核兵器禁止条約と核抑止(その4)
-多国間軍縮条約・軍備管理条約の擁護-


元軍縮会議日本政府代表部大使 佐野利男

はじめに
 これまで核兵器禁止条約と核抑止(その1)で核兵器禁止条約を分析・評価し批判するとともに、(その2)で核軍縮の漸進的アプローチを擁護する立場から、具体的な核軍縮措置の現状・課題及び展望につき解説し、(その3)でこれまで進展を見せてきた米露の軍備管理につき経緯を解説するとともに、今後の展望を試みた。
 (その4)では、第二次世界大戦後、核不拡散条約(NPT)を軸に積み上げてきた多国間軍縮・軍備管理条約を擁護する立場から、その果たしてきた役割につき分析し評価する。構成は以下の通り。

1 多国間軍縮条約の意義
 1)軍備規制に関する規範形成
 2)会議場という名の戦場
 3)多国間協議の効用
 4)国際情勢の悪化を食い止めるラチェット効果
 5)軍縮の信頼醸成機能
 6)多国間軍縮条約の問題点
  a) 多国間軍縮条約は「良い子」手を縛るか
  b) 全会一致制か多数決か

2 核軍縮をめぐる諸問題
 1) 希薄な安全保障感覚と核軍縮
 2) 軍縮教育のあり方
 3) 北東アジア非核兵器地帯構想の問題点

1 多国間軍縮条約の意義
1) 軍備規制に関する規範形成
 a)多国間軍縮条約をなぜ交渉するのか。その理由の第一は一カ国では解決が難しい安全保障や軍備に関連する経済社会上の懸念や問題を国際社会の力を借りて解決したいという背景がある。例えば対人地雷禁止条約(オタワ条約)、クラスター弾禁止条約(オスロ条約)、武器貿易条約などはその例だ。また、法的拘束力を持った文書ではないが、小型武器の規制ルールを定めた「行動計画(POA: Plan of Action)」などもそうだ。第二に地球規模の脅威を、国際的な枠組みを形成して、その中で解決したいとする背景がある。核実験を大気圏内、宇宙空間、水中のみならず地下においても禁止しようとする部分的核実験禁止条約(PTBT)や包括的核実験禁止条約(CTBT)は、核実験の影響が地球全体に及び人類の安全や経済活動に深刻な影響を与えるとの恐怖がその背景にある。
 多国間軍縮条約は、通常兵器分野で多く見られる。カンボジア、ラオス、アンゴラなど紛争地域に埋設された無数の対人地雷や空中から散布されたクラスター子弾が、紛争後も不発弾となって耕作地や放牧地に残留し、農業従事者、特に婦女子に無差別な被害を与えた。これら非人道的な惨状を生み出した現実が対人地雷やクラスター弾を禁止する運動となり、その生産や使用、貯蔵などを禁止する条約となった。その交渉過程では対人地雷やクラスター弾の軍事上のメリットも主張された。しかし、人道主義の国際的な高揚の中に埋没して行った。
 また、アフリカや中南米諸国に長く過剰に蓄積されたライフルなどの小型武器(small arms and light weapons)が、紛争を容易に誘発し、紛争後も兵士たちの武装解除や社会復帰を困難にした。また、未成年者が武器を容易に入手できる「少年兵問題」を深刻化させた。小型武器に関する「行動計画」(POA)は主要国からの武器輸出を制限し、蓄積された小型武器を様々な手法(「武器と鍬の交換」プログラムなど)で回収する等の行動を取りまとめた。POAの作成交渉(登誠一郎軍縮大使団長(当時))に参加した筆者は、全米ライフル協会が小型武器の規制に反対する中、被害国であるアフリカ諸国から、叫びにも似た規制を求める声が上がったことを覚えている。
 また、2014年に発効した武器貿易条約(ATT: Arms Trade Treaty)は、通常兵器の不正な取引が各国の安全保障、経済社会問題、特に人権や人道問題に悪影響を与えることを未然に防止するため、これら諸国に対して武器輸出を制限するなどのルールを定めた。
 これら通常兵器の多国間軍縮条約は、人道主義の観点から軍備を制限したもので、「倫理」と「現実」との緊張関係に一定のルールを定めたものと位置付けられる。しかし、このルールに賛同せず、オタワ条約に参加しなかった国がある。米、露、中国などの主要国だ。米国は朝鮮半島有事に際し、対人地雷が依然有効だとの理由で、ロシアは隣国との長い国境防衛や原子力発電所などの重要施設の防護を理由に、また中国も同様に多数の隣国と共有する国境防衛のために必要との理由により署名しなかった。その状況は今も変わっていない。しかし、これら諸国は実は対人地雷の主要輸出国でもあり、地雷の政治・軍事的背景のみならず、経済上のメリットに鑑み、条約に参加しなかったものとみられる。
 その後、オタワ条約は徐々に批准国を増やし、締約国により地雷の輸入が禁止されたため、主要輸出国は輸出マーケットを徐々に失い、結局、生産は主に国内の需要を満たす水準に縮小されていった。2021末年現在、164カ国が署名・批准している。
 オスロ条約も、オタワ条約をモデルに交渉・採択されたが、主要な生産・保有国である米国、露、中国、イスラエル、韓国、北朝鮮は安全保障上の理由により署名していない。しかし、2020年現在で108ヵ国が署名・批准しており、これら諸国がクラスター弾を輸入することは条約上禁止されている。これにより、今後クラスター弾が実戦で使用される場面は限定的になったと言えよう。
 このように、オタワ条約やオスロ条約は加盟国を増やすこと(普遍化)により、人道主義と安全保障との折り合いを付け、条約の精神(禁止規範)を実現したと言えよう。

