英国のEU離脱、EUの将来、そして日EU関係


前EU代表部大使、(公財)フォーリン・プレスセンター理事長
兒玉 和夫

 筆者は、2016年9月から2020年8月まで欧州連合代表部大使としての任にあたり、この9月には外務省を退官した。本論考は、あくまでも筆者の個人的見解である。筆者は、2年前の2018年12月、霞関会の「論壇」に「欧州の将来:英国のEU離脱を超えて」と題する論考を寄稿した経緯がある。今回は、同論考で展開したEU論(統治機構、EUが直面する課題)及び英国のEU離脱に関する論考との重複を避けつつ、議論を深めさせていただく。ご関心の向きは、同論考(https://www.kasumigasekikai.or.jp/2018-12-03-3/)もご笑覧願いたい。

I.英国のEU離脱と英国なきEUの将来について

1.欧州連合(EU)という実体の本質は何か?
 EUとは,国際法上,主権国家と同様の地位を有する 「超国家的実体」(supranational entity)としての側面と「主権国家の合議体」(inter-governmental entity)としての側面の二つを分有する存在である。
しかしながら,EUの発足から63年を経た今日にあっても,一方で,更なる統合深化,経済・通貨統合の先に,財政統合(注),更には,政治統合を目指すべき,という主張があると同時に,他方では,統合の終着点としての「欧州合衆国」は夢物語であって,「主権国家の合議体」という性格は維持されるべき,との主張も同様に強い。
 主たる論点は,どこまでの統合を目指すのか、どのようなスピードか、先行グループによる統合の深化を認めるべきか(マルチ・スピード論)、或いは、あくまでも遅れて加盟した東欧諸国に受け入れ可能なスピードで一体として統合深化を進めるべきか等である。EUが現時点で「欧州合衆国」に突き進むというシナリオは存在しない。あり得ることは、上記に指摘した二つの側面のせめぎ合いを繰り返しながら,統合深化を続けるであろうということである。
(注)2020年7月の欧州理事会において欧州委員会が、コロナ禍からの「復興基金」(2021年~23年)7500億ユーロの市場からの起債権限が付与されたことは、例え「今後の前例にしない」との限定が付されているとしても「財政統合」プロセスの画期的な第一歩と目されている。

2.「超国家的実体」と「加盟国の合議体」というヤーヌス的実存の象徴
 上記に説明したEUのヤーヌス的実存故に,我が国を含む域外国のEU代表部大使は,2通の信任状を奉呈する。一通は,欧州理事会常任議長に,もう一通は,欧州委員会委員長に対してである。同様の理由から,EUは,G7,G20において,常に,理事会議長と欧州委員会委員長の二人が正式メンバーとして参加している。超国家的実体は、紛れもない「事実」である。EU域内にはもはや従来のような国境は存在せず(人,モノの移動における出入国管理,税関検査は,シェンゲン協定加盟国については撤廃)、更に、加盟国の中央銀行ではなく欧州中央銀行(ECB)がユーロ圏の金融政策を司り、域内共通通貨ユーロの存在こそは,EUが「超国家的政治・経済統合体」であることを象徴するものである。

3.英国のEU離脱の意味
 2018年12月の論考の中で、筆者は、『欧州統合の歩みは,独仏両国の「もう二度と両国が干戈を交えることはしない」という覚悟、つまりは,両国が主導して欧州に「運命共同体」(Community of Destiny)を創設するという覚悟の下に開始された。ところが、英国にとってのEUとは「利益の共同体」(Community of Interests)にとどまり続けたのである。』と指摘した。それは、言い換えれば、EU統合のために主権の漸次移譲を受け入れてきた独仏と主権の移譲はあくまでも「単一市場」と「関税同盟」という「共同体」の創設に必要な限度で受け入れてきた英国の立場の違いであり、それこそが、英国のEU離脱の最大の理由である。
 英国にとってのEU離脱とは、英国が、もはや、これ以上前進を続けるEU統合の歩みに英国自身がついていけなくなったことの帰結である。そのことを明瞭に示唆していたのが1988年9月20日、サッチャー首相が行った「ブルージュ演説」である。同首相のメッセージ゙は、EUが目指すべきビジョンとは、「独立した主権国家間の自発的で積極的な合議体」である、というもの。90年代以降のEUの更なる統合深化への参加を拒絶する英国にとって残された道は、これ以上のEUへの主権移譲の取り組みを拒絶する(Vetoの行使)か、共通通貨ユーロへのケースのように自らを統合プロセスの埒外におく(opt-out)ことしか残されていなかったといえる。そして、「域内単一労働市場」が実現した結果として、東欧やバルト諸国からの移民労働者の大幅な流入が、結果として英国人労働者の失業をもたらし、英国人労働者の反EU移民労働者感情を高めたことも間違いない。

