河東哲夫著『ロシアの興亡』(MdN新書、2022年)

元駐トルコ大使 田中信明

 国と言うのは単なる個々人の集合体でなく、人々の利害、愛憎その他諸々の情念を糾合した人間社会であり、その過程での巨大なエネルギーを基盤として成り立っている。その国を理解するためには、そのエネルギーを形成する宗教、歴史、文化、人種と言った側面を十分に理解することが大切だ。現在起こっている事象を分析するのに、政治、経済面の説明だけでは足りない。BSプライムを視聴して物足りないのは、この点だ。何故そうなったか、何故そう言う行動様式を取るかを掘り下げる、そのためには上記の諸要素を十分に理解することが大切だ。それは、書物からでは十分でなく、その地に住んでみないと分からない。河東大使は長年のロシア及びその周辺国勤務、又ロシアと関わりのある米独と言う基軸国に勤務した。その実体験が読み取れ、洞察力に優れ、極めて説得力のある一冊となった。

 真っ先に印象的なのは、河東大使は、何と多くの人々と接してきたことか!!その名前の列挙だけ取っても、私には到底能わない。政治家、官僚、経済人、軍人と言った社会の上層部だけではなく、詩人、ジャーナリスト、文化人、音楽家、学生から物売り、運転手、街頭の人々、はたまた辺境の住人、農民まで著者は、深く対話して、その生業を記している。大いに現実的な話が聞けて面白い。勿論、書物に残る歴史上の人物や逸話についても、古今東西を問わず、又職種を問わず、多々引用しているから興味深い。分析の時間軸が長く、BSプライム等では聞けない話だ。「ロシアと言う広大な大地に住む顔かたちも違う多くの人々を十把一絡げに論ずることの難しさ」、「粗野と洗練」、「鷹揚とエゴイズム」、相反する気質の中で、勝手気ままに振舞う人々を統制するには権力をもってするしかなく、「エリートとその他大衆の分断は依然として帝政ロシアの貴族と農奴の関係を引きずっている」と。そして前者は西欧に憧れ、後者は土着の原始宗教的なビザンティンな習俗に浸っている。しかしその上に皇帝絶対主義が君臨するのだ。「ロシアでは近世、個の解放ではなく、権力への隷属化があった」と。このような分断は価値観の世界でも見られ、「二重底の価値観」として「高邁な理念と俗っぽい価値観」が併存している。ということは人文主義、啓蒙主義、宗教革命等の精神革命を経てきた西欧と異なり、ロシアと言う広大な土地、多様な人種を全体的に底上げする歴史的契機には恵まれなかったと言う事でもあろう。そこに、ロシアとは何か?ロシアはヨーロッパかアジアかという問いの解があるようだ。

 翻って、ユーラシア大陸を見ると、私もその周辺国(タイ、パキスタン、トルコ)をウロウロしたが、どの地域、国をとっても到底民主主義国家と胸を張れる処は無い。インドを巷間「民主主義」国家と言う。一人一票で総選挙が行われる国と言う意味であればそうだろう。でもそれはパキスタンでも同様であり、イラン、トルコも然り。でもインドでは依然カースト制度が根付いており除去出来ていない。カーストと文字で抽象的に考えても実態は理解できない。パキスタンで私は見た。スコールの中、地を這いつくばってポリオで変形した手を差し伸べて物乞いする人々と、それを放置する人々。そして、その人たちはどこで死を迎えるのか、パキスタン人の友人に聞くと、自ら死を悟ったら墓地に這って行くのだと言われた。インドでも高速道路を逆走してきた車があった。驚いて私の運転手にどうなっているんだ?と聞いたら、逆走してきた男は世の中に何も望みがないのだろうと言っていた。こういう図柄は、地球市民として到底納得できるものではない。底辺市民の奴隷のような生活、それはインド亜大陸全般に言えるものだ。サウジアラビアではフィリピン人家政婦やインド人労働者が奴隷扱いされている。要するに中国を含め、ユーラシア大陸では権威主義、家長支配の社会が堅固であり、人々は必ずしも平等ではない。その中で西欧型の民主主義が根付いているのは日本位であろう。(韓国、台湾は議論の余地あり。)島国の日本が特殊なのだ。その証左は対ロ制裁にどのユーラシア国家が参加しているかを見れば分かる。自由と民主主義をインド・太平洋で守るという勇ましいスローガンは結構だが、ついてこられる国がどの程度か、歩留まりを心得ることも大切だ。