 b)他方、条約が発効に至らなくても、事実上禁止規範として機能しているものもある。例えば包括的核実験禁止条約(CTBT)の場合がそうだ。現在183カ国が署名し、166カ国が批准しているが、条約は未発効のままだ。それは発効要件国の内、8カ国が批准していないためだ。これら諸国の事情は(その2)に詳細を述べたので繰り返さないが、いずれにせよCTBTは未発効のままだ。しかし、地球規模の環境問題がこれだけ厳しく問われる時代に、地下核実験とはいえ、その地球環境に及ぼす影響や国際社会の激しい反発を考えた場合、国際社会からの孤立を厭わない北朝鮮以外、地下核実験を敢えて断行する国は考えられない。地下核実験を禁止する規範が各国指導者により認識されていると言える。

 c)では、核兵器分野に目を移して、2020年2月に発効した核兵器禁止条約はどうか。現在はNPT加盟国の約1/4が批准しており、今後も地域的な非核兵器地帯条約(中南米のトラテルコ条約、アフリカのぺリンダバ条約、東南アジアのバンコック条約、南太平洋のラロトンガ条約、中央アジアのセメイ条約そしてモンゴルの一カ国非核の地位)の加盟国総数約120カ国までは批准する可能性はある。しかし、核兵器国を含む一定数の強い反対がある限り、禁止条約が国際慣習法(*)になることはないだろう。核兵器の「使用」が国際法上「違法」となるかの判断ついては、以下の国際司法裁判所の勧告的意見を超えることはないものと考えられる。
1996年の国際司法裁判所の勧告的意見は、「核兵器の威嚇または使用は、武力紛争に適用される国際法の規則、特に国際人道法上の原則・規則に一般的には違反するであろう。しかし、国際法の現状や裁判所が確認した事実に照らすと、国家の存亡そのものが危険にさらされるような、自衛の極端な状況に於ける核兵器の威嚇または使用が合法であるか違法であるかについて、裁判所は最終的な判断を下すことができない」とした。
また禁止条約は核兵器の「保有」を禁止しているが、核兵器の「保有」は日々核兵器国によりなされており、「保有の禁止」が国際慣習法の要件である「法的確信」にまで至ること無いであろう。
以上から、禁止条約の発効をもって、核兵器の使用や保有について新たな禁止規範が確立されたとまでは言えまい。

(*)国際慣習法の成立には、一般に多数の国が一定の行為につき、法的に義務的または正当なものとして認める「法的確信」を有するに至る状況が必要とされている。その場合、その国際慣習法は国際社会を構成する国家を拘束するとされる。

2)会議場という名の戦場
 次に、多国間軍縮交渉の準備過程、交渉の開始や継続は、潜在的紛争当事国に対し話し合いの場を提供する機能を有する。例えばジュネーブの軍縮会議は四半世紀にわたり具体的な成果を出すことなく、条約交渉も1996年のCTBTの交渉以降なされていない。その理由はその時々の国際情勢を背景に、各国間で交渉事項の優先順位が異なり、作業計画につき合意できなかったこと、また何より、意思決定プロセスが全会一致制(事実上加盟国は拒否権を有する)にあったためだ。ただ、この全会一致制については、国家の安全保障がかかる軍縮条約の交渉・採択に際し、どの国の不利益にもならない形で合意を形成しようとすることには一定の合理性があるとされてきた。
このように軍縮会議は常時会議を開催してきたが、成果のないまま四半世紀が経った。それでも利害関係が相反する諸国に共通のテーブルを用意し、日々協議の場を提供している。実際、軍縮会議は65カ国により構成されており、5核兵器国のみならず、カシミール紛争の当事国であるインドとパキスタン、中東紛争の当事国であるイスラエルとアラブ諸国、核開発で国際社会と対立するイランや北朝鮮が加盟しており、2014年の露のクリミア併合以降は、ウクライナと露の対立も先鋭化している。
 筆者にはこの露・ウクライナの対立に関し、鮮明な記憶がある。それはクリミア併合直後、軍縮会議に於いて、ウクライナ代表団の若い女性外交官が、露代表を名指しで「侵略者(aggressor)」と非難したことである。これに対し老練な露代表は、落ち着き払って答弁権を行使した。実は軍縮会議には国連総会と異なり答弁権行使の回数制限が無いため、両国のやり取りは何度も繰り返され、ウクライナに加担する米英も加わり、議場は騒然となった。この激しいやり取りは、時間が押しつまり議長が介入するまで延々と続いた。この対立は国連総会に持ち込まれ、米英ウクライナの対露批判(露の「ブダペスト覚書」違反)は露の激しい対米批判を招き(MDはINF違反、核シェアリングはNPT違反など)、対立はエスカレートしていった、この一連の状況を目の当たりにして、筆者は「これで核軍縮の時代は終わった」との感を深くしたのを覚えている。実際、露のジョージア侵攻に続くこのクリミア併合以降、米露関係は急速に悪化して行った。
 そして、これは筆者が議場で感じたことだが、この激しい米露対立が、実は翌2015年のNPT運用検討会議最終盤の中東決議に関する交渉に於いて、露が2010年当時のように米と密接な協議をせず、積極的に米・エジプトの仲介に入らなかった遠因ではないかと考える。露はNPTの寄託国として以前から中東決議に積極的に関与して来た経緯があるが、2015年に限っては米・エジプト間の対立のみが語られている。
このように軍縮交渉を期待されているにもかかわらず、紛争当事国が一堂に会し、常に対立する意見を述べ合っているのがジュネーブ軍縮会議の実態だ。これは他に例を見ない稀有な存在で、仮に、軍縮会議が機能不全に陥っているからと言って解散してしまえば、これら諸国は自ずと自国の利益の赴くままに行動し、核軍縮につき関心を示すこともないだろう。機能していない会議体は解散すべきとする意見も根強くあるが、軍縮会議に限って言えば、紛争当事国に辛うじて「会議場という名の戦場」を提供してきたと言っても過言ではない。ここに軍縮会議の存在理由のひとつがあるとは言えないであろうか。
 またNPTもこれに類似している。運用検討会議は5年ごとに開かれるが、それに向けて3回の準備会合がある。ここに5核兵器国始め、紛争当事国を含む全ての加盟国が一堂に会し、核軍縮、核不拡散、原子力の平和利用を議題として交渉してきた。核軍縮についていえば、これまで核兵器国がコミットした核軍縮措置の進捗を中心に評価し、新たな合意事項につき交渉してきた。
 このジュネーブ軍縮会議及びNPT運用検討プロセス以外、多国間核軍縮につき交渉機能を持つ合議体は他にない。