4.英・EU間の将来関係交渉の行方について
 英国のEU離脱は、2021年1月1日より開始する。一方、本稿を記述している12月18日時点において、離脱後の英EU関係を規定する協定(FTA、英排他的水域における漁業権、将来関係に関する協定のガバナンス・紛争処理手続きを含む)の締結交渉は妥結していない。もし、年内に妥結しなければ、「ノー・ディール離脱」が現実となる。
 以下はあくまで筆者が各種ソースから把握した情報に基づく分析である。
 本交渉において実質合意している点は、英・EU貿易投資関係は、英がEU関税同盟から離脱し、EUとは、無税・無枠のFTAを結ぶというもの。交渉が難航している理由は以下の3分野での合意が得られていないことによる。最大の争点は、FTAを結ぶにしても、EUは英企業のEU単一市場への無税・無枠のアクセスは、あくまでも「公正な競争条件」の確保が前提であり、離脱後の英国で国家補助、労働・環境基準等においてEU規則から乖離(diverge)することは、英企業を不当に利することになり受け入れられない、というもの。これに対し、英側は、離脱とは、そもそもこうした規則設定の自由(sovereignty)を取り戻すことであるとして対立は解消していない。第二点は、英国の排他的経済水域におけるEU漁業者の既得権益を維持しようとするEU(一説では8年間の移行期間(激変緩和)を要求)に対し、離脱した英国がなぜかくも長い移行期間を認めねばならないのかと強く反発する英との対立である、第三点は、「将来関係合意」全体を射程に入れた紛争解決メカニズムにおける欧州司法裁判所の役割を英がどこまで許容するかという問題である。
 これら争点は、いずれも「主権を取り戻す」という英にとっての大義と「EU単一市場へのアクセスにおける競争条件の公平性確保」という大義の衝突であるだけに本件交渉の難しさを理解頂けると思う。それでも、筆者は、英EU間の交渉妥結は可能であると期待する。

5.トゥスク・ユンカー双頭体制(2014年~19年)の評価
 まず指摘すべきは、2014年から2019年にかけての5年間は、切れ目のない内外の危機対応にEUの一体性、結束が揺さぶられ、試された5年間であったということである。ギリシヤ金融危機、イスラム過激派テロリストによる無差別殺人、未曽有の移民・難民(庇護申請者)危機、英国とのEU離脱交渉といった一連の危機に直面する中、両首脳は、「欧州連合の船長」としてEUの舵取りに最善を尽くし、最終的に、EUとしての「一体性」、「結束」を堅持したと評価したい。
 もし、トゥスク・ユンカー体制の肯定的レガシーを一つ挙げよ、尋ねられるなら、筆者は、即座に、「日EU関係をこの5年間で飛躍的に発展させたこと」と答える。この飛躍的な発展を支えた最大の要因は、安倍総理とトゥスク議長、ユンカー委員長という日EU双方のトップ同士の深く、強い信頼関係にあった。過去5年間、総理は、ブリュッセルを6回訪問、同じ期間中、トゥスク議長とユンカー委員長は、4回訪日した。如何に濃密な首脳外交が展開されたか、こうした数字が雄弁に物語っている。

6.日EU関係の飛躍的発展を裏付ける5つの成果
 こうした活発な首脳外交に結果として達成された具体的成果は、以下の5点に集約できる。
 第一の成果は、日EU経済連携協定(EPA)の締結と発効(2019年2月1日)である。
 第二の成果は、EPAと同じく2019年2月1日に暫定適用が開始された日EU戦略的パートナーシップ連携協定(SPA)の締結である。
  第三の成果は、2019年1月23日、日EU間の相互の円滑な個人データの越境移転を可能とする枠組みが発効したこと。
 第四の成果は、日本食品等の放射性物質に関するEU側輸入規制の大幅な緩和・撤廃が実現したこと。
 第五の成果とは、安倍総理が昨年9月27日、ブリュッセルを訪問し、ユンカー委員長との間で「日EU連結性パートナーシップ゚」と題する共同文書に署名したこと。日EUが共同で、開発途上国世界における開発努力に対する支援のありかたとして、「持続可能性」、「質の高いインフラ」及び「対等な競争条件がもたらす利益」という基本原則を明確に打ち出し「一帯一路」に対する「対案」を提示したことの意義は大きい。

