味しい食材とワインが魅力です。

 アルバニアと国境を分けるオフリド湖(写真)は、欧州最古の古代湖で、山に囲まれた雄大な景色がひろがり、北マケドニア随一の観光地となっています。また、中世ブルガリア帝国の首都で、スラブ・キリスト教文化の発祥地と言われ、ビザンチン文化、特に、イコン芸術の宝庫としても知られています。オフリド地域は自然と文化が融合し、世界でも数少ないユネスコ複合遺産に指定されています。同じく古代湖の琵琶湖と交流があります。

(写真)世界複合遺産のオフリド湖

<民族融和のモデル>

 人口の65%がマケドニア系ですが、アルバニア系(人口の25%)と強い共存関係にあります。コソボ紛争の影響で30万人とも言われるアルバニア人が流入し、2001年には国軍との衝突が起こりましたが、欧米の仲介により和解が成立し(オフリド合意)、言語、教育、雇用など、アルバニア人コミュニティーに配慮した政策を取っており、紛争の多いバルカン地域にあって、「民族融和のモデル」と言われています。歴代政権はマケドニア系主要政党とアルバニア系小政党の連立から成り立っており、現政権においても、アルバニア系政党は重要な役割を果たしています(国会議長、副首相、外相、財務相、経済相など有力ポストを保持)。なお、ノーベル平和賞のマザー・テレザ氏はアルバニア系でスコピエ生まれ、スコピエにはマザー・テレザ記念館があります。

<EU加盟は北マケドニアの悲願>

 独立以来の最優先課題はEU加盟であり、諸外国の協力を得てそのための改革を進めています。2005年にはEU加盟候補国となりましたが、ギリシャとの国名問題、その後ブルガリアとの歴史問題のため交渉開始が遅れ、22年7月にようやく開始されました。憲法改正を始め、残された難しい課題も多く、加盟までには長い道のりが予想されます。私は離任スピーチにおいて、オスマニ外務大臣の前で、「北マケドニアは過去に幾度も困難を乗り越えてきた歴史があり、EU加盟に向けても必ず困難を克服すると信じており、日本も支援している。」と述べました。NATOには20年3月、30番目の加盟国として加盟しました。

―北マケドニアと日本との関係はどのようなものですか。

<建築家丹下健三氏の名残>

 北マケドニアは大変親日的な国です。その大きな理由の一つが建築家丹下健三氏の貢献です。1963年、スコピエで大地震があり、都市再建計画に丹下健三氏が中心的な役割を果たしたことが未だに市民の記憶に強く残っています。スコピエはその後近代化されましたが、丹下健三氏によって設計されたスコピエ中央駅/バスターミナルなどが見られます(写真)。2020年には、丹下健三記念切手が発行されました。また、23年はスコピエ地震から60年に当たり、記念イベントが予定されています。

(写真)丹下健三氏が設計したスコピエ中央駅/バスターミナル

<旧ユーゴ時代に日本を紹介したコスタ・バラノフ氏>

 1967年、日本で中世イコン展が開催され、オフリドのイコン博物館から多くの作品が出展されました。その時総監督を務めた著名な歴史家コスタ・バラバノフ氏は、半年間日本に滞在する間に日本の歴史、芸術、文化に深く感銘を受け、帰国後、マケドニア日本友好協会を創設しました。そして当時知られていなかった日本の文化、芸術などを紹介するとともに、日本のニュースを発信しました。これがマケドニア人の対日関心を高めることに貢献し、今日の親日感の基礎となっています(その後バラバノフ氏は日本の名誉総領事を勤め、また、国際交流基金賞を受賞)。

<西バルカン協力イニシアティブ>

 日本は、2018年安倍総理(当時)が提唱した「西バルカン協力イニシアティブ」の下で、政治対話、経済協力、日本企業進出支援、民族和解支援などを通じ、西バルカンの欧州統合のための社会経済開発を支援しています(注:西バルカンはセルビア、北マケドニア、アルバニア、ボスニア・ヘルツェゴヴィナ、モンテネグロ、コソボの6カ国)。日本政府は北マケドニアの独立以来、医療器材供与を中心とする大規模な無償資金協力を行っています(最近では20年からのコロナ対策支援)。また、1996年以来、草の根・人間の安全保障無償資金協力を通じて、学校、病院、自治体などに支援プログラムを実施し、高く評価されています。JICAもダム建設(円借款)、環境保護、企業家支援、文化無償(国立オペラ・バレエに対する楽器、音響、照明機材供与)など積極的に活動しています。

<特別の信頼関係>

 北マケドニアは、法の支配、自由、民主主義を重視する日本と共通の価値観を共有しており、日本が提唱する自由で開かれたインド太平洋構想にも賛同を表明しています。近年は、国際情勢の変化に伴って国際社会における協力関係の構築が不可欠になってきていますが、北マケドニアは常に日本の立場に理解を示し、協力しています。伝統的な親日感、我が国の経済協力、国際場裏における協力関係により、両国は特別の信頼関係にあると言えるでしょう。後述のオスマニ外相の訪日はこれを象徴するものだったと思います。