3)多国間協議の効用
 次に、多国間で軍縮問題を協議し、交渉するメリットは何だろうか。筆者の体験として以下の諸点を掲げることができよう。
 第一に、二国間では相手国に持ち出すのを憚れる問題につき、多国間協議の場で相手国にメッセージを伝えることができる。同志国(like minded countries)を募って、複数国の声として伝達し、これを国際社会の懸念事項として提示することもできる。例えば、ある国が自国の接続領域などに頻繁に侵入したり、航行の自由を侵害する場合、多国間の場で同様の問題を有する周辺諸国とともに声をあげ、指摘することが有効だ。
 第二に、多国間協議の平場で自国が言いにくいことを、同志国に発言してもらうことができる。当然その同志国との貸し借り関係ができるが、借りは別の機会に返す。また、自国が不利な状況に陥ったときに、反論してもらうこともある。例えば、時折日本のプルトニウム保有量を引用して、核武装の懸念を表明する国がある。これに対し、わが国は当然反論するのだが、同志国からの援護が効果的になる場合が多い。
 第三に、核兵器国が抱える問題点や弱みを多国間で問題視して、政策の修正を求めることができる。例えば核装備の透明性が低い核兵器国に対して、多国間の会議で透明性一般を議題として取り上げ、これを問題視して懸念を国際社会で共有することができる。多くの国が懸念を表明することがその核兵器国の問題を炙り出し、政策改善に繋がることがある。
 このように多国間協議の効用は大きい。ただ、普段から同志国の仲間同士としてのお付き合いが重要になって来る。

4)国際情勢の悪化を食い止めるラチェット効果
 軍備管理・軍縮条約は多国間であろうと二国間であろうと、多くの場合、国際情勢が緊張緩和に向かい、各国が国際協調にメリットを感じ、新たな秩序形成に前向きな時代に提起され、交渉を経て成立する。そして、これら既に発効した多国間協定や二国間条約には国際情勢が悪化しても、既存の秩序を維持しようとする「歯止め効果(ratchet effect)」がある。もちろん国によっては一方的に条約や合意から離脱する場合もある。しかし、特に多国間合意の場合、何とかこれを持ちこたえようとする力学が働く。例えばNPTが良い例で、各方面からの批判に持ちこたえ、核兵器をめぐる国際秩序の礎石(corner stone)として貢献してきた。少なからぬ非核兵器国からの批判としては、NPTの無期限延長(1995年)により不平等性が糊塗され、核兵器国の核軍縮義務遵守違反に対し効果的な措置を取り得なかったNPTの下では、非核兵器国は核軍縮に対する梃子(レバレッジ)を失ったとの批判がある。これが、実は禁止条約の成立を進める動機の一つであった。他方、厳しさを増す安全保障環境の中で、核武装こそオプションとして検討されるべきだ、NPTはその桎梏になっていると考える国も少数だが根強くある。しかし、この双方の立場とも、現実に国際情勢が悪化しても、NPTが最低限の秩序を維持していることを認識している。NPTが発効して半世紀が経つが、ケネディー米大統領が当時「悪夢」としていた核のカオスが、曲がりなりにも抑えられ、かつ、核兵器国の暴走を防ぎ、国際安全保障の礎となってきたのがNPTであることは、今や各国指導者により広く認識されている。
 また、CTBTについて、米国は2001年J.Wブッシュ政権下で離脱を打ち出し、各国にショックを与えた。もっとも米国は、当時CTBTだけでなく、ICC(国際刑事裁判所)などからも離脱し、多国間主義の軽視だとする批判を浴びた。しかしそれによってCTBTが瓦解することはなかった。むしろその後、「CTBT発効促進会合」や「CTBTフレンズ外相会合」をほぼ毎年のように開催し、地下核実験を何とか食い止めようとする日豪等の必死の努力により、今やCTBTは未発効ながらもその精神が尊重されていると言ってもよい。北朝鮮による核実験が国際社会から怒涛のような激しい反発にあい、国連安保理が厳しい制裁を課していることがそれを物語っている。
 このように国際的に緊張が緩和した「協調の時代」に成立した多国間軍縮条約や合意の多くは、「対立の時代」に入ってもその精神を維持し、国際情勢の更なる悪化を食い止めていることが観察される。