 今日ロシアは日本にとり隣国で開かれた国として当然視するが、高々30年前には閉ざされた神秘的な国であったことを、ともすると忘れがちになる。筆者はその共産主義ソ連での長年の勤務から、ソ連からロシアへの転生を詳らかにしてくれる。ペレストロイカの中、当時私は、中曽根元総理の下で、キッシンジャー、ジスカールデスタンとの三極委員会のゴルバチョフへの提言作業のお手伝いをしていた。木村汎、高坂正尭、山崎正和、佐藤誠三郎等々の錚々たる知識人と元総理との議論を聞いていたが、どうしたらソ連を開放的、市場経済に移行させるかにつき、どちらかと言うと政治改革、民主化に比重があり、経済改革をどうするのか、その過程でどういう問題が出てくるのか、私の理解は及ばなかった。著者は、一般市民が具体的にどういう行動を取ったか、如何に急場を凌いだかを説明してくれて、成程、こういう風に具体的にはソ連経済が変質したのかと、合点がいった。この混乱の中でのロシア社会のご都合主義、政治による経済支配、モノ作りを難しくした対ソ制裁、と言った特徴は今に引き継がれているようだ。と言うより、ソ連時代も又、それ以前の農奴制経済の負の遺産を引きずってきたと言う事が良く分かる。逆にロシアの土着宗教下での共同体意識が、ソ連時代の集団農場形成を容易なものにしたと言うのも面白い。

 日本人は脱亜入欧以来、「名誉白人」と言った称号を後生大事に抱えてきた。そして欧米列強に伍して戦前は帝国主義路線で、戦後はG7重視でやって来た。それ故か人種の国際的に持つ意味合いから敢えて目を逸らしてきたきらいがある。国際問題の分析に当たり、民族問題があっても人種問題ではない。幸い、近年国際紛争での人種問題は、流石に余り表面化しないし、民族対立で片付けられてしまうが、人々の深層心理にある人種に纏わるコンプレックスはメディアでも余り取り上げない。本書は、この点も正面切って取り上げている点を評価したい。ロシアと言う白人と非白人の多民族国家は世界にそう多くはない。それだけにその分析は面白い。「黒人が大統領になるアメリカの良さは、ロシア人にとっては欠点、弱点なのである」とする。でも「同じ白人国で、領土も資源も豊かな米露は今、段違いに差がついた、その歯がゆさが対米憎悪に結びついている」という説も面白い。

 もう一つ特筆すべき指摘がある。それはロシアの東方拡大は「ロシア人が対外拡張して作られた、いわば植民地主義の賜物である」との点だ。私は、どうしてロシアがこのような広大な領地を獲得しえたか、常々疑問に思っていたが、解答を得た気がする。即ち、16世紀イヴァン四世がモンゴルの残滓をカザンで一掃し、東方へと膨張を始めたのは、スペインのレコンキスタ、ポルトガルのヴァスコ・ダ・ガマからちょっと遅れて始まったものの、ほぼ同時期である。「ロシアはモンゴル人を制圧した勢いに乗って、植民地を作ろうとしたのである」と。

 其れから200年かけて大した抵抗もなく帝国の版図を拡大した。でもその地は、住民は少なく(当時は)資源も毛皮位で乏しく、基本的に搾取ということもなく、独立運動もなかったのだろう。一方で欧米の植民地主義勢力は、人口も多く、資源も豊かなところを支配してきたので、搾取への反発から植民地独立運動が起き、この過程で、西欧諸国は、異民族支配、見知らぬ土地の管理、異民族の反抗を歴史的に体験して、学んできた。第二次大戦後は、侵略戦争は否定され、異民族支配も国際的に受け入れられなくなったが、ロシアはそういった歴史の経験を経ていない。膨張主義は依然としてロシア人の精神の中にあり、それがアフガニスタン、ウクライナと発露したのかもしれない。

 もう一つ印象深かったのは、中国同様、ロシアも、状況次第で更に分裂する可能性を秘めているという指摘だ。確かにチェチェンを始めとするコーカサス一帯とその周辺は遊牧民の通り道であり、人種・宗教が入り混じっている。それと「サハ共和国」もその候補と言う指摘は、将来シベリアの南で中国の存在が増しているだけに不気味な指摘だ。

 最後に二国間関係だが、領土問題の解決には当然のことながら、信頼関係が重要としているが、「焦って解決する必要はない」としている。ロシアの友人が「ロシアが一番恐れているのは、この問題で日本にジックリ構えられることなんだ」と筆者に述べたそうだが、正鵠を得ている。