続・「チーコ」の備忘録 ~歴代駐独大使に仕えた秘書のモノローグ~

  
元駐スウェーデン大使 森元誠二  

NHKからの問い合わせ

 7月のある日、籍を置く大学の同僚からNHKが私と連絡を取りたがっているとの知らせを受けた。メディア総局の担当者に問い合わせると驚きの内容を告げられた。昨年秋、ある旧家の屋根裏で昭和史を書き換えるような資料が発見された、それは国際連盟の帝国事務局長やイタリア大使を務めた宮内省御用掛の松田道一が日中戦争から太平洋戦争の時代にかけて昭和天皇に国際情勢を御進講した時の膨大なメモだという。回数にして500回に上る。

(写真)松田道一御用掛
(「外交論叢―松田道一遺稿」)

 事実だとすると、天皇に対し政府や軍とは別の独自ルートで外務省の極秘情報が12年間の長きにわたって定期的にもたらされていたことになる。NHKとしては、学者を交えたメモの分析に基づいて、御進講が開戦・終戦をめぐる昭和天皇の決断に大きな影響を与えたことを「発見 昭和天皇御進講メモ~戦時下 知られざる外交戦~」と題したNHKスペシャルで明らかにしたいというのである。
 私への依頼は単純で、霞関會會報901号(2021年5月)の拙稿(「チーコ」の備忘録~歴代駐独大使に仕えた秘書のモノローグ~)電子版に挿入した大島浩駐独大使の肖像写真を番組で利用することに承諾を得たいとするものであった。この写真は「チーコ」が大島大使の形見として大切にしていたものであるが、在独大使館(ボン所在)の勤務を終えるに当たって複写させてもらった経緯がある。著作権のことが一瞬頭をよぎったが、戦前に撮影された写真でありパブリックドメインと見なして問題ないとの説明を受けてもちろん快諾した。

NHKスペシャルが描く昭和天皇の心の苦悩

 番組は8月7日夜に予定通り放映された。私が提供した写真は旧帝国大使館建物の写真に重ねる形で活用された。
 松田御用掛は、1933年から外務省に集まる国際情報を基に毎週木曜日午前11時から昭和天皇に御進講していた。この時の天皇の367件のご下問の言葉をAIが分析して両者の間の会話の主要関心事が解析される。折々に投げかけられる「ご下問」が天皇の心の所在と苦悩を映し出していて興味深い。また、メモに基づいて松田と天皇の会話を再現する寸劇が所々にちりばめられ、特に昭和天皇を演ずる役者の言動が本人の雰囲気を上手に醸し出していて印象に残る。統治権の総覧者である天皇に対し、輔弼責任を有する大臣や軍部の奏上とは別のルートで松田が国際情勢について独自に解説し、また、ご下問にも応えるという形式が天皇の中では分けて考えられていた節があると専門家は分析する。
 昭和天皇の言葉の端々からは、同盟国や敵対国に留まらず、世界情勢全般を見渡しつつ中立国の動向も気にかけながら、何とか「外交戦」に打ち勝ちたいとの心情が伝わってくる。しかしながら、外務省に入る公電を入念に調べ上げた松田も緊迫した欧州情勢の勢いには押され、「独逸としては欧州大陸の覇権を握り新秩序の設立に乗り出す意気込頗る強く、米国の対英援助が充分効を奏せざる以前に英国の屈服を余儀なくせしめんと期待し居れる」と天皇の耳に入れており、実際、時局はやがて日独三国同盟の成立に至る。

 太平洋戦争の開戦直前の1941年9月を最後に松田御用掛による昭和天皇のご下問に関する記録は途絶える。専門家は、国防保安法の制定など時局が急を告げる中、松田は天皇の発言を記録に留めることをためらうようになったのではないかと推測する。また、1945年6月には東京大空襲で外務省が焼失し、御進講が一か月ほど中止のやむなきに至ったこともあった。ドイツの降伏を受けて1945年7月に開催されたポツダム会談の流れを受け、終戦間際の7月26日、松田は天皇に対し、ポツダム宣言を受け入れても日本に対し国体を含む過酷な要求が行われることはなかろうとの趣旨を述べて最後の御進講を締めくくっている。松田は敗戦の年の暮れに御用掛を辞し、翌年1月20日に69歳で生涯を終える。

小説「ヒトラーの防具」

 NHKからの問い合わせは、ちょうど私が「ヒトラーの防具」(新潮文庫)を読み終えたタイミングにも重なった。この本を紹介してくれたのは、「チーコ」の備忘録を読み終えた従兄弟であるが、何か奇遇のようなものを感じた。

(写真)帚木蓬生「ヒトラーの防具」上下(新潮文庫刊) 

 この小説は、精神科医で作家の帚木蓬生氏が東西の壁崩壊後の旧東ベルリンのある大学でヒトラー総統に日本の団体から贈られた剣道防具一式が見つかったとの史実を基に書き上げた上下各500頁を超える大作である。小説の語り手は、ドイツ人の父を持つ混血の陸軍中尉香田光彦であるが、1938年4月ヒトラー49歳の誕生日を前に剣道の防具一式を贈呈するために日本からやって来た代表団の通訳として随行した後、そのまま駐在武官補佐官としてドイツに残る。小説は華やかな大都市ベルリンも戦況が次第に厳しくなる中、英国の空爆を受けて瓦礫と化しヒトラー政権が崩壊していく過程を、ミュンヘン近郊で精神病院の医師を務める香田の兄の苦悩やひょんなことから自宅に匿うことになるユダヤ人女性とのロマンスなど様々な人間模様を織り交ぜながら書かれており、読んでいて夢中にさせられる。

 とりわけ私が関心をそそられたのは、香田中尉の上司に当たる大島大使の人柄や大使館・公邸内部の描写、大使館と駐在武官事務所との複雑な関係であった。作家はどうやって調べたのか、生き生きと大使館建物内部の描写も行っている。私がボンやベルリンの大使館に勤務した頃、武官事務所の跡地はまだ東ベルリンにある国有財産として管理されており私の記憶にも残っていたので、大使館との位置関係や香田が出勤する際の周辺の描写なども興味深かった。大島大使について香田は流暢なドイツ語を操る才能、ヒトラー総統やリッベントロップ外務大臣に深く食い込む力量を評価しているが、他方で意固地で視野が狭く、戦略的な視点に立って物事を見極めて考えられない人物だと厳しい評価も行っている。

「チーコ」が結ぶ新たな縁

 そんな訳で、「チーコ」が思い出にくれた大島大使の写真は、再び大使に思いを馳せるきっかけを私に与えてくれることになった。提供した肖像写真は、NHKを通じて大使の遺族の手にも渡った。この遺族は大使と一緒のスナップ写真しか手元に有していなかったそうである。鬼籍に入った「チーコ」も大島大使の写真が思わぬ形で人々の間に生み出した新たな縁をひそかに喜んでいてくれることだろう。

(了)