5)軍縮の信頼醸成機能
 次に軍縮自体が持つ信頼醸成機能について触れたい。一般的に、軍縮・軍備管理は国際的な安全保障環境が改善する協調的な時代に進展するとみるか、或はそれに限らず、むしろ先行的に軍縮を進めることが安全保障環境を改善するとみるかに分かれる。前者を「国際協調の結果としての軍縮」後者を「国際協調を生み出す軍縮」と考えるとわかりやすい。この議論は2015年のNPT運用検討会議が決裂した後、米国のC.フォード国務次官補が、「核軍縮のための環境創出」(CEND: the Creating an Environment for Nuclear Disarmament)イニシアチブを提唱し、議論を起こしたのを機に論点の一つとなった。CENDは2023年までに取りあえずの報告書が出されることが期待されているが、非公式かつ創造的で秘匿性の高い議論の場を提供するもので、停滞する核軍縮の議論に一石を投じた。そしてこれが今後の核軍縮の議論を起こす一助になることが期待される。
 CENDイニシアチブの中心的な考え方は、「核軍縮は安全保障環境が許す時になされるものであり、核軍縮を進めるために今なすべきことは、地政学的なリスクを低減して安全保障環境を改善することである、そして核軍縮を阻害している安全保障上の問題を浮き彫りにし、その解決に尽力すべきだ」とするものだ。これに対しては多方面から厳しい批判がなされてきた。曰く、a) CENDは核軍縮に「安全保障環境の好転」という前提条件を付すものであり、NPT第6条の解釈を変えようとしている、b) CENDは拡軍縮の歴史を無視している、安全保障環境が良い時にも悪い時にも核軍縮は進展してきた、更には、c) CENDは核軍縮を進めたくないための米国の口実に過ぎない、とするものもある。そして、核軍縮は安全保障環境が好転するまでの受動的な「観察者」であってはならない(スウェーデン)、継続的に核軍縮を進めることが国際安全保障環境を改善する道だ(中国)、悪化している安全保障環境を改善するために基本的には核軍縮を進めることが重要だ(国連事務総長)などの見解が示されている(ただし、中国はこの10年、核弾道数を着実に増やしており、この見解は実際の行動と相反している。この見解は対米けん制の一環だと考えられる)。
 思うに、核軍縮を先行させることが安全保障環境を改善することは十分有り得ることだ。それは、核軍縮を交渉する前提として核弾頭や運搬手段の初期数(baseline)を相互に開示する必要があり、また検証のため相互の査察団を受け入れるためのルールを定め、受け入れに協力する状況が生じるため、これらを通じて相互信頼が育まれる可能性があるからだ。これを軍縮が本来的に有する信頼醸成機能と言っても良い。
また、過去の核軍縮の動機として、東西冷戦により経済が疲弊した1990年代初頭の露のように、過剰な核装備を維持することが国家財政上負担であり、これが米露の大統領イニシアチブ(PNI)の誘因となったことがある。従って、結論的には、核軍縮が良好な安全保障環境の結果としてもたらされる場合と核軍縮交渉を行う結果信頼が培われ、更に核軍縮を進めることもある、と考えるべきだろう。安全保障環境の整備と核軍縮のどちらが先かという問題設定より、国際情勢が推移する中で、機会を伺いつつ柔軟に核軍縮を考えて良い問題だと思料する。

6)多国間軍縮条約の問題点
 a)多国間軍縮条約は「良い子」の手を縛るか
 「多国間軍縮条約は良い子の手を縛り、悪い子を野放しにしている」と批判されることが良くある。成程、CTBTにしても対人地雷やクラスター弾禁止条約にしても、国際的な環境配慮や人道的配慮を優先する諸国は条約に率先して署名・批准する。それら諸国の多くは先進民主主義国で、国内的にも国際的にも地球環境や人権・人道を尊重し、これら問題に敏感に反応する国だ。そしてこれら諸国が条約作成に奔走し、リーダーシップを発揮してきた。これに対し、米中露(露はCTBTを批准済)は、CTBT、対人地雷・クラスター弾禁止条約とは一定の距離を置き、批准を先送りにする傾向がある。
 例えば、オタワ条約の場合、未加盟の主要国(米露中など)は、非戦闘員の被害など人道問題を深刻化させてきた対人地雷の主要輸出国であり、結果的にはこの条約は「良い子」のみの手を縛り、「悪い子」を規制していない。クラスター弾を禁止するオスロ条約も同様な傾向を見せている。しかし、オタワ条約の締約国数が増え、普遍化が進むとともに、これら諸国は地雷の輸出マーケットを失っていった。なぜなら、オタワ条約が締約国に地雷の移譲及び輸入を禁止していたからだ。その結果、条約はその目的を概ね成し遂げたと言ってよい。
 国家に良い子も悪い子もない。各国とも自国の国境防衛や原子力発電所等重要施設の防護や安全保障のために地雷が果たす役割に着目し、条約に加盟していないのであって、国益に照らして判断した結果にはそれなりに理由がある。
 他方、このように「多国間軍縮条約が良い子の手を縛り、悪い子を野放しにしている」と観察されるのは、条約の発効時などの初期の段階であって、時間が経過し、条約の普遍化が進み、条約の持つ規範意識が各国に共有されるに従い、逆に「良い子達が悪い子を包囲している」ことに気づくだろう。その状況は、「悪い子」たちの「条約の精神」に対する後ろ向な姿勢を「炙り出す」結果になっていることに注目したい。

