(中国特集)ASEANと中国:虚像と実像


在東南アジア諸国連合代表部大使 千葉 明

1.ビラハリ流ショック療法?
 2020年10月、シンガポールのビラハリ・カウシカン元外務次官は地元のシンクタンクのウェビナーである発言を行い、さらにインターネットメディアにその内容を寄稿したことから、波風が立った。カウシカン氏は、カンボジアとラオスが国益のみ考慮して中国の肩を持つのは誤りだとし、「もし誤りを続けるならASEANと困難な対峙をすることとなり、8カ国を救うために2カ国を切り離す必要に迫られるかも知れない」と指摘したのである。
 ラオス、カンボジア両国が中国の立場を代弁しているというイメージは、かねてからASEAN内で共有され、関係者を悩ませていた。かといって、両国をASEANから放逐するという解決策では、ASEANの一体性を守るためにその一体性を破壊するという矛盾が生じる。その一年ほど前、スタンフォード大学の泰斗ドナルド・エマソン教授がバンコクのフォーラムで、中国の影響力によってASEANが空中分解しかねないと発言した際も、その部分だけ取り上げられて現地紙の見出しを飾るほど、この問題は敏感な要素を孕む。そこへ、正面から除名通告である。外交官らしからぬ歯に衣着せぬ物言いで知られるカウシカン氏だとはいうものの、ラオス、カンボジアはどう反応するか。関係者は固唾を飲んだ。
 幕切れは意外にあっけなかった。カンボジア、次いでラオスの現役・元外交官が集団で公開書簡を発出し、カウシカン氏を「上から目線」だと非難しつつ、中国の側にのみ立っていることを断乎否定した後、それ以上の広がりはなかったのである。ラオスとカンボジアの外交官が疑念を否定したことで、関係者は胸をなで下ろした。もしかしたらカウシカン氏の真の狙いは、ラオスとカンボジアに踏み絵を踏ませるショック療法だったのかも知れない。

2.中国がASEANに求めるもの
 ASEANは1967年、ベトナム戦争の拡大を背景に5カ国で結成された。文化大革命たけなわの中国にとり、ASEANは反共同盟以外の何物でもなかった。それが劇的な変化を遂げるのは、冷戦終了後、中国がインドネシア、シンガポールと国交を結び、さらに社会主義政党が統治するベトナムがASEANに加盟した1990年代だった。1996年に正式な対話国となった中国は、以来積極的な対ASEAN外交を展開してきた。中国外交部のホームページによると、中国はASEANと政治的相互信頼を構築し、様々な分野での実際的な協力を進め、平和と繁栄に向けた戦略的パートナーシップを深めることを目標としており、またASEAN中国代表部の大使挨拶には、ASEANは共に一帯一路を建設する重点地域であり、中国はASEANの共同体建設、東アジア協力におけるASEAN中心性、さらには開かれた包摂的な地域枠組みの中でASEANが積極的な役割を果たすことを支持する、とある。
 ASEAN全体の貿易額で見ると、中国はコロナ禍、また英国のEU離脱に伴う統計修正もあって最大の相手となった。国別ではラオス、カンボジア、ミャンマーとの貿易額は相対的に大きくないものの、投資は各々への海外直接投資総額の2割強から6割と突出している。
 東南アジア地域において中国が追求するもう一つの政策は、南シナ海の覇権である。形の上では、中国は域内の多くのクレイマントの一つとして権利主張しているが、法的前提を欠く論拠に立ち、しかもほぼ全域の独占を既成事実化しようとしていることもあって、すべてのクレイマントと利害が衝突するのみならず、姿勢そのものが強い反応を招いている。地図でみると、中国が主張する「九段線」が革袋のような形で海域全体を飲み込んでいる。袋のちょうど蓋の部分に台湾がある。
 海洋部での関心に対し、大陸部東南アジアでの中国の関心はメコン川である。メコン川上流部分は雲南省である。河川資源の常として、上流を抑える者は立場が強い。しかし、カンボジアのトンレサップ湖やベトナムのメコンデルタの環境に重大な影響を与えかねないのはタイ企業が請け負うラオスのダムであるなど、現場の状況は複雑であり、中国はここでも形の上では大勢の中の一人である。
 南シナ海にせよメコンにせよ、中国がその権益を遺憾なく発揚するには、ASEANの一致団結が関門となる。かくて、ホームページの言葉とは裏腹に、中国がASEANの一体性を損ない、各個撃破方式で分断する戦術が早道というイメージが浮かび上がる。ASEANの合従策を、連衡策で粉砕しようとしているという図式である。ASEANがコンセンサス方式で漸進的に物事を決めていく流儀であることも、この分断戦術に有効性を持たせることから、ますますこの図式で状況を分析する視点が受け入れられる。一国一国の発言力の不足を補うために、いわば団体交渉を行う基盤として目指されるASEANの中心性と一体性は、この図式の中では却って弱点なのではないか。こう受け取られるのも自然なことである。
 この分析視点からすると、ASEANが一体性を保持したまま大国のパワーゲームに巻き込まれないようにするには、中立性を模索することが合理的であるという見立てにつながる。ASEAN加盟国指導者自身は、メディアや論客のこうした見立てをどう受け止めるだろうか。

