余談雑談(第88回)女性と男性

元駐タイ大使 恩田 宗

 2016年の米国大統領選挙戦ではついに女性が超大国の大統領になるかと思ったがそれは更に先のことのようである。

 選挙戦中はクリントン夫人が声を張り上げ強く主張するとすぐ「絶叫した」と揶揄されたらしい。男性では肯定的に評価されるアグレッシブな態度も女性となるとそれを好まない人がまだ多いのである。選挙戦中のことだがニューズ・ウィーク誌は同性愛カップルも女らしい方が料理・掃除洗濯・育児を担当し男らしい方が車の整備や屋外の雑用をしていると報じていた。ハリケーンが女性名のものは男性名のものよりより多くの死者を出してきたのは女性は優しいとの思い込みで油断し被害対策を怠るからだという。長い歴史の中で作られてきた男と女という既成の概念が心に深く刷り込まれていて女性が兵士となり前線で戦闘に参加する時代になってもその呪縛からなかなか逃れられないのである。

 日本は2020年の世界経済フォーラムの男女差別報告では153ヶ国中121位と最低クラスである。14項目中で教育・健康の点数は高いが政治経済や専門技術分野への参加などの点が低いらしい。しかし一流企業の中間管理職の女性からは昇進等で性による差別は感じたことがないと聞いたことがある。主要政党の党首や首都の知事も出ておりこれから状態は急速に良くなると思いたい。

 前記の中間管理職の女性は「会社から好意的配慮のようなものさえしてもらうことがあるが男の視点からのものでかえって戸惑うことがある」とも言っていた。男と女は体のつくりが違い生理的にも社会的にも違った体験をする。男女でことの感じ方考え方や重点の置き方が時として食い違うことがあって当然である。

 謡曲「清経」の主人公は平家の嫡流で一族都落ちの際一緒にとすがる若妻に必ず戻るとなだめて出立するが壇の浦の戦いを前に雑兵の手にかかる恥辱を受けるよりはと髪を残して入水する。遺髪を届けられた妻は、戦死病死であれば諦めもつくが自殺とはあんまりだ、この黒髪は見れば悲しみを増すだけだ、と突き返す。次いで、泣き寝の夢に清経が現れ二人は恨みの言い合いをする。敵は多勢、生きての帰京は叶わぬとお前の為にせっかく切って送った我が形見を何故突き返した、あれほど固く約束したではないか何故身をやつしてでも会いに戻る努力をしてくれなかったのか・・・。

 源氏の横行する都の片隅で人目をはばかり音も立てずひたすら寂しく夫を待った妻の嘆きには涙を誘われるが聞けばどちらの言い分ももっともである。作者の世阿弥は仏の大慈悲で清経が仏土に往生したと締め括るだけである。お定まりの逃げの結末であるが男と女の思いの食い違いはこの世では収斂しないのであるから仕方がないのかもしれない。

(注)このホームページに掲載された「余談雑談」の最初の100回分は、『大使館の庭』と題する一冊の書籍(2022年4月発行、ロギカ書房)にまとめてあります。