 b)全会一致制か多数決か
 次に、多数国間軍縮条約、あるいは条約に至らないまでも多国間で軍縮関係の合意を得ようとする場合、基本的には全会一致制が暗黙の了解になっている。なぜだろうか。それは全会一致で合意した場合と多数決で合意した場合の長短を比較するとわかる。
 長所としては、第一に多数国間条約が全会一致で成立した場合、条約の目的を遂行する効果、すなわち実効性が担保されることになる。全ての国が、その合意に拘束されることを納得して合意したからだ。逆に多数決を採用した場合、反対した国は署名することは無く、その合意に拘束されないのは当然で、条約の効果はその国には及ばない。典型的な例が包括的核実験禁止条約(CTBT)で、条約の採択の場が全会一致を採用するジュネーブ軍縮会議からニューヨークの国連総会に移されたため、多数決で採択されたが、これに反対した3カ国(インド、リビア、ブータン)は、採択後も署名しておらず、CTBTに規定されている義務に従う義務はない。現在も発効に必要な8か国が締結していないことがCTBT未発効の背景になっている。核実験の停止等、安全保障が掛かった条約は、やはり一カ国の脱落者もなく、全会一致の合意が望ましいのは言うまでもない。
 短所としては、第一に全ての国が合意できる内容を追求するとすれば、当然にその合意内容は薄くなり、当初条約が目指そうとした目的が未到達になってしまう恐れもある。また、第二に、時として全会一致制を悪用する国も出てくる。全会一致制とはすなわちどの国も拒否権(veto)を持つに等しいからだ。実際ジュネーブの軍縮会議が1996年以降目立った条約の交渉ができず、停滞してきた理由の一端がここにあった。具体的には兵器用核分裂性物質生産禁止条約(FMCT)の条約交渉にかたくなに反対してきたパキスタン、及び同国を本音は陰で支持してきた国々があったからだ。また国際社会全体にかかわる核軍縮について、軍縮会議を構成する65カ国で議論・交渉するのは不平等であり、メンバーを拡大すべきとの主張にも否定的な国がある。それでは、全会一致制を変えればいいではないかと思われるかもしれないが、実はそれにも全会一致が必要なのだ。
 核兵器禁止条約の交渉開始協議(オープンエンド会合)には、核兵器国・保有国が当初から参加しなかったのに加え、多数決が採用された。そしてこれに反対ないし棄権した拡大抑止国は、実際の交渉に参加しなかった。禁止条約は、事実上同じ志向性を持った諸国のみ(除オランダ)で交渉され、採択された。従って現在の安全保障環境を根底から覆すゲーム・チェンジャーが出てこない限り、このような条約に核兵器国、核保有国、拡大抑止国が署名することはないだろう。核兵器国・保有国の欠席の下、多数決で条約交渉開始を押し切った条約推進派は、これら諸国や拡大抑止国との溝を回復しがたいほど広げ、深め、核軍縮に必要な相互の信頼関係を大きく傷つけたのは明らかだ。禁止条約は、その実効性に大きな疑問が呈されている。

