小さくも輝き続ける国:シンガポール


駐シンガポール大使 石川浩司

シンガポールという国

 人口600万弱、面積は東京23区とほぼ同じ、シンガポール人は自らの国を「赤い小さな点(little red dot)」と呼ぶ。また、彼らは自国が1965年にマレーシアから分離、独立したことについて、「蹴り出された」という。当時は貧しく資源にも恵まれず、吹けば飛ぶような国であった。それが現在は、地域のハブとして機能し、一人あたりGDP7万ドル弱と日本の2倍近い豊かさを享受している。「何が今日のシンガポールの発展を可能としたのか?」というのが2022年10月に大使として着任して以来抱いてきた第1の疑問であった。
 そして現時点での私の端的な答えは、「リー・クアンユー(以下「LKY」)という稀代のリーダーに恵まれたこと、そして国家の生存に対する強い危機意識に裏打ちされて、人々がリーダーに従って献身努力したこと」である。「LKY回想録」を読むと、彼が如何に国の将来をイメージして、困難な決断を次々に行ったかがよく分かる。
 数々の抵抗を受けながらも英語を共通語に定めたことは彼の戦略的で大きな決断であった。資源もない小国のシンガポールは、グローバルな世界と繋がって発展する必要があり、そのためには英語は必須。国民は基本的に英語を話す。このことが現在のシンガポールを築く上で果たした役割は大きい。国際金融都市を目指す東京や大阪等が苦戦しているのも、言語が障害となっている面が強いように思う。
 シンガポールの発展の秘訣とともに私が関心をもったのは、多民族国家運営の微妙さである。中華系75%、マレー系14%、インド系9%。1964年には民族衝突で犠牲者も出ていた。国の統治の様々な面において民族融和を図る施策が取られるとともに、シンガポール国民としてのidentityを国民に根付かせることに腐心している。外交においても、ある立場をとることが国内の融和にどう影響するかを勘案する必要がある。最近のガザを巡る対応においても、建国時において軍事面を中心に助けてくれたイスラエルとの伝統的友好関係を大切にしつつ、国内のマレー系(ムスリム)の反応、そしてイスラエルとは国交を持たないインドネシア、マレーシアといった隣国との関係にも配慮しながら政策決定がなされる。後述するが、この点は対中関係においても重要な考慮要因となっているのである。

日本との関わり

 日シンガポール関係は、19世紀に遡る。といってもシンガポール建国は1965年であるので、英国植民地時代のシンガポールである。1879年に東南アジア最初の公館(領事館)が設置され、また1915年には日本人会が発足、多くの日本企業が進出した。同時に負の側面もあり、太平洋戦争が始まり日本軍が進撃を行うと、1942年2月にはシンガポール陥落、爾来戦争が終わるまで「昭南国」と称して日本が占領した歴史を持つ。その過程で一部華人の粛清という誠に不幸な事件もあった。
 それにもかかわらず現在シンガポール国民の日本に対する感情は極めて良い。主要国の中で最も信頼され、また旅行先として圧倒的な人気を誇り、年に数度日本に行く人もざらにいる。シンガポールでは土曜日のゴールデンタイムに「ジャパン・アワー」という人気番組があり、日本の旅行番組等を英語の字幕をつけてそのまま流しているが、日本各地にシンガポール人が旅行をする一因になっている。
 「過去の負の歴史にもかかわらず中華系主体のシンガポールはなぜここまで親日か?」シンガポールに着任して以来の第2の疑問であった。中国在勤が長かった筆者にとり、この点はとりわけ興味深い論点である。現時点での端的な答えは、「LKY首相が日本に対して『forgive, but never forget』」という方針を取ったこと」である。だが、しかしより根本的な疑問はなぜそのような方針を取り得たのかである。LKY首相の建国当時の、吹けば飛ぶような国をなんとかsurviveさせるためには過去を振り返るよりも自国の将来の発展のために日本を大いに活用しよう、という慧眼、国民もそのようなリーダーの危機意識を共有して日本との関係に向き合った、ということなのか。いずれにせよ、そのようなLKY首相の呼びかけに応えて、日本の企業が海運、造船、インフラ建設、石油化学、電機等、様々な分野で、その建国・発展に寄与してきた。そして多くのシンガポール人が日本企業に就職し、戦後の日本人と接する中で、日本への理解が国民の間に拡がっていったように思う。
 そしてシンガポールが一定の発展段階に達して経済的に豊かになると、次に求めるのは文化的な豊かさになる。文化となると日本の間口は広く、漫画やアニメといったポップカルチャーのみならず生け花、茶道や剣道、合気道といった伝統文化に対するシンガポール人の関心は高く、またサッカー、バレエ、建築といった各方面で日本人がシンガポールで活躍している。また何といってもお酒も含めて和食の人気は凄まじく、人口600万弱の国に和食レストランは1200軒もあると聞く。これらを通じて日本への親近感が醸成されてきているように思える。先日、日系の生活雑貨会社のリニューアルオープンに立ち会った。シンガポール人はごく自然に「日本」を自らの生活の中に入れようとしているように思える。日本人会の夏祭りでは、浴衣を着た沢山のシンガポール人を目撃した。日本人の思考が凝縮された生活雑貨が受け入れられていることに、大きな可能性を感じる。