7.EU新体制下における欧州連合の展望
 以下の5点が特に重要であると考えている。
 第一は、自由主義世界におけるポピュリスト的ナショナリズム/権威主義の伸長、世界第二の超大国を自任する中国の台頭がもたらす国際社会の既存秩序への挑戦が続く中、「普遍的価値の擁護」と「ルールに基づく多国間体制へのコミットメント」は、EUの基本条約で規定されているEU自身のアイデンティティそのものであることを想起したい。換言すれば、これら「価値」、「原則」を巡りEUがグローバルに果たす役割は、益々大きなものになる。この分野における米新政権との連携・協働は強まることも間違いなく、この点は、英国のEU離脱とは無関係と心得るべきである。
 第二は、英国離脱後のEUにおける政治力学の変化である。独仏主導が強まることは必至と思われる。本年7月の特別欧州理事会は、異例とも言える、90時間に及ぶ議論を経て、コロナ危機からの経済復興を支援する復興計画及び次期7ヵ年予算枠組みのEU予算パッケージに合意した。合意に至るプロセスで独仏両国が連携して決定的な役割を果たしたことは間違いない。しかし、独仏合意がそのままEU首脳合意になるほど単純なパワーバランスではないことも判明した。一方で、英国が果たしてきたEUの自由主義的政策指向のベクトルが弱まることはないのか、「戦略的自立」を標榜するEUが保護主義的政策に傾くことはないのか、また、V4(ヴィシェグラード4;チェコ、スロバキア、ハンガリー、ポーランド)など域内サブ・グループの動きも要注目である。
 第三は、欧州政治の「分断化・細分化」の傾向についてである。筆者の見立ては、欧州議会選挙や最近の加盟国の総選挙結果を見る限り、反移民、反グローバリゼーションといったポピュリズムの動きは一定レベルで頭打ちの様相を呈しており、「分断化・細分化」現象自体をとらえてEUの将来を悲観的にとらえるべきではない。欧州議会選挙の結果、中道右派・左派両グループが併せて維持してきた議会過半数を失うが、他方で、伸長したリベラル・グループ及びグリーン・グループはいずれも親EUという点では一致しており、4グループを合わせると議会の3分の2以上の議席を確保し、欧州議会にける合意形成の不安定化は回避されている。
 第四は、今後EUが取り組むであろう主要政策課題についてである。EU市民に対する定期的世論調査(2019年秋)結果を見ると、主要関心事項のトップは、移民・難民受け入れ問題(34%)、第二位は、気候変動問題(24%)、第三位は、経済情勢(18%)、テロ問題(15%)、加盟国財政状況(15%)、と続く。こうした世論動向も踏まえた上で、EU新指導体制は、気候変動問題、移民・難民問題への取り組みを最優先課題と位置付けており、更には、ルールに基づいた多国間主義の復権にEUがリーダーシップを発揮することも間違いない。それだけに、気候変動問題への意欲的取り組みを始めとして、EU域内で採択するルール、基準を国際基準に広めようとする動きは今後益々活発化することが予想される。

II.日EU関係の将来に向けた提言

1.戦略的パートナーシップの具体的実行
 日EU関係は、この5年間を通じて、「We‘v never had it so good」と形容できるほどの歴史的発展を遂げた。EPAとSPAにより、日,EU双方が、文字通り戦略的連携、協力関係を飛躍的に拡大する基盤が確立された時代に突入したと言える。それだけに、EPAとSPAが発効した今こそ日本とEUは戦略的パートナーシップを文字通り具体的に実行に移すことが求められており、そのことの重要性は、どんなに強調しても強調しすぎることはない。

2.日EU間の戦略的連携・協働の可能性の追求
 日EU関係は,コロナ禍の渦中にあっても,前進しているということを世界に発信したのが,本年5月26日に行われた安倍総理(当時)とミシェル議長・VDL委員長とのテレビ会議方式による首脳会談である。総理とEU側両首脳は、新型コロナウイルス感染症の克服と経済復興の両分野で緊密に協力し,一層大きな役割と責任を果たしていくことを確認した。
 同首脳会議においては、コロナ対策以外の具体的な分野として、①EPA及びSPAの着実な実施と一層有効な活用、②グローバルな課題(連結性、地球環境、気候変動、デジタル変革等)の分野における日EU協力の推進、③自由かつ公正でルールに基づく貿易秩序の擁護・強化(WTO改革、信頼性のある自由なデータの流通促進を含む)における日EU協力を確認した。
 その際、VDL委員長は、EUが推進するグリーン・ディールとデジタル変革の二つがEUにとっての最優先課題であり、これら課題解決に向けて日本との協力を更に深化させたいと述べたことに留意すべきである。欧州グリーン・ディールとは、2050年までの炭素中立実現、欧州企業をクリーン技術や製品のリーダーとするための気候・環境政策パッケージである。一方、デジタル変革政策とは、経済社会全体のデジタル化を所与として、人間中心のAI戦略、データ戦略(公正で競争力あるデジタル経済構築)を構築するものである。これらは、正に、気候変動、デジタル化という世界の二大メガ・トレンドに呼応するものである。
 両分野において、EUは、今後、新しい基準案を今後相当のスピード感をもって打ち出してくると予想される。GDP16兆ドル、人口4.5億人のEU市場を対象にした、新たな基準を策定する際の、EU側の旗印は、「開かれた戦略的自立」である。EUが米国と並ぶ「ルール・メーカー」として世界をリードせんとしていることは紛れもない事実である。我が国が、EUの先導する基準作りの単なる「受け手」にならないためにも、この二大メガトレンドを見据えたEUの戦略的取り組みに対し、積極的にエンゲージしていくべきである。普遍的価値を共有する戦略的パートナーとして緊密に協力し,一層大きな役割と責任を果たしていくことを確認し合う今こそ、これら二分野におけEUとの戦略的連携・協働の道を探求することを切に願うものである。
(2020年12月18日記)
(了)