余談雑談(第81回)安珍と清姫

元駐タイ大使  恩田 宗

 安珍清姫の絵本の解説にこう書いてあった。ひたむきな慕情を抱く清純な娘と僧であるゆえに嘘をついてまで拒否せざるをえない若者との哀切な恋物語で私達の胸を打つ、と。同じ話でもしつらえ方で随分変わるものである。
 
 あの物語を記した最古の文献は「大日本法華経験記」(1040年代)でそこから「今昔物語」(1120年頃)にほぼ丸ごと転載され世に広く知られるようになったのだという。話の筋はこうである。寡婦が年若く美貌な旅の僧に愛欲の心をおこし夫にせんと夜半僧の寝所に這い至り終夜僧を抱いて擾乱したが熊野参詣後にとかわされる、彼女は数日後に逃げられたと知ると寝屋に籠居して息絶え五尋(9メートル)の毒蛇と成って後を追い道成寺の鐘に隠れた僧を焼き殺し血の涙を流して走り去る、僧は焼死後同寺の高僧の夢に現れ毒蛇に領せられ蛇夫婦となって苦しんでいると訴える、高僧は法華経を書写し二匹はその功徳で天界に昇る。愛執・怨憎の苦と法華経の功徳を説く仏教説話である。

「道成寺説話の系譜」(安永壽延)によると、この話は仏教と共に大陸から伝わって来たものではなく日本自生のものだという。源をたどると遠く霞む古代にまで遡り女の蛇への変身をモチーフとする母系社会的な神話にまで行き着くらしい。

 道成寺物語は今では日本の代表的民族説話の一つになっている。女が男を恨み蛇になって男を殺すなどという話が他の無数の伝承に競り勝てたのは舞台芸能が話の仕立てを工夫して魅力的な作品に作り上げ頻繁に上演してきたからである。歌舞伎の「京鹿子娘道成寺」の主人公は白拍子花子でまばゆいばかりに美しい娘である。つれない恋人の移り気を恨んで嘆く可憐な姿は毒蛇の化身とは思えない。不気味な話が桜満開の舞台の上で美貌の女形と豪華な衣装で華やかに演出され観客の心を奪う。初代中村富十郎が踊った時は(1776年)江戸人口の一割が観た計算になる程だったという。以来衰えることのない人気を得てきた。

 しかし振袖島田の嫋嫋とした美女でこれから先も人気を保ち得るだろうか。近年はローザンヌのバレエ・コンクールなどで日本人ダンサーが上位を占めることが多い。生命力の強い蛇女である。何れバレエとかミュージカルの中の若く溌剌とした美女に再度変身して観客を魅了するのではないだろうか。
 
 九代目坂東三津五郎が娘道成寺を踊るに当たり同寺を参詣したとき地元が寄付を求めたという。安珍清姫の合同慰霊祭を行った次の日に清姫堂が全焼したのでその再建のためだったらしい。三津五郎は焼けたのは「安珍さんは・・合同慰霊などして欲しくなかったのだ」と書いているがあの二人の愛憎の念は聖僧による法華経の写経によっても昇華しなかったのかもしれない。

(注)このホームページに掲載された「余談雑談」の最初の100回分は、『大使館の庭』と題する一冊の書籍(2022年4月発行、ロギカ書房)にまとめてあります。