将来の展望

 シンガポールでは2023年9月にターマン新大統領が就任したのに続き、2024年11月までにリー首相からウォン副首相に政権が委譲されることになっている。1965年の建国以来4人目の首相の誕生が1年以内にある。現在50歳のウォン副首相、今後20年位は国を率いていくものと思われる。そして首相交代を迎える2024年はシンガポールにとって正念場である。そのスタートを日本がしっかりサポートすることは、両国関係に大きなプラスとなる。シンガポールは恩義も忘れない国である。
 以上を述べた上で、「先人の努力により良好かつ成熟した日星関係に、更にどのような付加価値をつけていくか?」これは現在も模索し続けている第3の問である。
 親日で政治的安定があり、高い所得水準、進取の気質、そして地域ハブとしての機能。これらすべてを兼ね備えているのがシンガポールであり、同国は日本が力強く発展していくための最適なパートナーとなりうるのではないか。
第1に、シンガポールはデジタル化が進み、フィンテック、クリーンエネルギー開発、食糧安保といった領域において国を挙げて真剣かつ計画的にとり組んでいる。時に、失敗を恐れずに試行錯誤を許容する懐の深さがある。デジタル化やフィンテックといった面では日本がシンガポール政府・企業と協力してその先進性を取り込む必要があり、またクルーンエネルギー開発や食糧安保といった面では、日本企業のもつ技術力を生かしていく場として最適である。
 第2に、日本は今世界に対して日本への投資を呼びかけており、資産運用大国を目指している。この面でもシンガポールは最適なパートナーであることは、日本取引所グループ(JPX)が2022年に海外において初となるMarket Forumをシンガポールで開催、手応えを感じて2023年第2回を開催したことからも窺える。この場で海外の投資家から日本企業・社会の変革への期待が強く寄せられたが、JPXとしては、来年以降更にこれをスケールアップさせたい意向と承知する。
 第3に、日本の地方再生の鍵となる農水産品輸出と外国人インバウンド。その両輪において、シンガポールはフロントランナーである。毎月のように知事が当地を来訪、トップセールスに力を入れておられる。一人あたりの日本食消費量において、香港を抜いて世界1位となる可能性は十分あるし、訪日客はコロナ前比2割増の年間60万人に達しようかという勢いで、人口比でいうと世界1ではないか。
 第4に、ここシンガポールには日本人が創業した元気の良いStartupが集まっている。それらがインド太平洋地域を舞台に様々なネットワークを駆使して成長していくことは、日本自体を活性化していくことにも繋がるであろう。
 第5に、少子高齢化や労働力不足への対応等は両国の共通課題である。AIやロボットの利用、リスキリングなどお互いの知恵を融通しあえる分野でもあろう。
 そして、「官」としては、以上のような主に「民」の動きを促し、サポートして問題があればその解決に汗をかいていく、そのことを通じてシンガポールとのパートナーシップをより強固なものとして日本自身の発展にも繋げていければと思う。