―大使として在任中、特に力を入れた取り組まれたこと、印象に残った仕事は何ですか。

<「草の根無償」:小さな支援で大きな効果>

 特に力を入れたのは、草の根・人間の安全保障無償資金協力(以下「草の根無償」と表記)です。2020年11月に着任早々、10件の「草の根無償」プロジェクトの署名式があり、地方都市を訪問しましたが、「草の根無償」が大変成功しており、また高く評価されていることを実感しました。北マケドニアはEU加盟候補国としてEUから莫大な支援を得ていますが、その多くは道路などの大型インフラ工事に使われており、医療、教育などの社会インフラ整備には行き届いていません。「草の根無償」は小規模なプロジェクトですが、北マケドニアのような小さな国では、甚大な効果があり、感謝されているのです。翌年は更に頑張って13件実施しました。1996年から2022年まで累計で171件、850万ユーロを支援しています。

 また、「草の根無償」は対日理解の促進にも役に立っています。多くの学校、幼稚園で校舎の屋根、窓、ドアの修復などを行っていますが、これをきっかけとして子供たちが日本語や日本の文化を学ぼうと努力しているのです。こうした経験は必ず相互理解の源になるでしょう。

 私は、離任する直前の11月末、「あなたは本年のマン・オブ・ザ・イヤー(外国人部門)」に選ばれました。」との知らせを受けました。突然のことでびっくりしたのですが、聞いてみると、過去2年間、北マケドニアの教育、医療、環境分野の発展に貢献した、特に「草の根無償」が高く評価されたとのことでした。表彰式において、私はマケドニア語でスピーチを行い、「この賞を日本政府・国民、大使館のスタッフ全員及び常に私の外交活動を支えてくれた妻と分かち合いたい」と述べました(写真)。

(写真)Man of the Year 授賞式

<政治対話>

 西バルカン協力イニシアティブ推進のためには、ハイレベルの政治対話が重要だと考えていました。オスマニ外相が欧州以外の国を訪問することは極めて稀ですが、彼も就任当初から日本訪問を強く希望していました。コロナ禍で要人往来が制限される中で何度か仕切り直しがあった後、やっと2022年の5月に訪日が実現しました(これはコロナ後、西バルカンから初の外相訪問となりました)。オスマニ外相は、私の離任レセプションでの歓送のスピーチで、私との関係にも言及しつつ、「訪日は両国関係にとり、エポックメイキングとなる重要なものだった」と振り返りました。オスマニ外相と築いた個人的な信頼関係が両国関係の強化に繋がったことを実感した瞬間でした(写真)。

(写真)オスマニ外相とスコピエ公園を散策

<文化交流>

 着任当初、コロナ禍で交流が制限されていたことは本当につらいことでしたが、徐々に活動が再開され、思い出に残るイベントもいくつかあります。国立オペラ・バレエは、2022年2月、日本の協力に感謝するため、特別のコンサート「ありがとう」を開催してくれました。コンサートの最後に、北マケドニアを代表するテノール歌手は日本語で挨拶し、「ふるさと」を日本語で歌ってくれたのは感動的でした。同年後半は日本の芸術家、音楽家の来訪もあり、活動も活発になりました。2024年は日・北マケドニア外交関係30周年です。交流が一層深まるよう期待しています。

<ビジネス対話>

 ビジネス関係の構築のため、北マケドニアを代表する色々な企業を訪問し、また、日本企業の投資の可能性を追求しました。これまでは目立った日本の投資はなく、貿易関係も限定的ですが、北マケドニアは優れた投資環境を有しており(世銀の投資環境ランキングで世界でもトップクラス)、日本の投資に期待しています。オスマニ外相は、訪日の際、ジェトロと共催で北マケドニア・ビジネスセミナーを開催し、日本企業に対し投資を呼びかけました。いくつかの日本企業は北マケドニアにおける投資に関心を示し始めており、今後経済関係でどのように日本が存在感を高めていくかが大きな課題ではないかと思います。

―在外勤務を通じて強く感じられたことはありますか。

 私は大学でポルトガル語を学び、外務省入省後もポルトガル語を研修、ポルトガル語圏を中心に勤務してきましたので、言葉で苦労することはあまりありませんでした。北マケドニアでは主にマケドニア語とアルバニア語が話されています。仕事は英語でことが足りることが多いのですが、マケドニア語を知らないと新聞、テレビは全く理解できません。そこで思い切ってマケドニア語に挑戦してみることにしました。スラブ語は初めての経験であり、キリル文字に慣れるまでは相当苦労しましたが、勉強を始めてから半年後ぐらいから、マケドニア語でスピーチするよう心掛けました。「草の根無償」の署名式や引渡式、また文化行事のオープニングなど、大使としてスピーチを行う機会が多かったからです。このことはマケドニア語の勉強に大変役に立ったと思いますし、また、現地メディアや政府関係者に大変喜ばれました。マケドニア語がもっと使いこなせれば、人脈構築や情報収集の質と量が広がったのではないかと思います。

 外務省には50近くの言語の専門家がおり、バルカン地域の言語ではブルガリア語、ルーマニア語、セルビア語、クロアチア語、スロベニア語、ギリシャ語の専門家がいますが、マケドニア語、アルバニア語の専門家はいません。語学研修の目的は言語を習得すると同時に、その国の歴史、文化を学ぶことであり、その国との関係を構築するうえで重要な要素となりますので、将来的にはマケドニア語、アルバニア語の専門家を育成して欲しいと願っています。