2 核軍縮をめぐる諸問題
1)希薄な安全保障感覚と禁止条約

 私たち日本人は安全保障感覚が概して希薄のようだ。これだけ朝鮮半島、台湾、尖閣諸島など東アジアの地域情勢が緊迫していても、隣国の振る舞いをあたかも遠隔地で起きている他人事のように感じている。識者が最悪の事態を訴えても「そのような事はあるまい」と軽く考えてしまう。他方、禁止条約については、(統計は持ち合わせていないが)多くの国民が、「被爆国の日本がなぜ加盟できないのだ」という素朴な義憤を感じているようだ。
 日本人の安全保障感覚が希薄な背景には、そもそも先の戦争体験への反省と戦後教育により「国家意識」が忌避されてきたことがある。国家は即ち戦前の「軍国主義日本」をイメージさせ、戦後、健全な国家についての意識が十分育まれて来なかった。このように国家意識が希薄な国民に健全な安全保障感覚が育つことは稀だ。同時に日本は、経済大国でありながら「所詮日本は国際政治を動かす力はない」とする小国意識から抜け出せていない。この国際情勢を所与のものとする意識が、主体的に国際秩序形成に参画しようとするよりも、世界の動きを他人事として捉える傾向を生んでいる。そして、真に危機が襲ってくるまで、危機の存在を自分事として捉えることがないのだ。
 また家庭や学校教育で、子供たちに「嘘をつくな」、「渡る世間に鬼は無い」、「借りた金は働いて返せ」と教え、実際、私たちの先達たちは高い道義性を有する立派な日本社会を作り上げてきた。それが故に国民には、国際社会は国内と同様安全で、「渡る世間」には鬼はおらず、世界の人たちは誠実で、「敵が攻めてくることなど考えること自体不埒だ」とする思い込みがある。それが、日本の安全と生存を「平和を愛する諸国民の公正と信義を信頼して」保持するとのユニークな安全保障観を受け入れる土壌を培ってきた。安全保障は他国の信義を信頼して確保すべきでものあり、軍事力は最小限にすべきという感覚だ。
 加えて、道義性が極めて高い国民にとり、「被爆体験を有する日本にとり、核兵器廃絶は国家の使命だ」とする主張は何の違和感もなく受け入れられる。しかし、日本の禁止条約の締結が、米国の核抑止から抜け出ることを意味し、日米同盟を無力化するものであることを理解すれば、禁止条約が日本にとって何を意味するかは容易に分かるはずだ。
 禁止条約が日本を守ってくれるだろうか。

2)軍縮教育のありかた
 毎年秋の国連総会を見据えて、軍縮会議も終盤に差し掛かると、広島・長崎から指導員に引率されて20名程の「平和大使」なる高校生たちがジュネーブを訪れる。彼らの主な目的は核廃絶の署名を束ねた書面を国連の軍縮局に手渡し、核廃絶をアピールすることにある。筆者が軍縮会議代表部大使の任についた際は、加盟国の了解を得て、特に高校生の代表を一時的に日本代表団に入れ、会議場でのスピーチをアレンジした。スピーチの内容は様々であったが、概ね父母や祖父母の被爆体験を受け継ぎ、自分たちも核廃絶のために尽力したいとするもので、年若い彼らの訴えは胸を打つものがあった。また、軍縮代表部としては、「平和大使」を主賓とするセミナーやレセプションを主催し、各国の外交官たちを招き、高校生たちの熱意を伝える努力も積み重ねてきた。
 これらの活動は、禁止条約への動きが本格化する遥か以前から毎年伝統的に行われてきたもので、日本の核廃絶に向けた努力の一環としても捉えられるものであった。実際、政府はこれを「被爆の実相」を伝える有益な活動として後押し、彼らに「ジュニア非核特使」の肩書を与えてきた。しかし、筆者は常に若干の違和感をもって彼らの行動を見ていた。その違和感とは何か。
 それは、この子達の活動を途中までは支援できても、将来のどこかの時点で必ず袂を分かつ時が来るであろうという漠然とした予感であった。核廃絶を訴え、署名活動や次世代への語り継ぎを続け、被爆体験の風化と戦い、政府を動かそうとする活動は貴重ではあるが、どこかで「この子たちに実際の国際情勢や安全保障環境の厳しさを教えなくて良いのか」との思いであった。
 この予感は、実際禁止条約が成立した後、わが国を含む拡大抑止の裨益国が一様に条約に参加せず、一定の距離を保っている事実により、現実のものとなった。広島・長崎の純粋な高校生たちは、なぜ唯一の戦争被爆国である日本がこの条約に入れないのかを考えてほしい。核兵器をこの世からなくすために、被爆の実相を伝えるとともに何を知り、何を考えることが必要か。
 国際社会は決して安全ではない。治安が良く、礼節のある人々に囲まれたこの国に生まれ住む日本人は、国際社会も同様だろうという思い込みを抱きがちだ。しかし、現実は隣国による拉致問題が起き、核ミサイルの脅威があり、北方領土、竹島、尖閣諸島をめぐる力による支配が存在している。また、長く続くパレスチナ問題、シリアの混乱、ボコハラムの闊歩するスーダン、香港の自治を踏みにじった暴挙やウイグルにおけるジェノサイドをめぐり近時先鋭化してきた中国問題。安全でもなく、力や暴力が支配する局面がたくさんあるこの世界で、その力に対抗するには力が必要ではないか等を考えてほしい。
 また「平和教育」を進める教師たちにもお願いしたい。子供たちに世界は決して安全ではなく、公平でもなく、平等でもないこと、今なお他国を押しのけて領土や資源を奪おうとする国がいて、そのためには力の行使も厭わないことなどの現実を教えてほしい。そしてそのような弱肉強食の世界で、なぜ北朝鮮やイランが核兵器を求めているのか、なぜ、米露中英仏の核兵器国が核を手放さないのか、なぜインド・パキスタンが核を保有したのか、等々につき子供たちと議論してほしい。また、先に述べた高校生の「平和大使」がジュネーブを訪問した際、各国外交官との対話の機会を設けたが、その際彼らは、核兵器国やインド、パキスタンなどの核保有国の外交官と話をして、「今まで聞いたことが無い新しい視点だった」との感想を述べていた。子供たちに異なる考えの者との対話の機会を積極的に設け、クリティカル・シンキングを育むことが平和教育には不可欠ではないだろうか。
 軍縮教育は結構なことだ。核廃絶という目標も共有している。しかし、それを実現する道は、私たちの自由と財産を守ることと両立しなくてはならない。核軍縮を進めるために何が望ましいかと視点のみならず、どうして核軍縮が進まないのか、その背景に何があるのかを考える視点が必要だ。子供たちには、その辺りの現実感覚を身に着け、なぜ日本が禁止条約に入れないのかを考えてほしい。

