余談雑談(第161回)キリスト教と日本

元駐タイ大使 恩田宗

 明治の日本は欧米諸国に早く追いつきたいと西洋文化の摂取に邁進した。当時布教にきていた宣教師達もそれに手を貸してくれた。彼等の数はお雇い外国人とほぼ同じで地方にも移り住み日本語ができより長く滞在した。布教に併せ近代医療の提供、英語教育、学校の設立、留学支援などを行い一般国民レベルへの先進文化の普及に貢献した。

 著名な宣教師としてはオランダ系米国人のG・フルベッキがいる。まだ切支丹は禁制だった安政6年長崎に着任しすぐ配偶者を呼び寄せ明治31年東京で病没した。滞日40年の間に、長崎の私塾・藩校や東京の開成学校に於いて英語のほか諸学を教え政治分野でも日本政府の最高顧問のような役割を果たした。彼の日本語の読み書き能力は並みの日本人を超え日本語での演説は日本人聴衆を感銘させたという。ヘボンと共に聖書の日本語訳に主要な役割を果たし内閣翻訳局の外国法典の翻訳にも従事した。彼の教えを受けた者には伊藤博文、大久保利通、大熊重信、副島種臣、前島密、大山巌、高峰譲吉、陸奥宗光、岩崎弥太郎、伊藤巳代治、高橋是清など明治の要人のほとんどが含まれる。明治4年の岩倉使節団は彼の筋書きに依った。

 ただ宣教師達は布教ではあまり成功していない。日本の基督教徒の総人口比は1%程度に留まっている。ザビエル達の時代には7%にも達したらしい。フルベッキは日本での布教の難しさをNY長老教会の外国伝道局主事R・スピアにこう語っている。「日本人は本質的な真剣さに欠け・・・宗教的忘我や霊性といった感覚をほとんど持たない・・・(聖書の詩編51にある)罪を悔い神に哀れみと許しを乞う心情は存在しない」と。日本がキリスト教化されなかったことは、見方を変えれば、日本と世界にとり良かったと言える。日本は欧米諸国を核とする強大なキリスト教文化圏に周辺国として組み込まれずに済んだ。世界も日本が非基督教国として欧米諸国とは異なる独自の文化を維持し続けたことにより文化の多様性を弱めることなく済んだ。人類の諸文化はいずれ高次元の理念により統合されるにしても今必要なのは一つの文化への同化ではなく異文化の共存である。

 フルベッキの薫陶を受けた大隈重信はこう語っている。「一時は信者たらんかと思う程なりしも遂に決心するに至らず。支那孔孟の教先入主となって信を妨げたるか或いは西洋の宗教歴史が予に一種の悪感を与えたるに基因するかを審らかにせず」と。絶対的な一神教は儒・仏・神混交の多元的相対的で曖昧な状態に安住してきた日本人に肌が合わなかった。大隈と同じ思いをした人が多いと思う。

(本稿は一般社団法人霞関会会報令和5年6月号に掲載されたものです。)