 外交的観点から最後に以下を付言したい。これまでの両国関係は経済面での協力関係が強く、先方が日本に期待するものも主に経済的な役割であった。しかし、昨今の地政学的変動は、シンガポールの日本に対する目線を微妙に変えてきているように思う。その端的な表れが2022年5月、日経アジアの未来会議に際してのリー首相のスピーチで、その中で日本に対して地域の安全保障により大きな貢献を求める発信がなされた。そのプロセスにおいては星政府内でかなり議論がなされたと側聞する。星だけでなくASEAN全体に言えることかもしれないが、いずれかの域外国が圧倒的な影響力をもつ状況は望ましくなく、その意味で米中とバランス良く付き合いたいが、他方で近年米国のこの地域への関与の一貫性につき不安を抱かざるを得ない状況にある中、日本に対して安全保障面でも役割を期待することにつながっていると思われる。
 昨年12月に日本政府が安保新戦略を出した際に当地の政府・有識者に説明して回ったが、現下の日本を巡る安保環境を勘案すると自然なことであるとして基本的に理解が示された。そして、バイの文脈でも本年6月のシャングリラ・ダイアローグの機会に「防衛装備品・技術移転協定」に署名、今後防衛面で関係強化する基礎ができた。
 ちなみに、シンガポールは日韓豪のような米国の同盟国でないし、比や泰のような準同盟国でもないが、実際には米軍が比より撤退した1990年にシンガポールの施設を米軍が使用することを認め、2005年には戦略枠組み協定を結んで安保防衛面での関係を強化している。ウォン副首相が2023年9月に訪米した際の最初の訪問地も、シンガポール空軍が訓練を受けているアリゾナ空軍基地であった。
 このように論を進めると気になるのは、同国と中国の関係である。国民の75%が中華系であるが、その対中観は一様ではない。1.でも言及したが、国を率いるリーダー層は、多民族国家であるシンガポールにおいて、国民がシンガポール人としてのidentityをしっかり持ち続けることが最重要とみなしている。この点中華民族の復興を唱え、シンガポールに限らず中華系への直接の働きかけを厭わない北京の動きはシンガポール政府との関係においても微妙なものがある。他方で、ビジネスを中心に中国大陸と深い関係を有する人々や文化的に中国に親近感を持つ人々も多く、そのような人々の世論への配慮も必要であり、対中関係には細心の注意が払われている印象である。「米中いずれかを選ぶことはできない」という公の立場の背後には様々な考慮があるように思われる。
 そして、実は台湾との関係も実に複雑微妙である。歴史的経緯もありシンガポール国軍は台湾で軍事訓練を行っており、また台湾とバイのFTAも締結している。これらは、中国がシンガポールに対しては台湾との関係において一定の空間を容認していることを裏付けている。そして、ゴー前首相もリー首相も、首相になる前、副首相の立場で訪台しており、ウォン副首相がこの点にどう対応されるのか、今後の北京との関係を占うものとして個人的に注目している。
 その上で、シンガポールは国全体として中国との間に広く深い人脈を有していると同時に中国の動向に強い関心を払っている。また、当地では中国情勢をフォローする有識者・研究者の層も厚く、特に香港が昨今のような状況の中、中国ウォッチの場所としての価値も上がっているように思われる。その意味で、今後日星の間で中国や米中関係、台湾情勢も含めた地域情勢について、様々なレベルで対話を深めていくことは意義深いとの点を最後に指摘しておきたい。

(了)