3.ASEANの出した答え
 2019年6月、ASEANは首脳会議で「インド太平洋に関するASEANアウトルック(AOIP)」を発出した。インド太平洋という着眼点そのものは、インドネシアが嚆矢とされるが、政策としては、安倍総理大臣が2007年にインドで行った「二つの海の交わり」演説が萌芽である。さらに2016年8月、アフリカ開発会議の場で「自由で開かれたインド太平洋 (Free and Open Indo-Pacific、FOIP)」が正式に打ち出され、米国が同じ名称でややニュアンスの異なる政策を公表するなど、インド太平洋というとらえ方が徐々に浸透し始めた。
 日本のFOIPは一帯一路への対抗を中核としたものではなく、むしろ一帯一路が内包する透明性や財政健全性といった課題を克服すればFOIPと矛盾しないという立場である。2021年1月に秘密指定解除の上公表された米国の「インド太平洋に関する戦略枠組み」でも、米国が一帯一路に関して2017年以来追求している政策は、「一帯一路が紐付きであることを発信していく」ことであるとしているものの、一帯一路そのものを拒絶する書き振りとはなっていない。しかし、米国のFOIPが持つ軍事戦略的色彩は、同じ2017年に中国が一帯一路を共産党規約に書き込み、その前年には資金的裏付けとなるアジアインフラ投資銀行(AIIB)を正式発足させたというタイミングも手伝ってか、FOIPと一帯一路を対抗軸として捉える見方が一般的となった。
 ここに及んで、ASEANは熟考を余儀なくされる。かくて、地域の戦略的環境は利害が競合していると定義し、その中で誠実な仲介者であり続けることを目指すと標榜して世に問うたのがAOIPだった。AOIPは、FOIPと一帯一路の中間着地点を探ったASEANの一つの回答といえよう。
 2020年8月、ASEAN設立53周年記念日に際し、ASEANは「東南アジアの平和と安定の重要性に関するASEAN外相声明」を発出した。同声明は、AOIPに言及しつつ、冷戦時代の中立政策を彷彿とさせる表現も盛り込んだ。声明を主導したインドネシアのルトノ外相は、記者会見で、「ASEANは大国のライバル関係に巻き込まれる必要もないし、そのように望みもしない」と双方から距離を保ちたい気持ちを滲ませた。