3)北東アジア非核兵器構想の問題点
 現在、世界には5つの非核兵器地帯がある(アフリカのぺリンダ条約、東南アジアのバンコック条約、南太平洋のラロトンガ条約、中南米のトラテロルコ条約、中央アジアのセメイ条約、そしてモンゴルの一国非核の地位)。これらの多くは南半球に属し、加盟国は総数約120カ国に及び、NPT加盟国の約2/3に及ぶ。非核兵器地帯に属する国は核兵器国から、核の使用や使用の威嚇を受けない約束(消極的安全保証)を受けている。
 これを北東アジアにも作ろうという構想が「北東アジア非核兵器地帯構想」で、長崎市が、そして現在は長崎大学核兵器廃絶研究センター(RECNA)が主唱している。この構想には幾つかバリエーションがあるが、代表的なのは、1991年北朝鮮の金日成首席と韓国の盧泰愚大統領の間で合意され、1992年に発効した「朝鮮半島非核化宣言(朝鮮半島で核兵器を製造、保有、搬入、配備すること等を禁止)」と、非核三原則を堅持する日本とを合わせて3カ国の非核兵器地帯を創り、米露中の3核兵器国が核兵器の使用・使用の威嚇をしないこと(消極的安全保障)を約束する構想だ。
 しかしその後1993年に北朝鮮は国内の査察をめぐりIAEAと対立し、1993年3月NPTからの脱退を宣言してしまう。その後、一旦は米国の仲介によりIAEAに復帰するが、非核化を検証する南北の合意が得られないまま、非核化宣言は棚上げになっている。
 国際社会は朝鮮半島の非核化のために様々な努力をしてきた。1994年には米朝枠組み合意により、北朝鮮がIAEA脱退を撤回、核開発の凍結・解体を約束した。その見返りとして、1995年に朝鮮半島エネルギー開発機構(KEDO)が設立され、黒鉛減速炉を廃炉にし、核兵器への転用の恐れが少ない軽水炉2基を建設(第1基完成まで代替エネルギーとして年間50万トンの重油を供給)し、米朝の関係正常化を進め、非核化された半島の平和と安全のために協力を進める等を実施した。しかし、2002年10月、北朝鮮がウラン濃縮計画を認め、核開発疑惑が再度発覚したため、KEDOは軽水炉建設と重油供給を停止した。その後北朝鮮が2003年にNPTからの脱退を再度宣言し、2005年には核保有を宣言したため、KEDOは当初の目的不到達としてその役割を終えた。
 2018年には文在寅大統領と金正恩国務委員長との間で「板門店宣言」が発表された。同宣言には「南北は完全な非核化を通して、核なき朝鮮半島を実現する」とともに朝鮮戦争の終結と平和協定を目指して南北米、南北米中会談を進める、軍事境界線での敵対行為を中止するなどが盛り込まれた。その後2018年シンガポール、2019年ハノイで、トランプ米大統領と金正恩国務委員長との間で首脳会談が行われたが、寧辺以外での核開発があり、北朝鮮の核放棄に疑念があることや経済制裁などをめぐり、会談は決裂した。その後、板門店での両首脳の再会以降、進展のないままバイデン新米政権へと引き継がれている。
 このような経緯を見ると、北東アジア非核地帯構想は以下の理由で現実性のない構想と言わざるを得ない。第一に、これまでの経緯から1992年の朝鮮半島非核化宣言には有効性や信頼性の観点から問題がある。第ニに核放棄につき一貫して言行不一致の北朝鮮を信頼することにも無理があろう。そして何よりも第三に、この構想は日本が米国の核抑止から抜け出て中立化することを想定しており、日本に安全保障政策の転換を要請するものだ。
それでは、この構想の実際意味する点は奈辺にあるのか。
 話は北欧に転ずるが、1963年ケッコネン・フィンランド首相は「北欧非核地帯構想」を打ち上げた。中立政策をとる自国とスウェーデンそしてNATO加盟国のノルウェー、デンマークの北欧4カ国を非核地帯にして、ソ連を含む核兵器国から消極的安全保障を得るという構想だ。これら4カ国には、平時には核兵器が配備されていないが、これを有事にも拡大しようとする案で、同時にソ連が北欧付近に配備している非戦略核を撤去することを含んでいた。これは構成4カ国のみならずNATO加盟国に議論を起こしたが、パルメ・スウェーデン首相は、この構想はソ連の核独占を認めてしまうとして一貫してこれに反対した。当時武装中立国のスウェーデンはスイスと共同核開発を模索中であったためだ。また、ノルウェーは「平時は核を持ち込まないが有事は別」との政策であった。困難な議論を経て、この構想は結局、スカンジナビア諸国を中立化することによりNATO加盟国であるノルウェーとデンマークそして西側であるスウェーデンとフィンランドをNATOから分断し、結局はソ連に利するものとして断念された経緯がある。
 さて、この教訓を北東アジア非核地帯構想に生かしてみると、この構想は、畢竟米国の同盟国である韓国と日本中立化し、米韓同盟、日米同盟に楔を打ち込み、結局は中露を利することになると言えよう。

