余談雑談(第155回)日本のアメリカ化

  元駐タイ大使 恩田 宗

 2022年7月ニューヨークでマリリン・モンローのグラフィック画が1億9500万ドル(250億円)で落札された。アンディー・ウォーホールの1964年の作である。当時の米国はベトナムや中東やソマリアへの軍事介入で傷つく前の光輝く国だった。そうした国の斬新なポップアートの代表作品ではあるが、二十世紀絵画として最高額のピカソの「アルジェの女達」(1億7940万ドル、215億円)をも上回る額だったのは驚きだった。歌麿の美人画「深く忍恋」がその数年前パリで浮世絵の史上最高値をつけたが8800万円であった。モンローの版画は歌麿のものよりサイズは数倍大きいが歌麿は日本で名高い歴史的画人である。価格の差は日米の経済力の差を示す。

 1964年頃の日本はアメリカの後を懸命に追っていた。デザイナーの島田順子は「(あの頃は)ファッションの流行(も)米国からの方が多(く)・・・米国雑誌セブンティーンをよく読み・・・ジェームズ・ディーンのように革ジャンを着ていた」と語っている。グラフィック・デザイナーの横尾忠則もウォーホールなどの米国のポスターに「金縛りに合った」ように感動し以後サイケデリックな作品を描くようになった。日本人の目は皆米国に向いていた。アメリカに勤務していた私にも「アメリカ人の考え方(はどうか)・・・アメリカの文学や映画とアメリカの(実情)・・・の間にズレはないのか」などと聞いてきた。大学や省庁・会社では米国帰りが活躍していてアメリカナイズという新語がよく使われるようになった。日本語大辞典によると、評論家扇谷正造が1951年に「日本人はまだそこまで日常生活がアメリカナイズ(アメリカ化)されていない」と書いたのが初出だという。1966年11月読売新聞は「混成機動特派員団」を米国の10数箇所に派遣し特集「これがアメリカだ」を40日間にわたり連続掲載した。

 1964年、英国のタイムズ紙がこう報じている。日本は大変な勢いで西洋の事物を受入れているが自身に確信を抱き西洋に屈してない、むしろ米国を含め西洋を拒絶している、東京に居るとパリやベルリンのように外国人仲間の文化的な社会を築けず欧州が恐ろしく遠く思える、と。外から見ると日本のアメリカ化は日本人が考えていた程には進んでいなかったらしい。加えて1970年代に入ると米国の日本頭越の中国接近とドル・石油の二重のショックで米国一辺倒に水が掛かった。日本人が厳しい国際環境に目覚め中国、東南アジア、中近東に真剣に向き合うようになったのはそれからである。

 文化は経済力の強い所のものが低い所に及ぶ。米国文化の日本への流入はバブル期に「千代田区を売ればカルフォルニアが買える」などと言われ様になり勢いが衰えた。日米の国力格差はまだまだ大きいがアメリカナイズという言葉は使われなくなって久しい。