4.意外な展開
 ところがここから意外な展開となった。日米豪印の協力枠組みである「Quad」について、「地域におけるミニNATOである」と決めつけて批判している中国が、ASEANが打ち出したAOIPについても、その内容に踏み込むことは避けながら、「インド太平洋」という呼称を捉え、EASに向けたプロセスの中で、「AOIPは別のインド太平洋政策を連想させるから反対する」との主張を始めたのである。これは論理的には、AOIPを門前払いするに等しい。しかし、AOIPはASEAN自らの英知の結晶である。それを、名前が気に入らないから受け入れないというのは牽強付会である。しかも、ASEAN諸国には、華人が多数を占めるシンガポールをはじめ、中国文化に造詣の深い人々が多い。中国的文脈において、姓を変えろと言うのは最大級の侮辱と受け止められる。
 ASEANが自らの中心性を離れてさらに等距離を模索する方向に流れることは好ましくない。かといって、インド太平洋を擁護し主張する発言が出れば出るほど、雰囲気は対立的になり、調和を重んじる各ASEAN加盟国常駐代表(大使)は嫌気がさす惧れがあった。少しでも議論の方向性を変えようと、筆者も、加盟国常駐代表が読む現地英字紙に「AOIPを拒むことは、ASEAN中心性を蔑ろにすることだ」と投書したり、ちょうど予定していた合気道のオンライン演武にかこつけて、「二人の相手に左右から手首を掴まれたら、真ん中に立つだけでは技は通用しない。自身の中心を保つことがコツだ」と映像付きの解説を付け足して、常駐代表にリンクを送ったりした。
 ASEAN側も巻き返しに出て、さまざまなレトリックを駆使し、粘りに粘ったが、結局種々の考慮からAOIPという言葉はEASの議長声明で言及されるにとどまった。しかし同時に、AOIPに寄り添う国と、それがASEANの成果物であるにも拘わらず拒否する国が鮮明になった。ASEANの中心は、米中から等距離ではないことを明らかにしたのである。それは、対立構図の本質が米中対立ではないことをも示す。

5.中国は変わるか
 2021年1月、中国の王毅国務委員兼外交部長は、東南アジア4カ国を歴訪した。タイミングがASEAN外相リトリート直前だったため、この訪問は憶測を呼んだ。2012年のASEAN関連各種会議直前に胡錦濤国家主席はじめ要人が次々と議長国カンボジアを訪問し、結果としてASEAN外相会議の共同声明が発出さえされなかったトラウマが忘れられていないからである。しかし今回は、同外相リトリートの議長プレス声明にはAOIPも盛り込まれたし、南シナ海を巡る懸念の表明や「深刻な事案」という表現も維持された。察するに、ASEANが狙った着地点から中国が自ら遠ざかる構図となった反省から、インド太平洋という言葉を「主要矛盾」と規定することをやめ、雰囲気の修復に転じたものだろう。2021年は中ASEAN協力30周年だからである。
 30周年で中国が狙う成果の一つは、「人類運命共同体」をASEANと共有することであろう。2018年に中国憲法前文に加筆されたこの標語は、当初「common destiny for mankind」と訳されていたが、今は「shared future for mankind」に落ち着いている。「shared future」は、2013年に発表された「日ASEAN友好協力に関するビジョン・ステートメント」でも「Shared Vision, Shared Identity, Shared Future」という副題に用いられている。だが、中国が際立たせたいのは「mankind」である。「mankind」は、「人類運命共同体」と構成が似ている1943年の大東亜共同宣言において、「世界の進運」の訳の中で用いられている。
 もう一つ、中国が強調し始めたのは「新冷戦」のナラティブである。メディアが用いて久しい言葉ではある。冷戦というと、東西両陣営の苛烈な対立と、これへの対抗極としての非同盟運動を想起させる。今日、中国には陣営がないのが現実である。にも拘わらず各国を非同盟へと押しやりかねない新冷戦というナラティブはミスリーディングといえよう。
 ASEANと接する際発揮される中国的メンタリティーには、ASEANの基本精神に抵触するものがある。2010年、ASEAN地域フォーラムの場で、当時の楊外交部長が「中国は大国で、あなた方は小国だ。これは事実の問題だ」と発言したことが広く報じられた。「国に小なし、あなどるべからざるなり(国無小、不可易也)」(春秋左伝)という格言を生んだ国の代表にしては残念な発言である。一帯一路の構成要素である「海のシルクロード」にも類似のニュアンスが感じ取れる。中国が海のシルクロードの立役者としてスポットを当てる鄭和の航海は、まさに東南アジアから朝貢国を募る遠征だったからである。経済的利益と引き換えに忠誠を求める朝貢外交の仕組みは、ASEANの設立理念に悖る。
 中国が、囲碁の対局、あるいは毛沢東式遊撃戦の教え(敵進我退、敵駐我撹、敵疲我打、敵退我追)の如く、陣地の飽くなき拡張を目指して不断の現状変更を旨とするのか、「決して越えない一線」に合意してルールに基づく秩序を遵守するのか。ASEANが中国を受け入れていくかどうかは、中国の対応次第である。

(以上は筆者個人の見解であり、筆者が属する組織の見解を示したものではない。)