あとがき
 何年か前、モンゴルのウランバートルに於いてNGO主催の核兵器禁止条約に関するラウンド・テーブルが開催された。当時まだ禁止条約は採択されておらず、日本はじめ欧米主要国、中国等アジア地域からの出席者が賛否両論を戦わせた。その論点は、筆者が軍縮大使としてジュネーブで経験した禁止条約事前交渉の「オープンエンド会合」での議論を超えるものではなかったが、圧倒的に禁止条約に対して共感する発言が多かった記憶がある。
 休憩時間に初老の日本人研究者と立ち話する機会があった。その方もリラックスしていたためか、外交辞令を用いることなく、本音で話していたようだった。議論が一段落して、どうして彼が核廃絶をライフワークとするようになったかとの話題になった。「自分はこれまで人生を戦中・戦後の日本にダブらせてきた。かつて日本は誤った戦争に突入し、挙句の果ては広島・長崎に原爆を落とされ、未曽有の惨状を経験した。だから、若いころから自分は生きる意義をこの二つ、つまり如何なることがあろうとも戦争に反対し、核兵器は廃絶されなければならないと固く信じ、このために生涯をかけてきた」と呟くのだった。
 一般にこのような話を耳にした日本人はどのように反応するのだろうか。統計を見ているわけではないが、概してこのような価値観を持っている人は多いと思う。いや大多数の日本国民は、程度の差こそあれ同じように感じていると推測される。なぜならこのような考え方は、道義性(moral ground)の高い国民にとり、抵抗なく受け入れられるからだ。しかし、ここには大きな陥穽が存在し、その高い道義性が故にその陥穽に気づく人は多くないと思われる。筆者はどうかと言えば、その時、違和感を抱いたことを覚えている。その陥穽とは何か。
 先ず、その体験が厳しいものであればあるほど、戦争に絶対反対し、核兵器の廃絶に至高の価値を置く人々が多いのは自然だ。特に悲惨な戦争で愛する肉親を失い、また被爆された方々がそのような考えを持つのは当然だ。しかし、東アジアの厳しい地域情勢に照らし、反戦や核廃絶を個人の価値観を超えて、何よりも優先的な国家目標とすることには無理がある。先ず、如何なる戦争にも反対すると言うが、誰も戦争を好まない。軍人ほどそうだという。しかし、先達がこれまで営々と育んできた言論の自由、民主主義、法の支配、自由な市場経済などの基本的価値観が奪われそうな危機時でも戦うことを忌避するのだろうか。そういう人もいて良いと思う。ただ、筆者はそういう日本で生きたいとは思わないし、そういう日本を子供たちに残したいとは思わない。
 また、国家が核廃絶を目標として掲げても、それに至高の優先順位を置くことにも無理がある。そうした途端に、国家が本来守るべき価値が従属されてしまうからだ。その価値とは、国民の生命と財産、自由と独立だ。
 特に、現在の東アジアの安全保障環境を見ると、日本は核兵器国の露中や、核武装国の北朝鮮に囲まれていて、いつなんどき核の恫喝を受けるかわからない。最近の中国海警法が武器使用を容認したことや、中国公船の頻繁な接続水域への侵入などがそれを示唆している。これら諸国が程度の差はあれ、権威主義的な国であることを考えるとなおさらだ。
 私たち日本人ほど核兵器や放射線に拒否反応を示す国民はいない。それには十二分な理由がある。しかし、この瞬間でも日本人の生命と財産、自由と独立は米国の拡大抑止(核の傘)によって守られている。日常生活では可視化できないが、米国の核兵器により周辺国からの核の恫喝を抑止しているのが現実だ。にもかかわらず、核抑止を忌み嫌っているこの自己矛盾をどのように説明するのか。禁止条約に日本が入れない理由は、まさにこの核抑止を否定しているからだ。
 陥穽と言ったのはこのことだ。反戦や核廃絶を叫ぶ人々には道義的に高い意識を持つ人格者や人道主義者が多く、その人々の主張は心の琴線に響く。しかし、個人の信念と国家の歩む道は別の次元にあり、それを同一視しようとする願望が、国家の生き方にとって意図せざる結果をもたらし、大きな落とし穴に陥ることがある。
 核兵器は人類の生存を脅かす。それは人類が作り出した問題であり、人類の手で解決しなければならない。その解決は、自国の利益を優先する主権国家が併存する現実の国際社会においては、さまざまな利害と思惑、相互不信が交錯し、容易なことではない。残念ながら核廃絶への道筋はなかなか見通すことはできないが、しかし、少なくとも世界の安全保障環境の改善を図り、核軍縮に向けた「多国間の漸進的アプローチ」を通じ、核兵器国を含む各国間の信頼関係を醸成していくことはできる。日本には、そのための注意深く地道な外交努力が求められる。そして、世界の緊張緩和や国家間の信頼を醸成していく過程においては、国際機関や各国政府のみならず、何より国際世論形成に影響を与えるさまざまな研究機関や教育機関、NGO等民間セクターの役割が今後ますます重要になってくるものと考える。

(本稿は個人の意見を述べたものであり、如何なる組織の見解を述べたものではない)